第12話「少女と鴉」
そうやってローナが合流し、進み出した列もいよいよエヴァン達の番になった。
門番には髭をたくわえた中年の男性が、青年の姿を見ると酒焼けた声で話しかけてきた。
「おや、エヴァン。今回のは意外と早かったな、またやつれて帰ってくるのかと思ったぞ」
「軽口も相変わらずだな、おっさん。また奥さんに叱られでもしたか」
「馬鹿言え、熱愛の家庭に愛の言葉は必要不可欠よ」
叱られたんだな……。と察して苦笑いを浮かべるエヴァン。
そんな青年の姿を見たローナが急かす。
「早くしてくださいエヴァン。待つのも待たせるのも、私は嫌ですよ。エヴァンだけ置いて、私とエティカちゃんの二人だけで先に行きますよ」
「待て待て、エティカの主導権争いをするな。すぐ終わるから」
と、エヴァンは急いで、王国から支給された
それは、王国指定冒険者へ送られるもので、全領土の通行料の免除や、身分証明書の代わりになるもの。
これ一枚で、ある程度の面倒な確認作業は、簡単になる便利な代物だ。
ローナも持っている銀色のコインを、給仕服のポケットから取り出す。
紫髪の婦女が出したコインは、ストラ領に定住している証明コインで、ストラ領の
これはストラ領のみの通行料免除と、他には身分証明に使われる。
このように、定住先のコインを提示することが義務付けられていて、提示できない者は通行料を多く支払うか、支払えなければ傭兵に取り押さえられ、尋問部屋行きとなる。
そんな輝く金色と銀色のコインを確認できた門番の男性は、入国時刻を手持ちの紙へ記入しながら、柔らかく喋る。
「はいよ、相変わらず綺麗なコインだな。ローナちゃんも確認したが――――。そっちの子は?」
「あぁ……。この子は幻生林で迷子になっていた所を俺が保護したんだ。幻生林へ親と一緒に入ったそうだが、死別したらしい。証明コインも持っていないらしいから、俺が通行料を払うよ」
「はあ……。まあ、エヴァンがそう言うなら、そうなんだな。大変だったなその子も。証明コインも無しだから銅貨十枚だが」
「ああ」
そう言い、銅貨の入った小袋を開こうとするエヴァンへ、覆い被さるように男性は言葉を掛ける。
「エヴァンの事だ、証明コインが貰えるまで付き合うんだろ。銅貨三枚でいいぞ」
「は?」
唐突な申し出が予想外で、目が点になるエヴァン。
青年が、小袋で掴んだ十枚の銅貨が行き場を見失う。
実際、エティカが証明コインを貰えるように手続きをするつもりだった。
それはエティカの周りの環境が、落ち着いた時に手続きをしても遅くはない、と朧気に考えていた事で門番の男性に、ピタリと的中されて、
それだけ、エヴァンのお人好しが他人にも分かりやすいものだと、証明しているようだった。
そんな固まっていた青年を見かねたローナが、声を上げる。
「早く出してください。せっかくの申し出です。私なら倍の二十枚にしていたところですが」
「お前は加減をしろ」
そんなローナに背中を押され、銅貨三枚に持ち替えて手渡す。
しっかりと、髭の男性は受け取る。
「おう、しっかり三枚。他に危険物の持ち込みはないな?」
「ああ、ありがとう。今度酒を奢るよ」
「高い酒で構いませんよ」
「お前じゃねえよ」
割り込んできたローナに突っ込むエヴァン。
そのやり取りにガハハ、と
「じゃあまたな、小さな人形さん」
と言われたエティカは、小さく門番の男性へ手を振る。
その姿を笑顔で送り出されながら、三人は大きな門を潜った。
重厚とも言える門構え。
その門を踏み抜いた先には、多くの家々が連なった、大きな通りへ繋がっていた。
その通りに出店を構え、ちょっとした商店街になっている。
様々な果物を揃えている店、パンを並べた店、野菜を木で編んだ
道も石畳で、綺麗に敷き詰められた道を走る荷馬車や、歩行者が伸び伸びと歩ける広い道。
エティカにとって、初めて見る光景だった。
様々な種族が行き交い、商売に精を出す店主や、防具を着た冒険者や、並べられた商品の鮮やかな色が、輝いて見えた。
小さな身体よりも、広大に映った景色に飲み込まれ、息を飲む白銀の少女。
心なしか、心臓の鼓動も早くなり、息も若干荒れる。
だが、少女にとってそんな事も気にならない程、興味が惹かれる。
その中をいつもの光景と、普段通りに歩くエヴァンとローナ。
青年もストラ領へ来る前は、山間に囲まれた故郷で暮らしていたため、来た時の感動は未だに覚えている。だからこそ、エティカの反応もよく分かる。
人の挙動、一つ一つが気になり、興味が湧いて関心が向く。
そんな姿のエティカは年相応で、可愛らしいものだった。
しばらく道沿いに歩いた先。
左手に噴水広場が、顔を覗かせる。
その噴水広場を向かいに、居を構えた大きな一軒家と、離れの倉庫と、小さな芝生の庭があるのが、エヴァンとローナの下宿先である黙する鴉だ。
店の入口の近くには、三つの大きな酒樽が置いてあり、いくつかの色とりどりの花が植えられた花壇、少し重めの木製の扉、入口に飾られた木の看板には、鴉の羽ばたいている絵がぶら下がっていた。
朝日が昇ってから、しばらく時間は経っていて、この時間は仕込みで店を開けていないが、依頼掲示板を設置している珍しい宿屋であったため、中から人の話し声が若干聞こえてきた。
本来なら、離れのある芝生の庭につけられた裏口から入るのだが、ローナは堂々と正面から入ろうとした。
木製の扉に白い手が掛けられた時、エヴァンに若干の緊張感が襲う。
気合いの入れ時だ。
エティカも目の前の建物が、エヴァン達の言っていた黙する鴉だと気付いて、青年の服を握る力が、若干強くなる。
そんな二人の様子など、一々気にしないローナは二人入れるように扉を開けた。
そこから見えるのは、いくつもの木製テーブルに、木製の椅子が逆さまに乗せられた広い空間。
正面から
そのまた右にある壁へ付けられた、いくつもの紙が貼られた板を何人かの冒険者が眺めていた。
広い空間は酒場で、夕方頃より開店するので、今は掃除のために椅子が上げられている。
受付は宿屋兼依頼掲示板での依頼を受領する場所で、そこには一人の女性が、手に持った小さな板へ貼られた紙を眺めていた。
開けられた扉に反応して、その女性は顔を上げる。
黒色の瞳が、ローナとエヴァンを捉える。
「おかえり」
入ってきた三人へ穏やかな、春の日差しのような声が掛けられた。
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