第25話 魔神、邂逅。

 見上げた夕空の向こう、暗い、不自然な空間。文字通り、そこだけぽっかりと穴が空いたようだ。


「なんか、デカくなってないか?」


 微かに魔術陣も見える。あれが、広げたのか。

 そこから下りてくる異様な、一目見ただけで生存本能が逃走を訴えかける存在。


「お前が、魔神」


 約半月ぶりのヒト語も、五年も使っていれば何の違和感もなく口は動く。

 なるほど。確かによぼよぼの爺さんだ。あの王様の言ったことは正しかったわけだ。黒いマントに黒いローブを纏った痩せ型の老人。背は異様に高いが、姿だけ見れば強そうには見えない。が、油断するな。相手は、アリサよりも破壊の概念魔術に適性がある魔神だ。

 そして今、アリサですら一回失敗して、未だ研究中の世界の狭間の突破を、成功させた。


「ほう、この世界にもこれ程の気配……いや、この世界の魔力はやはり眠っている。ということは、ふははっ、そうか、貴殿が無尽の武器使いの勇者か。我が娘はどうした?」


 魔神は地に降り立ち、不気味に笑いこちらを見下ろす。


「……アリサは来ねぇよ」


 圧が。存在の圧が。落ち着け。よぼよぼの爺さんだ。ビビるな。


「そうか……ならまずは、貴様の力を見せてもらおう」


 魔神が紙の束を放り、手を鳴らす。と同時に、魔神の周囲に三人の……あれは、魔将軍、だと。二人足りないが、魔将軍だ。


「蘇生魔術、なのか」

「その通りだが当然、完全な蘇生魔術ではない。死体に闘争というはっきりとした目的を与えることで身体に残る記憶を元に魔術を扱い武器を振るう死体人形だ」


 右手を上げる。……今はアリサからの魔力供給は無い。ヴィルヘイムと戦った時のように、何も考えずに魔術を使うことはできない。

 術式付与は諦めろ。まずはいつも通り戦うんだ。あるものでどうにかする。基本だろ。


「まぁ、無い物は作ってどうにかするのが、俺の魔術だが」

「ほう、創造の概念魔術か」


 殺意と破壊が武器として具現化し、魔神と魔将軍に向けて一斉に降り注ぐ。これで決まれば楽で良いのだが。


「ふっ」


 やはりと言うべきか、魔神は飛んでくる武器を一瞥し、余裕すら感じさせる不敵な笑みを浮かべ、右手を掲げた。そして武器が次々に、文字通り、崩壊する。アリサがあの時見せたのと同じ現象。


「くそっ」


 すぐさま魔術破壊の術式を付与した武器を構成。向かって行くが。


「なるほど。見事だ。強力だが魔力消費が激しく、他の手段で代用が効く故に使われない概念魔術。その中でも最も魔力効率が悪く難度の高い創造の概念魔術を、ここまで完璧に操ることができるとは。どうやら貴殿は我と同じらしい」


 魔神が右手を無造作に振り抜くと、刀の刀身がサラサラと砂のように崩壊していく。


「同じ……適性が突出しているって話か」

「ほう。我が娘から聞いているようだな。そうだ。故に、自力ではそれ以外を使用できない」


 魔神が紙に何かを素早く書き、それを投げると。そこから炎の矢が射出される。ただの炎の矢。余裕で躱せる。


「我は、貴殿のその剣と同じ。何かを媒介にしなければ他の魔術が使えない」


 魔神が右手を掲げると、魔将軍たちは構えを解いて直立の姿勢で動きを止める。その動きは確かに機械染みていた。


「破壊の概念魔術を大して魔力を消費することなく使えるという利点はあったがな。それでもまぁ、悔しいものは悔しい。魔術理論を、古代語を、必死に学んだ。だが、頭にやり方があっても、それを実行できない。貴殿ならわかってもらえるであろう」

「知らねぇよ。一緒にするな」


 俺の返事なんか聞いていないのか、魔神は気にすることなく言葉を続ける。


「故に我は、せめて我が子にはと、妻の腹に宿った子に、幾重にも魔術を施した。魔術に対するあらゆる適性を持てるように」

「なっ……」

「結果として、色々ハンデを背負うことになったが。そんなもの、魔術で補える。否、補って余りある、現に、他の者を圧倒し、魔神王の地位を継ぐに相応しき存在となった」


 そうか、そういうことなのか。こいつは。こいつが、アリサに。

『アリサには、魔術以外、無いから』

 そう言った、あいつの、寂しげな顔、思い出せる。

 こいつが、アリサに……。


「……お前が、勝手に……誰かの……アリサの可能性を、勝手に……決めるんじゃねぇ」 


 何より。そのせいで、魔術がなければ色々不器用になったことを知っていて、そういう風にした張本人でありながら、知らない世界に放り出したのか……。


「俺はお前を許さない。この世界に魔術は無い。そんな世界に……許さない」

「許さないから、なんだというのかね?」


 ……許さないから、なんだ。殺すのか……? この戦いに、俺の私情を、挟んで良いのか?

 こいつがこの世界にきて何をするのか。俺はその本当を知らない。この世界に攻め込んできたというのは、アリサの予想、今この状況だって、向こうの世界で敵対関係だったから、結果的に刃を交えただけ。

 また、戦う理由も知らずに、殺すのか? 私情だけで、刃を振るうのか?


「この世界にも魔力は眠っている」


 そう言って、魔神は一枚の紙を広げて見せる。


「これは霊脈起動の術式。こちらの世界に合わせて、多少の調整は必要だがな。この術式を起動すれば、この世界に元来ある魔力が放出されるようになる。そうすれば、世界の穴が閉じ、世界の狭間から魔力が流れ込まなくなったとしても、魔術が使えるようになる」


 つまり、アリサの生きやすい世界が、こっちの世界でも作られる。


「ふむ……どうやら、世界の狭間を越えることで力を得るというのは違ったようだがな。やはりただの世界の調整機能か。少々残念だ」


 魔神の仮説。それは既にアリサも辿り着いている。今は気にするな。

 それよりも、この世界でこれからも魔術が使えるようになる。そうなれば。

 俺は……どうしたら良い。

 剣先が揺れる。向けるべき相手が、わからなくなる。

 霊脈起動の術式? って奴が発動すれば、アリサが急いで研究する理由が無くなる。帰ることに固執する理由も薄くなる。説得の仕方次第では、こっちの世界で一緒に暮らすことも視野に入るのではないのか? 

 待て……。


「そんな術式があるなら、いや、お前が開発したとしても、アリサだって」


 魔術が使えなくなるリスク、アリサだって恐れたはずだ。なのに。


「あやつは優しいからな。この世界の人間が不憫になったのだろう」


 剣を握る手に力が入る。霊脈起動、それのリスク。


「……何が起きると言うんだ、それを使ったら」

「まぁ、一度、今の文明は滅ぶだろうな。噴き出した魔力がこの世界に定着するまでは、魔力を扱う適性のある者以外、生き残れまい」

「何のために、そんなことを」

「向こうの世界は、もう、終わりだ。貴殿が巻き込まれたあの戦争、なぜ起きたと思う?」

「知らねぇよ」

「資源だ。魔鉱石が枯渇した。魔人族の領土にはまだ多少は眠っている」


 資源による戦争。どこの世界でも起きるものなんだな。やっぱり。


「だが、我はわかっていた。魔鉱石どころか、世界に眠る魔力も、とっくに枯渇しかけていたことにな。再び世界の狭間から魔力が供給され、元に戻るまでは千年以上はかかるだろう」

「世界が滅ぶのか?」

「いや。魔術が使えなくなるだけだ。我は魔術を極める。魔力が枯渇すれば、魔術の使えない魔人族なんぞ、ヒト族に滅ぼされて終わるだろう。否、もう終わっているだろう。戦争自体は」


 平然と、魔神はそう言ってのける。……つまり、魔人族は、もう。


「……この世界みたいに世界に穴を穿てば良い」

「世界に穴を穿ったところで、一時的なもの。それに、扱う人数が少ないからこそ、アリサも貴殿も、十全に魔力を使えているに過ぎない。流れ込む魔力の量など、世界に眠る魔力量に比べれば、海と桶一杯の水の量を比べるようなもの。ならば、どこかの世界を作り変えた方が、確実ではないか。この世界には、その礎となってもらう。熟成されため込まれた魔力があれば、何ができるか。可能性を感じないかね?」


 ……そうか。じゃあ、とりあえず。こいつを倒さなきゃいけない理由は出来たな。

 こいつを殺さなければ、この世界は一度滅ぼされる。それは、阻止しなければならない。


「目が変わったな。良いだろう。先代魔神王ファルデウスの名のもと、敬意をもって相手する」

「ペラペラお喋りしたこと、後悔させてやるよ」

「ふっ、若造が」


 そして魔神は、手を掲げ、魔将軍たちもまた、魔力を練り上げる。

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