第428話「閑話」


 時は遡り、早朝へと場面は切り替わる。

 なぜこの場面へ注目したのか、それはただ単純に。圧倒的な現象もとい――作戦が成功したことでもあったからである。

 エヴァンが出かけた姿を見送り、ヘレナへの自身の気持ちを告げたエティカであったが、そのまま黙する鴉の玄関を潜ることはできなかった。


「――久しぶりです。


 思わず、振り返った。

 白銀の髪が勢いよく散っていく中、紅色の瞳が映し出したのは紛れもない人物である。

 ローブやフードを着ず、格式高い厳かな装飾のついた黒を基調とした胸に金色の飾りが輝く衣装。誰が見ても王族――もしくは貴族だと分かってしまうような金の掛かった服装。更には、靴だって動きやすいものでありながら威厳を感じさせるように側面にこれまた金色の紋章が刻まれていたのだ。そんな彼女は、誰なのか。そんな女性は誰なのか。

 抱きがちな疑問を払拭させたのは、頭部に生えた艶やかな黒色の角である。


「…………イラオ?」


「残念だけども、イラオじゃないのです。今彼女は眠っているのです」


「……そっか」


 露骨とはいわなくとも、少しだけ気分の下がった声音の白銀の少女。そんな反応ができているのも、エティカだけであって、その場にいるヘレナ、アヴァンは恐ろしいものを見てしまった。恐怖を表情として表出していた。


「で、貴方は誰なの?」


「失礼、申しおくれましたのです。ロイアと気軽に呼び捨てくださると嬉しいのです」


「……そっか。ロイアさんね」


 二人が、ヘレナとアヴァンが恐れているのにも関わらず、エティカはいつも通り、いや少し諦めたような対応をしている。(意外と早かったなぁ、もう少し身支度とか整えたかったけど、仕方ないかな)と、心まで受け入れているのだ。


「して、隣のお二方はエティカ様のご家族ということでよろしいのです?」


 蒼眼。透き通った水面のような色合いではなく、深く沈み込むような深海を映し出したような双眸が、アヴァンとヘレナへと向く。もちろん、そんな行為や行動や言動に威圧感や殺意が込められていないのは、二人も感じられていたのだが、どうにも心が理解できないのか、返答することも難しい様子で、必死に言葉を選んでいた。

 無理もない。

 彼ら、彼女らの目の前にいるのは『魔王』なのだから。


「家族……うん。家族だよ。それより、エティカ様なんて恐れ多いから、違う呼び方だと嬉しいかなって」


「んー、そうしたいのは山々です。しかし、そうしてしまうとイラオに怒られるので、許容していただけると助かるのです」


「……イラオもわがままなんだから」


 紅色と蒼色の視線が交わされいく中、硬直状態にあった二人とは別の、聞き馴染みのある声が乱入――もとい、追いついてきた。


「――ロイア様、置いていくなんて酷いじゃないですか」


 紫色の髪がふわふわと揺れ、白と黒で揃えられた給仕服をなびかせると、少し荒い呼吸を鎮める女性。

 いつの間にか黙する鴉から旅立ち、そして、颯爽と帰ってくる。仕事はできるし、なんでも卒なくこなす。出来ないことを数えるよりも、成し遂げられなかったことを数える方が有意義なくらいの万能給仕。エティカに、誠心誠意給仕の仕事や日々の流れ、風呂の入り方や買い物の仕方、買い出しで買っておいた方がいいものや、椅子への上品な座り方、更には髪のとかし方までを教えてくれた優しき姉のような人物。


「――ローナちゃん」


「ただいま帰りました。エティカちゃん。と……ヘレナさんとアヴァンさんはどうして固まったままなのでしょうか」


 放心状態にも近しい二人を映す紫紺の瞳。しかし、黙する鴉の一員が戻ってきたこと、そしてそんな彼女が何にも怯えず平然としている態度に、恐怖を抱いていた心身のぎこちなさは多少解れる。


「そりゃ、いきなり……ね」


「……あぁ、いきなり」


「そうです。いきなりではあったのです」


 弁明しようとした二人を追走するロイア。その言葉は紛れもなく事実で、音もなく現れた畏怖の存在を目撃したとあれば、大概は固まるか泣き叫ぶか逃亡するかのいずれかだろう。今回は固まったわけだが。


「まぁ、役者は揃いましたし、中に入って今後の計画を話し合いましょう。私も長旅というか道中大変だったもので、お酒の一杯でも飲みたいところです」


「お、紫ちゃんはお酒を飲めるのです?」


「えぇ、嗜む程度ですがね」


 嗜む――程度とはいえないだろう。酒を浴びてしまっても、酒樽の中でも漂っても一切酔った様子を見せない彼女が、そんな謙遜してしまうのは珍しくもあったが、それよりも、エティカより小さく見える彼女が飲酒に興味を示したこともある意味予想外ではあった。


「良ければ、一口飲みますか? 大事な話というのは、酒を潤滑油にして流してしまう方がいいと言いますし」


「……流しちゃ駄目だとは思うけど――そうね」


 ローナの提案に、閉じこもっていた思考は開かれ、ヘレナはヘレナらしい表情へと切り替わる。

 男よりも勝気で。何ものにも臆することない。強気の瞳で。


「中に入ってくださいロイアさん。そこそこのお酒ならありますので、それを飲みながら話でもしましょうか」


「お、いいのです? しばらく酒を飲まなかったので、楽しみであるのです。エティカ様もどうです?」


「……わたしはいいよ。まだお酒飲んじゃいけない歳だし」


 空気の淀みは一切なく、朝焼けの中、宵闇に冷やされた空気が暖められるあたたかさを感じる。そんな早朝に、人類の敵。はたまた、全種族の敵とされる人物。『魔王』は来訪したのだ。

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