第98話「分岐ノA」
およそ数分以内。
白銀の少女にとっては、途方もない時間。
先ほどまでカンカンと照らしていた太陽が、雲に姿を隠す。
薄暗くなると空気が冷たく感じる。
エティカが噛み締めるには、とてつもない固さの品で処理が難しい。
『一日に一度の能力の獲得』。
聞いたこともないのに、なぜだか聞いたことあるような。
遠い記憶のそのまた遠く。うっすらと
不確かなものなはずなのに、確かな感触が残る。
しかし、それを解析する術をもたない。
ただ、この飲み込めないドロっとした思いを飲み込むしかできない。
そんな少女へ、バイスは少し申し訳なさが声音に混じる。
「申し訳ありませんエティカさん。よく分かりませんよね」
「い、いえ……」
「混乱して何がなにやら分からないことだと思います。ただ、こればかりは言わなければいけませんので、お許しください」
伏せた翠眼が白く濁る。
元々、濁っていたものがさらに濁ったような。
そんな瞳を少女の持っている結晶へ向ける。
「『一日に一度の能力の獲得』それは、彼が産声をあげてから十年もの間。およそ三千もの能力を持っていたということでもあるんです」
「三千……」
「はい、一人一つ、ごく稀に二つ持つ者しかいない中、エヴァンさんは三千もの魂をその身に押さえ込んでいました」
エティカと同じ歳の頃、青年の体には膨大な能力がおさまっていた。
いや、押さえ込んでいた。
溢れないように、漏れ出ないように。
それは、時限爆弾を抱えて走るような、繊細で危険でいつ死んでしまうか分からない恐怖と共にしていた。
「能力は、有能なものも多いですが、実際はかなりのデメリットのあるものです。私が持っているものもそうですが、使い続けると視力が無くなるものもあります。
その中で、彼は三千個のいつ爆発してもおかしくない凶器を抱えていたんです」
適合すればするほど効果が向上する代わりに、身体や精神に与える影響も大きくなる。
そしてそれは自分自身だけでなく、周りをも巻き込んでいく。
『魔王』が実例としてふさわしい。全てを潰し、悪魔のように、死神のように、恐怖の象徴となったもののように。
「それがその結晶に詰め込まれています。魂も能力を持っていた記憶も」
「え、記憶も?」
「はい、魂ですから。能力があった時の記憶も、経験も、苦労も、困難も、思い出も、全てその結晶の中にあります」
雲隠れした空の下。それでも輝き、いくつもの色を反射するクリスタル。
とてもこの小さな石ころに、青年の魂があるとは思えないほどの美しさでもあった。
「ある程度のことは私から教えましたが、過去のことはその結晶を砕くことで本人の元へ戻ります。もしかしたら、なにかのきっかけで思い出すこともあるでしょうが……」
おそらく難しいでしょう、とバイスは呟く。
それは嘆きともとれる質量を有する。
エヴァンは十年もの記憶を無くしているのと同じなのだ。
白銀の少女は、そのことが身に染みて痛く感じる。
「なので、エヴァンさんが昔のことを聞かれても答えられないことは許してくださいね。エティカさんならそんな事で、怒るような人ではないでしょうが」
「はい……」
怒ることはない。
幻生林から救ってもらった身で、文句を垂れるような恩知らずではない。
そんなことはバイスがよく知っている。
だが、それがみえたとしても一応言葉にする。
そして、重くなった空気。翳っていた太陽が姿を出し始めた時。
「任せましたよ。エティカさん」
「はいっ」
「……あぁ、そうでした。忘れないようにお伝えしますね」
気分を変えるように明るく声をかける。
一変した空気に戸惑った少女ではあったが、バイスを見て小さな頭をコテンと傾ける。
白銀の髪がふわっと優しく肩に乗る。
「エヴァンさんを振り向かせるなら、もっと積極的になった方がいいですよ」
「えっ……!?」
予想外の話題ではあった。
ただ、それよりもバイスのアドバイスに真剣な表情で、食いつく少女は恋する乙女であった。
「そうですね、せっかくですからエヴァンさんの弱点を教えましょうか。
まずは、手を繋ぐだけではいけません。指も腕も絡めて胸を押し付けたりするんです。他にも――」
バイスによる恋愛講座は、数時間ほど続いた。
そこで得られたものは大きく、「青年を振り向かせるお祭り大作戦」の計画も練られた。
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