第429話「白白」
『魔王』との共存もとい、対話、もしくは会話に至ることができたのはほぼ奇跡とも呼べた。
いくつもの折り重なった確実とは程遠い、遥か彼方にみえる希望の象徴を掴むような。夜空に浮かんだ一番星を掴みとるような無謀と否定されても仕方のないことを可能とさせたのだから。しかし、その奇跡を意図も容易く起こした本人は、久々に飲めるとうきうきとお気に入りのグラスへ、エヴァンから貰った果実酒の残りを注いでいく。もちろん、『魔王』――ロイアに出されるのは店に並んでいる中でも一番上等かつ上質なものを、アヴァンが綺麗なグラス――客人向けに出すもので差し出した。
「ありがとうです」
「……い、いえいえ」
それに笑顔でお礼を告げる『魔王』。萎縮してしまっているアヴァンにとっては、それが今後の話し合いで有効に作用するかは分からないものの、印象を覆す要因の一つとなりそうではあった。
「さて、これで準備は整いましたね」
「ローナちゃん、酒瓶丸々持ってこなくても……」
「一杯では足りませんよ。私も『魔王』様も」
酒瓶――葡萄酒で満たされた芳醇な厚みを備えたその豊かな色は、『魔王』の心を鷲掴みにするには充分であった。
「なんです? 葡萄酒です?」
「はい。友人から貰ったものですが、中々美味しいものです。酸っぱさはほんのりと香りで楽しむ程度に抑えてあり、葡萄独特の舌に残る甘さがより一層深まったものとなっています。貰った日に晩酌で飲んだのですが、あまりの美味しさに空けてしまったくらいには、素晴らしい出来の物ですよ」
「おお、そうなのです。わたし、実は葡萄酒が大好物ですので、良ければ後で一口頂ければ幸いです」
「えぇ、そのために用意していたようなものですので、そちらに注がれたものを楽しんだ後に注がせていただきますね」
うむうむと、上機嫌に頷く白髪の少女。エティカよりも長く、その長さは椅子に座っているだけでも床へ無造作に散らばってしまうほどの長髪であった。それを見て、括った方がいいのかどうか迷っていたのはエティカだけではないだろう。しかし、彼女自身に触れたいと、近づくことはまだまだ心の障壁が存在している以上、難しいものではあった。
「――では、改めて私からご紹介させていただきます」
「なんです。自己紹介ならもう先にしたのです」
「こういうのは形式を守るのもいいものですよ。威厳が保たれますから」
「そうです? まぁ、威厳なんてもうすでにあるようなものですから、好きなようにしてくださいです」
ロイアの言っていることは、まさしくその通りだと首を縦に振って脳震盪を起こしてもおかしくないほどの説得力があった。実際、その通りではある。アヴァンやヘレナの恐怖がそれを証明していたのだから。今だって、『魔王』が襲ってきた時にどうやって逃げるかどうかを考えているのは、言わずもがな。恐らく、ロイアはそんな人間をたくさん、数え切れぬほどに見てきたからこそ、わかっているのだ。
「――まぁ、そうですね。こちら、ご存知の通り現在『魔王』をその身におさめている、ロイア様です」
「うむ、なんというのかは忘れたのです。ひとまず、恐れ多いです」
「それは私が使う言葉ですね」
それよりも、ヘレナとアヴァンが気になっているのは、『魔王』を目の当たりにしていながら、流れるように隣へ陣取ったローナのことである。エティカが驚かないのは、魔人族だからとか『魔王の器』など理由は色々察しはつくものの、ローナ・テルシウスと『魔王』には共通点や接点が想像できないのだ。人族であり、王都で働いていた彼女がどこかで『魔王』と会っていてもおかしくはないのかもしれないが、そんな話は噂程度だって流れてこない。ゆえに、不思議ではあった。
「で、わたしを呼んだ理由というのも、おおよそ察してはいるのですが、しっかりと口頭で説明して欲しいのです。わたしは何をすればいいのです?」
注がれ、目の前に置かれたグラスに一口、桃色の唇をつけ、黙する鴉で一番高級な酒を嗜む。「お、美味いのです」と真面目で素朴、幼げな童顔から一変、夢見心地な気持ちの良い笑顔を作り出すロイア。その様子に胸を撫で下ろしたアヴァンは、一つの重荷が外れた軽さを味わう。緊張で喉がカラカラと乾いているままでも、自分がローナと選りすぐったものが認められるのは嬉しいのだろう。
「率直に申し上げますと、エティカちゃんを保護して欲しいのです」
「……ふーん、保護ね」
チラリと、挑戦的な蒼眼は左隣でヘレナを心配している白銀の少女へと向く。
「それは『魔王の器』をわたしに返す、ということではないのですね?」
「はい。保護。つまり、亡命のようなものです。王国から認められたものではないので、そうですね悪い言い方をするなら誘拐をして欲しいのです」
ローナの一言に、ロイアは堪えるつもりのない大声で笑い出す。ゲラゲラと。ガッハッハッと。とても女性らしくない笑い方は豪快で、とても貞淑さなんて微塵も感じない。しかし、それほどに滑稽な申し出であったのは確かではある。
「誘拐、誘拐です? よりにもよってわたしに? 『魔王』にです? なんととち狂った考えの持ち主なのです。『救世主』の傍にでも置いておけば、万事解決するはずでしょうに、あえて一時的にも手放す選択肢をとるなど、大博打にもほどがあるです」
「えぇ、本来であったらエヴァン・レイの元に置いておくのが一番なのでしょうけども、そうも言っていられない事態となっているのです『魔王』様」
「……ふん、どうせ対の魔女が暴れているだけです」
「それだけなら、どれほど良かったか」
嘆息。
嘆きながら吐き出した息は、『魔王』の周りにまとわりついていく。鬱陶しくも、簡単に取り払えない重苦しいもの。対の魔女が関わると、全ての良好なものは天地をひっくり返したように、悪質なものと変化してしまう。それをなによりも分かっているのが『魔王』で、骨身にまで、魂まで染まっているからこそ、聞きたくない面倒事でも、聞かなければいけないのだ。
「…………で、対の魔女はなにをやらかしているのです?」
そこには、残虐姫の姿はなく。誰からも恐れられるものはおらず。同じ机で人族の酒を嗜む魔人族の女性しかいなかった。
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