第15話 近づく距離と早まる鼓動。

 匠海君がトイレに行って、もう十分以上経過している。ちゃんとフードコートの、どの店の前かまで伝えてあるから、探すために彷徨っているとは考えにくい。


「ありがとう。サラ、これ、美味しい」

「そう。よかった。甘い食べ物が好きなの?」

「ん。そうかもしれない。ん。美味しい。今度、何か返す」


 海外で暮らしていたというアリサちゃん。日本の通貨をまだ持っていないという。だから今のところ、支払いは匠海君頼り。まぁ、仕方ない。事情が事情だ。まずはこっちでの生活に慣れてもらうのが先だし。

 ストロベリーとストロベリーチーズケーキ、濃い甘さを重ねた二段アイスをスプーンで食べ、でも、ちまちま食べるのがじれったくなったのか、少し大きく口を開けかぶり付いて。満足気に頷きながらも、でもどこか上の空のアリサちゃんもきっと、匠海君のことを考えている。


「彼は大丈夫」


 もう食べ終わったのか、コーンを包んでいた紙をクシャっと丸めながら、唐突にそう言った。


「アリサが、保証する」

「あ、あはは。ありがと」


 何だろう。流石に心配になって来たけど、アリサちゃんの言葉には、力がある。その力は根拠のない言葉も、真実にしてしまえる。少なくとも今、事実じゃなくても本当にしてくれる。そんな力がある気がする。


「……トイレ」


 短時間で二回も……やっぱり。


「大丈夫? お腹痛かったりしない? やっぱり体調が?」

「問題無い。すぐに戻る」


 ……これも海外暮らしの弊害? かな。食べ物か水が合わなかったとか? 時差が辛いとか。

 それから少しして、アリサちゃんが匠海君を連れて戻って来た。戻ってきた匠海君は、さっきより血色がよく見えたけど、何だろう、少し疲れても見える。身体じゃなくて精神的に疲れてるように見える。態度がどこかボーっとしている。

 たこ焼きを頬張りながら考える。


「……美味しい」 


 そう言って、隠し切れない嬉しさを弾ませるアリサちゃんを見て、考える。

 匠海君が、私に何か隠していること。それに多分、アリサちゃんも関係していること。

 ただの勘だ。気のせいだと流すこともできてしまう。そんな勘だ。


 でも、明らかにおかしい。そう……初めてアリサちゃんに会ったあの日。前日とどこか別の雰囲気を感じるようになったあの日から、私の中で疑念が、ドリップされるコーヒーのように滴り落ちて、心の奥底に溜まっていた。

 匠海君、一日の間に、何があったの? と。

 ……確かめたい。でも、どうやって?


 家に帰って、買った物を整理しながら考える。

 簡単な話だ。今から家に踏み込んで聞けば良い。はぐらかされるだけだ。何かあったとしても。それでもぶつかれば良い。……怖い。誰が? アリサちゃんが。なんで? 聞く相手は匠海君でしょ。ううん。やっぱり匠海君も、少し怖い。

 妙に落ち着いている。瞳の奥が、冷たい。一見いつも通りだけど。でも。


 あのサッカー対決だって。昼休みに絡まれた時から、ずっと匠海君は冷静だった。怒りもせず、怖がりもせず。ちょっと面倒くさそうにしながらも、終始冷静だった。冷静に、どう対処すべきかを当たり前のように考えていた。

 アリサちゃんのことを、アリサちゃんのクラスの中での立場が面倒なことにならないように考えていた。それは当然で当たり前で理想的なあり方だけど。それを淡々とできる人は、どれだけいるだろうか。

 そして、サッカー部の安達君からボールを奪い、反撃のチャンスを作った。匠海君、運動はそこそこできる程度で、運動部と渡り合えます何てこと、できなかったはずだ。それでいてアリサちゃんに気を使い続ける余裕も見せていた。


「……匠海君」


 窓の向こう、幼馴染の家を見ながら思う。


「匠海君、教えてよ」


 何があったの? いつ、どこで。



 しげしげと今や日本中の大体の人が持っている精密機械を、アリサは隠す気の無い好奇心を瞳に宿して観察していた。


「……これが、スマホ」


 色は黒。俺と色が被っているが、アリサはカッコいいからと頑なに黒を選んだ。そして一日で本当に届いた。日曜日の昼。宅配便で。


「……魔術の気配は感じない。これが、科学」


 手に取って起動して最初の一言。


「とりあえず、使い方は」

「問題無い。あなたと、サラが使うのは見ていた」


 そう言ってスマスマと画面を指で撫でていく。


「……あかうんと?」

「まずは初期設定が必要だな。貸してみてくれ」


 差し出してきたスマホを受け取って。ソファーに座る。当然のようにアリサは隣に座って来て。画面を覗き込んでくる。いや、アリサのスマホだから当然だけど……近いな。

 なんでこう、女の子って良い匂いがするんだろ。使ってるシャンプーとかは同じはずなのに。アリサ専用の奴とか買った方が良いのだろうか。洗顔フォームとか。


 女子高生だし化粧とかも必要だろうか? 校則的にアウトか? そうは言ってもナチュラルメイクくらいすると言うし。でも、アリサには必要無いように見える。沙良に確認してみるか。


 一緒に暮らすって、意外と考えること多いな。

 アリサはできる限り早く帰る。だから、そんな色々準備する必要無い。それはわかっている。けれど。少しでも良い環境をと思うのは当然で。でも。

 言い訳ばかりの心を静かにして。目だけを動かして横を見る。長い髪を耳にかけ、真剣な目で画面を見ている。口を真一文字に結び、もぞもぞと身体を動かしたと思えば、ほぼ密着するくらい、近づいてきた。あ、温かい。ぬるま湯のような温もりだ。


「手、止まってる」

「あぁ。すまん。とりあえず。グルグルアカウント作らないとな。アドレスはとりあえず……alisasaikyou@で良いか」

「ん。良い」

「……良いんだ」


 そんな感じで、アリサのスマホのセットアップ。最低限必要なアプリを入れて。クラスのグループチャットに招待して、沙良にアリサの連絡先送って。


「まぁ、こんなものだろ」

「ん。ありがとう」

「おう」 


 スマホを返すと、アリサは立ち上がり、向き直る。


「世話になってばかり。あなたには。感謝しても、しきれない。必ず返す」


 真っ直ぐな目で告げられた言葉に静かに首を横に振る。


「そこまで気にすんな。現状、お前が困っているのは間違いない。仕方ないだろ。それに、この街はアリサに既に二回は救われている。魔術の使い方も教えてもらった」

「その二回、直接戦ったのはあなた。あなたに魔術の使い方を助言したのだって、アリサの好奇心から来ているところもある。ちゃんと返す。別の形で。あなたが、望む形で」

「男子高校生に下手なこと言うなよ」


 まだ、身体の右側には、アリサがそこにいたことを証明する温もりが残っているんだ。

 五年、生きた。五年生きても、人は碌に成長しない部分と、確かに成長した部分がある。それを、実感する。

 俺は今、アリサ相手に、鼓動が少しだけ、速くなっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る