第21話 魔神王様の失敗。
学校も本格的にテスト前の期間となり。俺とアリサ。沙良にも関係の無いことだが、部活動が休みになる。
そうなれば放課後の教室や図書室は、テスト勉強をする人に埋め尽くされる。
この学校は進学校。成績上位者というのは嫌でも有名になり、注目される。入学してから学年一位の席を誰にも譲っていない沙良。それに続く俺。サッカー部でも活躍している文武両道の安達。
そんでもって今回、編入試験満点という特大の戦果を引っ提げて参戦するアリサ。
そんな四人に待ち受けているテスト前イベント。
勉強会での講師役である。
「……最低限、公式を覚えてから物を言った方が良いと思う」
そしてこれは、アリサに質問した一人の女子生徒に、容赦なく浴びせたお言葉である。
それは「あー。なんだっけ? やば、覚えてない」なんていう、他愛の無い発言。けれどアリサは容赦しなかった。山なりの緩いボールを投げたら、百五十キロのスライダーで投げ返されたような気分だと思う。
「質問権どころか、発言権すら取り上げるな。わからないから聞いているんだろ」
流石にヤバそうだと思い声をかけるが、アリサの放つ圧が緩まる気配は無い。
「後から覚えれば良い。後で誰かに聞けば良い。そんな甘えた姿勢は許されるべきでない。授業があるのならまずはそこで覚える努力をするべき」
言っていることはごもっともだ。でも、講師の態度としては難がある。
いや、教える側として、アリサは完全に駄目というわけでも無い。教科書の練習問題部分の最後の方の応用問題は、しっかりと分解して、ちゃんと過程を追って、躓きそうなところは重点的に解説してくれた。
「基礎とは絶対に必要な武器だから基礎。武器を扱えない者に、この先を戦うことはできない」
アリサの言っていることは、わからないでもない。正直、正しいと思える。だが。
目の前で、半泣きになっている子を見て思う。誰も茶化すことも横槍を入れることも、ましてや反抗することができない。そんな圧がある。
わかっている、優しいだけじゃ、国は守れない。まして、大国から戦争を仕掛けられているような国だ。これもまた、アリサなりの導き方だって、俺は考えることができる。アリサにそういうあり方が染みついてしまっていると、納得することはできる。
だが、アリサのこれまでなんて、俺でも完全に知っているわけじゃないんだ。他のクラスメイトには文字通り、別世界の出来事だ。
雑談の声すら止んだ静かな教室。
「アリサちゃん。ちょっと代わっってもらっても良い?」
そんな絶対零度の空気が漂う教室に、緩くてふわっとした声が響いた。甘ったるいけど、好きな声だ。
「はい、じゃあ、ちょっと見ててね。なんで公式がこの形になったか、順を追って計算してみるから。というかこれ、覚えなくても自分で導き出せちゃうんだよね。円周上の点と、中心の距離を利用して……」
そんな様子を、アリサはじっと見ていた。沙良に役割が取られたことを不満に思っているわけでも、気まずくなったけど離れるに離れられない、そんな袋小路に追い込まれたわけでもなく。ただ、何かを試して、何かを得ようとしている。そんな風に見えた。そんなアリサに誰も、視線を向けない。誰も見ようとしない。
沙良が動いたことで、教室の空気が少し緩まった。
「あっ、えっと羽賀君。こっち来てもらっても良い?」
「あ、あぁ。今行く」
その日、アリサはそれから、下校時刻まで一人ぼんやりと座っていた。
「この世界は、やっぱり。平和」
「まぁ、平和だな。あんな圧力を向けられる体験なんて、している奴の方が珍しい」
リビングで勉強をしていた。風呂から上がって来たアリサは、椅子に座る俺の横に立ち、何かを迷うように俯いた。
少し上気した頬、黒のレースのような生地の薄手のパジャマから覗く肌も少し赤い。柑橘系の入浴剤の香りがした。
シャーペンを置いた。アリサが何かを言い淀むのは珍しい。それ程のことなのだろう。
きっちりと正面から向き合って、言葉を待った。
「……何が悪かった? アリサは」
「急にどうした?」
「今日のこと。アリサが良くないことをしたのは、流石に、わかった」
勉強会でのこと、アリサも結構気にしていたようで。
普段からは考えられないくらい弱々しい、小柄な少女がそこにいた。
「サラのこと、ずっと見てた。サラはとても優秀な教師になれる素質があると思う。けれど……わからない。アリサには」
俯いたまま、ぽつりぽつりとアリサは言葉を続ける。
「厳しくするだけが正しくないのは、わかる。けれどアリサは、何を間違えたのかわからない。どうするのが正しかったのか、わからない」
アリサは王だ。疑いようが無い。あり方を示すと言っていた。アリサは、強い。疑いようが無い。そう。アリサは正しくて、強い。
だからだろう。沙良のやり方が正解だったとわかっている。でも、それはアリサが信じ続けて来た正したとは違うから、頭が理解しても、心が納得してくれないのだろう。
「アリサには、アリサの思う正しさを実行するだけの力がある。でも、それは全員が全員、そうではない」
「当然。でも、アリサも、まだ足りてない」
アリサの間違えたことは言ってしまえば、空気を読むというところにある。空気を読む。大体の人が、無意識レベルで必要だと理解していること。ある種の生存本能。場の空気を乱さず、環境を壊さず。円滑に集団生活が営めるように、皆が皆それぞれの役割を演じること。
でも、時にそれが必要無い、何なら、自分で空気を作れてしまう人がいる。
アリサは自分が強いことを知っている。しかし、今のアリサは。
「俺が思うに、アリサは自分の存在がこっちの世界の人に、どれだけ影響を与えるか、まだ把握しきれていない」
それは仕方の無いこと。これから、覚えていかなければいけないこと。
「アリサがクラスを支配したいってなら話は別だけどさ」
「興味ない」
アリサがそのつもりでも、アリサが自然体で振舞い続ければ、いずれそうなる。
「なら、バランスを取るんだよ。バランス。自分と相手のパワーバランス。突き放しても自分から立ち上がって登ってこようとする奴ばかりじゃない。やり取りの中で、上を取らせず、上を取らず。突き放した後に、その人の負けん気に期待せず、手を差し伸べる。できるか?」
「……わからない」
「珍しく弱気だな」
「やったことが無い。寄り添う。壊してばかりのアリサに、できるなんて、思えない。アリサには……」
「魔術しかないって?」
「ん」
失敗したって実感が、意外と心に来てるな。覇気も放つ言葉もどこか弱々しい。
「本当に、なかった。何も。魔術だけで、ここまできた。アリサは」
そんなこと無いだろ。そう言えたら楽なのに。俺は言えなかった。俺がアリサを知ったのは、あの戦い。魔王城王の間での、一対一で向かい合って戦った時で。
俺に、アリサを語る資格は無い。でも……。
「山登りの時、アリサは一人、助けることができた」
「あれは、必要、だったから」
「でも、アリサ、寄り添うということが、完全にできないってわけじゃない。その証明だろ」
「で、でも」
俯いて、顔を上げようとしない。その頭に、手を置いた。
「それに、キャンプの時も言っただろ。これからがあるって」
「これ、から」
そう、少なくともこれからしばらくは、一緒に歩いていく。過去に何があったか、アリサがどんな道を歩いて来たかは知らない。でも。
「躓いたらまた立ち上がれば良い。立てなくても、俺が引っ張って立たせる。俺が躓いたらアリサ、頼むよ。歩き方を知らないなら、並んで歩こうぜ。不格好でもよ。だから。一緒に悩もうぜ。俺だって、アリサに教えられるほど、上手じゃないからよ」
言い終わって思う。柄にもないことを言った。……こんなので説得できて、納得してもらえて、頑張ってもらえたら、苦労しないよな。
「あー悪い」
「何で謝る?」
「いや、えっと」
「良い言葉だったと思う。あなたは騎士、アリサの。騎士にそこまで言われる時点でアリサは主君として失格。でも……失格したからと言って、逃げる気は無い。ありがとう。目が覚めた」
アリサは目を閉じて開いた。ただ、それだけ。そこにあったのは。
「アリサは魔神王。臣下が諦めず、希望を示したというのに、アリサが諦めて良い道理、どこにあるか」
そっと胸の前で手を握り。アリサは……儚げな笑みを浮かべた。つぼみが綻んで花開くように。柔らかく。そこだけ少し明るく彩られたような気がした。
「ありがとう。アリサの騎士」
「……おう」
ただ微笑んだだけ。でも、その笑みは脳裏に焼き付いて。
眠ろうと思って目を閉じても。脳裏に浮かんで離れなかった。
そして次の日の放課後。
「想像上の数字、数直線上でも表せない。概念だけがある。けれど、現実世界でも役に立っている。それが虚数」
棒読みに近い話し方なのに、どうしてかよく通る声が響く。黒板の前に堂々と立ち。アリサは関数グラフを描いた。
「ちゃんと使われている概念。あなた達がゲームで遊ぶなら、その中にも。これが無ければ、もっと使いづらいものになっている。知らないうちに、この概念にとても助けられている」
「虚数ってどこで使うの」 という雑談レベルの会話を聞き逃さなかったアリサ。
そのまま複素数の方向に話を広げていく。
「画面上の座標指定を数式で……さっき言った、z=a+bi、短い式で行える。これにより処理が楽になる。対象を回転させる時とか……役に立たない知識なんてない。直接の関りがない知識はあっても」
チョークを置いて話をそう締めくくる。
……なんだろう。他愛のないことにもしっかりと寄り添おうという姿勢は見えるけど、やり過ぎかな。もう少し緩くても良い。アリサにそれを求めるのは酷だとは思うが。と思っていたら、予想外にパチパチと拍手が起きた。
「すごくわかりやすかった」
そう言ったのは、さっきまさに「虚数ってどこで使うの」と言った女子生徒で。その言葉が合図のように、拍手がさざ波のように広がっていく。
「ん。嬉しい。わかってくれたのなら」
「じゃあさじゃあさ、この問題も教えてよ」
「あっ、愛華ズルい。あたしも」
「えー、麻衣は今教えてもらったじゃん」
「任せて、教える。どっちも」
「アリサちゃん、山登りでも助けてくれたし、今度なんか奢るね」
「ん。楽しみにしてる」
そしてあっという間に女子のグループの中に入っていく。
……まぁ、この調子なら、上手くやるか。
「匠海君。今、少し寂しいとか思った?」
「いや。そんなことは無い」
「そっ。んー。私も頑張らなきゃなぁ……アリサちゃん、負けないよ。絶対に」
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