第100話「露天風呂」

「頼もう!」


「ひょぉわぁ!?」


 突然の乱入者の大声にびっくりした白銀の少女は、素っ頓狂な声をあげた。

 ビクンと小さな体を揺らして、慌てて太ももに置いていたフェイスタオルを頭に巻く。歪な形になったが、これなら角は隠せる。そう思い、ドキドキの心臓のまま乱入者の姿を見る。


 そこには真っ裸にフェイスタオルを肩へ掛けた男らしい姿のリラであった。


「あら、まだ入ってなかったの」


「は、はい……」


 驚かされた少女は、手からすっぽ抜けた石鹸を拾い上げるながら、ドキドキと鼓動を早めた心臓を深呼吸して鎮める。

 そんなエティカの隣へ、ちゃっちゃかやって来て椅子へエヴァンの母親は座ると口を開く。


「驚かせちゃってごめんなさいね」


「い、いえ……」


 まだ落ち着かない心を鎮めながら、エティカは石鹸を泡立てていく。

 ふと、リラを見ると短くさっぱりした黒髪へ、お湯をかけて湿らせている。


 なんとなく、気まずい雰囲気がある白銀の少女はぎこちない動作で、作られた泡をタオルへ染み込ませ、体をゆっくり洗っていく。


「エティカちゃん、いい身体してるわよね」


「ひゃっ!?」


 突然、エティカのお腹にリラの人差し指が触れた。

 まるで冷水を掛けられたような悲鳴を少女はあげた。

 細く長い指が、白銀の少女の細くくびれた横っ腹に突き刺さったのだ。


「あら、また驚かせちゃってごめんなさいね」


「い、いえ…………」


 せっかく鎮めた心臓が、また早鐘へと。

 一日、リラと一緒に作業をしていて彼女が本能のままに行動するのは、なんとなく分かったが、ここまで直接的なものだとは思ってもいなかった。

 豪快な言動や、思い切りのいい姿で、男らしいとさえ羨望の眼差しで見ていたが、想像よりもリラは男臭いのかもしれない。


「何度も言うけど、本当にいい身体よね。十歳とは思えないくらいだもの」


「そ、そうですか……?」


 泡にまみれた自身の体を紅色の瞳は、見つめるが「いい身体」という意味が分からず、疑問の浮かんだ表情のまま固まる。


「やっぱり、魔人族は成長が早いのね。羨ましいわ。あたしが十歳の頃なんか、まだちんちくりんだったし」


「よ、よく、分かんない、です」


「まぁ、大きくなるのはいい事よ。あの子も大きいのが好きでしょうし」


「あの子……?」


 思い返せば、なぜリラがエティカが魔人族であることを知っているのか。そこら辺を質問すれば良かったと後悔した白銀の少女。

 そう。この時のリラは男臭い。というかおっさん臭い。「大きい」というのが何を指し示すのか。それを体感することになるのなら、無難な会話を心掛ければ良かったと。


「エヴァンのことよ。あの子、大きい胸が好きだから。エティカちゃんのサイズくらいかしら」


「え!?」


「ちょっと確かめてみるわ。将来息子の嫁になるかもしれない子なんだし、詳しく調べる必要があるわよね」


「ちょ、っと!?」


 白銀の少女の恥ずかしさの滲んだ悲鳴が、屋敷中に響き渡った。



 ◆    ◆    ◆



「うぅぅ…………」


「いやぁ、いいお湯よね。我ながら惚れ惚れする采配をしたものだわ」


 乳白色に濁ったお湯に、全身を隠すよう浸した少女と浴槽の縁へ両手を広げたエヴァンの母親は、対照的なようでその実は、被害者と加害者の様相であった。

 なにをされたかといえば、色んなことをされた。

 それもうら若き乙女の体をあれやこれやと触られ、見られ、確かめられ、調べられた。

 もう、お嫁に行けないとさえ思えるほどに。


「エティカちゃんもそんなウジウジせず、景色を楽しんでみなさい。星空の下、広がる夜の田園風景なんてストラだと見られないものよ」


「うぅぅ、はい……」


 満足したリラに対して、消沈したエティカは言われるままに顔をあげる。無理やり体を触られた後、放り投げるかのように突っ込まれた少女は、恥ずかしさで身を隠して外の景色を見る余裕なんてなかった。

 だから、顔をあげて息を呑む。


 入ってきた時にも眺めた麦の輝きが、月明かりに照らされ煌びやかな風景を描いていた。

 目の前に広がる空間。広大なその景色に、小さな自分が芯から温まるような乳白色の湯船に浸る。

 星空のカーテンの下、降り注ぐような星明かりと少し欠けた月光を乱反射する光景が、非常に幻想的である。


 その美しさに、見惚れていると隣のリラは誇らしげに語り始める。


「今は、こんな輝くような風景だけど、昔はこんな綺麗な状態じゃなかったのよ」


「そうなんですか?」


「えぇ、最初は荒れ果てた田畑でね。雑草も伸びきって作物が育つ環境じゃなかったの。みんなで頑張って、色んな村や街の人々の協力があって、ようやくここまで開拓が進んだのよ」


「開拓?」


 開拓。リラの言っていた荒れ果てた環境を切り開いたのであるなら、彼女たちイースト村の住人はここへ移住してきたという意味を持つ。

 そこへ考えが至るほど、少女は賢く思慮深い。

 そのことにリラは目を見開くが、ゆっくりと語っていく。


「そうよ。大体、六から七年前かしら。その頃にここへ移ってきたのだけど、もうね凄惨だったわよ」


 深く、その体験してきたことの重みが伝わるほど痛烈な声音で語る。語るというより、愚痴に近い。


「まず畑なんかあってないようなものよ。雑草しかないし、石ころなんか転がっているし開墾かいこんから始めなきゃいけないんだから、重労働よ。

 しかも、道なんてでこぼこだし、元々あった家屋だってボロボロよ。天井は穴だらけだし、隙間風吹いて寒いし、床も踏んだら抜けるし、かまどなんて煤だらけで使えた物じゃなかったわ」


「はぁ……」


 白銀の少女が圧倒されるように、話し倒す勢いでエヴァンの母親は愚痴をこぼす。

 それだけ苦労したのだろう。

 荒れ果てた環境を開墾し、再び暮らせるように整える。それは大変な労力だろう。


 人がいなくなった場所は簡単に朽ちていく。

 家屋であれ、田畑であれ、森林であれ、道路であれ。

 荒野のように、寂れた森のように、荒廃した世界のように、古びていく。


 その状態から息を吹き返したようなものへ戻すのは、想像できる以上の苦悩があったことだろう。

 だからこそ、少女は相槌を打つしかできなかった。

 そんな白銀の少女へ、白く濁ったお湯を肩へ掛けながら、リラはさらに語る。それも誇らしげに、自慢のように。


「だから、エヴァンが村を出た時はびっくりしたわね。てっきりこんな村なんか嫌だって、勘当かんどうしたのかと思ったから。

 あの子、村を出てすぐに冒険者として依頼をこなして、その稼いだお金を私達に送ってきたのよ。これを開墾や開拓の足しにしてくれって。金貨や銀貨をたくさん」


 嬉しそうな表情で、普段は乱暴な印象を与える女性は、母親の顔つきでそう言った。

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