第33話 何かが来た。

 夏休みと言えど全く学校に行かなくて良いわけではない。

 お盆休み前の模試に向けた夏期講習や沙良の生徒会活動の手伝いのために制服に袖を通す機会はある。先生方も大変だ。先生って夏休みは何をしているのだろう。


「くぁ~~~」

「大きな欠伸だねぇ匠海君」

「ねみぃ」


 今日は生徒会活動の手伝いだ。なんでも生徒会室や備品倉庫の掃除と整理をすると。現在三年生は標高の高いところにある涼しいホテルで受験勉強のための合宿をしているから、一、二年生だけでやる。となると人手が足りなく去年は予定より一時間押したらしい。


「夜更かし? 最近は随分と規則正しい生活だったのに」

「人間、楽な方、楽しい方ににさっさと順応するものさ」


 夏休みということでだらけているのは否めない。現状、平和ではある。生じた問題の処理もできている。けれど何も解決していない状態なのは変わりない。

 アリサは頑張っていて、俺はその方面についてはなんの役にも立てない。


「いや、ダメだな、気を引き締め直そう」

「お?」


 役に立てなくても、アリサのために何もできないわけではない。何を俺は楽をしようとしているのやら。

 常に気を張っていなければならない戦場と違う。この平和な日常は、目的意識を失えばあっという間に堕落する。過酷な戦いの中で目的を見失うのとはまた違う気の惑わせ方だ。


「まずは夏休みを満喫せねば」

「ふーん。じゃあプールでも行く?」

「プール?」

「そう。行くとしたら水着買わなきゃねぇ。匠海君ももう何年も行ってないでしょ」

「まぁ……十年近くは」

「それは盛り過ぎ」

「だな」


 異世界にいた五年分を足してしまった。それにしたって最後に遊びに行ったのが中一の夏休みだから今年行かなかったら四年行ってないことになる。授業くらいでしか入っていない。


「んー」


 なんか行きたくなってきたな。塩素香る涼しさが懐かしくなってきた。

 目を左に向けると、アリサは炎天下でもマイペースにボーっとした目で歩いていた。

 暑くないのだろうか? いや、アリサのことだ。自分の周りは常に過ごしやすい気温で保っているくらいやっていても驚かない。


「? 何?」

「アリサは興味あるか? プール」

「? 水上訓練でもするの?」

「いや。水に浸かって遊ぶだけ」


 そう言うが首を傾げられる。……自分で言っておいてあれだが、確かに水に浸かって遊ぶと言われても何が楽しいのか、具体的に何をするのか。聞かれたら困るな。


「あー……無理にとは言わないが……」

「そう……悪くない。ん。行く」

「お、じゃあ行くか」

「水着持ってるの? アリサちゃん」


 アリサは静かに首を横に振る。


「水着、やはり必要?」

「そりゃ必要だよ。おっけおっけ、一緒に買いに行こうか」

「ん。楽しみにしてる」


 見上げた先にある学校。その向こう、高く立ち昇る入道雲。空の上に雲の庭園があるような。

 夏の香りがする。溶けたアスファルトの匂い、暑さに奪われた水分が温風に変わっていく匂い。それでも時折香る緑の香りは、夏はただただ辛い季節では無いと、命が芽吹く春の続きにある季節だと、教えてくれる。

 



 「うえ、埃っぽい」


 開いた扉の先、物で埋め尽くされているというわけでもないが、教室の後ろ側、掃除用具入れや掲示板が見えない程度には段ボール箱が積み重なっている。そして何より埃っぽい。

 思わず風の術式を付与した剣を作りそうになる埃っぽさだ。

 何でも手付かずな備品倉庫を整理して空き教室とし、今後の使用方法を考えるからまずは空にするという話らしい。

 しかしながらこれはなかなか時間がかかりそうだ、マジで魔術使おうかな。沙良は一旦生徒会室の方を手伝うって言ってたし。


「うおっと」


 と思ったら突然後ろから吹き込む突風。アリサだ。


「アリサ、急に……」

「見てて」


 両手を前に出し、何かを捏ねるように動かす。慎重な魔力操作をしているのがわかる。現に、埃は巻き上がっているが、倉庫に置かれた備品は無事だ。別の魔術が起動する気配も微かにあった、結界で保護しているのだろう。相変わらずのさりげない高等技術。

 舞い上がった埃が一か所に集まっていく。空気の球だ。それを指さし、引っ張るように動かすと、空気の球は教室の外に出て。


「タクミ、ゴミ袋」

「おう」


 ぼふっと音を立てゴミ袋が一気に膨らんだ。ゴミ袋に収まった大量の埃。


「ふぅ、これでとりあえず入れる」

「器用だな」

「自室なら掃除するように設定した魔術陣を起動させれば良いけど。……作る? 今から。すぐに終わるけど」

「いや、良いよ。あまりに早く終わり過ぎても、説明が面倒だ」

「そう」


 特段不満げな様子もなく、アリサはわかっていたと言わんばかりに放置された備品を手に取った。




 「いや……多かった」


 一時間後、使えそうなものと壊れているものの仕分けが終わった。

 一時間で終わったのはアリサの作業が手早かったからだろう。段ボールを開いて状態を確認して使える物、使えない物。箱によっては箱の中で壊れている物、劣化して壊れやすくなっているもの、そうでないものが分かれる。

 アリサはとにかくその仕分けが早かった。聞いてみれば。


「魔力の使い方と魔眼の併用。魔力を流せばその物の状態が魔眼を通してわかる」


 とのことで、魔力の流れや痕跡を見る目があるアリスにとって、魔力自体が感覚器官の一つなのかもしれない。

 実際、アリスは開けもせずに使えないと判断した箱の中身はまぁ、開けたことを後悔する程度には酷い有様だった。


「いやーごめんごめん。放置しちゃって。私も今から手伝うから」


 ドタバタと足音が聞こえ目を向ければ沙良だった。


「ってあれ、おわ、ってる?」

「細かな掃除はまだだけど、とりあえず中にあったものの分別は終わったと思うぞ」

「は、早いね。うん。う、うん。ありがとう。じゃあ生徒会の人呼んで運び出してもらうね」


 そう言ってすぐに沙良は出ていく。忙しい奴だ。

 運び出していく傍から床に溜まった埃を片付けていく。かなり長い間放置されていたようで、床にシミが残ったりもした。


「どうする、これ」


 戻ってきた沙良に聞いてみると。


「先生が、来週業者さんの大掃除入るから、その時に相談するって」

「そっか」


 それなら、良いか。教室の出口に向き直る。


「私、鍵返してくるから先に玄関で待ってて」

「あぁ」


 あのシミ自体をどうにかはできるだろう。完璧な形で。お願いアリサ様って。でも、それはきっと違うから。できる人がいるから全部その人に任せるのは、きっと間違っている。そんな風に言っていたのは、ティナさんだっただろうか。ティナさんはできないことなんて無いのではと思わされる人だった。でもだからと言って、全部を自分ではやらなかった。

 何事も、一度は自分でやって、二度目は俺がやっているのを横で監視して、三度目からは


「じゃ、よろ~」


 って感じで土の柱を用意してそこに吊るしたハンモックで横になり、俺が野営準備しているのを見ているだけだった。


「だって周りが成長しないじゃん。その人に任せておけば間違いないってのはね、組織においては毒なんだよ。じわじわと蝕んでくるタイプのね。あたしだけが強くても、ダメなんだよね」


 なるほどと思った。それからだ、できないことでもできるように、そうでなくてもできることを応用して、とか考えるようになったの。……俺、あの人の影響、結構受けているな。


「……ん?」


 微かな魔力の気配。本当に微かだ。どこか遠くで何かの魔術が発動したような。

 アリサも気づいたようで、じっと……世界の穴がある山の方を見ている。え。じゃあ。


「アリサ」

「違う。魔獣でも魔将軍でも、父上でもない」

「えっ」

「発生源はかなり遠い。けれど、はっきりと感じられる。つまりかなり強力な魔術。……世界の狭間の辺り……何かが来る、けれど、何」

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