第5話

 翌日十二時過ぎ、集合時刻より大分早いがどうせ皆居るだろうと集会所に向かう。一階の本棚奥に潜むレジ周りを改めて見れば、「これで君もメタ小説家!」と印字された仮想ペンや仮想紙、集会名がデザインされたアクリル板等と、雑貨類まで販売するのは抜け目無い。肝心の本棚の新刊コーナーには、「話題沸騰のSF」と題した小学生が図工で作りそうなPOPがあるので、中古書店方式で立ち読みしようか迷い、これもメンバー特典だろうと意を決して開く。しかし途中でどう力を入れようとページの接着は剥がれず、試し読みは端から想定されていたのだと一本取られた気分になった。

 昨日あの後、犬湖がどうなったかは知らないし聞けない。この後顔を合わせたら住所を訊いて隣家に隠れて、彼女の安全を守ってあげたい。そんな不安を抱えながら二階に上がると、見知った九つの顔が揃う中に最後の違和感があった。塗枝・入江・茶堂・麻倉、睡府・藤重・驢馬島という二グループで会話を交錯させながら、前者に属する彼に今度は「あの、初めましてですよね」自分から切り掛かる。

「見ない顔だ……俺は宇美之うみの素数もとかず」高い背と低い声で最も男性らしい彼は細長い頭を向ける。

「先週入ってきたばかりなんだよ」彼の顎に旋毛が届かない麻倉君が教えると「ちくしょう、女子が増えちまったか」居堪れなさそうに顎を落とす。これは新たな女子に鼻下を伸ばすか男同士群れを広げたいと思うか、分かれる所だろう。

「宇美之さんも何か書かれているんです?」他メンバーの名は全て見出しプレートにあったが、宇美之だけは見掛けていなかった。

「いやぁ書こうと思っているんですけど中々面倒臭くて……」ガタイからして書斎より工場の似合う彼が執筆に至る動機は何だろう。愚痴を言いながら創作する意味が私には分からないけど。

「君の作品も読んでみたいよ」昨夜を思い起こさせるリーダーが、思ってもいないことを言えば「面倒だなぁ……」と正直者が答え、「そう言えば私の小説はもう並んでいますか?」実は昨日提出していた作品について問うと「ごめんなさい、今は忙しくて何日か後になってしまいます」入江が楽しみを未来に送った。

「アタシは読んだよ。いや、面白かった」浮気相手の悪意無き反応に心が揺れるが「嬉しいです」上辺だけは取り繕い、「へぇ、どんな話?」麻倉君等が興味を投げ掛けてくれた。何気に他人から直接感想を貰うのは初めての経験で、これだけでも転仮した甲斐はある。

「簡潔に言えば、親には虐待され小学校では無視されている少女が修学旅行中、家に夜間一時帰宅し油断している父親をお土産のハンマーで殴る話ですね」あらすじ解説も初めてで羞恥を覚えながら、皆の反応は「ほぅ」以上に発展しないが、塗枝が「文体が凄いよね。小学生でこんな言い回しするかなって」とフォローしてくれる。もしこれが脚本に選ばれたら主人公に唯一優しく接してくれる友達は君かなと、見つめる茶堂君は少し脅えていた。大丈夫、怖くないよ。

「…………」話を私側に寄せたせいで共有が難しくなり、「ゲームの続きしようぜ」と麻倉君が誘うように私を中心に五人は分散する。宇美之も男子に続く様から皆互いを知り尽くしたようで、孤独は私だけだと理解する。やはりこんなに早く来るべきではなかったか、学生気分で私も席に着いたは良いが何をしようと耽っていると、正面から孤独の糸が紡がれた。

「暇ならこれ読んで」昨夜同じ道路のコライダーを走った仲である筒井から渡されたのは、表紙に彼女の名を載せる一冊。読破には至っていないのでここに収まる彼女の作品を読んで過ごせば丁度良いと思った。「あ、有難う」礼を伝えれば表情を手元の本へ隠すように引っ込む。何だ、可愛い所もあるじゃないと緩みながら、時折反対サイドから聴こえる驢馬島メインの笑い声に何故か私も「ははは」蚊が叩かれたような音を漏らした。

「今日は待ちに待った演劇イベント当日です。開演は十七時三十分から、最終リハーサルは十六時辺りから行います。それまでは来場者特典のグッズデザインをしてもらうけど、時間に余裕はあるね」経夜佳ちゃんも来たことだし、と前置きして塗枝が仕切る。大勢の前で語るらしい藤重は平然と入江に「入江さん、あのメディアの件どうなりました?」と大物振った案件を出し、ビジネスに忙しない様は自分が持て余した暇を強調した。

「そうだ、顔を出したいイベントがあるんだけど、行ってきても良い?」話し終えた藤重はそこで塗枝の方へ向き直り、筒井が顔を出して同調し、「実は俺達も行きたい所があって!」麻倉君等が便乗する。どうやら連日のイベント参加は一般的であり土日祝日は特に催しが多いそうだ。

「時間までに戻ってくるなら構わないよ」塗枝の許可が下りて女子二人・男子三人が消えてしまう前に、「あ、じゃあ私も」とその波に乗るのを許された。

「留守森も偶には出掛けたら~?」奥の方で茶を垂らす機械を見兼ねて睡府が提案する。

「ガガガガガ…………ワカリマシタ」更新された胸元が傾くと、初めて窺う重たい一歩目がどっしり地面に響いた。後ろから迫る彼女を歓迎も拒みもせず、皆は私を引っ張ってテレポートする。

 そう長く掛からずに着いた場所は、前回のファッションショーと似通うが客の色合いは異なりあまり開けていない会場で、遠くのメロコアから音楽フェスであると分かった。

「友達のバンドが演るから来てって言われてさ」

「あたしの知り合いも出る」藤重に筒井が続くが、当然のように知人にアーティストや経営者が居るのは、現実でそうした存在と挨拶出来る日を待っていた私に対する当てつけとしか思えない。

「俺達の目当ては別だけど、寄り道も良いか」と笑う麻倉君に「おう」遠くを見遣る宇美之は呟く。

「あっちがステージ。あと五分後に演奏始まるから。菫のは丁度その次でしょ?」藤重の指の差す方、ステージ毎に演者が分かれる内の割合小規模な方へ向かう。センスの無い英字並びのバンド名と男の嗄声を浴びていけば、「あれあれ」と指した男性が藤重の身内らしい。

 芝生風の観客エリアに立ち、それらしい時には腕を振ってリズムに乗る。声帯よりこの場ではガールズバンドは少数派、というより集会を例外として何処に行こうと男性の方が多い。大半の女性はまだ現実でハードをデコレーションしているのかね。ステージモニターには沢城さわじょう絵野えの等とメンバー名が表示され、彼らしきボーカルがこちらに首を傾け合図する。

「実は俺、現実ではバンドやっていたんだよ」隣の宇美之が不意に過去を語り始めた。

「それなのに何故小説家集会へ?」

「夢を追いかけている内に夢が何なんだか分からなくなったんだ。活動休止して二年間ニート状態で、このままでは不味いと思ってターミナルを買ってみた。適当にうろついていたらあの集会所を見つけて、面白そうだなと思った」彼の生い立ちには多大な共感を呼んだが、案外他の人達も清廉に映りながら現実逃避の気が強いのかもしれない。

「……それと俺、玉ちゃん先輩のことが好きなんです」そうかと思えば、ほら出た。どいつもこいつも恋愛感情を捨て切れない。多分睡府は君のことなんてハンバーガーに挟まるピクルス程度にしか思っていないぞ。私は結構好きだけど。そう言えば各自が何故仮想世界にやって来たのかは聞いていないので、手始めとしては最も相応しくない恰好の人物に尋ねる。

「ガガガガガ…………ルスモリハ、ロボット開発部署ニ居タケド、飽キチャッテコッチニ来タ、はい」騒音でライブをアレンジする彼女からは人間臭さを少し拾えた。

「現実でもその重装備で?」

「コレハ仮ノ姿。肉体ハ只今実験室デ実験中」何気なく言うが在仮中は現実の身体は動けないはずではないのか。どのようしてそれが分かるのか気になるが、答えを知れば世界の禁忌に触れそうなので止めておこう。

 続いては筒井だが、プライベートな質問は許されるか否か迷う内に曲が終わってしまい、話し掛けるタイミングを逃した。その後は筒井の紹介するバンドが登場し、いまいち盛り上がりに欠ける私達はフェスを後にした。

 藤重と筒井から遠退くこと四百跳び、続いてはノースイーストのサウス寄りの地点に着き、何だろうと推測する前に茶堂君が「このスポセン、楽達とよく行くんです」目的を明かした。留守森は仲間外れを厭うようには見えない。

「スポーツというよりゲームだな」宇美之が経験を振り翳す。

「昨日アップデートされたばかりで、新作が五十種も追加されたらしいんス!」眼を輝かせる麻倉君が言うように、仮想世界ともなれば設営は腕力を用いず三秒で済み、客はゲーム性の生まれた高度なスポーツを楽しむことが出来る訳だ。現実ではドッジボールで二度骨折したことのある運動音痴の私は、自在に挙動出来るこの世界にてメダルを獲れるだろうか。

「男子達は専ら運動して遊ぶの?」派手なトレーニングマシンのような機械が並ぶのを有意義なのかと一瞥しながら、吐息等の耳に入る情報と私達の構成比からしてもまたも男性比率の高さを感じた。私は特に嫌悪しないけれど他の女子は足が進まないのか。

「施設のゲームか手持ちのゲームか、カラオケか……時期によってプールとかキャンプとかスケートとか」娯楽のネタが現実未満であることは無さそうだ。ふと、大人の夜の店はこの世界にも存在するのだろかと思った。サウスウェスト辺りにありそうだけど、行ったところで何で快楽を得るのかね、阿呆臭い。

「俺、実は筒井菫と付き合っているんスよ」ボウリング場とある一角に入る瞬間、麻倉君から既聴感と同時に衝撃のある発言が出た。今までそれを示唆する描写は無かったはずだ。他の四人は既知だったようで驚く素振りを見せない。

「麻倉君も恋人といちゃこらする為に小説家集会へ?」

「違うわ。俺と筒井は映画好き集会にも入っていて、二つを行き来する内に仲良くなったんス」兼部する程人付き合いに余力のある若さに感心しながら、私の知らない所で相当な愛の波動が渦巻いているらしい。私しか知らない感情だってあるけど。あの筒井が愛を叫ぶ姿は想像し難いが、彼女の抜けた態度は私専用のものではなかった。

 入場料と引き換えに得たチケットの番号へ向かえば、上下左右にピンとレーンと進行を妨害するモンスターが設けられたボウリング、と呼ぶべきか不明な造りとなっていた。結果は全員ガーターを連発する中、留守森は殆ど毎回十本を見事倒し己の正しさを押し付けた。

「ガガガガガ…………ルスモリハ強イ、よ?」

「ちぇっ。つまんねーのっ」口を尖らせる麻倉君と「まぁまぁ」と宥める茶堂君を鑑賞した後、他にも五、六つ程ゲームをプレイした頃には時間となる。ゲームに興味の薄い私でも意外と楽しめるものだった。以上のように色々とワールドを見てきたが、批判をするなら想像力の及ぶ作品ばかりで驚きは寧ろ人間の心の中にあった。

 十七時過ぎ、集会所の前にはズラリと人が並んでいて私が内部に居て良いのかと悩んだ。レジ奥のイベントスペースは花やポスターで装飾されており、舞台側には藤重の世界を表すセットが、客席後方には恐らく録画用のカメラが構える。舞台裏を覗いてみると撮影用のカメラが余分に用意されており周到だなと思った。最終リハーサルを経て皆の顔がどうなったか窺えば、案内兼防犯役の留守森は変わりなく、グッズを用意する茶堂君と宇美之は比較的落ち着いており、筒井と麻倉君はカップル同士少し緊張の色が映る。他は移動や広報で忙しい様子で、直前の心境をインタビューするのは抵抗があった。騒がしい観客の入場が始まり、私は役目を兼ねて全体を最大限見渡せる後方カメラ前に座っていると、「やっほー」いつもの表情の犬湖が手を振ってきた。

「犬湖さんも来たんですね」

「壱九のイベントは毎度来るよ。いつも面白いから」

「よぉ経夜佳。あ、お前はここで見学ってか」後ろに居た不鸞が犬湖の肩に腕を回して挨拶する。何だろう、不鸞がやることには全く青筋が立たない。

 二人と合流し隣席に座ったところで、ブザーの音と共に会場が照明が消えた。百五十人は入れる席が満杯で、私が主役だったら三回嘔吐しただろう劇の幕が開く。「始まるね」犬湖が小さく言うのを聞いて胸が疼いた。

 脚本兼主役の藤重が沈黙を破り、友人Aの睡府玉との掛け合いが観客を惹きつける中、私はどうしても聞きたいことがあった。

「一つ、質問しても良いですか?」彼女は「何?」と首を傾げる。

「犬湖さんは何故この世界に来たんですか?」前回拒まれた回答をもう一度求める。

「…………黙っていても仕方ないか。実はわたしと壱九は同じ芸術系の大学に居て同じ学科だったんだ。壱九の方からわたしの作品が好きと話し掛けてくれて、わたしも以前から彼女の作風が好きだったから意気投合して、一緒に遊ぶようになった。だけど卒業手前、二人とも作品を評価されず就職も当てが無くてメンタルが沈んでいた。そんな七年前、画期的な仮想デバイスが登場して『一緒に初めてみない?』と彼女から誘ってくれた。その時はわたしも君みたいに頓珍漢で何が良いのか分からなかったけど、皆と関わる内に人間の温かさ、面白さに気付いたんだ。だから君と話せているのは壱九のお蔭」

「……成程」さりげなく犬湖の年齢が予想を高跳びしたが、この際どうでもいい。二人の関係がそんなに特別で現実から地続きだったとは。

「もしかすると不鸞さんも同級生で?」

「いや絵裏さんはここに来てからだね」覗いた本人は鼾をかいて寝ていて、藤重が怒りのテレパシーを送っているように思えた。会話を終えて犬湖を横目に観劇する。犬湖の目は少女を科学へ導く塗枝の役へ向いていた。茶堂君の気持ちがよく分かる。彼女が主体だからこそ困るのだ。

 結局犬湖は私に寄り掛かってこなかった。

 劇が終わり、どうでもいいアフタートークと犬湖と初めて映った貴重な記念撮影、次回イベントは持寄り朗読会という告知を経て観客が去っていく。不鸞は「驢馬島が極悪商人だった所まで覚えている」欠伸交じりに言い、実際には入江の役だけどそれで構わない気がした。「警備お疲れ様」塗枝が留守森をタオルで拭いており「ガガガガ……ジュウクチャン、ドウモ」親しい関係を表す。睡府は「ガキんちょ、照明のタイミングってもんはな~」裏方の茶堂君にクレームと称して弄り倒す。

「静香ちゃんは観ていてどうだった?」拭き途中の塗枝が確かめる。

「……まぁ良かったんじゃないですか」感情に最大の譲歩をした報告に留めておくが、彼女はそれなら良かった、と安心してそれ以上追求しなかった。

 これからどうしようと視界が暗んだ時、一人の女が私達の前に立った。

「はいどうもー!スタジオエックスでーす!」勢いの良い彼女はパネルを見ると「富良ふら熊視くまみ」とあり、塗枝その他は「来たね」と言った調子で慣れた場面のよう。イベントレポート目的のメディア関係者だろうか。

「いやぁどうも塗枝壱九さん。今回もメタ小説家集会の皆さんに楽しいゲームイベントのお知らせを持ってきましたよ!」

「ゲームイベント?」演劇は無関係なのか。

「はい!2210にあるスノウダイアモンドスタジアムという会場で一週間後に催され、その日の為に開発したゲームを仮想住人の人々に遊んでもらおうという企画です!詳しくは当日説明致しますが、ゲーム内容の書かれたチラシだけは渡しておきますね。今日は参加者募集の為に参りました。色んなジャンルの集会から呼ぼうということで、他集会のプレイヤーは決まったのですが、メタ小説家集会からも六人程来てくれませんか!?」仮想タブレットから表示される場所はスポーンした地点の近接地で、見覚えのある光景だ。

「因みに期間は最長七日間なのでスケジュールに余裕は持ってね!」それはスタジアムの中に一週間隔離される可能性があるということか。不安を確かめる為にチラシの項目を追っていった。

 そこで瞬時に私の脳に一つのアイデアが浮かんだ。けれどこれは信頼出来る協力者を見つけなければならず適当な者は誰かと頭を捻れば、茶堂君が居た。

「ルッスンはチートだからナシとして~」睡府に指された留守森はガガガギュと首を曲げる。経験済みだからか挙がる手の少ない状況を好機と捉えた。

「私は絶対に行きたいです!」

「俺も行きたいっス!」活発な麻倉君が私に続き、これはセットでお得にすべきだろうと考えた。

「茶堂君も行きたいそうです」塗枝に代弁すると「えぇ……?」少年は困った目元を寄越してくれ、「大丈夫、良いようになるから」小声で説得してみれば「はぁ……」と消極的な肯定を得ることが出来た。

「三人は決まりましたね!」残りの内驢馬島、筒井、宇美之は当日用事があるというので「暇だからあたしが行ってやろっかな~」「じゃああたしが」睡府と藤重の参加が決まり、あと一人の挙手を待った。

「あ、わたしが参加するのは駄目ですか?」名乗り出たのは入江ではなく非メンバーの犬湖だ。意表を突かれた富良は「こちらの集会に関わりのある方ならどなたでも歓迎します!」とノルマ達成に喜ぶ。何だ、誰でも良かったのかよ。だけど成程、この展開は想定外だが寧ろ都合が良いかもしれない。犬湖と一緒なら一週間だろうと一ヶ月だろうと苦ではない。

「有難うございます!では来週ダイスタでお待ちしておりますー!」嵐のような速度で帰っていく富良のアホ毛を背に、私もそろそろ出ようと思った。

 犬湖が「じゃぁまた」と七日後の出会いを予約したら、今日も不鸞の後ろを尾行する。

「今日は何だ?」ギロリとこちらを振り返る彼女以外には誰も居ない。

「実は、頼み事があるんですけど」企画とアクセスの可不可について思い浮かんだ内容を話すと、不鸞は懐疑的な表情を見せた後に「出来るけど……お前、面白いな」ニヤリと笑う。彼女になら話しても良い気がしていたが、絆に疎い一匹狼は思ったより簡単に牙を剥いた。彼女に頼んだのは一定の理由があるが、一番重要なのは交友の広さだった。

「オレの隠し事も教えてやろう」すると不鸞は無理な願いを引き受けるだけでなく親交の姿勢まで取る。

「実はオレ、Qwi_0etbnの境界を壊したいんだ。だから最近引っ越した訳だけど」

「何故ですか?」と訊くのは野暮だろうけど踏み込んだ。

「単純に隣町に遊びに行きたいから。このワールドも広いと言えば広いけど、生きる世界に限界があるなんてつまらないだろ?」

「警察から注意されないんですか?」

「古参だからか建築士として甘く見られているのか、警告が来たことは無い」動機や状況は兎も角、私の一助となる情報をくれる有能ぶりを評価したい。

「サウスウェストのここ、良い物売っているから行ってこい」序でに尋ねたお買い得商品の売り場をマップにターゲットし私達はテレポートを始めた。サウスの途中で「当日寝坊しないでくださいよ」片手で頭を掻く彼女に念押しして、ショップへ寄り道し夜の自宅に帰る。

 気分転換にワールド改変でもしようと思い、先程購入した動画プレイヤーや仮想調理器具、仮想電化製品、ファッションアイテムの数々をパネルから選択し配置する。いつか小説家集会の書籍も買って飾ろう、と積極的に思う訳ではないがメンバーの株は上がるか。動画プレイヤーは仮想世界でも配信している人が多いようで情報収集と娯楽の為に飾った。試しに起動させてみたが映像の画質は問題無い。

 レベル四としていたアクセス制限はそのままで良いか。レベル一に変えて万が一殺人鬼が突撃訪問しようとテレポートすれば済む話だ。いやしかし目線を読まれたら瞬間的に刺殺され、血塗れで地をテレポートし続ける未来もあり得なくはない。

 だけど犬湖さんはいつか来て欲しい。部屋の中でゆっくり仮想茶を飲みながら映画を見たい。結局私は犬湖が何処に住んでいるか知らない。犬湖さんは今何処で寝ているのですか。あなたの夢に私の入る余地はありますか。この世界で初めて愛をくれた人を未だ諦め切れない。

「私のワールドはこんなもんかな」

 誰も来ないワールドでただその時を待つ。


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