第19話 二人の夜。
誰も覚えていないけどなぜか全員気絶していた。けれどそれを誰も疑問に思わず、キャンプファイヤーを再開、つつがなく終了した。
「どうにか上手くいったな」
「ん。認識阻害の応用も組み込んだ」
「なるほどな」
アリサは静かに俯いて、そして、普段より弱々しい声で。
「……怒らないの? アリサは、余計なことした」
「良いよ。反省してるの、見ればわかる」
「ん……浮かれてた。ちょっと、楽しかったから」
「そっか」
それから男女別、二班ごとにロッジで雑魚寝。知らない人が近くで寝ている環境には慣れている筈なのに。
「……眠れん」
向こうの世界から帰って来て、寝つきは良くなった筈なんだけど、心がざわつく。生活に余裕が生まれたからだろう、自分の気持ちに、自分の変化に敏感になって、色々考えられるようになって。俺は今こうして、落ち着かない。
自分の気持ちがわからなくなってる。こっちに帰ってくる原動力になった確かな柱が、ぐらついている。
外に出た。夜の森。草の匂い、虫の鳴き声。木々の隙間から月明かりが差し込んで、優しく闇を照らしている。キャンプファイヤーをやった広場まで出ると夜空が、星空が、よく見えた。
その中央。すっかり見慣れた小柄な少女。
「なにやってんだ?」
「あなたこそ。アリサは、空を見ている」
「標高高いから、よく見えるよな。星」
「ん」
ちょっとしたレジャーシートをイメージして、術式に魔力を通す。……よし、上手くいった。
一度できるようになると、そういう回路が出来上がったような感じがする。繰り返せば剣のように特に意識せずともできるようになるだろう。
「ほれ。座れよ」
「……ありがと」
レジャーシートを敷くと、アリサはその上に横になった。その横に座る。
「……思いつかない。あなたへの恩返し」
「気にすんな。……まずは、自分が帰る方法、見つけろよ」
チクリと、胸に棘が刺さる感じ。アリサなら、きっとすぐに方法を見つける。そして、自分の世界に帰る。喜ばしいことじゃないか。喜ばしいことなんだよ。
「帰られたら良いな、向こうに」
「……ん」
チクリとまた、胸の内に、小さな棘が刺さる。
「なぁ、聞いて良いか」
「なに?」
「どこまで、進んでるんだ、研究」
「芳しくない。やはりわからないことが多い。世界の狭間」
「マジかよ」
「ただ、アリサの概念魔術で道をこじ開けることができるのは確か」
「概念魔術って?」
「概念を具現化する魔術。現象を用いず結果のみを発生させる魔術。アリサが得意なのは破壊の概念。父上には劣るけど。父上の破壊の概念魔術は、正直、上、アリサより」
アリサより上って……いや、待て。それより。概念魔術がどういうことか。
「……つまりあれか。破壊の概念魔術は、爆発とか何かぶつけるとか、そういう現象を起こさずに、それが破壊されたって結果だけを発生させる、ってことか」
「その理解で良い。ただし、燃費が悪い。それに、壊すだけなら他の魔術で事足りる。だけど、間違いなく強力。防げないから。父上は凄い。少ない魔力でポンポン使う」
「父親、強いのか」
「アリサは全属性に適性がある。創造の概念魔術に適性が無いのは、最近わかったけど。父上は破壊の概念魔術に極端に適性がある。あと、儀式魔術の達人」
オールマイティか特化型かの違いか。どっちが強いとは、今は言い切れなさそうだ。
「あなたの魔術も概念魔術。創造の概念」
「それは、知らなかった」
「知らないのも無理はない。概念魔術の存在は伝わっていない。ヒト族の一部にしか」
何となく腑に落ちた。ウェポンズ・ビルドと呼ぶより良さそうだ。創造の概念魔術。確かに、鉄とか木とかを作り変えずに、直接、作ったという結果を起こしていると言えるな。
「まぁとりあえず。破壊の概念魔術で、道を作るのは可能だと」
「そう。あとは、ピンポイントで目的の世界。様々な魔力が流れ吹き荒れる世界の狭間を通りつつ、無数にある世界の中から間違えずたどり着けるか。問題は山積み。世界の穴を通して父上の魔力を感知するのは無理だった」
大きな一歩は無くても、着実に頑張りを積み重ねている。
自分の世界に帰りたい。その気持ちはとても、痛いほど、わかる。そのために前へ、前へ、ひたすら突き進み続けた日々を、俺は体感しているから。
それでも、何で俺は、言葉を、詰まらせるんだ。
わずかな沈黙、ちらりとアリサの視線がこちらに向けられたことに気づく。
「……あー、あの自分の時間を遅くする魔術って奴。あれで研究時間何年分も確保とか、してるのか?」
「してない。副作用が大きい、あの魔術は。それに」
誤魔化すように、絞り出して重ねた質問に対する答え、アリサはどうしてか言葉を切って目を逸らした。
「それに?」
「今は、この世界のこと……もっと知りたい。そう、思っている。だから、急いでいない」
微かに、囁くような震える声に込められた感情が、気恥ずかしさだと気づいたのは、月明かりに照らされたアリサの頬が、少しだけ赤く染まっていることに気づいたからだった。
「……アリサ?」
「だから、お願い。この世界のこと、もっと教えて。アリサの騎士」
「……任せろ。我が主君よ」
作り上げたのはアリサの大剣を模して少し小さく、軽く作った剣。差し出すと、意図を察して受け取ってくれる。俺は跪く。
剣の平で右肩、左肩を叩く。それだけ。
「剣となり、盾となる。そんな物騒なこと。ならないことを祈るけどな」
「守られるようなヘマはしない。強い。アリサは。最強」
アリサはおもむろに、ジャージのチャックが下ろした。その下に着ていたのは。例の『最強』 Tシャツ。気に入ったのか。
「アリサが強いのは、知ってる。守らなくても良いくらい強いって、知ってる。それでも。俺を誘ったのは、アリサだ。魔神王様、そうだろ?」
「ん。そうだ。確かに」
「だから、責任もって、騎士とやらの仕事、全うさせろ」
何が俺にここまで言わせ、突き動かしているのか、全然わからないけど。でも。
「これは俺の、正直な気持ちだ」
「ん……わかった」
アリサは頷いた。静かに、確かに。
「あの時、五年前、アリサに呼び出されてたら良かったよ。向こうに」
「意味は無い。もしもの仮定に。アリサはやらない。召喚の儀式なんて。自分の国のことは、自分たちでどうにかする。それが魔神王の政治」
「ははっ。そりゃ素晴らしい」
今日は、変なことばっかり言ってしまう。結構久々の野宿……では無いか。とにかく。きっと、日常の外にいるから、日常の外にいるのに、平和だから、テンションがおかしいんだ。
夜。アリサちゃんが外に出たのに気づいたのは、枕が変わって寝つきが悪かったから。家から持って来れば良かったと、後悔したから。それと、なんだろう、心臓がドキドキしてる。気持ちが、暴れ出しそうだった。
ただの好奇心。アリサちゃんを探しに、私は外に出た。
夜の山の中は怖くて、でも、神秘的で。空気が夏なのに、冷たく澄んでいて。空が近く感じられた。月が明るくて眩しい。
遠くに、人影が二つ見えた。匠海君とアリサちゃんだとすぐに気づけた。
二人が、夜中にこっそりと会って、話している。芝生に座って空を見ながら話している。
この距離じゃ、何を話しているかまではわからない。でも、和やかで、どこか楽し気な、そんな雰囲気を感じた。
「……はぁ」
声をかけようか。一瞬、迷った。その一瞬の間に変な光景を見た。
匠海君の手に、突然剣が現れたのだ。地面に置いていたものを持ち上げたわけでも、どこかに仕舞っていたものを取り出したわけでも無い。手の中に文字通り、現れたのだ。
夜闇の中でも、妖しく光る。アリサちゃんの背丈よりは少し短い剣、匠海君はそれを渡すと、アリサちゃんの前に跪いて頭を垂れた。
アリサちゃんはおもむろに、剣の平で匠海君の右肩、左肩を叩く。
……騎士の叙任? 一言二言、言葉を交わして、それから匠海君は立ち上がる。そこで私は、踵を返した。
私は、何を見たんだ。
理解できない。
何が起きている?
速足で自分のロッジへ急ぐ。今見た光景が理解できなくて、寝て、起きて。それから改めて考えよう。そう思ったから。
匠海君の手に、突然剣が現れた。それから、騎士の叙任と思われる儀式の動作をした。
たったそれだけ。書き表せば単純な文章。でも、その光景が、私は理解できなかった。何が起きたのか、わからなかった。
「何、何なの。匠海君……」
私の知らないところで、何が起きているの。
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