第20話 違和感と飲み込まなきゃいけない気持ち。
次の日の朝から、異変は起きた。
ふとした時、沙良からの視線を感じるのだ。
「どうした?」
「ううん。何でもない」
問いかければ、仄かな笑みを残して、そっと目を逸らされる。
昨日の魔術の影響か……? いや、それは無い。アリサが確認している。じゃあ、他に何が理由だ。
心当りはない。怒られるようなことでもしたのだろうか。いや、それならまずは話し合いになる。沙良ならまず、対話だ。沙良は優しい人だ。正気じゃない時でも、足を滑らせて木から落ちそうになっても、俺を一緒に引きずり落とさないように手を離すような奴だ。だから、対話を仕掛けてくるはず。
けれど。
「ん?」
うん。まただ。
探るような目をじっと向けて、気づかれたと判断したらそっと逸らす。
ずっとそれを繰り返している。朝食の時も、火を起こしていると背中にずっと視線が突き刺さっていた。
「あー、綿貫さん、ちゃんと手元見ないと危ないよ」
と、佐竹に注意されているのが聞こえた。ご飯を炊いて味噌汁を作るだけだから、昨日よりは作業は楽だった。
アクティビティのフリスビーゴルフ中も。……高校生にもなって何をしているのだろうと微妙な気分になっている時も感じる。
昼食のピザ作り体験中も。
「……これ、楽しい」
「具材乗せているだけだろ」
「……生意気」
「さーせん」
アリサは心なしか、仄かに頬を膨らませている。
横から突き刺さる視線が無ければ、俺も口元を緩めていたかもしれない。
一日中そんな調子で。校外学習が終わり、帰り道。
「それじゃあ、また」
「うん。また」
家に入って思わず、ため息を吐いてしまった。
「ん?」
そんな俺を見て、アリサが首を傾げた。
「あー。沙良がなんか、様子が変なんだよ」
「変だと思うなら直接聞けば良い」
「はぐらかされた」
「それでも。うだうだここで悩むより、良い」
アリサの言うことはその通りだ。だけど、そう簡単に、単純に、あっさりといかないのが人間関係だ。
だけど。そうだ。理屈では、そうだとわかっている。アリサの言葉に納得するのと同時に、現実というものが見えていて。けれど、俺の経験が知っている。
言わないで後悔することの方が多いと。取り返しのつかないところまで後悔を引きずってきてしまうことがあると。
「そうだな」
「ん。そういう顔して。アリサの騎士なら」
「どういう顔だよ」
「覚悟が決まっている顔。情けない顔をしない。あの時は、とても良い顔だった、アリサと戦った時のあなた」
そしてアリサは指を一つ鳴らす。瞬間。玄関の扉が開き、俺は吹っ飛ばされた。
気がついたら、沙良の家の前に転がっていた。咄嗟に強化の魔術使っていなければ、そこそこの怪我をしていたかもしれない。
……話してこなきゃ、家に入れてもらえなさそうだ。
呼び鈴を鳴らした。
「沙良、俺……匠海だけど」
「どうしたの?」
扉がすぐに開く。顔を覗かせたのはほんの五分前に顔を合わせたばかりの幼馴染。
「いや、なんかその、様子が変だったからさ」
「あー。気にしないで良いよ」
「でも」
「ううん。大丈夫」
沙良は首を横に振る。
「私は、大丈夫だから。それよりも、そろそろテスト期間だよ。勉強勉強」
誤魔化しているのは嫌でもわかった。けれど沙良の口は堅い。勘単には割ることができない。
だけど、もしもだ。沙良が、俺の五年間のこと。アリサの正体に気づきかけているとしたら?
もし、そのことを問いかけられたら。俺はなんて答える?
「そうだな。今度こそ、沙良に勝つよ」
「ふふん。やれるもんなら、やってみんしゃい」
胸を張ってトンと叩いて見せる。
「負けないよ。まだ。安達君にも。アリサちゃんにも。匠海君にも。誰にも、まだ、負けない」
その目は、戦場で何度も見た。覚悟を決めている人の目。真っ直ぐで、テコでも動かない。一度その目と合ってしまえば、逸らすことは叶わない。
「わかった。でも」
「うん。本気で来てね」
本気で。本気で挑む。本気で挑んで沙良から学年一位の座を奪えればきっと。きっと俺は、五年越しに決着って奴をつけられる気がする。
高校の入学式の日。新入生代表としてステージに立つ沙良を見て思った。
しっかり者だけど、変なところ抜けていて。いつも近くにいてくれた人で。だけど今は、俺達の代表として皆の前に立っている。
例えば、受験の前に告白していたら、恋人として入学していたと思う。いや、合格発表の直後でも良いと思う。でも、今は、こうして入学式を迎えた後だと。
実際、沙良は軽快な高校生活のスタートを切った。気を抜かずに勉強して、一年の最初のテストから学年一位の座を守り続け。俺は二位に甘んじ続けた。人が好い沙良は、その気になればクラスの中心の、所謂カースト頂点の玉座に座れただろう。
でも、沙良は俺の傍を離れず、俺もそれに甘えた。クラスの中心で賑やかな人達とわいわいと過ごす高校生活を、沙良は選ばず。程よく困らない程度に関わる。そんな。
「私だって、一緒に過ごす人くらい選ぶよ」
一度軽く、そのことを指摘してみたことがあるが、沙良はそう言って首を横に振った。
「どうせ大人になったら嫌でも苦手な人と過ごすことになるじゃん」
だったら、今は一緒にいたい人と、一緒にいるって。
「匠海君と一緒。一緒にいたい人と一緒にいられれば、私も満足」
でも、沙良は、もう。
沙良に、もう俺は、必要無い。
沙良が俺と一緒にいる理由は、もう無い。
だって沙良は、中心になれる人だから。俺とは違う。
自分より遥かに凄い人と一緒にいたいものじゃない。それでも一緒にいる人はその人の事が好きか、その人と一緒にいる自分に付加価値を見出しているか。だっけ。
その二択なら僕は、間違いなく前者だと言えるのに
なんの成果も得られなかった。アリサはその報告を、一つ頷いて何も言わなかった。
「なーんも成長してないな。俺」
五年。本当に戦っていただけなんだな。
部屋に入ってベッドに身を投げ出した。
「……いや」
起き上がる。こんなところで物思いに、感傷に浸っている暇じゃない。
「勉強だ」
まずはテストに全力で臨む。今回はこれまでと違い、アリサという強敵がいる。アリサと沙良に勝つつもりでいかなければ、今の順位をキープすることすらできない。
五年のブランクは……テーブルの上で開きっぱなしの参考書を見る。
授業にはついていけている。だが、明らかに問題を解く力、問題を見た時の解く道筋を思いつく勘や応用力は間違いなく落ちている。
説明書は覚えているけど、使い方が覚束ない。そんな感覚だ。
「これは、なかなか厳しい戦いになるぞ」
沙良に勝つ。一年生の二回目の試験までは、本気でそう思いながら勉強していた。勝てなかったけど。それからは、順位をキープして、沙良の近くにいても誰にも何も言われないようにすることだけを考え続けた。
「できた。夕飯」
そんな声に振り返り。時計を見た。
あぁ、二時間しか経ってないけど。……なんか疲れたな。
「悪い。すぐに行く」
今日は沙良も疲れただろう。アリサがいる生活になって恐らく初めての二人で食べる夕食だ。
しばらく、テスト期間が終わるまではこうなる。沙良も勉強を優先する。中学の頃からそういう取り決めだ。
「? 勉強?」
「あぁ。テストも近いからな」
「テスト……知ってる。テスト。受けたことがある」
コクコクとアリサは頷く。
「あぁ、魔人族にもあるんだ。いや、学校があるならあるか」
「ん。半年に一度。殺さなければ何でもあり。決闘大会」
「……物騒な」
「心外。あなたに言われるのは」
振り返り歩き出したアリサの後を追う。
「人を物騒の代名詞みたいな扱いしないでくれ」
「言ってない。そこまで」
「ははっ」
思ったよりも大きな声量。思わずどうしてか笑ってしまった。
「……何、急に」
「ううん。なんか、楽しくて」
「? よくわからない」
小首を傾げて、その動きに合わせて髪がふわりと揺れた。背中越しで見えないけど、きっとピクリともいつも通り、浮かぶ表情は乏しいを通り越して無いのだろう。でも。
「アリサ」
「ん」
「その……アリサは、楽しいか?」
「ん。楽しい。こっちの世界での毎日は」
「そっか。なら」
なら、こっちの世界で暮らす。それも視野に入れてみないか?
俺は、今、何を言おうとした?
アリサがちらりと振り返った。きっと今の俺の顔には、曖昧な笑みが浮かんでいる。近づいて見ればきっと、アリサの目には、中途半端な顔をした俺が、映っている筈だ。
気持ち悪い。
自分の願望を俺は、押し付けようとしたのか。
気持ち悪い。
俺は知っているだろ。突然知らない、人脈は無く、今までの常識の殆どが通用しない世界に飛ばされる怖さを。この世界の誰よりも知っている筈だろ。
気持ち悪い。
だというのに、怖さも、心細さも、知っている筈なのに。
気持ち悪い。
俺は今、何を言おうとした?
「……夕飯。食べよ?」
「あ、あぁ。そうだな。食べよう」
もう、誤魔化しがきかなくなってきてる。飲み込め。俺が五年の間に、多少は成長した、大人になったと思うなら。飲み込め。
飲み込め。
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