第52話「買い物」

 紫髪の給仕と白銀の少女はさっそくと、買い物に出掛けた。

 目的は、特に決まってはいないが、ローナ自身少しでも少女の気が紛れればよかった。


 早朝に出掛けた青年のことを寂しがって、塞ぎ込むよりはいいと思った。アヴァンから頼まれた野菜類の買い出しに、無理やり連れ出したとあの過保護な男に思われそうだが、エティカに外の景色を見せてあげたいという気持ちが強かった。


 閉められた狭い空間もいい。読書の時間は人生を有意義なものに変える。

 だが、人である以上、他者と関わらなければいけない。

 例え、この子が魔人族であろうと社交性は大事になる。

 隔絶された種族ではあっても、同じ魔人族とは関わるはず。それに、人と話をしなければいつかは腐っていく。心も体も魂も。


 それは自分自身が、コミュニケーションの欠片もなく過ごしてきた半生を送ったからかは分からない。

 どちらにせよ、人と話すことを覚えなければいけない。

 そんな気がする。


 鴉から飛び出した少女の足は小さな一歩ではあったが、春の陽光を全身に浴びるには充分であった。

 ローナも隣に立つ。そうするとこの少女が、どれだけ小さいか強調された。


 エヴァンの背丈半分にも届かない少女は、ローナの腹部ほどの身長しかない。

 しかも、頬は少し痩せて、肌も美しい白さとはいえない。

 これでも、来たばかりの栄養失調状態よりはマシだと思う。


 着せ替え人形のように身支度を整えてあげた時、彼女の肋骨は浮き出て、お腹も引っ込んでしまっていた。

 病気的な白さに、いくつかの切り傷。痣になった場所は、青く変色していた。


 その姿を思い返せば、今命が繋がったことに胸を撫で下ろす。いつ死んでもおかしくない。そんな状態から回復している。それだけで、給仕は安堵する。


 隣にいる少女は息を吹き返した。

 その頑張ったエティカにご褒美があってもいいだろう。

 そんな思いもあって、連れ出した。


「では、行きましょうかエティカちゃん」


「うん……!」


 パッと咲いた少女の笑顔は、春の陽射しに似た柔らかい印象を与える。見ているだけであたたかくなるような、そんな微笑み。

 ローナの心に湧き上がっていた少しの罪悪感は、白銀の少女の笑みで溶かされた。


 無理やり連れ出したかしら、と不安もあったが、エティカにとっては嬉しい出来事だと分かった。

 自然な流れで少女と手を繋ぐと、一回り小さな手に骨の感触が伝わるほど肉薄ではあったが、離さぬようしっかり握る。迷子にならないように。共に歩けるように。


 白銀の少女の歩くペースに合わせ、目的地へと向かう。

 エティカはストラ領へ来た時同様、すれ違う人を興味深そうに目で追いかけている。やはり珍しいのだろうか。

 辺りをキョロキョロと見渡し、見回し、忙しない動きでもローナから離れないよう、しっかりと手を握ってついてくる。


 その部分だけを切り取るなら、まだ産まれて数年の幼児と散歩をしている気分になる。それほど、人並みも街並みへも視線を向ける少女は幼く見えた。



 ◆    ◆    ◆



 まず、ローナ達が訪れたのはパン屋である。

 このストラ領でもそこそこの人気のパン屋で、毎月新商品を並べるほど商売意欲の高いところ。ここに来たのは、仕入れの量の確認と新作のパンがあればそれを食べ比べ、酒場で提供するかどうか決めることをしていた。

 ある種の役得ともいえる。


「パン、いっぱい……!」


 店内に並ぶ様々なパンを輝く瞳で見渡すエティカが、幼く見える。大きな目をもっと広げて、ほかほかの出来たての香りを楽しみつつ、あちらこちらと見渡す。

 目線の先には、手のひらサイズのバターロールや、エティカの腕ほどの長さのパンなど様々な商品へ目移りする。

 いつも食べている質素なものより、豪華に見えるくらい芳ばしい匂いに刺激される。


「エティカちゃん。パン好きなの?」


「うん! でも、あばんの、ごはん、のが、すきっ」


 これは料理人冥利みょうりに尽きる言葉を言うものだ。アヴァンが実際に聞くと、卒倒してしまうのではないかとさえ思えるほど白銀の彼女は、満面の笑みで答えた。

 ただ、入口でこんなやり取りをしていると店側に迷惑をかけるわけにはいかないので、二人揃って会計のカウンターへ向かう。

 小さな店内に、整頓された小麦の豊かな甘い香りの中、店員の元へ辿りつく。


「いらっしゃいませ。あら、ローナさん」


「こんにちは。今日も通常営業ですか」


「えぇ、適当に人が来てますよ。今日は仕入れの相談ですか?」


「はい、こちら発注書なのでご確認ください」


 ローナに渡された紙を確認するエヴァンと同い年くらいの青年。

 パン屋の息子なのだろうか。それとも、ここで働いてる子なのだろうか。

 そんな風に白銀の少女が想像を膨らませている間に、書類の確認が済んだ。


「はい、確認できました。明後日の午前中に配達させてもらいますね。銀貨三枚になりますが、今お支払いしますか?」


「お願いします」


 ローナは、懐のヘレナに託された財布から銀貨を三枚会計の器へ入れる。


「はい、丁度ですね。いつもありがとうございます」


「いえいえ。――ところで、新作はありますか?」


「はい、ありますよ。よかったら買って行ってください」


 爽やかな笑顔で勧める青年は、なんと商売上手だろうかと感心したローナは、言葉に甘えることにする。

 いつもは一人なのだが、今回は白銀の従者でもある。

 彼女がいかにも食べたそうな表情で、パンを見つめる姿に感化されたからでもある。

 そんなエティカの手を引いて、様々なパンをトレイに取り揃えていく。


 今回の仕入れの発注する量も値段も毎回誤差程度で、特に変更する必要はない。

 だから、発注書さえ渡せばいいだけで、後は新作のパンを食べられ、それも経費として落とされる。

 ただ、その代わりしっかりと提供できるかどうか、品定めしなければいけない。客商売だから、当然といえば当然で、その責任も携えて訪れたはず。


 しかし、支払いをしたのは経費で落とされるヘレナから渡された財布ではなく、紫髪の給仕個人の財布で。

 それも、大袋一杯に詰め込まれるほどたくさんのパンを買って。とても白銀の少女では食べきれない量を、軽々とローナは抱えていた。

 その姿を見てエティカは、この給仕もお願いすればなんでも買ってくれるだろうから、下手におねだりしないようにしよう。そう心に決めた。

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