第423話「感謝の観測者」


「…………で、対話をされるのでしょうか。それとも、逃げますか? 猫に追われる鼠のように、しっぽ巻いて帰りますか?」


「対話をしましょう」


 感謝の魔女からの問いに、エヴァンは二つ返事で応える。挑戦的な声音で揺さぶりをかけてくる感謝の魔女に対して、エヴァンは非常に落ち着いていた。

 脳内は冷静に。酷いほどに。視野の広がりもいつも以上に。まるで、二人分になったような感覚を抱き、余裕が生まれる。


「…………ふむ、残念です。逃げれば実験用に確保することができたのですが、仕方ありません。鼠のような被食者となるくらいなら、鷹のような気高さを求めるのが人間であり、身の程知らずの愚か者だということですし」


「……そうですね。しかし、鼠は追い込まれれば牙を剥くのをご存知でしょうか」


「…………貴方様は鼠でおさまるような器でございませんもん。ご無礼をお許しください」


 エヴァンの反論に、感謝の魔女は慎み深く頭を下げる。先ほどまでの優位的な立場から一転、主導権を手放しそうなほど、へりくだっていたが、それもたった一瞬だけで終わった。


「…………さ、対話をしましょう。貴方様と貴方様。横になぜか邪魔な小娘がいるのは、この際、仕方ないと我慢しておきますが、あまり口を挟んでくると、何もしないように、忠告だけしておく」


 感謝の魔女はあえて、エミルに聞こえる声で話すものの、視線も顔すら向けずに放つ。まるで視界におさめたくない。会話すらしたくない拒絶の姿勢であった。

 だからこそ、それを感じ取ったエミルは頷きのみを返し、会話になるべく割り込まないよう、感謝の魔女が変な行動を取らないことに注視するように意識を切り替える。

 ここで、感謝の魔女のあまりな対応に憤っていては、先に進めず、自分自身の命が大切だと思うならば、その行動は正しい選択であった。


「…………では、対話ということですけども、貴方様はのでしょうか?」


「多分難しいかと思います。なにせ、俺の中にいるかどうかもあやふやなものですから、取り出せる術があるなら教えてもらいたいくらいです」


 貴方様――を現在のエヴァン・レイとするなら、彼の中にいる貴方様というのは、元エヴァン・レイとなる。

 つまりは、『勇者』のことだろう。

 回りくどい言い方をあえてすることに、多少なりとも疑問のあったエヴァンではあったものの、感謝の魔女だけでなく対の魔女が指し示す「エヴァン・レイ」は、誰なのか、どちらなのかは明らかになっておらず、仕方の無いことだとある程度、流すことにするエヴァン。

 実際に、呼んだからといって体の中から飛び出してくるわけもないからこそ、そうしないからこそ。そうしないだけの理由があるからこそ、対話は現在のエヴァン自身で行うのが、一番最善の手ではある。


「…………あやふや、ふむ。貴方様でも、自分の中にある魂へ違和感を覚えないのですね」


 ボロボロの、カサカサの、人差し指の爪が剥がれ、掻きむしった後が痛々しい指を顎と思われる場所まで持っていくと、興味深そうに考える仕草をとる感謝の魔女。


「…………そうですか。ふむ、同調が完全であればあるほど、拒絶反応や異物を取り除こうと過敏反応が起こる可能性は低くなるのですね。いいことを聞きました」


「同調……?」


「…………魂というのは、基本的に一つの体に一つだけと決まっています。それこそ能力と一緒で」


「……俺の中にいる『勇者』という存在が、その同調というのが上手くいっていなければ――」


「…………死んでいたでしょう」


 歯に衣着せぬ。他人事のつぶやき。

 しかし、なぜそれを知っているのか。一つの体に一つの魂しか入っていないことよりも、体に二つの魂を入れた時の反応を知っているのか。

 そのことの方がエヴァンは気になっていた。

 自分の中に、『勇者』の魂があることなんて対の魔女に喋った覚えがないことなんて放っておいて。


「感謝の魔女様は、どうしてそのことを……?」


「…………そのこと?」


「同調のこともそうですけども、体に二つ魂が入った時に拒絶か過敏反応を起こすこと。それをなぜ知っているのか気になりまして」


「…………簡単です。実験したのですよ」


 実験。

 つまり、一般人にしてしまえば死ぬような行為を容易く、試したのだ。

 想像していなかったわけでもない。むしろ、聞きたくなかったものではある。しかし、聞かねばいけないのは確かなのだ。エヴァンにとっても。魂についても。


「…………ご想像にお任せしますが、全ての実験は失敗しまして、とても人であった形状を失うくらいには異形化したのは言うまでもありません」


 ただ、エヴァンに一つ許せないことがあるのならば。

 ただ、許してはいけないことがあるのならば。


「…………しかし、哀れといいましょうか。面白い様子であったのは確かです。なにせ、突然体が震え始め、硬直状態になったかと思えば、眼球は飛び出し皮膚の至るところから出血が止まらなくなり、穴という穴から色々なものを流しながら死んだのですから。拒絶反応というのも、多種多様で非常に興味深いものでありましたよ」


 歓喜の渦に飲まれた声と、命を冒涜するような甘美を口ずさむ感謝の魔女――対の魔女のことは、許してはいけない。

 決して。断固として。

 改めて、そう思い直すエヴァンであった。

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