第30話「勤勉な予感」

「そんな事あるのか? 勤勉の魔女だぞ」


 勤勉の魔女が、エヴァンただ一人だけに、用があって呼ぶにしては、召集命令はやり過ぎなような気もしたのだ。

 それなら、青年が王国へ来た時に声を掛ければいいだろう。

 そんな楽観をバルザックは吐き捨てた。


「腐っても魔女じゃぞ。王国にいるとは言っても、ほとんど自由じゃ、何より王国直属の魔女なんかやってるもんじゃから、権力もワシなんかよりもある。

 王国の名前を借りて色んな事をし放題じゃ。その魔女が『救世主』を呼んで何をするのかは分からん。しかし、先日のヴェルディの件もある、何かを企んでいるのは確実じゃろう」


 バルザックの警戒心はかなりのもので、それこそ、『魔王』と同等の警戒をしているようにも、エヴァンは感じた。

 いまいち、魔女に会ったことのない青年には実感が湧かなかったが。


「王国からの召集命令じゃ、断る事も逃げる事もできん。じゃから、魔女には細心の注意をしておけ」


「細心の注意たって、具体的にはどうやって?」


「ウレベはことある事に約束を交わしてくる、それに気をつければいいじゃろ」


「……約束て、それだけか?」


 約束という範囲は広いが、それだけなら断り続ければいいのか、と楽観視するエヴァン。

 対して、バルザックは悲観主義のように畳み掛ける。


「大した事ないものでも交わした約束は、盟約じゃ。守らねば相応の罰も受ける。これはウレベ以外の魔女にも言えるんじゃが、あやつらは人の事なぞ見ておらん。約束さえ交わせれれば、それでいい、そんな連中じゃ」


 どういう事だろう、と疑問が浮かぶエヴァン。


「魔女とは約束を交わさない、これは絵本にも書いてある事じゃ」


 屈強な老人が口にしたのは、ストラ領や王都などの街で売られている絵本の内容だ。

 七つの魔女とは約束を交わさない、出会わない、見ない、喋らない、同じ時を過ごさない、そんな事を書いた絵本だ。


「ウレベと約束を交わした者は、文字通り人が変わるんじゃ。今まで話していた口調も、表情も、笑いのツボも、何もかも変わるんじゃ」


 実際に見てきたかのように、目の前の老人が悲しげに呟く姿は、恰幅かっぷくに合わず、青年には縮こまって見えた。


「じゃから、細心の注意を払え。あの酒場の子を守りたいなら余計にな」


 その一言は重い一撃のように、エヴァンへ届いた。


「……うん。分かった、細心の注意を払うよ。……ところで、何でそんな風にバル爺は思うんだ? 何かあったのか?」


 エヴァンは少し、聞いておきたかった。

 バルザックは乾いた笑いを浮かべると。


「ロドルナ・ヴェルトヘイムは知っておるか?」


「ああ、あの意地悪い政治の奴だろ」


 ロドルナ・ヴェルトヘイム。王国の王政を担当する十三人の中の一人だ。意地悪く、意地汚く、見下した笑みが特徴の悪徳で印象も最悪な人物。

 王国からの印象も悪いはずなのに、未だに王政に関わっている人物でもある。


「あやつとワシは親友じゃよ」


「は!?」


 笑えない冗談かと思ったが、バルザックの目は真剣だったため、冗談ではないと察したエヴァン。


「正確には、元、じゃな。あやつがウレベと関わってからおかしくなったんじゃよ」


「そんなことが、あるのか?」


「あやつの昔を知っている者は皆、おかしくなったと口を揃えて言うな。実際、昔なんぞ『勇者』や『救世主』の子作り禁止法令なんぞ無かったろう」


「確かに……」


「あんなのは、本来通らない法令じゃ。それが通ってしまう環境に王国はあるという事を、ちゃんと覚えておけ」


 それでも、エヴァンには実感が湧かなかったが、従った方がいいというのは理解できた。

 ウレベによって狂った人生の人がいるのだ。


 バルザックの親友が、狂った人でもあるのだ。

 それを目の前にした者が言っているのだ。

 信じても損はないだろう。


「ありがとう、バル爺。辛いこと聞いちゃったな」


「いいんじゃ、お主がいなくならないのなら、それでよい」


 とても、とても重苦しい一言。

 狂った友人を間近で見た気持ちが込められていた。


「……ところで、ウレベの言う約束て何でもいいのか?」


「詳しくは分からん。ただ、約束ならば何でも良い。ワシとお前との口約束でもよい、何かを聞くための約束でもよい、簡単なものでも、難儀なものでもよい」


「だったら、そもそも話をするのさえ危ないじゃないか」


 話を聞いてもらう、少しお茶をする、それでさえ約束となるのなら接触自体が危険そのものになる。


「じゃから、そう言っておる。会わないように、話さないように、目を合わさないように、口を開かず、無視をする。それが難しいのなら、約束をしない」


 かなりの難題ではないか、と答えがない問題を提示されたように感じたエヴァン。


「そもそも王国に魔女がいるという事実そのものが、歪んではいるんじゃ。対の魔女とは大した名前じゃが、七つの魔女よりも危険じゃろ」


「それって、歪ませているのが対の魔女という事か?」


「恐らく、じゃがこれはワシの妄想でしかない。妄想の域を出ないんじゃよ」


 真実が現れないということなのだ。


「ゆえに、魔女との接触は禁忌じゃ。その事を何度も肝に銘じて、何度も反芻はんすうしろ」


「そうか……。そこまで言うなら、注意しとく。王都へ行く時は影にでも隠れながら行くよ」


「そうしろ、王国からの召集命令は一週間以内じゃ。ほれ、これが召集状じゃ」


 そう言って懐から綺麗な手紙を出す、バルザック。

 王国の紋章で封を止められている、王国からの召集状に間違いなかった。


「ありがとう、バル爺。……ところで、バル爺はそんな事を言っていいのか? 控えめにも冒険者組合のギルド長だろ」


「いいんじゃ、ストラ領の冒険者組合で、コソコソと世間話をしていた所で、奴らは歯牙しがにもかけんよ」


 手をヒラヒラと振るバルザック。

 権力者が権力者を嫌うのは、バルザック以外にもいる。ましてや勤勉の魔女を嫌う者も少なからず存在する。

 世間話でウレベの事について、意見を交わすのも問題は無いという意味だろう。


「話はそれだけじゃ、時間を取らせてすまんのう」


「いや、助かったよ、ありがとう」


 そう交わすとエヴァンは部屋を後にする。


 残った屈強な老人は、乾いた唇を噛み締める。

 ウレベによって変えられた人との記憶が想起され、その歯がゆい気持ちが浮きでる。

 エヴァンという人物が、変えられないよう、祈るしかできなかった。

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