第35話 結界魔術

 今日は疲れたからと水着の買い出しは明日にして、俺とアリサは家に帰る。


「ティナさんは?」

「眠らせてある。アリサが解除しない限りは起きない」

「へぇ、催眠魔術ってやつか?」

「そう。元々は病院で暴れる患者を鎮めるために開発されて、軍でも、相手側の司令官を捕虜にする目的でも使われた魔術だけど、当然ながら誘拐や暴行目的でも使われるようになったから、百年ほど前に禁呪として資格のある人にしか術式が公開されないと聞いている」

「……アリサは知っているのか」

「効果を聞けば術式を組んで再現くらいはできる。わりと不便だけど」

「へぇ」


 頷きながら扉を開ける。アリサの部屋の扉の向こう、ベッドで横になっているのは、確かにティナさんだ。


「起こす?」

「治療はしてくれたのか?」

「ん。あなたが世界の狭間に飛び出して来た時と違ってアリサは万全。もう治ってる」

「そっか、じゃあ……うん。頼む」


 頷くと、アリサはティナさんの頭に手を乗せる。


「催眠魔術は相手の魔力抵抗を突破して術式を打ち込む形。いわば相手の身体に直接術式を刻むイメージ。相手に触れなければ発動できない。触れた状態を三秒維持しなければ失敗する。触れている位置が大きくズレても失敗する。今しているのは、刻んだ術式を消す作業」


 アリサが手を離すと、ティナさんの瞼がゆっくりと持ち上がる。

 焦点がゆっくりと合っていく瞳。短い金髪がさらりと流れ、身体を起こし、辺りを見渡し、そして俺たちの方を見て。


「……タクミ君?」

「お久しぶりです。ティナさん」

「ここはどこ?」

「別の世界です。俺が元々いた」

「そっか……帰れたんだね。良かった……隣の人、助けてくれたんだ」

「ん。体調は?」

「もうばっちり。いやー、死ぬかと思った」


 そう言ってぴょんとベッドから飛び降りるティナさん。


「あなた、あたしのこと知ってるみたいだけど、一応。あたしはティナ・ミスティア」

「アリサ。こちらの世界では真神アリサと名乗っている」

「こちらの世界……ってことはこの世界の人じゃない。……髪色、目、魔力。魔人族。なによりもこの、魔族にはあり得ないレベルの澄んだ魔力」


 ティナさんはじっと押し黙り、そして。


「そう、あなたが魔神王……『貫け』」


 ティナさんの手が動くと同時にアリサの指が鳴る。


「っ!」


 その表情が驚愕に彩られたのも二人同時。

 ティナさん得意の結界魔術で生成された魔力の槍。ティナさんの周囲の空間から伸びたそれを、アリサは破壊の概念魔術をぶつけて崩壊させた。結界魔術、それをティナさんは魔力によって空間を分断するという性質に目を付け、自身の周辺を結界の起点とし、形を自由自在に操ることで、あらゆるものを貫き切り裂く武器として使っている。

「……器用。こういう感じ? 無理か。……あの速さで展開するには練習が必要。確かに詠唱すれば安定はしそう」

 

 再び伸びて来た結界にアリサの見様見真似の結界が衝突する。だが。


「押し負けた。魔力を絞って出力を底上げしている……?」

「簡単に真似されてたまるものか。『貫き切り裂け』」

「同時にこれだけの数を。短縮詠唱で」


 アリサの真上に出現し、シャッターのように下ろされる魔力の壁。殺到する魔力の槍。魔力を目に流し高めなければ形すら捉えられない不可視の攻撃。その上、火、水、風、土と言った基本四属性の魔術では迎撃できない。魔力による防御でしか対処できない。それが結界魔術による攻撃。だからアリサは最初から破壊の概念魔術での対処を選んだ。

 そう、結界魔術に破壊の概念魔術は通る。

 だけど、アリサの魔力の流れを捉える魔眼。それが無ければ。


「確かにすごいけど。家が壊れる」


 アリサが手を振るう。世界のルールに命令が押し付けられる。神業とも言える魔術行使。それでも、やはり魔眼が無ければ、全てを正確に崩壊させることなど、できなかっただろう。


「っ!」


 家に一切の被害を出すことなく、アリサの破壊の概念魔術は、ティナさんの結界攻撃にだけ作用した。


「見事な魔術。けれど、これ以上暴れるのならば……」

「『塞げ』! タクミ君! 何してるの! 宿敵が目の前に……」

「タクミ、いま!」

「すいません。ティナさん。最初に説明するべきでした」


 右手には既に、破壊の概念魔術を付与した刀が握られている。そしてもう片方、咄嗟に作り上げた木刀は電撃を発生させる術式が組み込んである。

 加減をしなければ。

 ティナさんを守る結界を切り裂き、木刀を通す道を作る。身体のスレスレを通る切っ先を追いかけるように、木刀は確かにティナさんの脇腹を正確に打ち据えた。左手に伝わる、確かに人の肉を叩いた、芯のある柔らかさが微かにジンと腕を突き抜ける。瞬間に魔力を流す。術式を通り、魔力は事象を書き換える魔術となる。木刀を走る紫電は衝撃となってティナさんの意識を断った。後に残った匂い、酸っぱいような、焦げ臭いような、そんな匂い。


「やり過ぎたかな」


 焦げた服、その向こうの火傷も多分酷い。


「問題ない。即死じゃないなら」 


 加減をしなければと思いつつも相手はティナさんだと考えると、手加減しきれなかった。無意識のうちにこれでは足りないとか考えていた。

 アリサに会うまで、無敵と言えばティナさんだった。

 アリサが治療しているのを横目に、どうしたものかと。気絶から復活した後、どう説明したものかと。


「問題ない。次は拘束する。話をするのにこれでは埒が明かない」

「それはまぁ、そうだけどさ」

「本当に見事な結界魔術」

「アリサでも難しいか?」

「あれほどの連続同時複数行使は相当の練度。訓練しなきゃ難しい」


 そう言ってアリサは空中に出現させた岩を結界魔術で切り裂いて見せるが。


「ん。全然。実戦ではまだ無理」

「いや、形だけでもできるんだ」


 そう言うとアリサは首を横に振る。


「あの領域には足りない。数種類の形の結界の複数発生をあの速さでやってのける。それも古代語でなく魔神語の短縮詠唱で。魔力操作は異次元と言って良い」


 魔神王からそこまで言われるって。ティナさんってマジですごかったんだな。


「今、アリサはアリサの横に魔力を集めてそれを起点にした。これを複数用意して結界を一斉に発生させるとなると。……慣れるまではアリサも詠唱が欲しい……『我が魔力を糧とし、伸びよ貫け』って感じで」


 アリサが先ほど切り裂いた岩に向け、複数の結界が伸びてボコボコに穴をあけ塵にする。


「まぁアリサならすぐに詠唱せずに使いこなせるだろ。」

「……ヒト族の部隊を率いていたわりに、疎い」

「え?」

「前衛が敵を押しとどめている間に詠唱を完成させて魔術を発動して数的有利を取る。魔術師の運用の基本。あなたやこの人。アリサみたいに詠唱をどんどん削る魔術師の方が例外。アリサでも魔力操作の補助に詠唱が必要な魔術はある」

「あぁ、そうだった」

「それと、詠唱があった方が魔力をしっかり練る分、魔術は強力になる」

「覚えておく」


 ティナさんに魔力封印の処理を施したアリサの横顔は、どこか悔し気に見えた。自分が難しいと感じることを息をするように行われたら、アリサほど魔術に拘りや誇りを持っていれば悔しいか。


「……さっきの戦闘」

「うん」

「……なんて言えば良いかわからないけど、アリサは負けたと思っている」

「完璧に対応していたのにか?」

「難度自体は高いけど、この結界魔術自体は燃費がかなり良い。結局のところ事象改変を経ない魔力操作の延長線上の技術。それに対して燃費最悪の破壊の概念魔術での対処を強いれらた」


 つまりは、判定負けした気分ってところか。難しいな。アリサの魔力量なら問題無い筈、なんてのは慰めにもならないだろう。


「治療と封印終わり。起こす」

「おう」


 アリサがトンと人差し指でティナさんの眉間を叩くと。


「ん……」


 うめき声をあげ、ティナさんはゆっくりと瞼を開けた。


「っ、魔神王……」

「ヒト族の前に姿を現したことは殆ど無い、代替わりしたことも伝えていない。けれどあなたはアリサを魔神王と見抜いた。なぜ」

「その澄んだ魔力は知っている。魔神王の城で感じた。あれほどの規模の結界をたった一人で維持し、我々も一小隊が一時的に穴を開けて無理矢理押し入ることしかできなかった」


 そうだ。それで侵入したのが俺とティナさんと他三人だけ。


「そしてこの魔力量。目の前の存在を魔神王と判断するのには十分」

「そう。なぜあなたがこっちに」

「その前に。タクミ君。なんで君が魔神王と一緒にいる」

「ここは俺がいた世界で、アリサは飛ばされました。アリサは今、向こうの世界に帰る方法を研究しています。だから俺が保護しています」

「そう……敵なのに? 裏切りだよ」

「これが裏切りだというのなら、それで構いません。ティナさんがアリサを害するつもりなら、俺は止めます。急に別の世界に飛ばされる大変さ、辛さは俺も痛いほど知っていますから。だから俺はアリサに付きます。俺はここに帰ってきた人間なので」


 そう。俺はもう、ヒト族の軍の人間じゃない。俺は今、手伝いたい人を手伝っているだけ。


「ティナさんには一度も勝ったことはありませんが。それでもやるというのなら、その魔力封印を解除します。その上で納得させます」


 魔術破壊の術式を付与した剣を作り出し差し出す。魔力を封印されている今のティナさんには使えないし、俺が作り上げた武器に術式を付与できることになったことは知らない。差し出してから思い出した。でも良いや。俺のやるべきことははっきりしている。アリサが元の世界に帰られるように手伝う。それまでの時間をアリサと共に楽しいものにする。

 今の俺には、それだけで十分だ。

 俺が差し出した剣をじっと見下ろし、そして首を横に振る。


「そう……ごめんなさい。確かに、元々は我々の魔人族との戦争に、憎しみにあなたを巻き込んで戦わせた。あなた個人が魔人族を敵視しているわけでもなく、魔人族どころか魔術すらしなかった。帰るために戦っていた。そうね、裏切者なんてあたしが言ってはいけないね」


 ティナさんはそう言って目を閉じた。


「……どうしたものかな、本当。タクミ君と魔神王の行方を追っていたらこの世界に来ていた。だだでさえ、魔人族が一人残らず行方不明で、ただぽつりと無人の城と都市だけが残って、謎だらけだったのに」

「行方、不明?」


 青い顔したアリサが、ティナさんに手を伸ばす。


「どういうこと? 行方不明って、誰一人魔人族がいないって言うの?」

「そうよ。何よ、あなたの指示じゃ……」

「違う……アリサは、そんな指示……」

「魔人族は痕跡も目撃者も残さず、捕虜にした兵士すら全員消息を絶った。まるで全員、その場で転移魔術でも使ったかの如く。しかし転移魔術を国民全員が使ったのであれば、そこらの魔術師でもその魔術の気配に気づくはず。けれど、感じたのは王城の中央、魔神王の間での大きな魔術の気配だけだった」

「っ……あ……!」


 その時だ、アリサが何かに気づいたかのように息を飲んだのは。


「本当に、消えた」

「え?」

「おかしいと思った。タクミと、アリサ。アリサたち二人をまとめて送る。その魔力をどこから調達したのか。あの時、父上はその場にいなかった。父上が何年も魔力を貯めていたものを使った可能性も考えた」


 その震えは恐怖か、悲しみか。


「研究していく中で、確実に狙った世界の座標に向かう道を、世界の狭間に作るには、アリサの全開の魔力でも足りない。父上は出力も量も、アリサに劣る。だから疑問だった。どのようにして二人を送るための魔力を用意し、出力したのか」


 ぎゅっとアリサは拳を握りしめる。堪えるように。今にも何もかもを壊してしまう自分を抑え込むように。


「父上のため込んだ魔力を使ったのかと思った、けれど父上がこちらの世界に来た時、持っていた。大量の魔力を込めた魔晶石を複数。あれだけの量を……何年もかけて貯めたのかと思った。でも……」


 アリサは、自分の辿り着いた答えに怯えるかのように息を飲む。


「そう、違った」


 アリサは告げる。


「魔人族は、魔力に変換された。禁忌魔術の一つ。生物を魔力に変換する術式。それが首都全域に張り巡らされていたんだ。王城を中心に魔術陣を敷いたんだ」

「そんな、アリサにも気づかせずに、そんなことを」

 できるわけがないと言おうとした。けれど、アリサは静かに首を横に振り。

「父上はアリサの魔眼も、魔術も知り尽くしている。アリサを首都から離して素材を取りに行かせてもいた。父上なら……可能」


 その答えに息を飲んだのは俺やアリサだけではない。


「自国の国民を、魔力に……そ、そんな魔術陣、可能なわけが。そもそも生物の魔力変換なんて……」

「可能。そもそも世界の狭間の無限とも言える魔力の正体は、無数の世界での命が変換されたもの。つまり、理論上は可能。それを再現する研究が過去にあって、そして成された」


 目を見開いたのは俺だけじゃない。ティナさんもだ。


「やり方も予想がついた。……アリサが、もっと早く気づいていれば。あの時あっさり帰ったのも納得できる。父上はまた来る気。魔力に余裕があったから一旦逃げた」


 今にも周囲を吹き飛ばしてしまいそうな吹き荒れる魔力を抑え込み、アリサは。


「どこにいようと、必ず見つけ出して、死よりも凄惨な目に。それが魔神王としての、アリサの最後の仕事」


 誰も言葉を発せなかった。アリサが振り返り。


「話し合おう、これからのこと」


 と言うまで。

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