第424話「感謝の当然」


「…………そうだそうだ。思い出したことがいくつかありまして」


 エヴァンが心の底から憤怒を沸き立たせている中でも、感謝の魔女は自分を最優先にする会話を繰り広げていく。

 対話なんて形式的に都合のいい言葉を使ったように。


「…………同調、そのことで話をしておきたいことがあったのですよ。実験の話よりも大事なものが」


「……はぁ」


 嘆息を吐き出すエヴァン。諦めの境地にさえ至りそうな感情は、置いてけぼりなままで進んでいくのだから、一々一つのことを突っついていれば、いつしか自分自身が壊れしまうのだろう。

 だが、見捨てられないのも事実。

 例え、失った命でこの世に存在しない魂であろうと、供養することは救いとなるだろう。遺された意志や残された者にとっても、救いとなる。しかし、今は我慢するしかないのだ。

 議論ではなく。対話の形式を取っている以上、それをおかしいと言うことはできても、治すべきだと言うことはできても、相手が治すかどうかは検討に値しないのだ。

 そう考えれば、議論や話し合いというものではなく、対話と決めたのは対の魔女らしい小賢しい手法ともいえた。


「…………貴方様は、実際に自分の中にいる『勇者』と話をする機会はあったのでしょうか?」


「……」


 素直に答えるべきか、どうするべきか、素早く返すことができないエヴァン。しかし、そんな態度なんて対の魔女にとっては、情報を与えているのと一緒だということに、違いない。


「…………黙る、一瞬でも言うかどうかを悩んでいるということは、会話はしたけども、それを自分達に教えるべきかどうかを悩んでいる。そんな感じがしますね。もわもわと、漂ってきますね。思考者の匂いが」


「……そんなに臭いですかね」


「…………えぇ、自分達対の魔女を出し抜こうとせずとも、なるべく情報を与えずになるべく多くの情報を得ようと考えている愚劣な思考がですね」


「……」


 絶句する以外の選択肢はエヴァンにはなかった。

 心を見透かしているなんてものじゃない。今、何を考えて、何を思っていて、これからの展望を把握されているということは圧倒的不利なのだ。

 口で否定しても、事実であれば心の内では肯定している。さすれば、感謝の魔女は心の中を見るだろう。正解がそこにあるのだから。そして、正解が出やすいように短絡的な思考と、感情的な状態を作り出せばより効果的でもある。

 策士以上に、厄介な戦術士でもあった。


「…………別に、そのことを咎めているわけではありませんよ。勘違いされないように」


「それにしては、声が尖っているように聞こえますが」


「…………これは久しぶりに長時間喋っているために、喉が枯れているだけです。お気になさらず」


 否定するものの、実際感謝の魔女が怒り心頭であるかはエヴァンには把握する術はない。

 ゆえに、出てきた言葉を信じる以外、信じない選択を取るかどうかの瀬戸際に立っていることに変わりない。


「…………それで、実際のところどうですか?」


「………………俺としても、突然のことでしたので鮮明に覚えているわけではありませんが」


 言い淀むエヴァン。実際、その時のことを覚えているかどうかは言葉の通りだった。『魔王』によって瀕死の状態になっては、エヴァン・レイの過去の記憶を見せられ、意志と決意と覚悟を抱きながら、今後の計画を考え記憶の整理をしていた多忙の状況にあったからこそ、事細かに覚えているわけではない。


「…………ふむ、ではこうしましょう。自分がこれからいくつかの質問を投げ掛けます。それに答える形でいきましょうか。そうすれば、曖昧な記憶と繊細な解答が得られるでしょう」


「……」


 エヴァンは悩む。

 床一面に広がった血溜まりか、それとも何らかの排泄物かは分からないようなどす黒い地面を見ながら、考える。頷いていいものかどうかを。

 しかし、対の魔女が提案してくるということは彼女達にとって都合のいい、寧ろ願望そのものでもある。

 そのために、状況を整理する必要があるのだが、相手はエヴァンの心の中を読み解くような口振りをしていた以上、悠長に考えることも得策とはいえない。

 ならば、対話という形でありながら感謝の魔女の思惑通りに進む尋問以外の方法を、エヴァンが即座に提案する。それが一番最良ではあったのだが、そんなことをすぐに思いつくわけがない。思いつくような閃きと、思考の輝きがあるのなら今この場にいないと断言できるほどに。


 しかし、彼は一人ではない。

 エミル・ポセンドは口封じをされていて、孤軍奮闘の状態ではあるものの、一人ではないのだ。

 それこそ、一騎当千を確実にできるような逞しい人物が、彼の中にはいる。


 そして、エヴァンに能力を授け数年間一緒にいれば、どのようにすればエヴァンを操れるか。誘導できるかなんて、文字通り手のひらの上で、転がし放題。

 悩んでいたエヴァンの胸の奥、心があるならそのまた一番奥、魂があるとすればその場所から、たった一本。か細く、折り込まれた糸のようなほつれたままの、透明な触手が伸びていく。

 向かうべきは一つ。

 向かうところは唯一。


「…………おや、これはこれは」


 感謝の魔女は、驚愕と知的好奇心の混じった声を上げる。何事かと、エヴァンは彼女が集中している目線を追い掛けると自分自身の胸に向かっていることに気づき、双眸は同じ道を辿ると。


「…………は?」

「……え」


 間近にいたエミルも、驚きの声を上げる。

 無理もない。仕方ない。

 なにせ、エヴァン・レイの胸から一本の触手が飛び出し、ゆらゆらと揺れていたのだから。

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