第16話「化粧直し」

 アヴァンが白銀の少女へのご飯を作っている間、手持ち無沙汰ぶさたになったエヴァン、エティカ、ローナは座る場所をいつも座るカウンターの端へと移動した。


 その場所は青年がいつも陣取る場所で、カウンターと厨房は空間が繋がっているため、暇な時はアヴァンと談話し、それにローナが混じってくるのがいつもの日常だった。


 カウンターの奥にエヴァン、その隣にエティカ、そのまた隣にローナといつもの風景の中へ少女の姿が混ざった。


「それで、私への話というのはなんでしょうか?」


 ぼー、と厨房にいるアヴァンを眺めるローナの横顔は、少し物憂げな綺麗な女性に見えたが、実際はただ暇で眠いだけなのだろう。

 眠気覚まし程度に話してしまえ、というエヴァンへの意思表示なのかもしれない。

 それに乗らない訳にはいかない青年はざっくりと、エティカと出会った状況を説明した。

 その説明を聞いたローナは、フード越しに白銀の頭を優しく撫でながら。


「偉いね。とても偉い。とても凄いわ」


 と褒めたたえていた。

 エティカは撫でられる事さえ慣れていないのか、うつむきモジモジと身動みじろぐ。


「……ありがとう」


 お礼はしっかりと小さい声ながらも伝える、教育の賜物のような子だった。


「どういたしまして。エヴァンよりも礼儀正しいのは、とてもいい事よ。少しは見習って欲しいものね」


「本当に軽口だけは一丁前だな」


「あら、軽口だけでなく仕事も立派なものですよ。特に今日は受付で冒険者の対応をしましたし、午前中に済ませるべき業務は大体終わっています」


「まあ、確かに」


 実際、普段の仕事ぶりも褒められたもので、仕事は丁寧で素早く、ほとんどミスもなく、こなしていく様は立派なものだ。

 ただ、一つ欠点を挙げるとするなら、無表情で愛想がないということだ。


「でも、掲示板の前にいた奴を追い返したんだろ? いいのか、そんな事して」


「あら。あの冒険者達なら ああでもないこうでもない、と煮え切らないので、適当にこなせそうな依頼を提案して、それの対応をした上で追い返しましたよ」


 それが当然でしょ? という、したり顔は表情が無くともできるようだ。

 エヴァンにとって、その向けられたものは腹立たしいとさえ見て思えた。

 そのしたり顔も一瞬で無表情に戻ると、コホン、と咳払いをし。


「それで、大事な話の前に一つ、私の方から言いたい事があるのですが」


 と前置きをして、そのまま紡ぐように喋る。


「アヴァンさん、ヘレナさんが決めた以上、私がとやかく言うつもりはありません。何よりエティカちゃんと一緒にいられるなら、私もとても嬉しい事ですし、幼いエヴァンのように、言われた事に駄々をこねるわけでは無いので、遠慮なく話して下さい」


「駄々をこねてたのはローナじゃないのか」


「そんな事はありません。私はおしとやかに、慎ましくいましたから」


 ああ、そうかいと肩をすくめる青年。幼少期のエヴァンの事は知らないはずなので、ローナの軽口に変わりない。

 ただ、エヴァンとエティカの方へ向き直り喋る姿は、真剣そのものだった。


「なので、大事な話が何であろうと決められた事は覆らない、と思って下さい」


 その真剣さに当てられてか、少しの緊張はあったが、ローナの軽口のおかげでヘレナ達へ向かって言う時とは違い、とてもスムーズに言葉が出た。


「……エティカの事なんだが、この子はあの有名な魔人族なんだ」


「まあ、聞いていたので知っていましたが」


「は?」


 思わぬ返答に怪訝けげんな表情になるエヴァン。

 聞いていないと言っておきながら、しっかり聞き耳を立てていたのだ。


「そもそも、普通に喋っていても聞こえますよ。特に人がいなければもっと聞こえます。だから、エティカちゃんの幻生林の事や種族の事なんて丸聞こえです。残念でしたね」


「……お前」


 憎たらしい、と心の底から思えるエヴァン。


「優秀な看板娘ですから。腕も立てば、耳も立てます」


「本当に、その通りで完敗だよ。ついでに目くじらでも立てたらどうだ?」


「あら、いやらしい。エティカちゃんは聞かないようにしてね」


「何かとエティカに向けるんじゃない」


 悪い言葉を覚えてしまったらどうするんだ、と憤慨ふんがいするエヴァン。

 当のエティカは、朗らかな表情で。


「ろーなちゃん、たのしそう」


「ええ、もちろん。エティカちゃんが来てくれて嬉しいからよ」


「えへへ」


 傍から見れば仲の良い、年の離れた姉妹にも見える光景だった。

 それこそ、そういうのが好きな者にとっては、尊い瞬間であっただろう。

 心なしか、ローナの表情も柔らかいように見えなくもない。

 そんな瞬間であった。



◆    ◆    ◆



 そのやり取りから数分も経たない内に、アヴァンの調理は済みエティカ達の前に出された。


 青年は二個の丸いパンに、ベーコンと目玉焼き、葉物野菜はサラダとして木のボウルに入れられ、野菜のスープも付いていた。


 対して白銀の少女は、エヴァンの物より一回り小さいボウルに、ベーコンと玉ねぎのミルク粥のみだった。


「アヴァン、エティカのはこれだけか?」


 当然の疑問として尋ねるエヴァン。腹を空かせたエティカには、全く足りない量だと思えたからだ。

 使った調理器具を洗おうとしたアヴァンは、そんな事を聞くのかと言いたげな表情をして答えた。


「エティカがどれくらい食べるのかは知らないが、その身体の小ささなら、一回の食べる量より食べる回数を増やした方がいいんだよ」


「そうなのか」


「それより、泥のたくさんついた顔だとあれだろ、ローナ、拭いてやれ」


「あら、それならもう綺麗に拭きましたよ。とても可愛い顔です」


 いつの間に、とエヴァンはエティカの顔を見ると、綺麗に泥のついた跡は拭かれていた。

 それに対して少女は、目の前の代物が気になるのか、凝視ぎょうししていた。


「早く食べな、せっかくの美味い飯が冷めちまうぞ」


 アヴァンの声で我に返ったエティカは、左右のエヴァンとローナを何度も見て、最後にはミルク粥へ視線を落とす。


 昨夜食べた、焼いた魚とは違う、甘い匂い。

 どんな味がするのだろう、そんな興味で一杯の紅色の瞳は輝いていた。

 お言葉に甘えて、とエヴァンは見本のように両手を合わせる。

 その動作を見たエティカも慌てて、同じように両手を合わせる。


「いただきます」


「いただ、きます」


 エヴァンの見よう見まねで繰り返し、念願の食事を口にする。


 とても甘い、優しい味がエティカの口一杯に広がり、量が少なかったのもあるが、あっという間に完食した。

 エティカの一口は、手に持っていた小さな木のスプーンよりもとても小さなものだった。


 しかし、両親の教育が素晴らしいのだろう。

 食べる所作しょさ一つ取っても、行儀の悪いものは見られなかった。

 むしろ、丁寧にすらエヴァンには見えた。

 食べ終えたエティカは両手を合わせ。


「ごちそう、さま! おいし、かった!」


 と、満面の笑みを向けた。


 天使のような微笑みに思わず、エティカに後光が差したのかと思う青年。

 かくいう、エヴァンも少女より一足先に食べ終えていたので、エティカの食べる姿をそれこそ、娘を溺愛できあいする父親のように眺めていた。


「おう、どういたしまして」


 アヴァンは、エティカの食べ終えた皿を洗うために回収する。

 美味しものを食べれてウキウキ、といった感じがエティカからは見てとれる。

 微笑ましい光景だ。


「美味しかっただろ? アヴァンの飯は、めちゃくちゃ美味いからな」


「うん!」


「それなら、食べ終わった事だし、一つお手伝いをお願いしようかしら」


 そんな二人の後ろには、受付にいたはずのヘレナが来ていた。


「手伝い?」


「ええ、お手伝い……と言っても用があるのはエティカちゃんだけよ」


「……え?」


 思わぬ抜擢ばってきにキョトン、とするエティカ。

 そんな少女へ目線を合わせるように腰を下ろすヘレナ。


「大した事じゃないわ。鴉の案内も含めて、少し身体の汚れだけでも落としましょ?」


 優しくエティカへ提案する。

 それを聞いて、エティカは真っ先にエヴァンの方へ向く。

 いいのか、どうか、分からないのだ。

 なら助け舟がいるな、とエヴァンも口を挟む。


「せっかくだしお手伝いしてこいよ。ヘレナなら大丈夫」


 その言葉を聞いて、少し迷いつつも決断した。


「うん、おてつだい、する」


 それを聞いて笑顔を浮かべると、椅子の上で船を漕いでいたローナを起こす。


「ローナ起きなさい、エティカちゃんの化粧直しよ」


「分かりました」


 その言葉に今まで寝ていたのが、嘘だと思えるほどの覚醒で素早く立ち上がったローナ。


「じゃ、しばらく借りるわね」


 とヘレナとローナに手を引かれながら、エティカは連れて行かれたのだ。

 ポツン、とカウンターに残されるエヴァン。

 何をするか、と考えそうになった青年へ、アヴァンが投げかける。


「どうせ寝てないんだろ。ああなると長いし、仮眠でもしてきたらどうだ」


 食後だということと、寝不足も相まって眠気に襲われていたエヴァンは、その提案を飲むことにした。


「じゃあ、眠いし部屋で寝るわ。あいつらが帰ってきたら部屋で寝てるて、伝えてもらってもいいか?」


「ああ、ゆっくり寝てこい」


 アヴァンへ伝言を頼んだエヴァンは、そそくさと受付横の階段を上る。そこそこの部屋数の扉が並んだ年季の入った廊下を、そのまま奥まで進み、左手。そこが、青年が間借りしている部屋になる。


 その向かいはローナの部屋となっている。


 エヴァンはそのまま、自室に入り、ベッドに倒れ込む。

 気怠けだるい動きで靴を脱ぎ、柔らかい布団へ潜り込むと、睡魔は簡単にやってきて、夢の世界へと飲み込まれた。

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