第79話『やることは決まっているのでしょう?』
額に響く衝撃と痛みは、全身の傷とは違う類のものだった。鼻筋を伝って顎に垂れる血はすぐに止まる。しかし、そこに残った熱は消えることがなかった。
「ブレ……イダ……?」
「リュール様が、私を、黒くしてどうするのですか!」
目前の少女は朱色の瞳に涙を浮かべ、震える拳を握ってこちらを睨んでいる。その名を呼んだのにも関わらず、剣に姿を変えることはなかった。
魔剣は自ら戦う意志を持った際に、人から剣の姿となる。その合図として名を呼ぶが、それはあくまでも言葉に過ぎない。いつかレピアから聞いた話だ。
つまり、今のブレイダはリュールの手によって戦うつもりがないということだ。その理由は彼女の一言が全て説明していた。
「あ、ああ……」
「はい、立ってください!」
差し出された細く滑らかな指を、傷にまみれた太い指が握る。剣のものとは到底思えないほど、温かく柔らかかった。リュールの身体に刻まれた大小様々な傷が、瞬時に癒えていくのを感じた。
「リュール様の思い出は、言葉ひとつで消えてなくなるものですか?」
「あ、ええと……」
「消えません。あの人のことを知らない私でさえ知っているのです。嫉妬するくらいです、もう」
「そうだな」
「わかって頂けたのなら、いいのです」
「ああ」
自分の剣に叱られてしまった。自嘲気味に笑うリュールの掌を、ブレイダは強く握る。そして、主人の巨体をいとも容易く引き上げた。
リュールは彼女の銀色に輝く髪に、目を奪われた。それはまさしく、長年連れ添った相棒が変化した少女だった。
「やることは決まっているのでしょう?」
「そうだな」
立ち上がるまでの間にも、周囲では激しい戦いがふたつ繰り広げられていた。気持ちを落ち着かせたリュールは、瞬時に状況を把握した。
ひとつはレミルナとトモルだ。正確無比な槍撃を白と黒の剣で受け流している。魔人同士の戦いは熾烈を極めていたが、レミルナの方が優勢に見える。
二振りの魔剣から力を得た魔人は、強かった。白と黒という、方向の違う感情を受け止めるのは、恋と戦いを並列に進める彼女ならではの芸当だろう。
問題はもうひとつ。
マリムはルヴィエにかなり押されていた。黒紫の剣を何とか受け流しているものの、防戦一方だだった。
レピアの力を借り受けた剣とはいえ、マリム自身はただの人間だ。それが一時的にでも魔人を抑えている。リュールは彼の強さに驚嘆する。
「さぁ、行きましょう」
「ああ、ブレイダ」
『はいっ!』
美しい少女は、リュールの呼び声に応えた。緋色の鞘に、使い込まれた柄には朱色の飾り石。
魔人リュール・ジガンは、魔剣ブレイダを鞘から取り出した。白銀の刃が木漏れ日を受けて煌めいた。
『スカしがそろそろ限界です』
「ああ」
ブレイダの進言と同時に、リュールは前方へと跳躍した。
「そろそろ名前で呼んでやれよ」
『いえ、あいつの名を呼んでいいのはレミィだけですから』
「なるほど、な!」
短い会話を交わし終わった時、リュールは刃をぶつけ合う二人の男に割り込んだ。黒紫の剣をブレイダでしっかりと受け止める。
「待たせた。マリム」
「遅いって、リュール」
リュールの姿を認めたマリムは、その場に座り込んだ。限界が近いというよりは、限界を超えていたようだった。
剣と剣の向こう、親友の顔が見える。その表情は、笑っているのか怒っているのか、複雑であり破綻した感情を物語っていた。
「リュール!」
「よう、親友」
「お前はぁ! なんだよ!」
「リュール・ジガン、お前の友達だよ」
ルヴィエは受け止められた剣へと、更に力を込める。リュールは負けじと全力でブレイダを支えた。魔人同士の力はほぼ同じ。両者の剣は微動だにしなかった。
『死ねぇぇ!』
ルヴィエの剣から怨念のような意思が伝わってくる。白銀の剣とその主人は、最早そんなことでは動じなかった。
『ねえ、私に似た剣。あなたのお名前は?』
リュールの剣は囁くように、優しく問いかけた。
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