第36話 隔絶結界
まず第一に、ティナさんをどうするかを考えなければいけない。
この家にいてもらうにも、どう説明するんだと。沙良に。マジで。何といえば良いんだと。
魔力封印の印を刻まれたままのティナさんはと言えば。
「へぇ、美味しい」
と、俺が淹れたコーヒーを美味しそうに飲んでいる。
「良い世界ね。平和。戦いの匂いが全然しない」
なんて、外を見ながらつぶやく。
戦いに匂い、か。
焦げたような匂い、鉄臭い匂い。肉が焼ける匂い。砂塵に交じって漂うそれら。まだ鼻に残っている気がする。
「ここが、タクミ君が本来いた世界か」
「ん。平和。毎日のように憎しみ合って殺し合う世界じゃない」
「そっか。流石魔神王ね。ヒト族語を当然のように使いこなして」
「ん。当然」
自分の分とアリサの甘くした分を持ってテーブルに着く。
「どうしますか、ティナさん。この家にいてもらうとしても、まず、俺の幼馴染になんて説明するかとか」
「幼馴染、よく家に来るの?」
「毎日」
「女の子?」
「えぇ」
「はっはーん。彼女か」
「ち、ちがっ」
「あはっ、その様子だと本当に違うみたいだね。んー、なっつかしいなぁ。あたしがどんだけ迫ってもなびかなかったもんね」
「いや、だって、ティナさん。貴族と結婚が嫌とかで……無理矢理結婚させられるくらいなら、気が合う人とさっさと結婚した方が周りも黙るでしょとかとか、そんな適当な理由で」
「そうだったねぇ」
「こほん。と、とにかく。まず、俺たちが今使ってる言語はこの世界では通じません。なのでこっちの世界の言葉を覚えてもらう必要があります」
「うんうん。それは任せて」
「続いて帰る手段ですが、それは今アリサが研究しています。なのでティナさんは」
「うん。その研究参加する。敵だ味方だ、そんなことを言っている暇じゃないの、わかった」
そう言ってティナさんは頭を抑えた。
「別の世界、か。運が良いね、あたし。飛ばされて尚、帰られる可能性がちゃんと残っているなんてね」
自嘲気に笑うその顔が気になった。
けれど今はそれ以上に、ティナさんのこの世界での過ごし方を考えなければいけない。
「とりあえず。一旦はこの家にいましょう」
アリサは世界ごと改変されて、この世界にいた存在ということになっていた。ティナさんもそうなっている可能性がある。うん、今は下手に動いた方が逆効果な気がしてきた。
この世界の異物だったら、改めて考えよう。
結論から述べると、ティナさんはこの世界の存在として世界に登録? されたわけでは無かった。世界は書き換わっていなかった。
夕飯を一緒に食べた沙良はティナさんの話を振ってこなかった。夕飯も俺とアリサと沙良で三人分。俺がティナさんが来ることを沙良に話したように世界が改変されていれば、沙良が忘れるわけ無いのだ。
「転校生が来るって噂聞いたけど、なんか知らないか?」
「んー。私は聞いてないし、まだ夏休み始まったばかりだから、正式に話を聞くとしてもこれからじゃない? どこで聞いたの?」
「……どこからだったかな。俺の勘違いかもしれない」
「そう? まぁ案外本当に来るかもしれないしね」
とのことで。少なくとも俺の周囲でティナさんが来ることにはなっていない。
沙良と、明日水着を買いに行く約束を改めてして見送って。
「同じ世界間転移でもアリサとティナさんでは差異が多いな」
「ん。……気になることがある。少し」
「お?」
「ただ、確証を得るには色々検証が必要」
ティナさんの部屋。アリサの隣の物置を片付けて場所だけ開けた形の部屋。そこに夕飯のオムライスを運びながら、アリサと現状の認識をすり合わせる。
「検証は必要だけど、あまりうかうかしていられないかもしれない」
「どういうことだ?」
「……確かめてから話す。余計な混乱は避けたい」
「おう……まぁ、わかった」
一国の王を務めたアリサだ。臣下が混乱したり暴走しないように、話すべき情報の取捨選択に関しては間違いないだろう。募る不安が確かめたいと囁いてくるが、言葉を飲み込む。
扉を叩く。すぐに。
「どうぞ~」
と聞こえたので開けると、ティナさんは窓の外の景色をぼーっと眺めていたようで、ゆっくりと振り返り。
「どしたの? あ、もしかして夕飯? ありがとう」
「えぇ。どうぞ。それと……」
夕飯を食べ始めるティナさんに、ティナさんがこの世界にいることになっていないこと。アリサが確かめたいことがあることを伝える。
「うんうん。いやー美味しいねこの世界の料理。王宮で似たような物食べたことあるけど、この世界では一般家庭で食べられる物なんだね」
話を聞きながらもあっという間に平らげてしまったティナさんは、スプーンを置くと。
「うん。大体了解したよ。うん。じゃあ魔神王。お願いするよ。向こうの世界に一緒に帰ろう」
「良いの?」
「改めて、この状況でわがまま言っている暇はない。信じる信じない、その選択権は今のあたしには無いんだよ」
「そう……じゃあ、来て。アリサの研究部屋」
「うん」
「タクミも。良い機会だから見せる」
アリサの部屋。飾り気のない、ただ寝て起きるためだけに特化された部屋。周りを本棚で囲まれ圧迫感はあるが、不思議だ。なんでこう、良い匂いがするのだろう。身体全体に行き渡らせたくなる、そんな匂いだ。甘さと爽やかさが心臓を高鳴らせた。
思わずボーっとする。そんな意識を覚醒させたのは、アリサが指を鳴らし魔術を発動させた気配だった。
「ここ」
景色が、変わっていた。
「え……」
ここは、どこだ。アリサの部屋であることは変わらない。だが、明らかに違う。流れる時間のある瞬間を切り取って保存したような違和感。
「隔絶結界……失われた魔術の筈」
「使い手がいないだけ。王城の書庫に術式は残っている。あなた程の技量ならそこまで苦労することなく使える。あとで教える」
「そ、そう。ありがたいけど、でも、これほどの魔術、世界の修正力が働いて維持するのに相当魔力がいるんじゃ」
「世界の修正力も完璧ではない。これは修正力の穴を突いた反則技。そして、世界の狭間を観測するにあたって一番都合の良い魔術」
「確かに理論上ではそうだけど……」
「ちょっと待ってくれ。隔絶結界ってなんだよ」
魔術に精通した二人にとっては前提知識のようで。ぽんぽん話が進み過ぎて全くついていけない。
「そうね。あたしも術式わからないし。昔文献で読んだ程度の知識だから、聞いても良い?」
そう言うと、アリサは小さく頷いて。
「隔絶結界は指定した空間情報をコピーして、コピーした空間の空間座標の上に結界として同一の空間を作り上げる魔術。世界を一つの球体と仮定した場合、隔絶結界はその球体の外に小さな球体がくっついている形で存在することになる。今アリサたちは世界の狭間に直接囲まれた結界にいる状態」
……要は大きなシャボン玉の外に小さなシャボン玉がついているような状態、ってことか。
「世界の外殻に接しているとはいえ、この空間自体は世界の外にある。だから修正力が働きが弱い。だから簡単に維持できる。そして結界の外殻はアリサ自身の魔力の壁だから、世界の狭間の性質を調べるのに都合が良い。アリサの魔力で探れば良いから。それから、結界を閉じる前に結界内の空間情報をコピーすれば、作業状態も保存できる」
ティナさんの顔を見ればわかる。さながらパソコンに上書き保存する感覚で結界の状態を保存する。その異常さを。
「創造の概念魔術も少し応用している。当然」
「あぁ、だよな」
「創造の概念魔術とか、まさに魔術の歴史において真っ先に失われたとされるものじゃない」
「彼が使い手」
「タクミ君が? え、あれ創造の概念魔術……って言われたら納得できるね。確かにあれは」
魔力操作の基礎を教えてくれた本人もうんうんと頷き。
「え、術式わかったの?」
「タクミの魔術発動時の魔力の流れから逆算して術式を予想しただけ。ここを創造の概念魔術の応用で創り上げられた『一つの世界』と仮定すれば、隔絶結界の術式設定時の空間情報のコピー対象にできる」
ティナさんが息を飲む。アリサはティナさんの魔力操作技術を評価した。けれど、そんなティナさんから見てもやはり、アリサは異常なのだ。
創造の概念魔術で、世界を創る、か。
「じゃあ、今日の実験。世界の狭間の観測。魔力を分析し、何らかの形で活用できないか」
「できないって話だったよな」
「そう。歴代の魔神王の中にも試みた人はいた。そして漏れなくその魔力を扱い切れず身を滅ぼした。でも……」
アリサが手を振るうと、部屋の壁が消え、夜空の中に放り出されたような錯覚を覚えた。見覚えがある。遠くに見える輝く何か、無数の星々。知っている。これら一つ一つが世界だと。
「今、結界の外殻を通してアリサたちは世界の狭間を見ている。アリサたちのいる空間座標は間違いなく世界の外。つまり結界を一歩出れば世界の狭間に放り出される」
「マジ?」
「安心して。結界が崩壊するようなことがあればアリサたちは世界の修正力を利用して戻れるようになってる」
「あぁ、なら、まぁ」
「結界が崩壊しない程度の穴を開いて外に出てしまうとその限りでない」
「……こえーこと言うなよ」
アリサの作った結界だ、頑丈さも相当なものじゃないかと予想してしまう。となると人一人通れる程度の小さな穴程度で崩壊しないのでは。
「どうするの? 世界の狭間を吹き荒れる純粋な魔力を研究するって」
「結界の壁を強化する要領で結界の外に魔力を流す。その反応で魔力越しに性質を見ている。これ自体は何回かやっているから、それによって観測された現象の記録はそこにまとめてある」
と、紙の束を渡された。魔神語で走り書きで纏められているそれには、大量の魔力が一か所に滞留することで発生する暴走、魔力嵐や巨大な魔力の塊と塊の衝突によって発生する魔力波の観測記録が細かく書かれていた。いや、魔力嵐や魔力波ってなんだ。
「魔力嵐も魔力波も結果的に起きることは変わらない。魔力災害。結局災害の大きさと影響を及ぼす範囲の違いでしかない」
そう言ってアリサは床に手を置き、指を鳴らす。結界内の魔力が全て引っ張られているのではと錯覚してしまうほどの、魔力が動く気配。
「これほどの……」
「こうでもしないと広く捉えられない。少しずつ範囲を広げ、世界の狭間の地図を作っていく。変化があるならその変化の法則性、それすら無いのなら、世界の狭間の動きを探知できる手段を確立する。そのためにまず、アリサの魔力でマーキングしていく。マーキングには世界の狭間に吹き荒れる魔力の利用が必要。アリサの今の魔力ではこの吹き荒れる魔力に掻き消されて終わる。マーキングが完了すれば、後はそれを基に魔力の道を作り、帰還の道とする。これが確実に帰るための方針」
「あたしたちの世界がわかるの?」
「わかる。父上に刺した剣、父上が作った道。それを辿って一時期はっきりと、夜空に浮かぶ月の如く観測できたから。今はもう小さくなったけど、特徴は覚えた。あとは世界の中を観測する手段も欲しいけど、少なくとも今アリサが見ている世界はアリサたちの世界なのは確か。それが確信できたのはあなたのおかげ。あなたが転移してきたから」
「なるほど。それで……あたしは何を手伝えば良いの」
「結界魔術を応用して、純粋な魔力を結界に閉じ込めて持ってきて欲しい」
「……は? 何を、言ってるの? えぇ……?」
「できるはず」
「無茶言わないで。かなり精度の高い魔力探知技術と相当の魔力出力、魔力量が無いと、結界であの魔力を囲うなんて……」
「そう、つまりは可能」
「いやいやいや」
ティナさんが本気で不可能だと言っていて、アリサは本気でできると思っているのが分かった。どの程度の難しさなのかはわからないけど。
「あなたが言っていることは例えるなら吹き荒れる嵐の中で雨と風を掴んで持って来いと言っているようなものだ」
「とりあえずやってみて」
「いー……失敗しても文句言わないでよ。……魔力を同調させて結界の外までの魔力の流れを作る」
ティナさんの魔術は、魔力を絞るところにあると思う。魔力量、出力に劣るヒト族。それはヒト族最強の魔術師であるティナさんも例外ではない。
だからこそ絞る。水の流れるホースの出口を指で押さえるように。瞬間的な出力で魔族に勝れるように。
「っ……くっ」
今、ティナさんは多分、自分が扱えるギリギリの魔力量を動かし、それを絞り、莫大な出力を生み出そうとしている。
「良い感じ」
アリサはその様子に静かにうなずいて見せる。結界の外、ティナさんは慎重に魔力を動かし、結界の構築を始める。
なるほど……ティナさんが難しいと主張したのも、アリサが言っていることがおかしいのもよくわかる。
吹き荒れる魔力が、操作している自分の魔力を散らそうとしてくるんだ。
「意味を込めた、魔術を発動しようとしている魔力に、意味を込めていない魔力をぶつけると、魔術は妨害される。それを突破するには出力で上回るしかない。こうして目の当たりにすると、凄まじい光景だ」
「アリサでも難しいのか」
「できる。ただ、あなたやティナと魔力で押し合いするリスクを冒す気が無かっただけ。あれは格下にやるもの」
「そ、そうなのか」
「あとは時の概念魔術の準備をすれば良い。中に取り込んだティナの結界の時間を止める」
「時の概念魔術?」
「そう……」
言葉を切り、アリサはティナの方を見る。目が飛び出しそうなほどに目を開き、歯を食いしばり、魔力の操作を続けるティナさん。すごい汗だ。それでも、達成感を感じさせる表情を覗かせた。
「捕まえられたのね」
「あとは、引き込む……くっ」
「ありがとう。あとはアリサが」
そう言ってアリスが思い切り腕を振るう。その時感じた。これは、ヤバいものを捕まえたと。
結界内に引き込まれた小さな、片手で持てるようなサイコロのような箱。
「……これが、世界の狭間を吹き荒れる純粋な魔力」
「意味も意思も込められず、ただ吹き荒れる。究極の純度。この中で魔術を行使するのは至難の業」
「ってわかっていながらあたしに何を要求しているのさ君は私に」
「できたでしょ」
「そうだけどさ、かなり必死だった」
「極限状態においてこそ、魔術師は進化の可能性を得る……今日はここまで。時の概念魔術でこれの時を止めて保存した。隔絶結界を解除する」
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