第101話「宣言」
白く濁った水面に映る月の姿と自分自身の黒髪が、いやに際立ったような気がしつつも、青年がなにをしてくれたのかを自慢げに語る。
その口は、優しくも柔らかく、慈愛を感じる口ぶりであった。
普段は傍若無人な姿とは対照的な様子を見たら、エヴァンは驚愕で顎を外していたことだろう。
「あの子、最初は金貨を送り付けてきたのよ。んなもの送られても両替できないし、銀貨の方がいいて文句書いた手紙で送り返したら、次は銀貨百枚くらい送ってきたのよ。
大盤振る舞いすぎてみんなで驚いたわよ。手紙も寄越さないし、送り主の名前だけ書かれた革袋いっぱいの銀貨とか使うに使えなくてね」
そう言われて、白銀の少女はエヴァンがそういう人間であることを痛感した。思い返せば、彼は金銭的感覚が人一倍ズレている。
高い品物だろうと、高い食品だろうと、ちょっとだけでも「いいなぁ……」と口にすれば財布から銀貨を取り出すのだ。
白銀の少女が貧乏性というわけでもなく、青年は当たり前のように金を使うのだ。
エティカのためならいくらでも。
エティカが願うものならなんでも。
エティカが欲しがるものなら全てを。
そんな考えから有り余る金貨や銀貨を余さず使用する。
彼がそうなったのは、少女自身が影響しているのかと負い目を感じていたが、それよりも前から彼の金遣いの荒さは変わっていないようだ。
「それでも、しっかり毎月銀貨を送ってくるの。そんなに送ってきて、あなた生活できるのか不安になるレベルの量を。
【もう必要ない】て手紙を出したら次は銅貨を送ってきたのよ。いや、使い勝手の話とかしてないのにずっと送り続けてるのあの子」
理由はエティカにも理解できた。
彼はお人好しなのだ。開墾するのも、新しく人の住める土地にするのも人手や金が掛かる。
麦を買う金も、食費も、野菜も、農機具も、種を買うのだって金が必要となる。
それが分かっているからこそ、遠くストラまで稼ぎに出ている人間だからこそ、手伝えないからこそせめて稼いだ貨幣を送るという手段を取ったのだ。
いくら必要なのかもわからない。人手の有無なんてわからない。ただ、確実に金銭的に困ることは目に見えたからこそ、稼いだものを送ったのだ。
『救世主』への依頼料が膨大だと彼の背中におぶされながら、聞いたことから推測するにそんな心境だったのだろう。
「それは、今も、なんですか?」
「えぇ、今も銅貨を翼人族へ頼んで送ってきてるわね。……そういえば、この間初めて手紙なんて書いてたわね」
今なお続いているからこそ、エヴァンという青年は人情味溢れているのだろうと白銀の少女は、感じる。
そして、この間という言葉を思い返せば、おそらくエティカと実家へ帰る前の手紙のことだろう。
あれが初めてならば、青年はおよそ六年ほどの期間一通も近況報告すらしていないことになる。
それはそれで、家族を心配させてしまうのではないか。と思ったが、リラ自身は心配すらしていないようであった。
「初めての手紙だったから、喜んでたら内容なんか忘れちゃったわ。それこそベールと一緒に小躍りしたものよ」
お気楽というか。豪快というか。
それがあったからこそ、あの襲撃と説教事件に繋がるのだろう。
意外と抜けているところは、親子の血の繋がりを感じる。
「まぁ、どっちにしろ襲うのは襲ってたけどね」
根底は変わらないらしい。
しかし、エティカにはどうしてそこまで、エヴァンを襲撃するなんて思考回路に至るのか不思議であった。
「どうして、襲うん、ですか?」
「ん? そりゃ、あの子のため。なんて言ったら親の自己満足でしょうけど、エヴァンの命を繋ぎ止めるため、かしら」
立ち上る湯気の中、リラの横顔は哀愁漂う。
白濁の水面に反射する自身の顔と向き合い、沈んだ気持ちを表すように濁った浮遊物がゆっくりと沈んでいく。
「あたしね。昔から急に眠りこけるの。例えどんな作業をしていようと、食事中だろうと、お風呂に入っていても、トイレにいても、寝て起きてすぐにでも、どんな状況でも寝ちゃうの」
「それ、大丈夫、なんですか……?」
「大丈夫じゃないわね。危ないし、馬に乗っていたら寝ちゃうなんて自殺するのと一緒だし。
でもね。そういう時に決まって、
その一言で、エティカには能力だと推測できた。
本人の状態、状況に関わらず発動するものだと。それが所持者を強制的に睡眠状態へ移し、未来をみせるのだと。
リラも能力者としての苦悩や苦労を経験しているのだ。それが、命を脅かす危険の前であろうと。
そう思うと、便利というだけでなく、危険を内包しているのだと理解できる。
だからこそ、その後の言葉もある程度予想できるほど、エティカは賢い頭脳を持っていた。
「あの子が産まれてちょっとした時ね。立ちくらみがしたと思ったら違ったの。あぁ、いつもの予知夢だって。
そこで、みえたのはエヴァンが不意打ちで
ポツリと、今までのリラの姿とはかけ離れたその姿は、我が子の死を目前に控えた悲しみにくらむ母親の姿である。
掛ける言葉なんてみつからない。
なんて言えば正解さえわからない。
だからこそ、黙るしかない少女へ続けざまに哀愁に沈むリラは、語り続ける。
「だから、そんなことあっちゃいけないじゃない?
今でこそ『救世主』なんて役目を受けちゃったけど、普通の子なのよ。お人好しで、優しい、誰にでも手を差し伸べて、自分のことのように喜んで、自分の半身のように悲しんでくれる心の持ち主だし、なによりあたし達の子どもだしね」
慈愛に満ちた雰囲気で、語るとその漆黒の黒い瞳を白銀の少女へ向ける。
その瞳は、揺れ動き。震えていて。切実で。
切なる願いと祈りを込めた聖女のようで。
儚い夢を抱いた女性は、小さな、青年の愛する白銀の少女へ言葉を捧げる。
「だから、もしエティカちゃんがいいなら。あの子と一緒にいてあげて。せめて、一人で死ぬことがないように。天寿をまっとうして神様の元へ向かうように。
せめて、親が死ぬまで生きてくれるように。傍にいて欲しいの」
今にも泣き出しそうな声音で、リラは言葉にした。
何を言うべきか。そう考える前に白銀の少女の柔らかい唇は動いた。
「はい。ずっと、一緒にいます」
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