第42話 紛れ込んでいたもの
「はぁー……」
施設側が定めた一時間ごとの休憩でプールサイドに上がり、ベンチに腰を下ろすと、横から水筒が差し出された。
「はい、飲み物。水の中でも脱水症状なることあるんだって、すっごく泳いだね」
「良い練習になった」
「前も思ったけど、匠海君ってそんな体育会系だっけ?」
まったくもってそんなことはない。気まずさを誤魔化すように五十メートルプールをひたすら往復していただけだ。
ザバンと水飛沫が上がった。水の上を歩くように現れたのはプールの女神様でなく、全力で泳いでいる俺の後ろをさながら海流に乗る魚のようについてきた魔神王アリサだ。
スイーっと流れるように、息継ぎもせず移動していた。
「すごいねアリサちゃん、肺活量」
きょとんとアリサは首を傾げる。アリサなら水中で呼吸していても驚かない。なんなら呼吸が必要無い状態とか魔術で作れたりするのだろうか。
「私も泳げるようになりたいなぁ」
「前より泳げてたじゃないか」
前は泳いでいるというより溺れているって感じだったけど、今日は前に進んではいた、すぐに溺れ始めるけど、溺れながらも泳げていた。
「んー、真似事だよ。なんか高校生になって色々考えられるようになってさ、何だろう、漠然と覚えていた泳ぎ方のフォーム? その意味が考察してさ、でもそれがちゃんとできるのとできないとのでは話が別だよねって」
そう言って沙良は苦笑いする。頭ではわかっていても、って奴か。
「沙良はさ、身体に力が入り過ぎなんだよ。やり方がわかっていて、それをやろう、やろうって気合い入り過ぎてるんだ。だから動きが硬くなる。頭でこうしろあーしろって身体に命令して、それをやろうやろうと必死になって、身体が硬くなる。だから沈む」
急がば回れ、とは少し違うかもしれない。
「程よく頑張る、って奴なのかな」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、みたいな?」
「あぁ、それかも」
きっとそれだ。
「もっと気楽にのびーって水に流されてみなよ。自分ならできるって信じてさ」
「うん……そうだね、自分を信じきれないから、変に力入るんだよね」
力を入れ過ぎない。程よく。そう、程よくだ。
手を前に伸ばす。心が澄んでいた。魔力の流れがわかる。感じられる。
「って、プールで何してんだ俺」
「あはは、そうだね。泳ぎの練習じゃなくて遊ばなきゃ」
見れば沙良も同じように手を前に出していた。俺が泳ぎ方のレクチャーしていると思ったようで。どこか恥ずかし気にはにかむように笑っていた。
「タクミっ」
「えっ」
その時だった。アリサが珍しく切羽詰まったような声を上げたのは。それと同時だ。
甲高い金属音のような。けれどそれは間違いなく咆哮だった。威嚇ではない、警告だ。
今この場から疾く逃げよと、さもなくば命は無いと。
「なんの音?」
顔をしかめて耳を抑える沙良。異変はすぐに起きた。
警告では無かった。宣告だった。
「沙良……?」
「落ち着いて、タクミ」
プールにいた人達が次々に倒れていく。糸が切れた人形のように。ぱたりぱたりと。
「死んだわけではない。気絶しただけ」
「どうして」
「咆哮と共に魔力で圧をかけてきた。魔力抵抗が押し負ければ魔力の波に意識を刈り取られる」
この世界の人間は魔力を扱えない。ということは咆哮一つで……。って。
「何が来たんだよ、今度は」
「ドラゴン」
「え……?」
「恐らく、ティナと一緒に来たんだ。気づけなかった……」
「待て、ドラゴンって」
「難しい相手なのは間違いないけれど、倒せない相手ではない。急ごう」
「あ、おう……」
魔術陣が現れ、魔神王としての姿になったアリサはこちらに手を向ける。
「ん?」
「握って」
「おう」
ん? 何か、魔術が施された?
「飛行魔術を付与した。魔術師に付与した魔術は長くはもたない。一時間。気をつけて。着替えたらアリサを探して。アリサはドラゴンのところに行く」
「え、いや、ドラゴンって確か……一緒に」
「急がないとダメ」
そう言ったアリサはすぐに飛び上がる。すぐにその背中は小さいものになる。真っ直ぐ上に。迷いなく進んで行く。
「……ドラゴンは」
魔術が効かない。ティナさんは相手にしてはいけない生き物の中でも頂点に位置すると言っていた。どうやって倒すって言うんだ。
アリサの剣は竜王の牙が使われていると言っていた。だから倒せない相手ではないというのは嘘ではないだろう。けれど。
アリサのあの切羽詰まった様子。明らかな焦り。ドラゴンはドラゴンでも、只者じゃない、そんな直感。
なぜ俺にわざわざ着替えるように言ったのか。そのことに違和感と共に、一つの仮説に至ったのは付与された飛行魔術を起動した瞬間だった。
「アリサ!」
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