第4話 朝の一幕。
目が覚めた。……外は微かに明るい。丁度日が出始めた頃か。目覚めは良い方だから、ベッドから出るのには苦労しない筈なんだが。
「スゲー寝心地が良い」
いや、起きなければ。アリサの様子を見なければ。
そんなわけで向かい側の部屋。ノックしてみる。
「……アリサ―?」
返事が無い。寝てるのか。まあ、一晩中勉強というのも辛いよな。時間にはまだ余裕はある。少し寝かせてやるか。
先に朝ご飯の用意してしまおう。っと、その前に顔を洗いたくなって洗面所に足を向ける。蛇口を捻ればすぐにお湯が出てくるって、冷静に考えて凄いよな。
洗面所の扉を開けると、そこにはアリサがいた。俺はすぐにそっと目を逸らす。
「あー……おはようございます」
「ん、おはよう」
返って来た平坦な声に安堵する。無警戒に扉を開けてしまった。その向こう側。微かに残る湯気の向こう。シャワーでも浴びていたのだろう。タオルで身体を拭いているアリサがいた。
「すまん」
「? なぜ謝る? お風呂、勝手に借りた。感謝する」
そう言いながらアリサは髪を拭き始める。
「いや、アリサはしばらくここに住むんだから、それは気にしなくて良い」
壁の染みを数えながら、どうにか冷静な会話を続ける。
「そう。それでも、ありがとう」
「いえいえ」
「……? 何かある? 壁に」
「……なぜアリサが平然として俺が戸惑っているんだ?」
俺はそっと扉を閉めた。
「やらかした」
一糸まとわぬ姿は頭に焼き付いて消えてくれない。魔神王だけど女の子であることを失念していた。もっと気をつけるべきだった。あー。ヤバい。あの黒い雷に俺は焼かれるのか。
「……何してるの?」
後ろで扉が開いて、反射的に見上げた。
「なぜバスタオルっ!」
「変?」
「変だっ!」
バスタオルだけ巻いてアリサは出てきた。
「服を着ろ」
「着けてる。下着は」
「目のやり場に困る」
「気にしない。アリサは」
「俺が気にする」
「そう」
不思議そうに呟きながら指を鳴らすと、次の瞬間、少し湿っていた髪が乾き、アリサの服は制服に。バスタオルはふわりと舞うように洗濯籠の中に。
魔術って便利だなー。
「ありがたいけど、忠言は。けれど、劣情なんて抱かない。誰も。こんな幼児体型。サラのように豊かなら警戒する。あれは見事」
「……世界は広いんだぜ……いや、何でもない。朝ご飯、用意するから準備して来い」
「問題無い。任せて。アリサに。恥知らずではない、全部任せるほど。……カレー、ハチミツ」
どうやら、昨日の夕飯が余程お気に召したらしい。アリサは真っ直ぐにキッチンへ。
……任せてとか言ってるし、顔、洗うか。
最低限の身支度を整えリビングに入ると、食欲をそそるスパイシーな香りが。って、もう準備できてるのか。
「食べよう」
「……おう。これは?」
「作った。読んだ。本で。必要、昼休みに弁当」
テーブルの上には、弁当箱も二つ並んでいる。普段購買で適当に済ませてる俺からすれば、見慣れない光景だった。沙良が作るよと言っていたが、流石に申し訳なくて断っていた。
「ん? もしかして、あの書斎の本」
「読んだ。理解した。全部。把握した。この世界の言語も」
「マジかよ、一晩で」
「操作した、あの部屋の時間。一晩を二年に伸ばした」
「へ、へぇ」
スゲーな、魔術って。というか全部って、俺の高校受験、大学受験対策の参考書や趣味で読んでいる小説、父親と母親の仕事関係の本や趣味関係の本、全部読んだってことか。
「恐らく、ついていける。この世界の学校の授業にも」
「そうか」
っと、ボーっとしている暇じゃない。余裕があってもボーっとしてたらあっという間にギリギリになるのが、朝というもの。カレーを一口……。
「アリサ」
「なに?」
「……俺は、ハチミツは、必要無い。大丈夫」
「……そう」
残念そうに顔を伏せた。ように見えた。
まぁこれはこれで……美味いな。コクが生まれた気がする。
玄関の鍵が開いて、扉が開く音。パタパタと足音がリビングに入って来た。
「おーい。匠海くーん? あっ、起きてるね。立派立派。というわけでおはよう。アリサちゃんもおはよー。ふふっ、アリサちゃんだなー、用意したの。弁当も。あっ、コーヒー淹れるね」
「あぁ、サンキュ」
そうだ、朝、沙良に起こされて起きてたな、五年前の俺。……自堕落な奴だな。
沙良がウキウキとコーヒーマシンのセッティングを始める。お世話になってるからと、うちの親が沙良の誕生日に買った物。エスプレッソとドリップを同時抽出できる優れものだ。豆はコーヒー好きの沙良が自分でブレンドしたもの。そういえば、これを飲むのは毎朝の楽しみだったな。
そんな経緯で買われたマシンがこの家に置いてあるのは、沙良の両親が、コーヒーが苦手だからである。沙良がこっちで朝ご飯を食べるのもそれが理由。
エスプレッソカップが三つ、テーブルに並んだ。うん、美味いな、やっぱり。渋みが少なくて、濃厚な苦みをじっくりと感じられる。鼻を抜けるスモーキーな香りは朝に嬉しい。
アリサが小さなカップに一瞬首を傾げ、それを満たす黒い液体をじっと観察する。
「コーヒー苦手?」
「初めて。飲むの」
「そっかー。是非、飲んでみて欲しいな」
「ん。……飲んでみる」
俺と沙良が普通に飲んでいるのを見て、恐る恐る一口飲む。しっかり味わって、そして、プルプルと何かを堪えるように震えだす。
「ど、どうした?」
「……苦い」
「あ……だ、大丈夫だよ。ほら、砂糖。エスプレッソはイタリアだと砂糖入れて一気に飲むのが、本来の飲み方だから。うん」
ティースプーン一杯分の砂糖がアリサのカップに入れられる。
「……飲める。これなら」
「今度からアリサちゃんにはラテ淹れるね」
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