第11話「ローナ・テルシウス」

 突然、二人の背後から女性に声を掛けられる。

 エティカにとっては知らない人の声だが、エヴァンにとっては、聞きなれた声だったため、振り返る。

 青年がよく目にする、若い女性がそこにいた。


 淡い紫の髪は緩くウェーブが掛かっていて、それを一つにくくり、肩から流した髪型。

 瞳も紫紺しこんで、顔立ちもかなり整っているが見る者によっては、キツい印象を与える冷たく鋭い目。

 いつもエヴァンへ辛辣しんらつな口は、うっすらとピンク色のぷっくりとした唇。


 白と黒を基調とした地味めな給仕服を着た女性は、振り返った青年へ、畳み掛けるように淡々と言葉を重ねる。


「よくもまあ、こんな朝っぱらから小さな子を背負っているものですね。まったく、不健全とも見えますよ。

 誘拐ですか? 隠し子ですか? 後者はともかく、前者ならば『救世主』である事を自覚していないようですし、さっさと『魔王』に向かって行って、相打ちになればいいんですよ」


「お前こそ、清々しい朝に何て不吉なこと言ってるんだよ」


「あら、では後者でしたか? 隠し子なんて、あらあらまあまあ。王政の方から子作りはするな、とお達しがあったのを嘆いていたのに、裏ではしっかりとつくるものはつくるんですね」


「んなわけあるか。隠し子なんてつくる暇なんかないし、そもそも嘆いたんじゃなくて、呆れてたんだよ王政の奴らに」


「ふふ、可愛らしい子の前で、教育に悪い事をスラスラと言えて素晴らしいです」


「お前が原因だろうが!」


 淡々と喋る女性の、怒涛どとうの様子にほうけるエティカ。

 興味よりも、エヴァンがそんなにも喋るのを、初めて見たからかもしれない。


 ヴェルディの時は声の大きさに驚き、喋ってもいいのかどうか困惑してしまったエティカは、今度は話に入る隙間がないことに困惑していた。

 そもそも、エヴァンの大声を聞いたのも初めてなのもある。


「貴方が、男の子か女の子か、分からなくてごめんなさい。責任は全てエヴァンにあるから、責めるならエヴァンにしてね」


「おい」


「それより、私の自己紹介を先にしてもいいかしら? それとも二人の仲を引き裂かず、後ろに並びましょうか?」


 そう聞くと、白銀の少女はしがみついていた事に再度気付き、恥ずかしくなって少し離れる。

 その仕草に少し残念そうなエヴァン。

 両者のそれぞれを見て表情の動かない女性。

 特に両者から何も言われなかったため、女性は胸の前に右手を添え。


「初めまして、小さな可愛いお人形さん。私はローナ・テルシウス。宿屋兼酒場の黙する鴉で給仕を仕事に、そこのエヴァンよりも働いています」


「おい、俺が働いてな―――」


「お人形さんの名前を、教えて頂けると嬉しいわ」


 エヴァンの言葉をさえぎり、エティカを見つめる紫紺の目。

 エティカにその瞳は優しく映った。


「………えてぃか、です」


「そう、いい名前ねエティカちゃん。よければ、お姉さんの名前も覚えていってね」


「うん、ろーな、さん」


「あら、さん付けなんてとってもいい子ね。エヴァンとは大違い」


「おい」


「呼び捨てでも、ちゃん付けでもいいわ。エティカちゃんの呼びやすい方で、呼んでね。お姉さんみたいなものなのだから」


「うん、じゃあ、ろーなおねえちゃん」


 ふわっと、した言い方をした白銀の少女。

 その言葉に、動きの少ないローナの表情がピクリと動く。

 おねえちゃんと言われたのは初めてで、少しの動揺が、動かなかった表情へ機微きびが生む。


「お姉ちゃんよりも、ローナちゃんの方が嬉しいから、よければそっちで呼んでもらえるかしら?」


「うん!」


 聞いておいて自分から提案するのか……。とエヴァンは思うが、口に出すと余計に話が進まないと思い、黙って内心へ秘める。

 それより気になることを青年自身も聞いておきたいので、話に区切りがついたタイミングの今、聞いておくことにした。


「ローナはなんでここにいるんだ? 開店時間前だし、出前とかじゃないだろ」


 喋り始めたエヴァンを見つめるローナの目は、エティカへ向ける瞳より厳しかった。


「なんでそんな目で見るんだよ! ただ、聞いただけなのに」


「和やかな空気を壊したからですよ。鈍いですね」


 目だけでなく、言葉さえも冷たい。

 なぜ、寝不足の朝に大声を聞いて、こんなにも冷たい目をされるのか。自分自身を不憫ふびんと感じてしまうエヴァン。


「私がここに来たのは、ある忘れ物を届けた帰り道ですよ。まったく、閉店しても飲んでは寝ての繰り返しに、急いで店を出たかと思えば大きな忘れ物をして………。

 はたして見張りとしての職務をまっとうできるのか、とても不安です」


 あいつかー……。とむなしく天を仰ぐエヴァン。

 というより、店側に迷惑かけた飲み方をするなよ、とヴェルディを説教したくなる。

 ローナはニンニク臭い傭兵へ忘れ物を届け、帰りの列に並んでいるエヴァンを見つけ、後ろに割り込んだのだろう。


 美人であることを活かして、並んでいた商人達と交渉をして割り込んだ。割と労力を払って後ろに並んできたのだ。


「今度、迷惑を掛けないように注意しとくよ。ごめんな」


「いいえ、ヴェルディさんからも直接の謝罪を退店前にしてもらいましたし、さきほども爆音で謝ってもらいましたので、説教の有無はお任せします」


「ああ、ところで、わざわざ他の人と話して俺たちの後ろに来る――――」


「さあ、無駄話より列が進みました。歩きなさい」


 青年が喋っている途中であろうと、構わず紫紺の給仕は遮る。

 遮った言葉は「俺たちの後ろに来るなんて寂しがりか?」というエヴァンの煽り。

 そういったやり取りからも、ローナという女性と青年の付き合いの長さを感じるエティカ。


 エヴァンが黙する鴉へ通うようになって、しばらくしてローナが給仕として雇われるようになり、そこから数年来の付き合いの長さになる。


 エヴァンと歳が近いこともあって、自然体で話し掛けているのも青年だけであるが、より辛辣になるので、エヴァン自身は良いように思えないのだが。


 そんな給仕の彼女はローナ・テルシウス。黙する鴉の住み込みで、給仕している十六歳。

 元々は、王都で小間使いとして働いていたのだが、雇い主から逃げ出し、ストラ領の黙する鴉で行き倒れていたのを助けられ、給仕として働く事となる。


 彼女の過去も壮絶そうぜつであるが、明かす相手も少ないのと、例え、寝食を共にする相手でも信用しきれない、という経験からあまり過去の話をせず、話し方からも他人と距離を置くようにしている。


 いつかさり気なく聞こうとした酒場の客が、身も凍えるような視線で睨まれたことがあった。

 無理に過去を聞くことは出来ないが、本人も話したくないという意思を示している。そんな過去を背負っているのだ。


 だからこそ、歳の近いエヴァンには、普通よりも強く当たるのだろう。

 家族がいなく身寄りがない事までは、本人から青年へ教えた事はあるのだが、それだけしか情報は得られなかった。


 それでも彼女は根っからの酒好きで、終業後には必ず飲酒、休みの日には街中の酒場をハシゴするくらいの女性である。

 スムーズに進んだ列へ、追いつくよう歩くエヴァンとローナ。


 エティカは、初めて会った女性に興味はかれたが、青年の隣へ並ぶ紫紺の女性姿を見て、少しモヤッとした気持ちを抱えていた。

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