第99話「さらけ出し」
村長邸は、大きい建築物である以前にバイスのこだわりが細部にまで散りばめられた住居である。
村長という権限をフルに活かしたわけでも、建築家へ依頼したわけでもなく。ただ、バイスという一人の老婦人のためにしたい、そんな思いが込められた家屋である。
ゆえに、慎ましく謙虚な姿勢で、何が必要か、何が欲しいかと尋ねても「おまかせします」の一言で片付け続けたバイスを根気強く、熱心に要望を聞き続けた結果が、この豪華絢爛な華々しい豪邸である。
しかし、バイス自身はあまりの華やかさに目を回した結果、平屋を作ってもらいそこで余暇を過ごすことになったが。
彼女はそれを一番に望んでいた。
何事もない。侘び寂びを感じる空間で、思いを馳せる。
それだけで充分だった。
ただ、せっかく建ててもらったものを使わないのももったいない。だから、エヴァンの母親と父親へ屋敷の管理をする代わりに、そこで住んでもらうことを提案した。
乱暴な性格で、傍若無人な姿で、恐れ知らずのリラは二つ返事で快諾した。
お得じゃないか。管理なんて掃除やら、来客があってもいいように客室を整えるくらい。後は、いつも通り村長と一緒に過ごす。
普段の仕事に少しだけ業務がプラスされようとも問題ない。ただ、バイスが小さな平屋で自分たちは大きな屋敷で寝泊まりするのは気が引けた。
それほどに穏やかな老婦人への尊敬があるリラは、せめてものと彼女の好きそうな東邦の品を揃えていった。
そんな村長邸への過去の中でも、一番エヴァンの母親が胸を張る出来事は、今白銀の少女が扉を潜った先にある光景である。
「うわぁ〜……」
眼前に広がるのは、黄金色の田園風景。新緑の瑞々しさに輝く山々。立ち並ぶ家屋には明かりがつき、それが闇夜を照らしていく。
そんな、のどかで豊かな自然に包まれた風景であった。
「すごい……」
エティカはゆっくりと石畳の上をペタペタと歩き進む。
リラが自慢げに語ったのは、少し盛り上がった場所に建てられた村長邸から見える田園風景。その景色を眺めながら入浴できる露天風呂と呼ばれるものだ。
立ち上る湯気からは、いつも黙する鴉で入浴するような、お湯の香りではなく、なんとも言い難い匂いが漂う。
豊かな香りというか、少し独特な匂いというか。
少女が経験したことのない香りを発する乳白色のお湯が溜められた、無骨な石で囲われた湯船。
湯船と呼べるほどの広さで、十名以上の者が一斉に浸かっても余裕で寛げるほどの大きさがある。
それを確認できると、リラが自慢げに話すのもよく分かる。
それが分かった少女は、せこせこと急いで湯船へ入るため心身を綺麗にする。
早く入ってみたい。乳白色に濁ったお湯の感触だったり、匂いだったり、湯船から見える景色を堪能してみたい。
そんな気持ちを隠せずにいた白銀の少女は、ローナやヘレナのおかげで大変お風呂好きな女の子になった。
持参した石鹸を木桶から取り出しながら、出入口付近につけられた体を洗うための蛇口。その前の小さな椅子へ座る。
ピチャっと冷たい感触に耐えつつ、手慣れた様子で蛇口へ手をかざす。
魔力を指先に集めるイメージを膨らませ、それを蛇口のハンドルへ伝える。
そうすることで赤色の幾何学模様の円形の術式が浮かびあがり、ハンドルの中へ吸い込まれる。
流れるような動作で、ハンドルを捻ってお湯が出たのを確認できると木桶に溜めていく。
以前まで、一人では入浴すらできなかった少女が今では、楽しむことができるようになった。
なにより、蛇口へなぜ手をかざす必要があるのか不思議だったエティカは、ここでようやくエヴァンの言っていたことが実感できたような気がした。
「そっか……。これ、魔術、なんだね」
ポツリと、溜められていくほどよい温かさのお湯を眺めつつ、その水面が揺れ動くのを見つめながら理解した。
蛇口そのものに掛けられた魔術。そこへ使用者が魔力を注ぎ込むことで、発動する。
最初は魔法かと思われたものでも、青年の説明でこのお湯が出る仕組みも魔術の一つであると分かった。
誰でも使えるようにしたのが魔術。
使える者は限られるが、簡単に使えるのが魔法。
エティカ自身、知らず知らずの内に魔術を使えていたのだ。
「なんか、いいね……」
白銀の少女は、小さな細長い指を見つめる。この手から魔術が使えるようになったのは、感慨深いものがあった。
「あ! 溢れちゃう……!」
惚けた彼女を現実に戻したのは、満たされ溢れていく木桶の水面である。
ここでもお水もったいない、とさえ心の中で思う辺り、白銀の少女は庶民的思考に支配されているのだろう。
そんな少女が、いよいよ純白の体を洗おうと石鹸を泡立てた時、一人の乱入者が扉を豪快に開け放った。
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