第18話「泡泡」
水色のタイルの床と壁に、小さな木製の椅子。そこへ白銀の少女を座らせる。
より一層小さくなったエティカは、手持ち無沙汰に浴室内を見渡す。小物が並んだ四角いテーブルには、小瓶と色とりどりの石鹸が並ぶ。小瓶の中には、ドロリとしたクリーム色の液体か固体の判別のつかない代物が入っている。
そして、目の前には蛇口がついている。銀色に反射する金属の輝きは、ほどよく使い込まれていて水垢で白い斑点が付着している。
左隣を見れば木製の湯船が映る。綺麗な木目が並び、ほのかに木々の優しい匂いが漂う。
その湯船へ、ヘレナは手馴れた動作でもう一つの湯船へ湯を貯める用の蛇口を捻る。
その時、不思議な光景が紅色の瞳へ映る。
「寒くない?」
そう口にしながら金属のハンドルへ手をかざす。その手とハンドルの狭い隙間に、
手のひらサイズほどの大きさで、その模様は蛇口の中に飲み込まれるように消えていく。
それを確認したヘレナがハンドルを捻ると、いかにも高温だと分かるくらいの湯気を立ち昇らせながら、熱湯が口から勢いよく流れ落ちる。
それを負けず劣らずの熱視線を送っていた少女は、文字通り釘付けになっていた。
好奇心旺盛な紅色の瞳は、爛々と輝きヘレナの質問を聞いてはいなかったが、寒そうな様子は見えないから金髪の女将は良しとする。
「珍しいかしら?」
「うんっ! すごい、ねっ」
拙い話し方であっても、興奮していることが分かるくらいに嬉々とした声音に満ちていた。
なにより、不安げな表情が一変して幼い好奇心を膨らませたあどけない顔つきをしている。
そのことを微笑ましいと感じつつ、彼女の置かれた境遇は、この技術がないことを証明していたのを感じ取ったヘレナは、優しく説明する。
「これは魔力を注げば反応してお湯とか出してくれるのよ。便利でしょ」
「うん! ふしぎ、だねっ」
フンフンと鼻息も荒い少女は、それまで魔法や魔術を見たことがないのを証明しているかのようであった。
これは安い蛇口で、銅貨数枚程度の代物。魔力を注ぐという手段が必要な物で、もっと高価なものはハンドルに触れるだけでお湯や水の切り替えができる。
安物の生活用品であっても、白銀の少女にとっては魔法という魅惑的な響きが興味をそそるのだろう。
それだけで、魔人族がこういった道具を使用していないことを表しているようであった。
「エティカちゃんも使えるから、試しに目の前の蛇口へ手をかざしてみて」
と、少女の目前、小さな金属をヘレナは指さす。
「こ、これ?」
「そう、手のひらに魔力を集めるイメージをしてかざすの」
言われるがまま。恐る恐るエティカの小さな手が伸びる。細くしなやかな、病的な白さの腕が伸び、少し力のはいった様子で、言われた通りにやってみる少女。
手のひらに魔力を集めるイメージ、そう言われてピンとこないまま、とにかく蛇口のハンドルへ手をかざす。
どうすれば魔力が集まるのだろうか。
そんな不安が滲んだ表情を浮かべる。
そして、いつまで経っても幾何学模様が出てこない。
「へ、へれなぁ……」
今にも泣き出しそうな顔でヘレナを見る白銀の少女。涙声にも感じる弱々しい助けを求める声が浴室に反響する。
できないことは悪いことではないのに、罪の意識があるのか申し訳なさそうに縮こまるエティカへ、金髪の女将は困ったように笑う。
「あら、できなくてもいいのよ。これから少しずつ覚えていきましょ」
優しい声音を投げかける。
そのことが分かってはいても、少女は小さい背中をさらに小さくする。
そもそも、術式を見たのが初めてな反応からして、魔力を簡単に扱えるとは思ってはいない。魔法という不可思議な力でさえ、適正があって使えるものと、使えないものもある。ヘレナでさえ、手のひらに魔力を集めるイメージができたのは、およそ数年前のこと。
それを少女が簡単に使用できるとあっては、余計に彼女の境遇が根深いものになる。
ただでさえ、白銀の少女の背中の斬り傷が深く突き刺さっているのだから。
「さ、体を洗いましょ。ありとあらゆる汚れを落とす魔法の石鹸を堪能しなさい」
沈んだエティカを元気づけるように。努めて明るく振る舞う。
それに感化されたのか、少女も「魔法の石鹸」という言葉に興味が湧く。
「と言っても、ただの石鹸なんだけどね」
そう言葉にしつつ、ヘレナは近くのテーブルに乗っている白色の石鹸を手に取る。
同時に、先ほど少女が失敗した蛇口のハンドルへ手をかざし、ほかほかの湯を出す。
それを適当な桶へ溜めつつ、石鹸を擦り泡立てる。
もこもこと透明で、光を反射していくたくさんの小さな泡立ちの一緒に、甘く優しい匂いが少女の鼻を刺激する。
なんだろう、この匂い。甘いけど、優しい、柔らかい匂い。
今まで嗅いだことのない匂いを確かめている少女へ、桶のお湯をゆっくり頭から掛けていく。
「ほふぅ……」
エティカから緊張感から解放された気の抜けた音が漏れ出る。
お湯はちょうどいい温度で、芯から温もりを与えてくれるものであった。
すっごい気持ちいい。
ぽかぽかして、体が伸びていくような感覚。
そんな感激の渦に飲み込まれた少女が、熱がっていないのを確認したヘレナは、続いて泡立てた石鹸を小さな頭へ乗せる。
そして、勢いよく。でも、優しく爪を立てず、頭皮をマッサージするように指の腹で、白銀の髪をかき混ぜていく。
これがまた、とても気持ちいい。
思わずエティカは、溶けたような表情で痒い頭皮を擦られる感覚に浸り、
「かゆいところはありませんか?」
ここまで喜んでもらえるとヘレナも少し、おちゃらけた言葉を投げる。
「ありま、せぇん……」
先ほどまで蛇口からお湯が出せなくて、落ち込んでいた姿はどこへやら。
今やヘレナのハンドテクニックに溶かされていた。
そんな姿が愛らしく、可愛さを感じたヘレナは丹精込めて原石を磨きあげる。
ただ、しばらくはヘレナ自身かローナと一緒に風呂へ入った方がいいだろう。エヴァンという選択肢もあったが、うら若き乙女の裸をあの唐変木の男に見せてはいけない考えから即座に却下。
あと、この子がそれを望んでいないだろう。
そう予感し、密かに思惑を進めるヘレナが気付いた時には、白銀の少女は泡に埋もれていた。
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