第20話「【幕間】勤勉」

 エヴァンが眠気に誘われ、エティカがお湯で身体を拭いてもらっている時、一人の女性が幻生林から姿を現した。


 その女性は長いローブで身を包み、白髪は腰にまで掛かる程の長髪、耳には青色を基調としたピアスを付けていて、垂れ目で少し物憂げに見える印象を与えたが、化粧がされて美容には気遣っているようであった。


 そんな幻生林から出てくるには、怪しい感じではあったが、見張りのヴェルディにとっては、寧ろ会いたかった人物であった。

 女性はヴェルディまで近付き、話し掛ける。


「こんにちは、精が出ますね。いい事です」


 その声は官能的とも聞こえる声質で、ヴェルディの頬を紅潮させる声だった。慌てて、早口のヴェルディは言葉を交わす。


「こここ、こんにちは! お、お疲れ様です!」


「ふふ、今日の見張りは声が大きい方なのですね。声を出す、大きく張り上げる。いい事です」


「お、お褒めに預かり光栄です!」


「ふふ、緊張すると声の調節もバラバラになってしまうのに、それでも調節しようとされている。

 能力で声が大きくなってしまった、能力との付き合いが長いからこそ調節が出来ている。

 ふふ、いい事です。

 ああ、とてもいい事です。

 実に勤勉で、勤労に勤め、いい事です。

 それに対して、私の声は少し聞こえにくいでしょう。

 申し訳ありません。

 産まれた時の声の方が大きいと、両親によく言われたものです。ああ、それに比べて貴方はとても勤勉で、素晴らしいです。

 恐らく、能力によっていくつもの苦難に合ったことでしょう、能力を持ち、発現した者はみなその宿命にあります。

 その苦難から命を投げ出す者も能力を抑え込む者もいます。

 それは実に健気です。

 しかししかししかし、貴方はそれでも能力を使い、調節までしようとされている。

 ああ、貴方がそこまでされる理由を知り、私も励みたい。

 ああ、いい事です。努力にひたむきな姿はとてもいい事です」


 圧倒されたヴェルディは、その女性の語りにただただ、唖然とする。

 彼女が狂気と呼ばれる理由を再認識するかのようである。


「あ、ありがとうございます! そ、それで、一つお伝えしたい事がございます!」


「おや、これは失礼しました。勤勉な人を見るとつい年甲斐もなく、はしゃいでしまいすみません。どうぞ、話して下さい」


 女性の表情は依然として変わらず物憂げなままだった。


「は、はい! エヴァン・レイの事なんですが! 昨日、幻生林でいつものように一人で、野宿をしていた所、今日の朝方に一人の子どもを抱えて、ストラ領に戻ったのを確認!

 その子どもは、幻生林に共に入った父親と死別、はぐれた所を保護したそうです!」


 ほう、と垂れ目な瞳が少し揺れ動く女性。


「その子どもは幻生林で父親と死別した所を、『救世主』のエヴァン・レイに保護されたのですか」


「はい!」


 再確認をして、ある確証を得たのか、女性の口が少し笑っているようにも見えた。


「ウレベ様、どうしましょうか? 子どもはエヴァン・レイが保護しているので、私が素性を聞くことも可能ですが!」


「いえ、その必要はありませんよ。いい心掛けですね。そうですね、素性も気にはなりますが、父親と死別した悲しみが癒えない内に傭兵が色々と聞いてしまうと、真実を隠してしまうのかもしれません。何より、エヴァン・レイがいるのなら怪しい人物ではないでしょう。

 ただ、そうですね。これは私の知的好奇心ですが、その子の周りで何でもいいです、何か変化があった時に私へ教えて頂けませんか?」


「はい!」


 二つ返事で応えたヴェルディにとって、これほどない役得ができた。

 ウレベは、その約束事をヴェルディと取り付けると、物憂げな表情が一変、怪しい笑みを浮かべる。


「ああ、とても勤勉な傭兵ですね。素晴らしいです。その勤めた貴方へ、もう一つ約束を取り付けてもいいでしょうか?」


 その言葉を聞いたヴェルディは、さっきまでの引き締まった表情から一変、無表情へと変化し、見つめる一点はウレベを見ていたはずが、虚空を見つめるようになる。


「はい」


 大声でもなく、本人の本当の声量で応える。ただ、そこにヴェルディの意思は無かった。


「私をここで見た事はない。ここで会った事もない。

 私と貴方は、たまたまストラで出会い、立ち話をし、その中で私がエヴァン・レイの周辺の様子を知りたい事を、貴方は快諾した。

 そうですね、理由はエヴァン・レイの手助けがしたい、という事にしておきましょう。

 そして貴方は、定期的に王都へ、エヴァン・レイとその周りの様子を、手紙で送るという約束を交わしただけ。

 宛先は王国研究所にしておきましょう」


「はい」


 ヴェルディの朧気な意識は、ウレベの声を聞けば聞くほどその場面には無くなった。

 約束を交わしたウレベは、物憂げな表情へと移り変わるが、その様子は狂気にも見えた。


「ああ、とても真面目です。とてもいい子です。

 このような従順な傭兵がいるとは、ああ、ストラはとてもいい所ですね。

 しかし、私が何もできない無力なのが申し訳ないですね。私には約束を取り付けるくらいしかできませんから。

 それでも、それでも、この勤労で従順な方は、それでも、約束を守ってくれるのです。

 嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼、なんと、なんと、友人の様子を心配し、身を案じ、その友人と親しき者へも気を配る、ああ、なんと友情とは、人との繋がりは、美しも気高きものなのでしょう。

 それを利用してしまう、怠惰で愚者な私をお許しください神よ。ああ、そうです、そうです。

『勇者』がいないのを神は決して許さない事でしょう。

 ああ、そうです、『勇者』が自身に与えられた責務から逃げ出し、命を絶ったのがいけないのです。

 ああ、実に不愉快です。

 神の作った儚くとも尊き力を、受け入れられなかったのです。

 実に愚かで、おぞましい。

 ああ、それに比べて『救世主』はなんと勤勉でしょう。

 世界を救う命運を担って大変でしょう。

 そして、私の目的にはないものです。

『魔王の器』を救い出すのは、私が考えうる中でもあまりに予想外です。

 ああ、それも『救世主』だからなのでしょうか、いいですいいですいいですいいですいいですいいですいいですいいですいいですいいです、とてもいい事です。

 嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼、私が予定したものより、神はそれを望んでおられるのでしょうか。

 ええ、私が怠惰であるのを神は見抜いたのでしょう。

 ああ、もっと勤めなければなりません。私にそれを気付かせた『救世主』はなんと勤勉でしょう。

 いい事です。

 その身に宿した運命も意識も能力も魔力も心境も心情も信条も考えも過去も未来も環境を見習えば、私ももっと勤勉になれるのでしょうか。

 ああ、一度会わなければ、会ってみなければ、その尊顔も拝まなければ、言葉も交わさなければ、瞳の奥を覗かなければ、心臓の鼓動も聞かなければ、血の流れを確かめなければ、指の長さも測らなければ、筋肉はどれほどついているのでしょう、足の大きさは、所得は、好きな食べ物は、お気に入りの衣服は、日課は、歯並びはいいのでしょうか、鼻の形はどうなのでしょうか、唇の厚さも柔らかさも、骨の硬さは、臓器は綺麗な血色なのでしょうか、体臭も気になりますね、口臭はどうでしょうか、朝食は何を食べたのでしょう、性行為も経験したのでしょうか、得意な魔法も聞いてみたい、『救世主』の身体も一度開いてみたいですね、生まれはどこでしょうか、両親はどこにいるのでしょう、教育の施され方を、幼い頃の失敗も、積み重ねた成功体験はあるのでしょうか、『救世主』の能力は何が基になっているのでしょうか、ああ、会って全てを知らなければいけません。

 ああ、何よりそうです。魔女に会わせなければいけません。

『魔王の器』と怠惰の魔女との接触が無かった事になったのです。会わせなければいけません。

 ああ、でも傲慢の魔女は会わせないようにしなければいけません。あの子は面食いです、恐らく会ってしまうと執拗な付きまとわれ方をするでしょう、それでは今後に支障が出てしまいます。それにあの子は魔女の中でも一番幼いのです。

 それはいけません。ならば、対の魔女から接触させましょう。

 謙虚も慈善も感謝も忍耐も純潔も節制も従ってくれるでしょう。ああ、私が勤勉である事に誇りを感じます。

 さあ、そうと決まれば動かなければ。

 ああ、これからの忙しさを思うと火照った身体を止められません。

 やり遂げなければ」


 そう捲し立てる勤勉の魔女、ウレベはその場から姿を消した。


 残ったのは惚けたヴェルディだけ。

 エヴァンを取り巻く全てに影が再び伸び始めた。

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