第422話「感謝の詭弁者」


 対の魔女が何もしないわけがない。

 それはエヴァン自身、よく分かっていて骨身に染みるほどよく理解できていることではあったが、それよりも気になったのは、喉に引っかかったのは別のものであった。


「……俺が、欲望に塗れすぎていると?」


 傲慢、強欲ならばエヴァン自身、そこはかとなく理解はできていたものの。自覚できていたものの、それ以外の要素があったとは微塵も考えていなかった。顧みなかったのだ。


「…………自覚無しというのなら、それはそれでいいでしょう。愚かさとは自覚できて初めて輝くのですから」


 感謝の魔女はそう突き放すと、コホンと咳払いを一つ。話題を戻すための空気を吐き出す。


「…………ともかく、貴方様は欲望に染まっている以上、対の魔女としても見過ごせない状態であるわけです。それこそある者は粛清。ある者は実験体として、捕まえる可能性だって、気絶させることだって考えられるわけです。自分は役目を果たせばそれだけで満足なので、危害を加えるつもりは一切ないわけですが、他の対の魔女がそうかと言われれば、悩むくらいにはこの部屋の外は危険だと言っておきましょう」


 ――まぁ、この部屋も危険なことに変わりないですが。


 と、身も蓋もない発言を無責任に吐き出すと、感謝の魔女の言っていることも大体はエヴァンも理解できた。

 節制の魔女が先ほど、慈善の魔女がエヴァンを隙あらば殺そうとしていた。確証はなく、節制の魔女の虚言である可能性だってあるが、殺さないなんて決めつけるだけの判断材料がないのもまた事実として、エヴァンの思考回路にこびりついているのだ。

 ゆえに、感謝の魔女の忠告も嘘として片付けるにはあまりにも稚拙な行動ともいえる。


「……分かりました。この部屋の中だけでも安全というのなら、それ以上求めるのは野暮でしょう」


「…………安心とは程遠い狭い世界ではありますけどね。それでも、一人でいるよりかは幾分か身の安全は保証されてはいますよ」


 その場にいるエミルを無視した発言は、意図的か。はたまた、偶然か。どちらにせよ、エミルがここで口出しをして余計な顰蹙をかってしまうことや、せっかく好条件で進んでいる交渉を反故にしてしまうことは避けたい。

 赤毛の獣人族は大人しく、感謝の魔女の目の前ではあまり口を開かないよう固く閉ざす英断を下した。


「…………それでも良ければ、ようやく本題に移れるというものです。どうでしょうか」


 感謝の魔女は、伺うように、寧ろ挑戦的な声音で語りかけてくる。これ以上は条件を提示したとして、乗り気ではないというものでもあって、そして、一時的な会話の主導権がエヴァンへと移った瞬間でもあった。

 それをただで逃すほど、エヴァンは話術が拙いわけでない。


「少しだけ、エミルと話をしてもいいでしょうか。そんなに時間をとるようなものではないので」


「…………ふむ、ま、少しなら」


 不満な様子を一切隠すつもりもない不機嫌な声で、それでも了承するのは、彼女が圧倒的優位な位置にいることの証明でもある。

 エヴァン自身、それを崩す必要はない。それ以上を求めるために、要求するために、今後対の魔女が関わってこないようにすることを願望として抱くことよりも、実現させることに躍起になることはない。

 ここでの感謝の魔女からの要求は、対話。

 対等な関係での、話し合いなのだから。


「では、少しばかりお待ちください」


 エヴァンは、目の前で変わらず通せんぼの態勢にあったエミルの肩を掴むと、少しだけ感謝の魔女から距離をとる。

 後ろに一歩、二歩、三歩。そこまで差を広げていると、エミルはボソリと、感謝の魔女を睨んだままの状態で呟く。


「エヴァンさん。このままなら、逃げられるのでは」


「それは駄目だな」


 最もらしい。エミルが考えていたのは、どうやってこの場から逃れられる方法か、どうやってエヴァンだけを逃がせる方法があるか、それを必死に作戦を練っていたのだろう。

 ただ、それでもエミルが感謝の魔女の動向をずっと注視しなければいけないほど、彼女は隙が一切ない。

 だから、この場面。この感謝の魔女から距離がとれた一瞬だけでも、動くことは可能ではあった。

 しかし、それを否定したのがエヴァンである。


「どうして……! 相手は対の魔女です。話が通じるような相手の可能性なんて」


「そう思うのは無理もない。俺だって、まともな話し合いができるなんて思っていないさ」


「だったら……!」


 徐々に語気の強くなっていくエミル。焦って、焦燥感の滲みを隠さないのは、この場にいること自体が初めてだというしょうがない証拠であった。


「ただ、な。さっき、感謝の魔女が部屋を明るくしたのを見たか?」


「…………えぇ、魔法ですよね」


 魔術学校に通っているだけあって、エミルは感謝の魔女が部屋を照らした蝋燭の光が魔法だと断定できていた。


「あれだけの魔法だぞ。さっきの小さな、それこそ一般的な印象を抱くような部屋を照らすのとは訳が違う。この部屋はどう見ても大部屋、それも魔術学校の玄関先くらいはあるんじゃないか」


「……確かに、それくらいはありそうですね」


「その部屋を一瞬で照らして、それをこの時間まで続けられる持続力だってある。魔法にしては、魔術以上の効力を発揮しているんだ。ここで逃げるために、背を向けたら俺達の背中に魔法が突き刺さっているかもしれない」


「危害は加えないんじゃ……」


 エミルの言い分は正しくもあり、間違ってもいた。

 それを訂正しようとしたエヴァンを制し、先に絶望を提示したのは紛れもない本人である。


「…………言っておきますが、まだ対話をすると決まっていない以上、自分がエヴァン・レイから提示された条件をはありません。そのことをお忘れなきよう」


 あくまで、エヴァンが対話に応じて初めて効力を発揮するだけであって、今現在、交渉に異を唱えるかどうかの瀬戸際では、危害を加える可能性だって存在するのだ。

 今、何もしてきていないだけで。

 今、何もするつもりがない姿勢を見せているだけで。

 いつだって、エヴァン達を仕留める手段を持っているからこそ、余裕を見せているだけの可能性だってある。

 もちろん、それらも嘘だったり、詭弁であることも捨てきれないのだが、死んでしまうこと――実験体になってしまってからでは遅い。

 それらを痛感したエミルは、分かりやすくピンと張り詰めていた耳が垂れ下がる。


「…………条件に乗るしかない、ということですね」


「そういうことだ」


 落ち込んだエミルの肩を優しく、一度だけ叩くとエヴァンはそれこそ、感謝の魔女にも聞こえないほどの小声で、耳元で囁く。


「ただ、なにかあったら守ってくれよ」


「それはお任せ下さい」


 沈みかけた琥珀色を浮かび上がらせるエヴァン。

 そうして、二人は再び対峙するのであった。

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