第8話 七夕の夜。
次の日。七月七日。今更七夕だからと浮かれるような歳では無いけど。体感年齢は二十二だからなぁ。いや、多分、十七の俺も、大して浮かれなかっただろう。
次の日起きたアリサは、昨日の夜のことが無かったかのように平然としていて、俺も話しを振ろうにも振れなかった。
「おはよう、羽賀君。真神さんと綿貫さんもおはよう」
「佐竹君、おはよう」
「あぁ、佐竹。昨日はありがとな」
入り口側の一番後ろの席が佐竹だ。入って来てすぐに、ゆるーい雰囲気でひらひらと手を振る。
「ううん。久々に楽しかったよ。真神さんも。楽しかったよ」
「ん。アリサも楽しかった」
アリサはコクっと小さく頷いた。
「うんうん」
佐竹も満足気に頷く。
そういえば、なぜユースで、プロの試合に出場することもある程のサッカーの腕を持つ佐竹が、こんな進学校にいるのか。正直この学校、俺の記憶にある限りでは、運動部はそこまで強くなかったはずだ。偶に地方大会で良いところに行くくらいで。
いや、聞くようなことでも無いか。それに、そもそもユースに行くならその学校の部の強さなんて関係ないし。
「そういえば、羽賀君はサッカーしたことあったの?」
「いや、授業でやったことがあるくらいだけど」
「そっかー。またやろうよ。今度は対戦してみたい」
「勘弁してくれ」
魔力抜きでやったらそれこそボールに触らせてもらえなさそうだ。
さて、流石に毎授業でアリサに当てられるなんて事態は無くなった。だからある意味、いつも通りの授業が再開したと言えるだろう。
昨日一日の出来事は、クラスの中でアリサに、才色兼備、でも運動はちょっと苦手。けれど頑張れる子。という印象を植え付けた。
アリサは、時々誰かに何か話しかけられているのを見る。どんな会話をしているかわからないが、多分、上手いことをやっているのだろう。流石にまだ、親しい誰か、というのはできていないみたいだけど。
「まぁ、そんなもんだよ。自分よりも遥かに凄い人の近くには、あまりいたいものじゃないしね。この学校は、あくまでテストの点数が物を言う場所だから。綿貫さんみたいにとても社交的でも無ければ、ね。真神さんはコミュニケーション、あまり得意じゃないみたいだし。それに……なんだろう、僕たちと、何かが圧倒的に、違う気がするし」
そう言ったのは佐竹だ。
「それでも近くにいたいって人は、その人と一緒にいる自分に付加価値を見出しているか、その人の事が本当に好きか、どっちかだと思う。羽賀君は、どっち?」
昼休み、自販機に一緒に行こうと誘われた。
佐竹は缶コーヒーのブラックを片手に、器用に自前のボールでリフティングしている。
「……俺は、あいつを放っておけないだけだ」
「放っておけない、か。うん。そうかもね」
ボールをポンっと蹴り上げ、缶をゴミ箱に突っ込み、降ってきたボールを足の甲でトラップして止める。……スゲーな。平然と。
「一人でできることなんて、高が知れているから。どんな人でも、隣に誰か、必要だよ」
感情が消えた声で、そう言った瞬間、予鈴が鳴る。
「……佐竹?」
そう呼び掛けると、もう見慣れてしまった緩い笑みが帰って来た。
「そういえば、綿貫さんが真神さんのこと、誘ってたけど、君は行くの? 七夕天体観測会」
「……あー」
あの毎年、生徒会主催の、高校の屋上を解放して行うあれか。
「生徒会主催の七夕天体観測にはジンクスがあってね、告白すると必ず成功するらしい」
「告白、ね」
沙良の顔が頭に浮かんだ。五年、もう一度会うために剣を振るい続けた。それが叶って。都合の良いことに、向こうの世界に呼び出された日の続きからで。
「誰か告白したい人いるの?」
「いや」
アリサの顔が頭にちらつく……昨日、魔術に夢中になって、腕に抱き着いてきて、微かに微笑んでいる顔が、ちらちらと。頭の隅に。くそっ。急になんなんだ。俺は。
俺は、アリサを向こうの世界に返す。この世界にいる間、良い時間を過ごしてもらう。
だから、このタイミングで、アリサのことを考えるのは、おかしい。
「いないな」
「そっかー。ヒヒっ。残念だよ。今日練習だからなぁ、写真送ってよ。天の川」
「スマホで星空撮れってか? 無茶言うな」
「そりゃそうだね」
いつの間にか、佐竹の中で俺も行くことになってるな。……アリサが行くなら、仕方ない。
そして、俺が言い出すまでもなく、教室に帰った俺を、沙良は誘ってきた。了承した。
そんなわけで、夜。アリサと沙良と、夜の学校に来た。
「向こうの世界と、空が違う」
アリサはぽつりとそんなことを言った。
それはそうだろうけど、俺も、同じことを思った覚えがある。太陽と月に当たるものはあったが、こっちの世界での星座の知識が殆ど役に立たなかったのは覚えている。
ふと、沙良は何でアリサを誘ったのか。少なくとも今年は、沙良は行かないという選択があった筈だ。
「どしたの?」
「なんでもない」
少し先を歩いていた沙良が振り返る。
人はそこそこ集まっている。十五人くらいか。そのうちの五人は生徒会だな。夏休み前、好きな人とひと夏を過ごしたい人は、ジンクスに縋りたくもなるか。あれ、安達もいる。彼よりも頭一つ背丈の小さい女の子と少し恥ずかし気に話している。
こちらに気づいたようで、片手を上げてきたから、右手を上げて返す。
「ほら、アリサも」
「? ん」
アリサが右手を上げて返したのを見て、安達は小さな笑みを浮かべた。
生徒会の人に先導されて、夜の校舎に足を踏み入れた。
「今年はこっちで良いのか?」
「うん。毎年一年生が担当することになってるから。正直、入学してすぐに企画一つ任せるのも酷だと思うけど、伝統は簡単に覆せないよねぇ」
「しかしまぁ、なんでアリサも誘ったんだ?」
「まぁ、転校してきたばかりだし。色々楽しんで欲しいじゃん。んでもって、一番日付的にすぐだったイベントがこれだっただけ。もちろん、花火大会にも誘うよ」
「あぁ。そういえばもうすぐか」
「今年も行くよね」
体感、五年ぶりの花火か。……見たいな。
「あぁ、行こうか」
「よしっ。……んー、やっぱりちょっと様子見てくるね」
「あぁ」
沙良が階段を駆け上がっていく。生徒会としてステージに上がる機会が多い沙良だ、一般生徒にも顔は通っているからみんな道を開けていく。
夜の校舎はどこか冷たい。普段は気にならない、関係の無い誰かの会話ですら、やけに響いて聞こえる。
階段を上がる足音一つ一つが、いつもより大きく聞こえる。
屋上に続く階段を昇るのは初めてではない。去年も、生徒会側で参加する沙良に頼まれて来たから。沙良と並んで、空を見上げた。出来上がったカップルを見送った。
一歩後ろを歩くアリサはぼんやりとしている。ぼんやりと、まだ見えない空を、天井を通して見ている。
「あなたは、好き? 星」
「星か……夜は何となく眺めちゃうよな」
「ん。占星術はあまりやらなかったけど、見てしまう。星は」
「占星術か、いたな、占星術師、王宮に。魔人族にはいなかったのか?」
「ん。運命は、未来は、自分で切り開く。それが、魔神王」
何となく振り返る。目が合った。真っ直ぐな目だ。逸らせない。石にでもなってしまったかのようだ。
小さな肩に乗っている責任、誇り、期待。背負ってなお、その存在は、足取りは、強い。
思う、もし、こっちの世界に戻されることなく戦っていたら、勝てていたか。俺一人の、帰りたいという思いと、魔人族全ての思い、ぶつかり合った時、どちらが勝っていたのか。
アリサのように、強ければ。微かな痛み。握りしめた爪が、手に食い込んでいた。
「……行かないの?」
「あぁ、悪い。行こう」
階段を昇っていく。屋上の扉が解放される。
「あ……」
アリサの目は、真っ直ぐに、星空に向いていた。
視界が急に開けて、実際よりも、景色が広く、明るく感じられた。
企画の内容はただ、星を眺めるだけ。一応、生徒会が夏に見える星座について解説はするが、悲しいことにあまり誰も聞いていない。
みんな、どこかそわそわしていた。
「おう、お二人さん」
「あぁ、安達。どうした?」
「いや、挨拶だけしとこうかなと。真神、改めて、昨日は悪かった」
「良い。気にしてない」
「お前も……羽賀、悪かった」
「良いよ。アリサが気にしてないなら。それよりも、良いのか。あの子」
「あぁ……禊、って奴だな」
「……頑張って」
アリサの呟くような言葉。微かな響きの筈なのに、安達は強く頷いた。
「じゃ」
安達を見送ったアリサの目は空に移された。
「街が、明るい。もっと、暗いところで見たい」
「山とかに行かないとな」
アリサの目は、空から、街に移る。
「そう。……この世界、凄く、満ち足りてる。みんな、笑ってる」
「散々争って、その度に話し合って、良い感じのバランスと、それぞれが良い感じの居場所を見つけて、ルールを作って、今に至る」
「そう」
「戦争って、最強の無駄遣いだからな」
「ん」
アリサは頷く。指揮する、代表する立場だからか、実感ある頷きだった。
「それでも、戦わなきゃ、いけなかった。剣を取り、魔力を練らなきゃ、誰も守れない。……今いない。魔将軍も、アリサも。頼りは、父上だけ……早く、帰らなきゃいけない」
アリサの小さな手が、遠くに置いてきた故郷に向けて伸びて、でも掴めなくて。代わりに握った金網のフェンスが音を立てて少し歪んだ。
魔神王でも、世界の狭間という壁は厚く、硬い。
「アリサ。大丈夫だ」
魔人族は強い。ヒト族の優秀な兵士たちも、魔将軍達との戦いで疲弊して撤退している。
きっと戦線はまた膠着状態だ。アリサの父親が如何に強かろうと、一人でどれだけひっくり返せることか。魔神王と魔将軍を失った状態で。
そんな理屈を並べようとした。けれど口は、上手く動いてくれなかった。
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