第19話「白銀の美髪」

 泡に溺れたエティカ。頭の先から痩せこけた顔まで浸るような、ぶくぶくと白く輝く泡沫ほうまつに包まれる。

 幻想的とも言える視界であったが、息苦しさから目を逸らせば様々なものを反射する世界は、綺麗だったろう。


 そんな姿に気付いたヘレナは、慌てて湯船に溜まったお湯をエティカの頭に掛け、泡を流す。


「ごめんなさい、エティカちゃん! 大丈夫!?」


 考えに耽った脳内を反省の色で埋めつつ、ヘレナは溺れかけた少女へ心配する声音を向ける。


「だい、じょうぶ、えへへ……」


 対してエティカは、何事もないように笑ってみせた。

 泡が流れ落ちたその姿は萎びていたが、笑顔は柔らかいものであった。

 彼女なりの精一杯なのだろう。心配をかけまいと、不安にさせまいと、少し驚いたが無事であることを示すように。

 その姿は体の小ささに反比例するかのように、大人びて見えた。


「ごめんなさいね……。泡とか飲み込んでない?」


「ううん。きれい、だった、よ」


 白銀の少女はなるべく明るい話題へなるよう気にかけて、言葉をだした。

 見た目以上に賢い。そう感じたヘレナの焦燥の表情へ向け、エティカはさらに明るく振る舞う。


「いい、におい、だね」


 ふにゃと、緩んだ笑顔をみせる。

 こんな小さな、幼い様子なのに、大人を不安にさせないよう気遣うなんて。

 それだけ、少女の教育の施され方がいい証拠でもあった。そんな子が父親を無くし、たった一人きりで危険な幻生林を生き抜いてきたとは到底考えられないほど、賢く、強くみえた。


「そうでしょ。お気に入りの石鹸なのよ。お肌もツルツルになるし、髪も艶やかになるし良いものなのよ」


 だからこそ、ヘレナも明るい話題へと移りかえる。

 せっかく、少女が気を利かせてくれたのだ。乗らねば大人の余裕らしさが醸し出せない。

 そんなことを思いつつ、内心では二度と同じことを起こさないよう猛省しつつ、もう一度石鹸を擦り泡立てる。


「もう一度、頭洗うわね。頑固な汚れみたいだし」


「うん」


 小さな頭がコクリと、縦に揺られる。

 金髪の女将の言葉通り、白銀の髪は泡まみれになったはずがこびりついた汚れは落ちずにいた。

 それだけ長い時間、幻生林にいたことを象徴するかのように。


 泡立てたものを小さな頭へ乗せ、ある程度ゴシゴシと擦り、お湯を流す。

 その一連の流れを五回ほど繰り返してようやく、本来の白銀の色合いへと取り戻した。


「ふぅ……。ようやくだけど、とても綺麗な髪ね」


 思わず見惚れてしまうほど、純白の雪原のように煌びやかな頭髪があらわになった。

 銀色の世界を表現した髪色に、柔らかな印象を与えるふわふわの毛先。

 髪だけで惚れてしまう者がいてもおかしくないほど、美麗な少女がいた。


 これは……これは……。

 思わず、額の汗を拭ったヘレナも関心する。

 磨けば光る原石どころか、宝石そのものじゃないか。

 愛らしい見た目に、拙い話し方、柔らかい笑みを浮かべる白銀の少女、これだけでも絶世の美女と称されてもおかしくはない。

 こんな子が保護所のさびれた空間にいなくて良かった、と心の底から思う。


「きれい……?」


「えぇ、とっても綺麗よ。美しいとも言えるわ。エティカちゃんはいい髪を貰ったのね」


「えへへ……」


 褒めながら手ぐしで後ろ髪を整えていく。

 本当はタオルや布で巻いて保湿した方がいいのだが、最優先すべきは身体中の汚れを落とすことだ。

 今度巻き方も教えればいいだろう。

 そんな未来のやり取りへ期待を込めながら、サラサラになった髪を触る。


 なんとも言えないが、少なくともヘレナ自身の髪よりも透き通るような髪質。羨ましいとさえ感じる。

 しかし、いつまでも感触を楽しむわけにはいかないので、再び石鹸を泡立てる。

 次はこの痩せた体だ。


「じゃあ、次は体を洗うからね」


「うんっ」


 天真爛漫てんしんらんまんの笑顔を向けたエティカが、あまりのくすぐったさで黙する鴉中へ響き渡る笑い声を轟かせたのは、この後すぐのことだ。



 ◆    ◆    ◆



 笑いこげた白銀の少女は、湯船の中にその身を隠していた。たっぷりと満たされた木々の香りが漂う透明な湯の中、エティカは真っ赤に頬を染めながら口元まで沈んでいた。


 なにせ大声で笑ってしまったのだ。首筋や脇腹、足の裏など、ありとあらゆる箇所のこびりついた汚れを落とすヘレナの手つきが、くすぐったくて爆笑してしまった。そのことが、あまりにも恥ずかしく穴があったら入りたい気持ちでいた。


 そんな彼女の笑い声を聞けて満足したヘレナは、すぐそばで少女が溺れないよう見守っている。

 金髪の女将の見立てだとそんなに白銀の少女は幼くはないのだろうが、念のためだ。先ほど、ご飯も食べて温かいお湯に浸っている。それだけで睡魔に襲われてもおかしくない。

 こんな心配も杞憂で済めばいい。


 そう思いながら、改めて綺麗な体に磨かれた宝石を眺める。貧相な体にはいくつかの傷痕がついている。

 しかし、肌は純白と言えるほどで美肌だ。今でこそ幻生林という環境にいたから、ボロボロで乾燥した肌だがそれも時間が解決するだろう。

 あばら骨や鎖骨が浮き出た肉付きの少ないのも、良くなっていくはずだ。

 そう思っていたが、やはり一番気になったのは背中の斬り傷。


 なにがあったのか、考えるとキリがないほど謎に満ちた背中の少女へ、思い切ってヘレナは尋ねてみる。


「エティカちゃん。少し聞きたいことがあるのだけど」


「うん、なに?」


「……背中の傷は、なにかあったの?」


「せなか? きず?」


 ポカンとした少女は、背中を見ようと必死に首を回そうとする。しかし、確認できず、むぅと頬を膨らませる。

 その反応からして、知らぬ間についた傷なのだろうかと思案するヘレナ。


「大きな斬り傷があるのよ。まるで誰かに斬られたみたいな傷が」


「そう、なの? でも、きられた、こと、ないよ」


 エティカは断言した。

 まっすぐにヘレナを捉える紅色の瞳は真実だと訴えている。その瞳を確認したヘレナは、じゃあ幼い頃にできた傷なのだろうと納得する。

 彼女のそんなことは知らないという表情を信じて。


「そうなのね。おかしなことを聞いてごめんなさいね」


「うぅん。ありがとう、へれなぁ」


 ふにゃりと甘い笑顔を浮かべるエティカ。

 思わず、金髪の女将も心を惹き付けられる。なんと可愛い子だろうか。

 愛おしいほど愛くるしい少女が、入浴中暇にならないよう、ヘレナはできるだけ会話をした。

 白銀の少女の年齢や、誕生日など。

 ただ、歳だけは曖昧に答えたので、ヘレナの能力から推定するにエティカは十歳だと見立てた。


 自身の年齢さえあやふたな白銀の少女は、存分に風呂を楽しんだ。

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