第21話「お風呂上がり」

 ゆっくりとお湯にふわふわと浮いた白銀の少女も、のぼせる前に脱衣所へ出てくる。

 ホカホカの体は、ほどよく湯気が立ち昇り艶やかな印象を与える。

 これが痩せ細った状態でなければ大変色気のある姿であっただろう。

 そんなことを思いつつ、置いてある綿でできたバスタオルで少女の体を拭いていく。


「へれな、じぶんで、できる、よ?」


「いいから、今は甘えなさい」


「うん……。ありがと、えへへ……」


 ふにゃと溶けた笑顔を浮かべる。とても愛くるしい笑みに思わず、心がときめきかけたヘレナは、照れ隠しのように白銀の髪をわしゃわしゃと乱暴に拭き取っていく。


「へ、へれな……はげしい、よ」


「あら、痛いかしら?」


「ううん……。いたく、ないよ」


「じゃあ、もっとするわね」


 そう言うと、白銀の頭をかき混ぜるように勢いよく手を動かす。

 きゃー! と、おちゃらけた可愛い悲鳴が上がりながらも逃げようとせずに白銀の少女は受け入れる。

 ヘレナが冗談でやっていることが分かるくらいに、察せることができるくらいにエティカは信頼を置いていた。


 それだけでも賢いといえる。

 人の冗談を冗談だと受け取れる器の広さも持ち合わせている。

 それが分かれば分かるほど、彼女がどうして幻生林で一人きりだったのか謎に満ちていく。

 背中の大きな斬り傷でさえ、よく分からない。


 そもそも魔人族のことも、どういう習慣なのかも、風習なのかも、風土も、地形も、生活環境も、労働環境も、宗教も、教育環境も分からない、知らないのだ。

 ただ、ヘレナ自身の人族としての経験から察するに。


 エティカは追放されたのと同義なのだろう。


 死角である背中を斬られ、幻生林へ父親共々追い出された。

 そう考えるのが自然だろう。


 何にせよ、彼女の口から直接聞かなければ真実は不明で、憶測の域を出ないのだが。

 そんな白銀の少女は、目を閉じ大人しく体を拭かれている。

 この小さな体にどれだけの過酷な経験が刻まれているのか。想像できないくらい、彼女は壮絶な人生を歩んでいるのだろう。


 そう思ったヘレナが痩せ細った枯れ枝のような体を優しく抱き締めるのは、必然ともいえた。


「へ、へれなぁ?」


「…………」


「どうした、の? おなか、いたい、の?」


「…………よく、頑張ったわね」


 頑張ったなんて簡単に言ってしまったが、それだけ褒め讃えたい思いから口をついて言葉は出た。

 想像を絶する恐怖。不安に押し潰されて命尽きていたかもしれない。

 それだけ恐ろしい環境に身を置いていても、この子は健気でおくびにも出さずいる。


 だから、この場所が彼女の羽休めになるよう。そう願いながら優しく包むように抱き締める。

 突然の出来事に戸惑った少女は、紅色の瞳を大きく開きながら、うるうると込み上げるものを必死に抑え込む。

 ただ、抑え方がまだ下手くそなのだろう。一雫の汗でも、拭き取れなかった水滴でもない、温かなものが零れる。


 ヒックヒックと揺れる小さな体は、静かに不安を吐露していった。



 ◆    ◆    ◆



 そんなエティカの感情が落ち着いた時、着替えを持ってきたローナが脱衣所のドアをノックし、入ってきた。

 まるで見計らったような適切なタイミングで、袋に詰め込んだ古着を掲げながら紫髪の給仕は、無感情の起伏のない声音で話す。


「お待たせしました――あら、もう上がったんですね」


 そんな来訪者に白銀の少女は、慌てて涙をゴシゴシと拭く。

 そんな拭き方をしたら目が悪くなるわよ、とヘレナは心の中で注意しつつローナへ応える。


「えぇ、あんまり長湯しちゃうと疲れちゃうから短めよ。ところで、服はあったのかしら?」


「はい、いくつか見繕ってきましたが……。多分、大きいかもしれませんね……」


 紫髪の給仕が持ってきた袋を受け取り、適当に一枚取り出す。ヘレナが小さい頃着ていた古着で、少しホコリの匂いがする。

 その手に持った白い肌着は、ローナの言う通り少女の体より一回り大きい。


「もっと小さいの無かったかしら」


「探せばあるでしょうが、この間仕入れ先のパン屋の女性へ譲ってませんでしたっけ」


「あー……。言われてみれば、懐妊祝いで古着あげたわ」


 つい先日、ようやく子を授かったご贔屓にさせてもらっているパン屋へ、お祝いとして年端のいかない頃の古着を譲ったのだった。

 探せばいくつかあるだろうが、奥底に眠っているだろう。もしくは、当時は着ることが恥ずかしくて封印したようなものならいくつか……。


「とりあえず、風邪をひかないようにしましょうか」


「そうですね。肌着やら下着やら、とにかくサイズの合いそうなものを出していきますね」


 ここでも仕事のできる給仕は、テキパキと袋から衣類を取り出し並べていく。

 誇らしいとさえ思うほど、素早い動きに感謝しつつ、ヘレナは白銀の少女へ肌着を着せていく。


 骨の浮き出た細い体に、ぶかぶかの服が包んでいく。

 そんな二人の様子に、泣き腫らした紅色の瞳は大人しく着せ替え人形を演じる。

 こういう時でも空気を読んで行動する辺り、察知能力も高いのだろう。

 そんなことを思いながら、急いで着せていくヘレナへ、ローナは質問を投げる。


「そういえば、エティカちゃんの寝泊まりする部屋はどうしますか?」


「え、エヴァンの部屋でいいんじゃない? なにか問題でもあるかしら」


「いえ、あの男もですから。なにかあってはと思いまして」


「んなこと、エヴァンがするわけないでしょ」


「そうですね。あの根性なしにできるわけありませんね」


 信頼されているのか。それとも貶されているのか。この場に青年がいれば大声を出していただろう。

 それだけという印象が女性陣の中に浸透している。

 喜ぶべきか、悲しみで涙を流すべきか。当人が聞けば困惑の表情を浮かべていただろう会話。

 それを聞いていた白銀の少女は、ポツリと自身の意見を述べる。


「えばん、と、いっしょ、が、いい」


 紅色の瞳は真っ直ぐと二人を捉える。

 そりゃ安心できる人と一緒の方がいいに決まっている。それが自身を救ってくれたヒーローならなおさら。


「えぇ、寝泊まりする部屋はエヴァンの部屋にしましょう。なにかあればローナの部屋も近いしね」


 その決定を満面の笑みで白銀の少女は受け取った。

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