第17話 空の下で食べる味。

 「手際良いね、匠海君」

「そうか?」

「あっ、鍋貸して。お米入れる」

「おう」


 キャンプ場の炊事場。今回の校外学習は、自分でかまどに火を起こして、それで料理しろという。鍋底がすっかり煤で汚れた、貸出用の鍋を沙良に渡す。


「火をおこすこと自体は、難しいことでも無いだろ。小学生、中学生の頃にやったし」


 薪を少し追加して、団扇で優しく風を送る。


「そうだけどさ。新聞紙、使わなかったんだ」

「ん? あぁ、悪い。ちょっとやってみたいことがあったからさ」


 ナイフで木を薄く削って毛羽立たせたものを着火剤にした。向こうで学んだ方法だが、こっちの世界に帰って調べてみたら、フェザースティックというらしい。

 ティナさんに教わったこと、結局使う機会が無かったのだ。野営慣れしてたなあの人。

「そんなアウトドア趣味、あったけ? まぁ良いけど。それより、アリサちゃんのこと」

「どうした?」

「……あれで、どうやって弁当、作ってるの?」

「あれ?」


 沙良が指さした先。


「……んー?」


 プルプルと震える手でニンジンの皮を剥いている。いや、剥こうとしている。包丁で。だが、ニンジンが抉れるか、アリサの指の皮が剥けるか。どっちが先になるだろう。刃が、全然進んでいない。


「あはは。やっとくよ? 真神さん」

「良い。任せて、アリサに」

「あはは、大丈夫?」


 別の班の亀山さんにまで声をかけられてしまっている。才色兼備なイメージが定着したアリサという人物を考えれば、あまり考えられない光景だろう。 


「問題無い。見定めているだけ。このニンジンという野菜を」

「あはは」


 同じ班になった佐竹が、苦笑いで手を差しだしているが、アリサは首を横に振る。


「そっか、じゃあ、ちょっと行ってくるね」


 研いだ米が入ったボウルを持って、佐竹がこっちに来る。


「えーっと。真神さんのこと、お願いして良い? 僕じゃ無理っぽい」

「あ、あぁ」

「あっ、佐竹君、そろそろ、キャンプファイヤー係」

「あっ、忘れてた。ありがとう、綿貫さん」


 佐竹が駆けて行く。それを見送って。


「火、ありがとね。こっちは任せてよ」

「あぁ、頼む」


 どちらにせよ、下ごしらえが終わらなければ、進まないのだ。

 包丁を持って真剣な顔でニンジンに挑むアリサ。……よし。


「アリサ、大丈夫か?」

「問題無い。任せて」

「いや、見ていて不安だから聞いているのだが。魔術師は刃物の扱いはお手の物ってイメージなのだが」


 ティナさんは、というか、俺の中での魔術師のイメージは全部その人由来なのだが。物凄く手際よく、薪を細く割って、ナイフで毛羽立たせて、あっという間に火を起こして、簡単な料理をしてくれた覚えがある。とにかく手先が器用な人だった。


「同じにしないで、ヒト族の魔術師と。薬や魔晶石を作るのだって。理論を理解して術式を設定して起動させた方が早い。いちいち材料刻んで調合するよりも」

「なるほどなぁ。まぁ、貸してみろ。刃物の扱いは俺の専門分野だろ」

「……ん」 


 少し迷って、でも、アリサは一つの種族の代表だった。今、自分が作業を遅らせている原因だと、理解していないわけが無い。

 辺りを見渡して。そして、アリサは包丁を差しだした。

 別に全部、俺に色々教えてくれた魔術師に任せていたわけじゃない。簡単な物なら教えてもらって、サクサク作れるようになっている。ティナさん。あなたの教え、結構活きてます。

 今日はカレーだ。向こうにも、似たようなものだがあった。保存しやすい根菜類をスパイスで煮込むという発想なら、世界が違っても起こるのだろう。

 そんな俺の手元を、じっとアリサは見つめている。


「……もし、あなたが、向こうの世界に行く気があるなら、騎士に……アリサの」

「騎士?」

「そう。魔神王の、騎士。ならない?」


 躊躇いがちに、おずおずと、アリサにしては、言葉を選んで、考えているように見えた。

「……もう、向こうには行かないよ、俺は」


 どうして俺は、即答できなかったのだろう。アリサの提案がそんなに魅力的だっただろうか。

 いや、違う。

 これで良いのだろうかという疑問が、頭の中にちらついているんだ。唐突に帰って来れて、それから、結構楽しく高校生活をやっていること。求めていた日々の筈なのに。手に入れた後になって、これで良いのだろうかと。こんな幸せの中にいて良いのかと、今の自分が立っている場所が正しいのか、わからなくなっている。でも。


「俺は、帰って来たんだ」


 確かなのは、これだけだ。


「そう」

「急にどうしたんだよ」

「ん。欲しい人材を勧誘するのも、魔神王の務め」


 そっか。アリサに、ここまで言わせられるくらいには俺も、頑張れたんだな。


「ちょっとだけ、嬉しかったよ。でも、俺は、こっちの世界の方が、好きかな」


 向こうの世界のこと、全然知らないから、比べるほど知らないから、ちょっと違えば、この評価も覆るかもしれないけど。今の答えはそうだ。

 最強の宿敵だった奴に、認めてもらえた。そう思おう。


「匠海君、いつの間に練習したの?」


 水に晒されたニンジンとジャガイモを見た沙良は意外そうな声を上げる。


「沙良、火からホイホイ離れるな……俺は火の番に戻るぞ」


 ここまでやればもう良いだろ。

 薪を少し崩して、強くなり過ぎた火を少し弱める。


「あの、羽賀君、火が、消えちゃって」


 振り返ると女子、自分の班のかまどを指差していた。


「あぁ。ちょっと見せて。あぁ、薪入れ過ぎたね……完全に消えたわけじゃないな」


 風を送って火を復活させて、使わなかった新聞紙を入れて火力を強める。


「うん、太い薪に移ったね。しばらくは大丈夫だよ」

「ありがとう」


 その子はペコリと頭を下げて鍋を取りに行った。


「意外と器用なんだな」


 キャンプファイヤー係で離れていた安達が俺の手からひょいと団扇を受け取る。安達の班だったか。


「勉強する機会があっただけだよ」

「そうか……今度教えてもらっても、良いか? やっぱ、これくらいは、スムーズにできるようになりたい」

「? なんで?」

「あー……もうすぐ夏休みで、やっぱほら、バーベキューとか、したいだろ。そん時によ」

「……ああ、彼女さんと」

「そ、そんなところだ」

「上手くいってるんだな」

「まぁ」


 自分の班のかまどに戻ると、アリサがしゃがんでいた。


「……あなた、色々できるのね」

「そんなわけでも無い。ただ、俺ができることが活きる場面が多いだけだ」

「アリサ、この世界で生きるの、向いてない」

「魔神王様にしては弱気なこと言うな。向き不向きで物を語るとは」

「アリサには、魔術以外、無いから」


 隣にしゃがみ込んでそんなことを言って、じっと火を眺めている。


「不思議。落ち着く。好きかもしれない」

「まぁ、焚火は好きだったよ。俺も」


 太めの薪を追加して、火力が下がり過ぎないように優しく扇ぐ。


「ん」


 アリサが指を一つ立てた瞬間、魔力が動く気配。アリサから弱い風が放たれる。


「やってみるか?」

「ん」


 団扇を渡すと、アリサはパタパタと、おっかなびっくり扇ぎ始める。


「魔術以外に無いなんて、悲しいこと言うなよ」


 返事は無い。でも、きっと聞いている。だから俺は、言葉を続ける。


「これから、見つけていけば良い。俺だって、向こうに行くまで、包丁やナイフなんて学校の授業以外じゃ碌に握ったこと無かった。火起こしだって、もっとびくびくやってたし、体力もそんなに無かった。サッカーだって、もっと無様を晒していた筈さ。サッカー部と渡り合うなんて、絶対にできなかった」


 向こうでの五年間は間違いなく、俺に色々なものをくれた。決して忌々しいだけの時間じゃない。こっちに帰って来てからの時間は、それに気づかせてくれた。


「だから、できないことがあっても良い。焦るな。そのために、俺がいるんだよ。アリサはゆっくり学んでいけば良い。その上で、少しでもこっちの世界のこと好きになってくれたら、嬉しい。魔神王の騎士だっけ? 良いよ、こっちの世界で引き受けるよ」

「えっ」

「あ、扇ぐのはもう良いぞ」

「う、うん」


 息を一つ吸って、吐いた。さらっと言ったことを、今度は改めて、ちゃんと言おう。


「騎士は、任せろ。この世界にいる間は、俺がお前を、助ける」

「あ、あ……ありがと」


 ふと横を見ると、アリサの目がこっちに向いていることに気づいた。目を少し見開いて、驚いて固まっているように見えた。

 目が合って数秒、アリサの口が、小さく動き出す。


「あ、え、えと。少し、休んで来ると良い。火は、見てる」

「あ、あぁ」


 そうだな。少し新鮮な空気吸って来るか。

 入れ替わりに、カレー鍋を持って沙良が来た。手を差し出すと、鍋を渡してくれたので、かまどにひょいと乗せる。

「これも、アリサに任せて」

「うん。お願いね」


 少しして、ジューっと水と油が弾ける音が聞こえた。続いて感じたクリーミーな膨らむような香りは、バターだろうか。とりあえず、ここからはお任せだ。


「匠海君、いつの間に料理とかできるようになったんだね。あーあれか。下ごしらえ、匠海君がやってたんだ」

「まぁ、そんな感じだ。前日の夜にな」


 都合の良い勘違いしてくれた。否定しなくて良いだろう。


「なるほどねぇ。うん。納得だ。アリサちゃん、全然火を怖がってないし」

「まぁな」


 アリサが火を怖がって竦むようなら、あの時俺に斬り殺されているところだ。


「アリサちゃん、好きでしょ、結構」

「急になんだよ」

「どうなの?」

「あー」


 好きか嫌いかの二択で言えば、嫌う理由が無い。ただ。俺が好きなのは……。


「匠海君?」


 俺はどうして、騎士になるなんて、言えたのだろう。不思議と、迷いなく言えた。躊躇いなんて、無かった。


「沙良、あのさ」

「ん?」

「……いや、なんでもない」

「うん?」


 俺は、沙良に言えていないことがある。高校入学したら言うと言っていたことを、未だ保留している。

 勇気が出ないまま。気まずくならないように、今の関係を維持できるように。そんな便利な言い訳を繋ぎ続けて一年。

 言えなかった後悔の中、必死に戦った五年。

 二十二歳。大学四年、あるいは、社会人としてバリバリ動ける中堅扱いされる頃か。

 沙良のところに帰る。向こうの世界に帰る。口癖のようにそう唱え、ひたすら、休む時間すら惜しんで戦い続けた。 

 何人、殺したのだろう。右手を上げて下ろせば作り出した武器が勝手に殺してくれる。初めての人殺しは、あっけないもので。ゲームでボタン一押しすれば敵が吹っ飛んでいく。そんな感覚と、何も変わらなかった。

 でも。俺の手は確実に血に濡れていて。どす黒い赤に染まっていて。

 その事実を、理解してくれるのだろうか。受け入れて、くれるのだろうか。

 違う。俺の手が汚れる前から、俺は迷い逃げ続けた。罪を言い訳にするのは、違うだろ。


「匠海君? どうしたの? 急にボーっとして」

「何でもない」


 既に具材にある程度火を通して、水は入れ終わったらしい。アリサがグッと伸びをしながら新鮮な空気を吸いに来た。

 ジーパンに黒のTシャツという無難な恰好はこの間揃えたもので。少しだけ疲れが見える。アリサの一挙一動一挙手一投足にどうしてか目が奪われた。

 完成したカレーはなんというか、優しい味がした。鍋を開けた瞬間、辛味を感じるスパイスの香りがふわりと香って。アリサが少したじろいだけど。


「はい、アリサちゃんにはこれでしょ」


 沙良がわざわざハチミツを持参していて。


「ありがと」 

「あ、僕ももらって良い? 仕上げはやっぱりこれだね」


 結果的に作業がスムーズに進んだおかげで、じっくり煮込めたカレーは、野菜が殆ど溶けていて。肉も柔らかい、少し黒みがかったカレーは。程よく舌を痛めつけてくれる辛味を感じさせながらも、深いところには野菜の甘みもある。スパイスの香りと一緒にじんわりと口の中を焼いてくれる。


「スパイスをローストしておくのがポイントだよ」

「へぇ」


 ふむふむと沙良は頷いていた。佐竹はサッカーだけの男ではないらしい。

 外で食べる料理に今更何の感慨も抱かないけど、一つ言えるのは、襲撃があるかもしれないとか、明日の作戦のこととか悩まずに、外の空気と景色を楽しみながらご飯を食べるのは悪くないと。それだけは確信をもって言える。アウトドアな趣味を持つ人が多いのも納得だ。

 

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