第53話「桃色」

 そんな大量のパンを抱えたままでは、今後の買い物に支障が出ると思ったローナは、近くの酒場にエティカを連れて入っていった。

 この時間でも、営業しているところがあるのは紫髪の給仕はよく知っていた。もちろん、パン屋の近くに安くて美味い酒を提供している酒場があることも。


 店内は、ほどよい客入りで、入口に近いテーブルを占領するように大袋一杯のパンをドンッと置いた。


 そんな給仕に対して、エティカは少し緊張していた。

 いつも黙する鴉とは違う雰囲気で、なんとなくここの酒場は、忙しないと感じたから。従業員も厨房の料理人も、受付の人も、少しピリピリとした空気を白銀の少女は感じ取った。

 

 雰囲気からしても黙する鴉とは違う。なんというか、殺気立っているような、そんな感じ。

 エティカが、第六感的予測を立てていた時、ローナは近くの給仕服の女性を呼び止めた。


「すみません。いいですか」


「はい、ご注文ですか?」


「えぇ、私はビール。この子はジュースをお願いします」


「はい、かしこまりました」


 と、注文票に書き記した給仕の女性はそそくさと厨房へと向かう。

 そんな姿を目で送っていた白銀の少女。気になったのは、給仕服。フリルがついていて、可愛いと率直な感想が湧き上がった。


 目の前のローナの給仕服と見比べても、黙する鴉の地味目な衣装と違って、ここのは派手さを感じた。

 そんなキラキラと好奇心で輝く紅色の瞳に対して、紫紺の瞳は、ふと自身の小さなミスに気づいた。


「あ、つい癖で注文しちゃってごめんねエティカちゃん。頼みたいものあったら言って、言って」


 そう言いつつ、メニュー表を白銀の少女に見やすいよう向きを変えて、テーブルに広げる。

 ただ、料理名や商品名が読めてもそれが何かは分からないので、注文しようがなかった。


「ううん、ありがとう。ローナちゃん。じゅーす、で、いいよ」


 何度も紅色の瞳で文字を読んでも、料理の具体的なイメージに繋がらなかった。しかもこの"じゅーす"というのも、何種類もあるではないか。


 恐らく、エティカがメニュー表とにらめっこいている間にローナが痺れを切らしたかもしれない。それほど、文字からイメージするのが楽しかったのか、白銀の少女は薄くて安っぽい革で整えられたメニュー表を、興味深そうに眺めていた。


 その様子が、やっぱり好きなものを頼みたかったのかとローナは誤解したが、すぐに考えを改める。

 好奇心旺盛な瞳で見つめる先は、文字と頭上の空間。

 彼女は、メニューからどんな食材を使って、どんな調理を経ているのか想像していた。


 白銀の少女が、読者家な一面でもあった。それが理解できた紫髪の給仕は、ビールが来るまでの待ち時間を消費できる方法を思いついた。しかも、輝く紅色の瞳をさらに輝かせる方法でもある。


「いっぱいあるでしょ」


「うんっ。よく、わから、ない、けど、たくさん」


「そうでしょそうでしょ。ここはお手頃価格で美味しいお店なのよ。――エティカちゃんの気になるものがあれば教えるわよ? 頼んでもいいし、味をみてもいいわよ」


「え、っと……」


 非常に魅力的な言葉であった。しかし、頼むのは忍びない。というか、すでに大量のパンを抱えているのでこれ以上胃袋を圧迫するのは、この後が怖かった。

 目の前のほかほかの出来たての小麦の香りに、魅了されかけているからこそ。小さな胃に詰め込められる限界を知っているからこそ。頼むのは葛藤があった。

 なので、少女は無難な選択肢をとる。


「おしえて、ほしいな」


「もちろん。何から聞きたい?」


「ローナちゃん、が、たのんだ、びーる」


 エティカが気になったのは、"びーる"であった。

 てっきり料理名とか、ジュースの果物とか、そこら辺を聞いてくるものだと思っていた。

 しかし、少女が気になったのはローナの頼んだ商品で、それは紫髪の給仕の好きな物が気になるという暗示にもなる。

 それが、紫紺の瞳には意外で、少しだけ驚きの色が瞳に映るも、冷静に言葉を紡ぐ。


「そうね。ビールというものは麦芽を発酵させたもので――」


 ローナによるエティカへの教育は、ビールとジュースが来るまで続いた。


 そして、ジュースのあまりの美味しさに瞳を輝かせた白銀の少女は、しっかりその味を忘れないよう覚えた。

 桃の飲み物をあっという間に飲み干し、大袋一杯のパンをもそもそと食べ進める少女の姿は、紫髪の給仕を癒すのに充分すぎる。思わず、ローナは慈愛の目で見つめながら、濃い苦味を飲み込む。

 今まで一人だけで飲んでたものより、格段に美味しく感じた。


 そんな二人が大袋のパンを消費できるわけがなく。黙する鴉へと持ち帰り、ヘレナとアヴァンに呆れられたのは言うまでもない。

 しかし、それ以上にローナとの買い物は楽しいもので、爽やかな気持ちを心のアルバム仕舞ったエティカであった。

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