第22話 本気。
その日はそれからあっという間に過ぎた。
アリサへの質問は途切れることを知らず。結構盛り上がった勉強会だったと思う。物事を理解しているからこそできる、きちんと分解して段階を踏んで教えるということ。アリサはそれを平然とこなしていた。
家に帰って。少しだけ頬を緩ませたアリサがキッチンに立っている。……キッチンに立っている。包丁を構えて。
「な、何をやっているんだ」
「作る。夕飯」
「魔術を使わないで?」
「使わない」
「待て。それなら俺がやる」
「やる。アリサが。このまま終われない」
強固な意思を感じさせる瞳は。出来ないことが許せないと雄弁に語っていた。
「……じゃあ、とりあえず。これを使え」
「これは?」
「ピーラーだ。皮むきが楽になる」
厚く剥き過ぎちゃうからと、沙良はあんまり好まないが。五年前の俺が使っていた。
眉を寄せながら慎重に皮を剥き進めていく様子は、初めてお手伝いをする娘を見守る気持ちに近いかもしれない。俺もその横で作業を手伝う。真面目に付き合ってたら夜中になりそうだ。
「アリサって歳いくつだ」
「十六」
「同い年だったか」
「父上はアリサを作るのに、かなりの時間をかけた」
「へぇ」
どこの世界にも、そういう苦労する人もいるんだな。
一つジャガイモが剥き終わり、アリサはため息を一つ。
「……あなたは包丁で剥いてる」
「最初からできたわけじゃない。刃物じゃなくて芋の方を動かすという基本動作に慣れろ」
材料の下ごしらえが終われば、アリサでもできることはこの前のキャンプで証明されている。焦がさずに炒め、良い感じに煮る。アリサのそこら辺の感覚は確かだ。
ハチミツの容器を鍋の上で逆さにしようとした時は流石に止めたが。
少し甘めに仕上がったカレーを囲み、最近食べる機会多いなと思いながら、いつもより少し遅めの夕食。
「テスト明け、午前授業の日、マイとマナカ、部活無い日、誘われた。お出かけ?」
「行くのか?」
「……行っても良いと思っている」
「そっか。良いんじゃないか。電車一本乗れば、色々娯楽施設とかあるし」
そういえば、そこら辺にアリサのこと、連れて行ってなかったな。良い機会だし。同性の友達を増やすのも良いことだろう。
「ん。行ってみる。……ここは良い世界、だと思う」
しみじみと、アリサの本音だと確かに感じられる言葉。口元が緩まるのを感じながら、俺は鞄からそういえばと、渡さなければいけない物を取り出す。
「それは良かった。そうだ、これ」
「ん?」
「こっちの世界での金」
黒の長財布ごと用意した。差し出された財布を見て、アリサは首を傾げる。
「……良いの?」
「良いも何も、無いと困るだろ。親がアリサ用ってことで用意したわけだし」
「……ん。財布は? どうして?」
「……無いと困るだろ」
アリサの色と考えたら黒になった。通販で取り寄せた。受け取り、それを抱きしめるようにアリサは持った。
「ありがとう。本当に」
「気にするな。必要経費だ」
「あなたはいつもそう言う。あなたには当然のことでも、施される側が感謝してはいけない道理は無い」
「そうかい」
そんな真っ直ぐな目を向けられたら誰だって気恥ずかしくなる。カレーを一口食べ誤魔化す。
「……いらない、武器の類、杖も必要無い。財宝は?」
「いらね。花火大会でも一緒に行こうぜ。八月にあるから」
「! 行く。花火大会」
予想外の食いつきに驚く。
「そうか、じゃあ、行くか」
「ん。楽しみにしてる」
こうして見ると、本当、普通の女の子なんだけどなぁ、実際のところは、最強クラスの魔術師であることを思い出す。
思えば、どうしてアリサは最初から前線にでなかった。アリサがいたらと想定した場合、敗走を余儀なくされたであろう戦いがいくつかある。
……いや、今考えることじゃないか。
テストは三日間かけて行われる。
問題自体は特に詰まることなく解けたが、沙良に勝てたかどうかはわからない。思えば高校に入ってからずっとそうだ。今回は勝てただろという手応えがあっても、沙良は俺の点数を当然のように越えている。何の差なのか。テストが終わってからようやくそこに思考が至った。一週間前に至るべきことだった。
「はぁ」
「浮かない顔」
アリサの声に顔を上げる。その隣に立っていた沙良も視界に入った。
「上手くいかなかったの?」
「そういうわけじゃない」
沙良はいつも通りだ。きっといつも通り、ほぼ満点の結果なのだろう。
全然、足りてない。求めている力に対して、まだ、色々足りていない。
「多分、今回も負けたな、って」
「……そう」
そっと沙良は目を逸らした。ふと思い出す。俺はケアレスミスが多いなと。間違いなくその差だろうな、なんて。
じゃあ、そのケアレスミスの差はどこから生まれるのだろうか。
三人で歩きながら、思いを巡らせた。
「匠海君、あれ」
「……ん?」
沙良の声に目を向けたのはグランドの方。安達と佐竹が、一対一でボールを取り合っている。
安達がボールを奪おうと果敢に向かって行くが、佐竹は悠々と躱す。乱れも焦りも無い。実力差は誰が見ても、はっきりしている。それでも安達は向かって行く。
テスト明けの部活のためにグランドに来た運動部の人達も、その様子を遠巻きに眺めている。制服姿の佐竹と、練習着姿の安達が真剣な様子でワンonワンしているのだ。止めようにもどう声をかければ良いか、わからないだろう。
ルールは多分、安達は佐竹からボールを奪ってシュートを決めれば勝ちといったところか。佐竹はボールを守り切れば良いのか、それなら。
ゴールの横に、ストップウォッチを構えたマネージャーらしき女子生徒がいる。学校指定の運動靴の色から察するに、一年生か。
「あの子……」
アリサが声を上げる。目線の先にいるのはそのマネージャーの子で。ん? あの女子生徒……あぁ、天体観測の時、安達が誘った子か。こういうことも頼めるということは、上手くいっているとは聞いていたが、関係は本当に良好みたいだな。
マネージャーの子がブザーを鳴らす。そこで安達も佐竹も動きを止めた。佐竹の勝ちだ。
グランドに崩れ落ちる安達の肩に、そっとマネージャーの子が手を置いた。佐竹が何かを言って背を向ける。ゴールの横に置いていた鞄を背負うと、俺達に気づいて、ニッと笑みを浮かべる。息を乱した様子は無い。
「待ってて、すぐ行くから」
「あ、あぁ」
「佐竹!」
「ん?」
立ち上がった安達は、佐竹に向かって頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「うん。僕も楽しかったよ。誘ってくれてありがとね」
この勝負、やはりと言うべきか、安達から仕掛けたものだったらしい。
「どうしてまた」
「んー。僕が強いからじゃない? サッカー」
グランドと道路を隔てるフェンスを当然のように身軽に乗り越えた佐竹は、俺の横に並んで歩き出す。
「初めての経験で、思わず勝負受けちゃった。みんな、僕とサッカーした後、僕を誘わなくなるからさ。場が白けるって奴かな。だから、学校とかではみんなとサッカーしないようにしてる。体育もこっそりサボってたんだ。格上に挑戦できる人、正直、尊敬する」
「けれどあの時、俺達のことを助けてくれた」
「助けたつもりは無かったけどね。ただ、なんだろう。君と真神さんに、変な話だけど、興味が湧いたんだよね」
「興味?」
「あの状況で。圧倒的に不利。誰が見ても負けるという状況で真っ直ぐに相手を見据えられる。自身の勝利の未来すら確信している。そんな君たちと同じピッチに、立ってみたかったんだ」
そう言う佐竹の顔は、穏やかだった。
「だから、楽しかった。運動苦手そうな真神さんも本気で走って。君も、思いのほか、というか、いつの間に練習したのってくらい強くて、眩しかった」
「運動、別に苦手じゃない」
アリサは心なしか少しだけ頬を膨らませてる。
「あはは。そうだね。うんうん」
佐竹はそう言って伸びをして、バス停で足を止めた。
「じゃあ、僕はこっちだから」
「あぁ」
ちらりと時刻表を見ると、県営の運動場へ向かうバスに乗るようで。
「練習か?」
「うん。今度は、どこかによって帰ろう」
「あぁ、機会があれば」
「ヒヒっ。機会とは作るものさ。二人も、また」
「ん」
「頑張ってね、練習」
「ありがとう」
バスに乗った佐竹を見送り、家の方向に足を向けた。先程までの二人のワンonワンが頭に浮かぶ。
俺は、あんな風に向かって行けるのだろうか。例えば、アリサに。今回のテストだって、沙良にちゃんと正面切って向かって行けていただろうか。
あぁ、そうか。普段、どこか抜けてる沙良が、テストではケアレスミスが少ない理由。本気、だからか。俺はあの五年、本気の、心の底から本気だったから、強敵と渡り合えた、アリサに、本気を出す選択を選ばせる程、追い詰めることができた。
「本気、か」
口に出して言うことは簡単だけど、本気って、難しいな。
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