第2話

 再接続すると前回から空の明かりだけが変わった様子が窓から伝わった。一応ベッドに伏せていたが疲れの解消は現実で済んでおり、寝返りを打ったような不正は見当たらない整然とした部屋のままだ。

 私の個人ワールドには机、椅子、絨毯、寝具、扉、カーテン、小窓と言った最低限の設備と十八畳程のそれなりの広さがデフォルトとして整えられており、このマンションの部屋のいずれも同様だと思われる。別の地区ならもっと絢爛なもてなしを受けられただろうか。とは言え自由に構築出来るという話だったので、例えばこの四角窓を巨大化されることは可能かと近付いてみれば『このオブジェクトを編集しますか?』のウィンドウが手前に表示された。『はい』を押すと『トランスフォーム』『スカルプト』『テクスチャア』『シェーダー』『アニメーション』の項目一覧が生まれ、各々弄ってみるとその名の通りの加工を果たせることが分かった。経験則から棘だらけとなった窓を長押ししてみると『このオブジェクトを削除しますか?』と現れたので、その前に今あるこの家具共を弄り倒してやろうと思い、朝から日曜大工気分に汗を流した。この世界でも汗は流れた。こうした営みこそ人間が生きることの本質とさえ呼べそうだよね。

 林檎色に統一して禍々しくなった辺りで、そう言えばこれをどう記録用に媒体化するか、つまりスクリーンショットは撮れるのかとパネルを開けば、マップの下側にカメラマークが座っていた。「ポチっとな」押すと小さいシャッター音と共に画像が私の右手に吸い込まれていった。右手を宙に掲げてようと何しようと変化は起こらないので、マップに戻ればしっかりアルバムが用意されていた。選択するとさっきの見目悪い写真が出現して一安心だった。

 空間自体を拡張することは出来ないのかと試行錯誤した結果、壁もオブジェクト同様数秒タップすることで編集可能と分かった。奥行きを倍にした段階でこれ以上は資材が増えてからアレンジするとしようと定め、部屋作りに出る前に犬湖にメッセージを飛ばした。フレンドリストに灯されるログイン記号は今後共健在だろうと思った。

「やぁ、どうもお待たせ」

 軒先でマップを広げながら待っていると、犬湖が約束通り十メートル先から汗を拭うように歩いてきた。テレポートは体力不要だけどこうした文化は残っているのか。

「残り半分の世界を解説お願いします」出会ったばかりの人間に縋り切る図々しさは恐れるが、自分の眼だけでは掴めない世界があるだろう。方向音痴は下手せずとも迷子になる危険がある。

「じゃあこっち。ノースイーストから回ろう」

 指示した方向へテレポートを続けていく内に人影と活気が視界を埋めてきた。立ち止まるとサウスウェストに引けを取らない商店群、しかし雰囲気は一転してダークの中にプツンと光るライトやパーティクルが、蛍のアイデンティティを侵害するように飛び散る。私は実家が長野にあり子供の頃にはよく包まれた景観だなと懐かしむ。

「ノースイーストには広くゲーム製品を扱う店が並んでいる。創る側、プレイする側双方必見のエリア」ぼんやり照らされた店先を覗けば武器や装飾、冊子状に纏まった情報が売られている。店主とやり取りする焦茶髪の幼い少年が艶めかしく映る。

「午前中なのにやや暗いですね。夏祭りの出店を思い起す郷愁と現代が重なって良いですが」

「ここは日中の明度を落としているから。わたしもここが一番好きかな」

「気が合いますね」多少輪郭が曖昧になった彼女の頬が弛緩する。

「ワールド、アバター制作にはサウスウェストの素材もノースイーストの素材も問題無く利用されるけど、こちらの方がより可変的、適合的に設定出来る分、組み込みの難易度や規約の複雑さはビギナー目線からはハードルがある。とは言え結局のところ製品次第だから、見回ってお気に入りを探して作者と仲良くなって知識を深めるのが手っ取り早い」私の会話力を過大評価するようだけど、コネクションの力を無視して生きるのは無謀か。

「ではもう少しサウス側へ」

 街の概観を掴んだ所でまた飛び跳ねる。そういや浮遊すれば手早くワールドを一望出来るなと省みるが、まずは地上目線を味わいたいし降下が億劫そうだから後回しとした。

「ここらはゲーム関係のより巨大な施設な建つエリア。FPS、格闘、アドベンチャー、RPG、ローグライク、レース、建築、リズム、パズル等々のプレイ空間がスタジアム毎に大まかに分かれている」

 着くと、周りには中心部より隆々とゲームスタジアムやらが犇めいており、「これだよ、これが仮想世界だよ」と言ってあげたくなるカラフルな街造りを主張する。目の前には私の部屋の現状に負けじと壁を染めるドームが君臨し、戸建て並みに広い入り口の奥にはだらしなく寝そべるおじさんが居た。

「今から一人でも自由に入って遊べますか?」

「過半数は対人戦で指定の人数が揃うまでプレイ出来ないけど、それ以外なら十分可能。凡そ会場規模に比例してプレイ人数が決められているわ。スタジアムにはそれぞれ管理人が居るからプレイ時は彼らに申し込むこと」

「小型店に接近した次第、試してみたいです。個人ワールドをゲーム化することは出来ないんですか?」

「いや出来るし、自作ゲームで人気を博している人は一部存在する。だけどこの場の方が設備、知名度、交通の便と条件が優れているしジャンルも大方揃っているから態々自作する必要はあまり無い。ゲーム創作者用のクリエイティブスタジアムだってあるし」うーん、しかし一桝の穴さえ無い完全無欠の表現空間と決めつけて大丈夫かね。私なら夢の中を彷徨うゲームなり何なりを制作するだろうが、そうした内容は発表されていますかと問いたい。どうせ無い、あるいはあったとしても風に煽られて消える程度だろうな。

「これ以上の細かい話はゲーム毎に説明されるから、そこで確認するように。次はサウスイーストね」

 言うと見物はテレポート間のコンマ数秒に留まることとなった。ゲームプレイも後日へ先伸ばすけど、今はゆっくり知識を深めようか。


「ここがサウスイーストの中心部。建築を始めとした比較的巨大な資材をメインに取り扱うエリア」

 ゲロの酸味に震えながら、鉄骨が縦横無尽に交差する現代美術館のような工場地帯と、洒落気を演出する町工場紛いの大小コントラストが窺えた。ノースウェスト側から時計回りにモダン、サイバー、ポストモダン、サブカルと、四者四様の全体像を概ね把握した。つまり独創的な構造物は発見されなかった。早く創ろうと脳味噌は先走るのだけどね。

「まだ個人ワールドは弄っていないよね?面白そうな物があれば買ったら?」犬湖は建物の中に配置された店々を指して言う。

「手遊びで色々試しはしたんですけど」今朝の写真を見せてみると彼女は「誰かさんのインスタレーションみたいだ」という感想をくれ、確かに二番煎じの煎じ茶は飲むしかなかった。口座の数値を減らすのは納得してからと、犬湖と施設沿いを徒歩やテレポートで通る。

「購入はその場のボタンポチリで完了ですか?口座登録は済ませてありますけど」

「そう。決済情報は住民情報欄にあるから逐一チェックすると良いよ。他人からはモザイク掛かって見えない仕様だから安心して。誤って購入ボタンを押した所で二十四時間以内なら取り消し可能、販売主の顔には不満が宿るだろうけど」創造物を売って創造物を買う世界は人類の至るべき境地であるように感じた。

 その後サウス方向へテレポートを続けていると、「あ」追っていた背中がふと静止した。

絵裏えりさんじゃないですか。最近見ないと思ったらここに居たんですか」

 語り掛ける相手は丸めた背中と屈めた脚を伸ばして私を捉える。古びた家屋を背後に、鼠色で腿まで降りる髪をバサバサ散らかし、青白い肌と紅い瞳孔を向ける様には一歩たじろいで一歩戻した。

「……お、能良ちゃんと、ソイツは新人?」頭皮を掻き毟り、よく見れば肩に一株切り倒せそうな斧を乗せて反応する。この人が銃刀法等に違反しないのは何かの特権か警察の自堕落気質か。

「はい、経夜佳静香、静香と呼んでください」

「経夜佳ね。オレの名前は……プロフィール見れば分かるよな」言いながら送られたフレンド申請の通知には「不鸞ふらん絵裏えり」の名があった。何てお優しい、というよりこれが常識的態度に値し、私の方に無礼があったのかもしれない。

「帰りはあっちの方向に六百回くらいテレポートすれば良いだけで、折角だからこの一帯のことは不鸞さんに聞いてみたらどうかね。不鸞さん時間あるよね?」

「あぁ、まぁ良いけど」保護者間で事が進むのを拒む立場にない私は、身体をくねらせて時を待つ。

「じゃあわたしはこの辺で失礼するよ。二人共仲良くしなさいな」犬湖は手を振って、拳銃型に関節を折り曲げる。

「あ、どうも、今日も有難うございました!」思わぬ別れは後生の別れとなり得ると妄想し、次に会う時はどう理由付けすれば良いだろうと今から頭が六方向に回る。同時にこの気軽さ、無駄なプロセスを踏まない点も仮想世界の良さだと気付いた。

「………………………………」残された二人の無言が続く。去っていった彼女の有難味を三秒経たずに感じた。

「……不鸞さんは何されている方ですか?」彼女はパネルを弄るまま、黙っている限り話が進展しないようなのでこちらから仕掛ける。

「仮想建築士。と言ってもオレの場合小物からシステム的な構築まで手広くやっている」手を止めて私の存在感を取り戻す。オレとは言うが声色には女性性が垣間見え、ありがちで余計な傲慢さは窺えない。

「在仮歴はどのくらいで?」

「……あー、六、七年、だよな。能良ちゃんと同期だし。そんなこと知りたいのか?」

「あ、いえ、全然知りたくないです。いやいや、そんなこともないです」不鸞の機嫌だけは狂わせないように返答を故障させる。今の所フレンドも街往く人も熟れた様子の古株ばかりで、劣等感しか獲得していない。今から新人を発掘して囲みに行きたいけど、その新人も私よりビッグに成長して勧善懲悪が果たされるのだろうよ。

「で、ワールドのことだろ。何か気になることある?」誘導されて思い出したのが、ここはノース64、ワールドの境界付近であり実験の余地があること。

「Qwi_0etbnの境界はどの辺りですか?」

「あ、これ」そう言って彼女が横に凭れ掛かると、エメラルド発色と『越境不可』の印が分かり易い事実を教えた。身近な存在に私も寄り掛かると、ベッドと然して変わらない感触がそこにあった。そして目をどれだけ凝らそうと景色の変化は起こらない。

「正に端の端に住んでいらしたんですね」学生時代窓側の席を好んでいた私には共感を呼ぶ事態だ。

「不鸞さんも商品を販売したりしていますよね?」

「そう、これとか」パネルから別途生えた広めの画面には、『商品情報』と冠して数百もの項目がズラリとリスト化されている。確かにアクセサリーの類やら木材の類やらと幅の広さは窺えた。

「出店する必要は特別無いんだよ。皆お祭り感覚に酔いしれたいだけ」移動販売が可能であると。この場面で購入しなければ今後の関係に罅が入ってしまうだろうかと、スクロールしてみると装飾に役立ちそうな物が無いという訳ではなかった。

「買うお客さんはどれくらい居ます?」禁断だったかもしれない質問が安易に滑り落ちた。

「数量にして一日最低三十点は売れるかな」という暴露に「嘘でしょう!?」と本音を漏らしはしなかったけれど、このクオリティで稼げるとは驚いた。古参として長年費やし培った数字なのだろうか。勘違いされないように補足すると、私は自分以外を基本的に見下しているので、不鸞が特別劣っている訳ではない。

「ざっとこんな感じだ。経夜佳はもう個人ワールド造ったか?」営業の一環か、ページを閉じて私に興味を見出す彼女。

「まだデフォルトに棘が生えた程度ですね。サウスイーストかサウスウェストで色々漁ってみようと思います」同様に写真を見せると、「……」と特に反応が無いのは感動とは対極にある感情を示していると察した。

「……制作手伝ってやろうか?」意識を戻した彼女は同情するような顔で提案する。

「お願いするかもしれないです。それと訊いておきたいのが」ここで、犬湖に訊き損ねていた内容が思い浮かんだ。

「この世界で文芸活動されている方は居ます?」ビジュアルに溢れ尽くした演出で、頭に抜けていた文章が帰ってくる。

「そりゃ居るに決まっているだろ」不鸞は律儀に身に着けた腕時計を確認して、今日も活動しているはずと呟き、私の眼を捉える。

「連れて行ってやろうか」


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