第23話 夏休み前の時間。

 テストは沙良が一位を守り切った。二位はアリサ。この二人はかなりの僅差だった。俺は順当に三位に落ちた。アリサはこれでクラス内に成績優秀者としての地位を確固たるものにしたことになる。噂だけでなく全員に目に見える結果として示せたから。

 点数自体は、通知表で確認したところ、前回と同じラインはキープできていたから、俺は五年振り、アリサは初めてのテストと考えれば大健闘だろう。だけど、勝てなかった。沙良にも、アリサにも。

 テストが終われば後は夏休みを迎えるだけ。消化試合のような日々。

 アリサに友達と言える人が二人できた。俺は五年前のように一人、教室の隅で本を開く。


「やっ、何一人でボーっとしてんの?」

「あぁ、佐竹。ん? 安達も。どうした?」

「夏休み入ったら、サッカーやろうぜって話。体育の試合でボール奪われたのが、悔しいんだってさ」

「うっせーな。そうだけどよ」


 魔術で強化した身体能力込みの話だから、気にしなくて良い、なんて口が裂けても言えない。


「うん。良いよ」


 だから、まぁ。次は魔術抜きで向かって行こう。


「そういえば、真神さんと花火大会行くんだ」

「ん?」

「あれ?」


 俺の反応に違和感を覚えた佐竹が首を傾げる。

 いやだって、どこからその話が漏れた。いや、その可能性は一つしか考えられないが。


「どこでその話を」

「いや、だって。噂だよ。羽賀君と真神さんが花火大会デートするって」

「どんな噂だよ。デートって誰が」

「なんだ羽賀、男の方がコソコソするって、真神さんが自慢気に話してたって……」

「アリサが自慢気に話してた?」


 安達が呆れたように言ったこと。アリサが、自慢気に俺と花火大会行くって話……?


「なぜ?」


 俺達の目が丁度、自分の席に戻って来たアリサに向く。


「真神さん、羽賀君と花火大会行くんでしょ?」

「ん。誘った。タクミが」


 佐竹の質問にアリサは平然と答える。


「なぜ、みんなに話す」

「良いことだから」


 当然のように言い放たれた言葉に二人だけでなく、聞こえていたクラスメイト全員が目を剥く。そりゃそうだ。アリサにとって俺と出かけることは、良いことであると堂々と宣言したのだから。


「? 違うの?」

「……いいえ。俺もアリサと出かけることは良いことであると考えます」

「ん。良い言葉」


 満足気に頷いてアリサは自分の席に座る。同時にチャイムが鳴った。が、ざわめきは先生が入ってくる扉の音が鳴るまで続いた。

 沙良と目が合った。が、すぐに逸らされる。


「……まっ、頑張んな」


 ポンと安達から肩を叩かれる。現状、恋人がいる彼こそが今、頼るべき人なのかもしれない。





 「結局のところどうなの? 好きなの? 真神さんのこと」

「前も言っただろ。放っておけないって」

「あのキャンプ以降、急に距離が近くなったように見えるぞ。お前ら」


 所謂半ドン、午前で終わり。それが終業式まで続く。担任からの解散の宣言を受け、俺達は昼の高くなった太陽に照らされながら束の間の自由を謳歌する。

 アリサはこの前のお出かけが今日決行されるとのことで、沙良を連れてどこかに行った。

 安達がポンと投げ渡してきた缶コーヒーを受け取り。百円玉を指で弾いて返す。体育館前の自販機で男三人。安達の部活まで適当に時間を潰すことになった。


「あんまり適当なこと言えねーけど。告れば行ける感じはするぞ」


 言い方は乱暴ながら、安達なりに考えているのはわかる。

 だが、アリサはそういうのではないと思う。


「正直、今そういうこと考えられないんだよなぁ」

「気になるんだが、羽賀って綿貫さんと付き合ってないってことで良いんだよな」

「付き合ったことは無いよ。小学生の頃から仲良くしてもらってるだけだ」

「仲良くしてもらってるって言い方に性格出てるねぇ」


 でも実際、そうだと思う。

 正直、中学でも縁が切れていなかったことに、今さら驚いている。当時はいるのが当たり前で、日常で、違和感なんて微塵も抱いていなかった。偶に、付き合ってるのとか聞いてくる奴はいたけど。

 体感五年も離れれば、自分のかつての状況を客観視する時間はできるわけで、その中で、自分が沙良と当たり前のように一緒にいたことに驚くのだ。 

 高校入学してから感じていたことは、遡れば中学の頃から感じるべき違和感だった。


「羽賀君、君のその卑屈な考え方は綿貫さんに失礼だと思うよ」

「そう、なのか?」

「僕も安達君も、先発で試合に出る時、出させてもらっている、なんて思わないよ。先発として試合に出る権利を勝ち取ったと思ってピッチに立っている。よね? 安達君も」


 佐竹の言葉に安達は頷いた。


「これまでの積み重ねの結果得られた権利だからな。佐竹に賛成だ。卑屈になればそれは監督の選択に対して疑いをかけているようなものだからな。監督に失礼だ」

「……それとこの話がどう繋がるんだ」

「わからない? 羽賀君は綿貫さんとのこれまでの時間で、綿貫さんが君と仲良くしたいと思わせるくらいの信頼を得ているんだよ。わざわざ好き好んで施しの意味で仲良くしてあげる、なんて奇特な人間、いると思う?」

「それは、わからないけど」

「じゃあ、言い方を変える」


 飲み終わった缶をゴミ箱に突っ込んだ安達は、俺の目の前に立つと、真っ直ぐな視線を向けて告げる。


「お前の中で綿貫は、そんな上から目線で他人様と関わる人間なのか? お前は綿貫が向けてくる信頼を疑うのか?」

「……それは、違う、けど」

「けど、なんだ?」


 二人の言うことは正しい。そう、客観視したと言っても、所詮は一人の人間の視点に過ぎないのだから。他の人から見れば、なんでそんなに悩んでいるのか。意味の無いことかもしれない。だから俺は、誤魔化すように顔を背ける。


「沙良には、もっと良い奴がいるよ」

「そうかもね」


 佐竹はあっさりと、俺の言葉を肯定した。


「でもね、君が自分は相応しくないとか、何回言ったとしても、近くにいて欲しい人を選ぶのは、綿貫さんだってことは、覚えていてよ」


 佐竹はそう言って薄く微笑む。

 そうだ、その通りだ。二人の言う通りだ。

 でも、忘れてはいけない。それは、少し前までの話で。

 今の俺は、今の俺の手は、五年の間に、汚れた。そのことを、忘れてはいけない。

 戦場において、人殺しは英雄と呼ばれるらしい。でも、きっと、呼び名が違うだけで、手が赤黒く染まっているのは、変わらない。纏っている血の匂いも、きっと同じだ。

 俺は、沙良の横に立つには、汚すぎる。

 でも、そんなこと誰に打ち明けられるか。かと言って何も言わずにいきなり突き放すようなことも、距離を置くようなこともする勇気が無くて。今更のように卑屈になることしかできなかった。

 俺は静かにため息を吐いて、飲み終わった缶をゴミ箱に突っ込んだ。

 結局は、言い訳ばかりだ。罪を言い訳にしているだけだろ、俺。背負って飲み込んで隠し通して、何食わぬ顔で接する度胸も無い、臆病者め。

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