第15話「3度目」
予想外の事が起こると、
「え……い、いやでも……」
アワアワと。エヴァンの焦りは珍しいものだった。
特にエティカにとって、青年に出会ってからいくつもの姿を見られたが、これ以上ないくらい心配になる出来事は初めてだった。
「その子が魔人族で、魔人族は『魔王』の手下とか、そもそもエティカちゃんがどういう人かすら分からないとか、そう思っているでしょ」
「……ああ」
「あんた、ここは冒険者が集まる場所よ。獣人族も魚人族も人族も色んな種族の人が来るわ。
それこそ身なりが新人の冒険者だって、身につけている防具がボロボロの貧乏そうな冒険者だって、何日も遠くまで依頼で出掛けて身体から異臭がする冒険者だって、それこそたくさん集まる場所よ」
そこで一度、息を整えるヘレナ。
「そんな色んな冒険者を見てきて、今更、目の前の子が魔人族、と言われようとも驚きなんかしないわよ。驚かすならもっと気の利いた事で驚かしなさいよ」
「…………」
畳み掛ける言葉を言い返せるほど、エヴァンはヘレナの言い分を理解できないわけではなかった。
例え、エティカが魔人族であろうと、魔人族でなかろうと関係ない。
ヘレナの言い分の主役はそこだ。
「それにわたし、可愛い子て大好きよ? 今は泥で汚れて身なりも綺麗じゃないかもしれないけど、磨けば光る子なんてそうそういないわよ」
その言葉を聞いた白銀の少女は、小さな手で顔に付いた泥を落とそうとした。
なかなか取れず、手だけが汚れていく。
そんな様子を微笑ましく眺め、ヘレナは更に言葉を重ねる。
「ねえ、エヴァン。あなたが守りたいて思ったから連れて来たんでしょ? それならわたし達は何も文句なんかないわ。あなたの『救世主』がそうさせたのか、あなたのお人好しなのか分からないけど、あなたの思いも考えもエティカちゃんの事も信じているし、尊重しているのよ」
「…………ああ」
エヴァンは精一杯絞り出す。握った拳が、自身の
エティカの事を理解してもらいたい。そのために魔人族である事、その認識が必要だと思っていた。
そんな事は重要でなかった。
いや、今後色々な事を手伝ってもらうのに必要な情報ではあったのだが、信じてくれている者へ何度も擦り付ける情報ではなかったのだ。
「ねえ、エヴァン。わたし達の言いたいことは分かってくれたかしら?」
「ああ。……ごめんなエティカ、嫌な思いしたろ」
「ううん、だいじょうぶ」
当のエティカは話を追い掛けるのも必死だったが、エヴァンとヘレナのやり取りから感じる、信頼関係に羨ましさを抱いていた。
「…………ところでエヴァン?」
ヘレナのその一言に黙っていたアヴァンも「あ、まずい」と焦りと恐怖が混じった表情をする。
「ん?」
「そのフードの術式は、あなたが掛けたもので間違いないのよね?」
「ああ、徹夜で仕上げたから――」
バンッ、と机でも思い切り叩いたのではないか、と思うくらいの炸裂音。
その音は受付でウトウトしていたローナの目を覚ます目覚ましにもなり、エヴァンの左頬に大きな赤みの手形を残すことになった。
エヴァン、エティカの両者とも目の前で起きた事が飲み込めず、呆然とする。
ただ、叩いた本人はそれだけで気がおさまらなかったようだ。
「徹夜で仕上げた? その完成度で仕上げ、なんて言葉を使うんじゃないわよ。あなたエティカちゃんを守ると言って、わたしにも見破られるような術式で編み込んで、何が守るよ。
ここに来るまでに見破られて、傭兵に報告がいって、取り押さえられた可能性だってあるのよ。エティカちゃんにとって危険な場所なのよ。
何があってもおかしくないし、能力だって誰が何を持っているのか分からないのに、その程度の術式を編み込んだからって、ここにノコノコと来たことを反省しなさい」
エヴァンの左頬の腫れ上がっていく痛みより、心に刺さる言葉の方が、痛烈で心が腫れ上がりそうな気がした。
正論で、失念していたことに間違いはない。
誰に見破られるかも分からない。ただ、フードに術式を編み込んだからといって、リスクが完全に消えていた訳では無いのだ。
実際、この場でヘレナが見破ったのがたまたまであって、すれ違う人の中にも違和感を覚えた人がいるかもしれない。
そういった違和感が膨れ上がって、ふとしたきっかけで爆発してしまうかもしれない。その時に
そういった可能性の考慮も、
「――でもね、術式を編み込んだ事。それは間違いではないわ。むしろ良くやったわ。だからこそ、次は完璧に仕上げなさい。それがエティカちゃんを守る、という意思表示にもなると思いなさい」
「……ああ、もうヘレナになんか見破られないものを作るさ」
ふとした緩みがいつしか大きな
エティカと目が合うと、その目に涙が溜められている。
心配をこれ以上かけまいと、努めて軽口を叩くエヴァン。
「ありがとうな、エティカ。大丈夫。いつもこんな風に叩かれてるから」
「あら、人聞きの悪い。わたしがいつ叩いたというの?」
ああ、いい性格をしている、と心の底から青年はヘレナのあっけらかんとした態度に思った。
ふと、受付でうたた寝をしていたローナがいつの間にか近くまで来ていて、会話に混ざってくる。
「話は終わりましたか?」
「あら、ローナ。受付はいいの?」
「はい、何やら皆さんが神妙な面持ちだったので、掲示板の前でああでもないこうでもない、と煮え切らない冒険者は早々に摘み出しておきましたので」
その言葉通り、先ほどまで冒険者が数名いた掲示板の前は、誰一人としていなかった。
「あら、ありがとう。こっちの話は終わりよ。そろそろエティカちゃんも限界でしょうし、エヴァンと話がしたいのなら午前中に済ませておいてね」
そう言うとそそくさと立ち上がり、受付へ向かうヘレナ。
金髪の受付嬢が向かい始めようと一歩を踏み出した時に、ぐぅ~、と先の平手の音より可愛らしい音が響いた。
エティカの空腹の音だ。
恥ずかしく、茹でられたように顔が真っ赤になり、顔を俯く白銀の少女。
昨夜に魚を食べた程度で、腹が空かないことのが珍しいだろう。
その音を聞いて、ニヤリと笑いながらアヴァンは立ち上がると。
「待っとけ、すぐに飯作るからな」
と、厨房へ向かって行った。
気まずい沈黙が流れるかと思ったが、紫髪の婦女が先に口を開いた。
「何の話だったかは全てを聞いていませんが、思い切り叩かれた姿が見られなくてとても残念です」
「おい」
ローナは変わらず軽口を叩く。
「これで何度目でしょう。一度目は確か、何日も食べずに依頼をこなして、ここへ倒れた時でしたね。二度目は王都から来た求婚者を無視した時ですね。あの女性が王政関係者の娘様だったことが災いして、子どもをつくる事が出来なくなったのは非常に可哀想だと思いましたね」
指折り数えながら、エヴァンの恥を白銀の少女へ広めていく。
「おい――」
「私の知っている限り、今回で三度目ですか」
「た、確かにそうだが……」
エヴァンも思い返すとそんなに叩かれたのか、と
「先ほども言いましたが、何を話していたのかは聞いていません。なので、ちゃんと説明して下さいね」
そう言いエヴァンを見つめるローナの表情は微動だにしないが、何となく信頼を置かれているような気がした。
「ああ、ちゃんと説明するから今度はうたた寝なんかすんなよ」
「何のことでしょう」
それでも相変わらず軽口を叩き合う仲であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます