第7話 魔神王様の魔術講座。

 「思うに、あなた、魔術の才能、ある」


 その日の夜、お風呂から上がって来たアリサは開口一番に唐突に、そんなことを言った。

 沙良と一緒に夕飯を食べて、後はもう寝るだけの状態。

 黒のパジャマを着てソファーに座る俺の隣に腰掛け、指を鳴らすとしっとりと濡れていた髪が一瞬で乾いた。良いな、それ。絶対便利だ。


「俺が使えるのは三つだけだ。ウェポンズ・ビルド、と俺は呼んでいる。武器作る奴な。あと、強化魔術。攻撃を見切る目……これは魔眼、で良いのか?」

「ん。あなたの目は確かに魔眼。間違いない。だけどアリサが話したいのは、そのウェポンズ・ビルド。まだ、可能性、ある。解釈の広げ方次第。術式は」


 気づいたのは、アリサの表情筋は本当、固まっているのではと言いたくなるくらい動かないが、目は素直ということ。

 そしてその目は、大真面目にアリサの言葉が本気であると言っている。

 だが、解釈の広げ方とは、なんだ。


「術式って魔術発動のために設定された奴だろ。古代語? だっけ。解釈も何も。設定されたらその通りに発動するものだって聞いたけど」


 術式、古代語で描かれた文字列を頭に浮かべ、設定された詠唱を行うことで魔術が発動する。と俺は習った。詠唱によって魔力を制御、術式に設定された通りに変換し、事象改変を行う。

 だから俺がポンポン詠唱せずに魔術を使えたことで、英雄の力は本物だと王宮は大いに盛り上がった。

 まぁ、目の前の魔神王様、指を鳴らすだけで必殺の雷撃を放てるわけですが。


「それが発達しない原因。古代語を研究して、ちゃんと知識として理解すれば、術式はもっと自由だと知る。それに、あなたやアリサのように、翻訳して詠唱なんて手間、いらなくなる。誰しも、古代語の意味を本能の部分では理解している。変な文字列を思い浮かべれば、魔力に意味が与えられ、事象改変が起きるのは、それが理由」


 古代語自体に何らかの力があるわけではないと。

 じゃあ詠唱は何で必要なのか? という疑問が顔に出ていたのか、アリサは解説を続けてくれる。


「詠唱は、古代語で書かれた術式を翻訳して唱えること。本能で意味を理解していても、頭が理解していない。だから結果をイメージできない。つまり、補助。本能と頭、重ねて理解することで、魔力制御も正確になる」

「なるほど」

「古代語を魔人語に翻訳した詠唱を、さらにヒト語に翻訳する。翻訳に翻訳を重ねれば、古代語で真に設定した意味との齟齬も大きくなる。だからヒト族の魔術師は弱い」


 つまり、意味が分からない文字列をちゃんと理解すれば詠唱無しでも魔力の変換、事象改変ができる上に、術式に真に設定された威力を放てると。

 ヒト族の強い魔術師の中には、魔人語で詠唱する人もいたな。そういう事情か。


「というか、古代語も使えるんだな。魔王城ではヒト語で話してくれてたけど」

「習得済み、向こうの世界の言語は全て。こちらの世界も問題無く使えるようにした。日本語と英語。……術式を創作、改変もできる。古代語を理解すれば」


 アリサが指を一つ鳴らすと、火球が三つ生まれる。


「この火球、魔力で周囲の熱を集めて火を起こした。この火球は、魔力で空気の温度を上げて火を起こした。あと一つは術式にそのまま従って、魔力を火に変換した。同じ術式による事象改変でも、現象の起点は変えられる。逆も同じ」


 アリサは指を俺が飲んでいたホットミルクに向け、指を鳴らした。……というか今、無詠唱で違う術式を三重詠唱したってことだよな……スゲー。魔術二つしか使えない身からしてみれば羨ましかったりする。

 アリサはマグカップを差しだしてくる。


「飲んでみて」

「お、おう……って冷たっ」


 ホカホカだったミルクが、マグカップまで、冷凍庫に一時間放置したみたいな状態になっていた。キンキンに冷えていた。飲んだら腹壊しそうだ。


「ん」


 また指を鳴らすと今度はマグカップの中でミルクがカチカチに、北国の冬の夜に一晩放置したかのように、凍り付いていた。これはそもそも飲めない。スプーンも通らなさそうだ。


「冷やすと一口に言っても、凍らせるか、単純に冷やすだけか。流す魔力の量を変えただけ、これは。でも、魔力を流す量を変えるだけで結果が変わる。これはわかっている筈。あなたも、ヒト族も。剣を作るか槍を作るか、あなたは結果の部分、変えている」


 それは何となくわかる。魔力の量の多寡で結果の大小が変わる。当然だ。


「逆に言えば、そんなことで、変わるということ。厳密に設定された術式でも。起因、過程、結果。術式で設定するのは大まかに分ければその三つ。どこをどう変えるか、三つのうちの」


 アリサはそう言って、中空に手を出し、意識を集中し始める。


「……駄目。術式はわかっても、行使できない。あなたの……ウェポンズ・ビルド」

「マジか……」


 アリサの魔術技量は相当なものなのはわかっている。自分の手の中に小さなナイフを作ってみる。もう意識せずとも思った武器を作り上げるようにできるようになっていた。


「というか俺、古代語とかわからんぞ」

「……! えっ?」


 俺の言葉を聞いて、一瞬目を見開き、呆然としてそれから顎に指を当て、ブツブツとなにか考え込んでいる。初めてアリサの顔がまともに動いたの見たな。


「これが、世界の狭間を通ったものが得るもの。きっと、魂に刻まれた術式。もしそうなら、古代語の理解も必要無い程、無意識レベルでの完璧な理解……だったら、きっと、もっと色んなことができるはず。……試してみて。そう……このマグカップを作ってみて」

「いや、俺だって試したよ。使えると気づいて最初の頃」


 戦ってもらうために呼び出されたと知って。そうなると、武器が欲しいなんて考えて、そしたら、手の中に現れたのが、剣だった。握ってみれば手に馴染んで、使い方がすぐに理解できた。魔力の使い方も、魔術も、作った武器も。けれど武器以外はどうにも上手く掴めなかった。


「できると信じて。できると思い込んで。できないわけが無いと考えて。武器を作る魔術と定義付けているのが問題、あなたは」

「あ、あぁ」


 近い近い近い。隣に座ってるのに身を乗り出してくる。身を乗り出して顔を近づけてくる。……人形のような顔が間近にある。うわー肌綺麗……あと、なんだろ……目がいつもより輝いて見える……魔術、好きなんだろうなぁ。

 そんなアリサを見ていると、何だろう、沸々と、気分が昂るのを感じる。


「やるよ。多分、できる。解釈を自由にってことだろ」

「ん、心が大事。魔術は」


 強い頷きを受けて。意識を集中する。

 なんで俺はそう思えたのだろう。

 きっと、一度アリサと戦っているからだ。アリサの強さを、身をもって知っているからだ。


「だから、できる」


 目を閉じてイメージを明確にする。そして、術式に魔力を通して、イメージに繋げる。

 バチッと、僕の中の何かが、別の何かと繋がった。何かを掴んだ。掴んだものを、引きずり出す。確かな感触。目を開けた。手の中には、テーブルにあるマグカップと同じものがあった。


「ん。良いね」

「……おう」


 ふわっと零れるような笑みがそこにあった。アリサの頬が、微かに、緩んでいた。思わず頬を掻く。なんだよ、ちゃんと笑えるじゃねぇか……って。


「う、うお」

「? どうしたの?」

「い、いや。すまん」


 腕に抱き着かれているのに気づいて、ひ、控えめだけど、柔いっ。

 腕に抱き着いたまま、きょとんと首を傾げる。その仕草、よくやるけど、わりと反則だからなお前っ! と言いたいのをグッとこらえる。


「そ、それよりも。きゅ、急になんだよ。俺の魔術なんて」

「……ちょっとだけ、恩返し。まだ、返しきれてない。魔神王は、恩を必ず返す。アリサにあるのは、魔術だけだから」


 なんとなくマグカップを差しだすと、アリサは受け取って立ち上がる。……腕に残る温もりが、まだそこにアリサがいると錯覚させる。

 冷蔵庫から牛乳を取り出し注いで、追加でハチミツを注ぎ、指を鳴らす。絶対甘すぎるだろそれ。さっきまでの無邪気な笑顔が消え失せ、無感情な目が、テーブルに置かれている俺のマグカップに向けられる。


「あなたのも温めた」

「あぁ、サンキュ……何でもできるな」


 冷えてカチカチだったマグカップは、温めたばかりのホットミルクになっていた。


「何でもは、出来ない。ただ、四属性全てと系統外に適性があるだけ」

「いや、スゲーよ」


 火、水、風、土。それらにカテゴライズできない魔術、全てに適性がある、つまり使用可能ということだ。しかも即興で術式を組み立てられる。そこまでできたら魔神王になれるというわけだ。


「でも、魔術には限界があることがわかる。だから、魔法に手を伸ばした。事象を書き換えるなんて生易しいものではない、世界そのものすら、因果をも書き換える魔法に……」


 普段の、ぼんやりとした声とは違う。凛とした、芯のある声。


「そして今、アリサたちは、魔法を体験している。アリサという存在を、この世界に書き加える。因果を書き換える……これは、魔法じゃなきゃ、何? ただ、おかしなところがある」

「なんだ?」


 マグカップを手で包むように持って、アリサは呟く。


「考えた? あなたは、魔術をこの世界でどうして使えてるか」

「……確かに」


 疑問に思わなかった。いや、思おうとしなかった。考えようとしなかった。目を背けていた。

 俺は五年の異世界生活の中で、魔術が無ければ安心できなくなった。魔術に依存していた。

 それはこっちの世界で、スマホが無ければ落ち着かないように。帰りたい、帰りたい、早くこの世界から去りたいと思いながら、向こうの世界で得たものを便利に使いこなしていた。


「魔力は、世界に満ちているもの……魔術は、取り込んだそれを、扱う技術……。でも、この世界、霊脈は起動してないのに、魔力はある……つまり、まだ、どこかに穴が空いてる」

「ってことは。まだ」

「ある。比較的簡単に戻れる可能性。……違う、戻れるまでの、タイムリミット。穴が塞がるまでが。違う、この世界は、恐らく元は魔力が無い世界。穴が塞がれば、魔力は……」 


 アリサはそう言って腕を組んでそれから。


「なぜ父上はこの世界を、魔法で魔術を使えるように、しなかった。……寝る。眠い」

「お、おう」


 眠たげに目を擦って、リビングを出て行く。

 シンクに置かれたマグカップは空だった。消えるように念じると、マグカップは消えて、少しだけ残っていたミルクが、沁みるように、広がった。

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