第32話「二人の器」

 時間は巻き戻り、朝方。

 エヴァンが冒険者組合へ向かう背中を見つめたエティカ、ローナはしばらく何も言葉を交わさず、ぼんやりと立ち尽くした。


(さて、どうしましょうか……)


 エヴァンへ、絵本のお使いを頼んだのもあり、帰ってくるまでにはかなり時間が掛かる。

 それまでに服屋で、エティカに合う服を見繕うのだが、ローナは呆気なく白銀の少女が、青年と離れる事を快諾したのが気掛かりだった。


 十歳のエティカにとっては、エヴァンの方がローナよりも付き合いの時間は長く、信頼においても上だ。

 青年と離れる事に関して、かなりの不安がエティカに付きまとっているのではないか。

 少女が心配な鴉の給仕であった。


「エティカちゃん」


「うん?」


「寂しくない?」


「だい、じょうぶ。ローナちゃん、いっしょ、だから」


 えへへ、と笑うエティカの笑顔に曇りはなかった。

 ローナが思っているよりも白銀の少女は強く、青年と離れることで癇癪かんしゃくを起こすような子ではなかった。

 それが確認できたのなら、良かったと安堵するローナ。


「それでは、少し待っててくれるかしら? ヘレナに出掛ける事を伝えてくるから」


「うん」


 ローナはそう言うと、朝食を食べているヘレナの元へ向かう。

 一応、昨日も相談し合ったので、出掛ける用事をヘレナは把握しているが、出掛ける挨拶をしなければ彼女は怒るのだ。


 行き帰りの挨拶は必ずする。


 それはヘレナが口を酸っぱくしてまで、何度も言い聞かせた事でもある。


「ヘレナさん、そろそろ行ってきます」


「あら、そう。お金は持っているの?」


「はい。エヴァンより銀貨を数枚頂きました。服を買うのには充分過ぎるほどに」


「あの子は……金遣いが荒いの、何とかならないかしら」


「それは難しいでしょう。それにいつまでも懐に入れたまま、宝の持ち腐れになるよりかは、いいでしょう」


「ま、それもそうね。気をつけて行ってらっしゃい」


「はい」


 ローナは頭を下げ、待っているエティカの元へ行こうと振り向くと、すぐ近くに白銀の少女は来ていた。


「いって、きます」


「はい、行ってらっしゃい。楽しんできてね」


 ヘレナへたどたどしくも、行きの挨拶をしに来たのだ。


 賢い子、と紫髪の給仕はエティカに関心する。

 ローナが十歳の頃は、小間使いとして働いて、挨拶を主にしかしない。ほとんど喋らないからこそ、余計に関心した。


 出掛ける前に、エティカへ上着を羽織らせるローナ。

 春が近付いて来ているが、痩せた少女の身体には寒いだろう。


 えへへ、とエティカの笑顔を見ると、ローナ自身も上着を羽織る。


 そうして、二人は出掛けた。


 鴉を出て真っ直ぐ、噴水広場を横切った先に服屋がある。

 歩いて数分といった所だ。


 目の前の噴水広場には、少しではあるが散歩をしている人、椅子へ腰掛け休んでいる人、広場に集まったはとを眺める人がいた。

 それを一心にみつめるエティカへ、ローナは一言。


「エティカちゃん、はぐれては危ないから、手を繋ぎましょう?」


「う、うん……」


 意識が逸れていたからだろう。

 エティカの返事は覚束おぼつかなかったが、差し出された手をしっかりと握る。

 ローナの手はかなり冷たかった。


「ローナちゃん、て、つめたい、ね」


「ええ、昔から冷たいの。それでも大丈夫かしら?」


「うん、つめたくて、きもちいい」


「優しいのね、エティカちゃんは。エヴァンとは大違いね」


「そう、なの?」


 ローナの顔を覗き込む紅色の瞳。


「エヴァンは、そうね。優しいと言えば優しいわね」


「やさしい、よ、えばん」


「そうね、今は優しいけど、昔はそうでもなかったらしいわよ」


「そう、なの?」


「ええ、昔はずっと依頼ばかりこなして、お腹が空いても働き続けて、それこそ倒れるまで動いていたそうだけど、止めても聞かなかったそうよ。ヘレナさんが叩いてようやく、人の話を聞くようにはなったけどね。他人にも、自分自身にも優しくなかったわね」


 エティカの知らないエヴァンの事をよく知りたいのか、少女は真剣に話を聞いていた。

 その姿を見て、ローナも真面目に話すことにする。


「何回か倒れた時に、たまたま居合わせたアヴァンさんに助けられたそうよ。それでも変わらず、倒れるまで動いていたそうだけど」


「どう、して」


「エヴァンも『救世主』としての役目に追われてたんだと、私はそう思うけど、その時は『魔王』も魔獣も活発に動いていたから、仕方ないとは思うわ」


「うん……」


「『救世主』として、助けなければいけない人達を目の前にして、助けられない事も多かったそうよ。それもあって、必死に倒れるまで働いたんだと思うけど」


 それでも救えない、助けられない命の方が多かった事実が、青年を苦しめた。

 急いで向かった村には、誰もいない。

 血痕けっこんしか残っていない惨状を目にして、何もできない自分を責め続けたのだろう。

 何も救えない『救世主』。


 それがエヴァンを悪い意味で有名にもさせた。


「それでも、今は随分ずいぶんマシよ。寝る間も惜しんで動いていないし」


「うん」


「だから、エヴァンが無茶をしないように、一緒に見張っておきましょう」


 もうエヴァンは救えない『救世主』ではないのだ。

 エティカを救った。

 その事実が、青年自身をも救うのだ。


「うん」


「エティカちゃんには、嫌な話だったかもしれないわね、ごめんなさい」


 ローナがそう言うと、エティカはふるふる、と首を横に振って否定する。まだ、ボサボサの白銀の髪が揺れる。


「ローナちゃん、の、おかげで、しった、から、もっと、いっぱい、えばん、のこと、しりたい」


 ああ、エヴァンが救ったのは間違いでは無かったのだ、と実感するローナ。


 それならば、彼の言いにくい事を教えてしまおう。

 少しのローナの嫉妬しっと心が混じった、エヴァンについての会話は、服屋に着くまで続いた。


 エティカが、興味津々しんしんだったのは言うまでもない

 青年の預かり知らない所で、黒歴史が語られていくのだった。

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