第421話「感謝の代弁者」


 エヴァンの出した提案というのは、あまり得策とは呼べない代物ではあったものの、感謝の魔女の役目をそれとなく叶え、そして自分自身の安寧や安全を得るためには、必要な最低限譲歩できるものであった。

 ゆえに、その中に自分達の安全と安心を得られる言葉を混ぜ込むのは、必然な思考回路ではあったわけだが、それを見抜かぬならば魔女として、彼女達は顕現もこの世に名を馳せていないだろう。


「…………いいでしょう。しかし、安全を保証するのは対話の最中のみに限定させていただきますよ。少なくとも、この部屋から出てしまえば自分の手の届く範囲ではなくなるので」


「手の届く……」


「…………文字通り、言葉通りでございます。自分――感謝の魔女がなぜこの部屋にいるのかは、自分にはこの部屋しか居場所が無いからという現実を提示しますよ」


 居場所。

 この部屋は実験室でもないということ。節制の魔女が言っていた数多ある部屋を適当に、好き勝手に使っていいものではないということ。

 それが感謝の魔女に課せられたものなのだろう。


「…………自分がそこら辺を練り歩いてしまえば施設の職員が死んでしまうのです。適宜連れて来ればいいのでしょうけど、それもそれで手間ですし、ただでさえ少ない人類を――少なくなっていく人類を自分達の手で首を絞めていくのは違うでしょうし」


「……それでも、実験はするんですね」


「…………それは能力のためでもありますから。魂と能力が密接な関係にある以上、能力を調べることは魂を調べることになります。自然と、不自然なほどに、結論は魂の居場所に行き着くというわけですが……。

 それよりも、対話についての具体的条件を話さなければいけません」


 エヴァンが逸らしていた軌道を修正する感謝の魔女。

 それはあまりにも、青年の企みを予知しているか。はたまた、知っているかのような強引なほどの直し方ではあったが、エヴァン自身、対話の内容次第では時間稼ぎの方法はいくつだって考えられる。

 ゆえに、感謝の魔女の言葉に首を縦に振って応えると、真っ黒で穢らわしいカーテンから突き刺すような瞳は、不気味な恐怖を滲み出す。


「…………まず、対話以上のものを求めてこないこと。

 これについては、自分も同意を示しておきましょう」


「……では、俺達を実験体にしないということですよね?」


「…………非常にもったいないことではありますが、目的は対話ですので、今回は我慢しておきましょう」


 不服そうに。それでも、先延ばしにした希望を楽しむような無邪気な雰囲気を醸し出す。

 言っていることは残虐な行為そのものであったが。


「…………そして、危害を加えないということですが。

 こればかりは、に限定させていただきます」


 ここまで、同意を示した感謝の魔女は、それだけは否定的であった。いや、否定せざるを得ないのだ。


「……それはどうして」


「…………この部屋に入る以前にも、自分の腐臭から貴方様は意識を手放しかけていたはずです。今は節制の魔女の魔術によって、会話もでき呼吸も難なく行え、運動することもこの場から退くことだって可能ではあります」


 ――しかし、それはこの部屋に入っているからに過ぎません。


 と、前置きを差し出すと、感謝の魔女は一歩だけ下がる。床に転がっている男性の脇腹を不意に蹴ることになっても、一切気にせず、寧ろ邪魔だと一発余計な蹴りを入れるくらいには、彼女はこの部屋にいる男性は完全に物として扱っているのだ。

 暴力的に。暴虐的に。


「…………何も危害を与えてくるのは自分のような魔女以外にも存在していること。それは否定できませんし、勤勉の魔女によってある程度の統制がされてはいても、彼女達は欲望を戒める存在。貴方様のようなに自分達、対の魔女が何もしないわけがないのですから」

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