第16話 和やかな山歩き。
校外学習当日、荷物を背負って学校の前に集合。
「ま、間に合った……」
「あっ、匠海君。どうしたの? こんなギリギリに」
声がした方を見ると、実行委員として少し早く来ていた沙良が不思議そうに見上げていた。
「……色々あった」
今朝。少し早い時間にしっかりと目覚めて。身支度を整え、玄関で待っていると、何も荷物を持っていない、沙良と一緒に選んだ服に着替えただけのアリサが、階段を下りて来た。
「あれ、アリサ。荷物は?」
「ん」
アリサが指を鳴らし、出現した魔術陣に手を突っ込むと、そこから出てきたのは、今回の校外学習の栞。……収納魔術に全部仕舞ったのか。魔剣もそこに片づけていたよな。
「って、いや、駄目だろ」
「? 何が?」
きょとんと首を傾げるが。俺の姿を見て納得したらしい。
「……意外と、大荷物になるんだ」
すぐに納得してくれたアリサ。クイっと指を振ると、リュックが部屋から飛び出してきた。空のリュックを背負って。
「行こう」
「……それで良いのだろうか」
「……服だけ入れておく。誤魔化しは必要」
「んー」
術式起動。えっと……確か、魔術破壊の術式があった筈だ。それを組み込んだ剣を作り出す。アリサが栞を魔術陣の中に片づけようと発動させた瞬間。俺はその魔術陣を斬った。その瞬間だった。
「うぎゃ」
「うわっ」
金銀財宝武器、魔術道具。エトセトラエトセトラ。が一気に、派手な音を立てて出現した。
お互い、大量の荷物に流され、壁に背中を打つことになる。
「……すまん」
「……良い、結界、間に合った」
咄嗟に家が壊れないよう、結界を張ってくれたようで。だが、お互いの姿が荷物に隠れて見えない。荷物の山が天井まで届いていた。
「どうして?」
投げかけられたのは真っ当な問い。強引な手段に出て、こんなことになって、とても言いづらいが、アリサに嘘も誤魔化しも通じるとは思えなかった。
「荷物の重さを味わうのも、キャンプの醍醐味かなと」
通じるとは思えなかったけど、俺の口は誤魔化しを紡ぐ。
「そう」
帰って来た答えはそれだけ。
綺麗な言い方を、してしまった。悪戯心なんて可愛らしいものじゃない。
一皮剥けば、ただちょっとだけ。ちょっとだけ。アリサを、同じステージに……こちらの世界の側に引っ張りたくなった。そんな、醜い、身勝手な願望。
まさか、こんな量が入っているとは思わなかった。とか言い訳にならない。想像くらいできた筈だ。怒られても、何なら、軽く痛い目を見ても仕方ないとは思っている。浅はかだった。
「完璧に術式が破壊されている。構築からやり直し……えっと」
ごそごそと荷物を漁っている音。えっ、もしかして。
俺が破壊したのって、結構面倒な魔術?
結論から言うと、ちゃんと魔術的に精製した紙に、自分の血液由来で作り上げたインクを使い、魔術陣を書いて起動して、自身に埋め込むという、かなり面倒な手順を踏む魔術だった。儀式魔術に分類されるらしい。
ヒト族の魔術師なら紙とインクの精製にまず、一日かけていたところだろう。
「申し訳ない」
「良い。手間じゃない」
その過程も、アリサが指を鳴らせばすぐに全自動でこなされたのだが。
「無警戒で不用意な行為」
「はい」
「でも、そう。理由は、納得した」
魔術陣を書いた紙が、アリサの手の中に消えていく。指を鳴らすと、玄関を埋め尽くしていた大量の荷物が、出現した魔術陣の中に消える。
アリサは、じっと空のリュックを眺め。そして。
「あなたの言葉に、従う」
こくりと小さく頷いて。そう言った。
「そういえば、物には簡単な術式しか付与できないんじゃなかったのか?」
「儀式魔術は術式付与とは違う。指定した空間に対して発動する魔術。この収納魔術はアリサという空間に対して発動している。極論を言えば、あらゆる魔術は全て儀式魔術」
「どういうことだ」
「あらゆる術式は、魔術陣に変換できる。そして、儀式魔術は魔力を扱えれば誰でも発動できる。ただし、これが術式付与との大きな違いでもある。術式を魔術陣に正しく変換して、寸分のズレも狂いも切れ目も無く完璧な陣をかき上げ、術式を完璧に理解していること」
「んー? 火の術式なら、この空間に火を起こすという儀式魔術になるのか? 要は難しいと」
「その理解で良い。だから驚いてる。ヒト族があなたを召喚する儀式魔術を成功させたこと」
「あぁ、アリサの話聞いてると、俺の召喚ってかなり無茶なことだったんだなって思うよ」
「ん。本当に。……あなたの武器への術式付与はかなりイレギュラー。強力な特性と考えても良い。アリサに適性が無いの、悔やまれる」
「暇があったら色々術式教えてくれよ」
「ん。教える……終わった。準備」
「よし。行くぞ」
荷物を積め終わったアリサの手を取る。
「えっ」
「走るぞ。遅刻する」
「て、転移……」
「良いから、行くぞっ」
それから、俺達はダッシュで学校に向かった。気がつけば割とギリギリだった。
でも。どうしてだろ。
「ふふっ」
後ろから微かに聞こえた、控えめな笑い声。
朝の、まだ涼しい風の中。まだ完全に目覚めていない、人も車も少ない時間。知っているようで、見慣れない街の姿。二人でその中を走り抜けた。
「……面倒。あの、車とかいう箱で行けば良い」
そして、山登り。学校から近くの高い山の中腹にあるキャンプ場を目指して歩いている。
アリサは歩き出して一時間して、珍しくぼやいた。
「そういう趣旨だからな」
「そう……あなたは平気そう」
「別に、一日中歩くのだって、珍しいことじゃなかったからな」
「そう」
アリサも体力的には平気そうだが、魔術って凄い。この催し自体に飽きているご様子だ。
意外と面倒くさがりなのか。いや、必要なこと以外したくないタイプか。
学校に持って行く鞄が空なのは知っている。鞄も制服の一部と見做しているから持ってはいるのだろう。だが、教科書類は例の収納魔術の中だ。
「はぁ、はぁ、待って。二人とも、速いよー」
「ん。あぁ、悪い。沙良。いや、大丈夫か?」
「う、うん。平気。でも無いけど。匠海君、そんなに体力。あったっけ……?」
「……あぁ」
しまった……五年前の俺、そんなに体力ある方じゃなかった。多少スポーツをこなせる程度だった。一時間も上り坂を歩いて平然としていられる奴じゃ無かった筈だ。
「かっこつけたいんだね、アリサちゃんの前では」
沙良がボソッと耳元で囁く。
「そ、そうだ」
そういうことに、しておこう。
「ふふっ。見栄っ張り」
「うっせ」
前を見ると、アリサが急に駆け出した。何事かと目で追う。
「……無事?」
「真神さん? えっと、うん」
アリサが駆け寄った先、女子が一人、しゃがみ込んでいた。傍には一緒に歩いていたと思われる二人の女子。
俺達も慌てて後を追った。
「亀山さん、大丈夫?」
沙良の声に、亀山さんは顔を上げた。いつもなんかやたらキラキラした印象な顔色が、少し曇って見えたが、恐らく休めば歩けるようになる。問題は、リラックスして休めるような場所が無いこと。もう店も住宅街も無い。
「水筒は……空か」
「ん」
アリサが横から差し出してきたのは、さっきまで冷蔵庫に入っていたのでは? と思わせるくらいに冷えた、ペットボトルのスポーツドリンクだ。キャップを緩めて渡す。
「ありがとう」
「うん。まずは水分補給だ。アリサは足の具合を見てくれ」
「ん。任せて」
男子より女子に見てもらった方が良いし。アリサなら。
「冷やしタオル。とりあえず頭に乗せると良いよ」
「ありがと」
沙良から受け取った冷やしタオルを、亀山さんは額に乗せて目を閉じた。
それと同時に、アリサの小さな手がそっと足に触れ、それからなぞるように動く。そして。微かに聞こえた指を鳴らす音。治癒魔術辺りでも使ったのだろうか。全身に魔術が施されたのがわかった。
「あれ、急に楽になった。あ、ありがとう、三人とも」
「良い。このくらい当然。魔神王として」
「まじんおう?」
アリサの言葉に、怪訝そうな顔で首を傾げられる。
「あーあーあー。ほら、大丈夫なら行こう。立てる?」
「面白いね、真神さん。立てるよ。大丈夫。綿貫さん、これ、あとで何か返すよ」
「気にしなくて良いよ。困ってたら助けてもらうこと、あるかもしれないし」
亀山さんはぴょんと身体の調子を確かめるように立ち上がり、一緒にいた友達とまた歩き出す。多分、もう大丈夫だろう。
「ところで、まじんおうって?」
という沙良の言葉に、アリサは控えめに胸を張る。
「アリサの憧れ」
「へぇ。どんな人?」
「誰よりも強く、自身の信念を貫き。義理を重んじて、虐げられる弱い人々を助け、不当に力を振るう強き者を挫く。その在り方を先頭に立って示し、導く者」
「わお、カッコいい」
「ん。カッコいい」
誇らしげにそう言い切った。そんなアリサに沙良は、儚げな笑みを向ける。
「そっか……良いな、目標が、はっきりしてて」
沙良の目は、どこか遠くを見ていた。遠く、ここでもない、向こうでも無い、もっと、遠く。果てのどこか。
「いずれ見つかる。サラも。目指す背中」
「うん。ありがとう」
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