第3話 久々のカレー。
「それで、魔神王、お互い、知っている情報を共有しよう」
この不可思議現象、まずは状況を把握しなければ。呉越同舟なんて言葉もあるくらいだ。
魔神王も方針には納得してくれたみたいで、一つ頷く。
「ん。でも、嫌。魔神王。アリサ」
「何の話だ?」
「呼び方。アリサ。あり方、魔神王は。象徴、理想。まだ、魔神王と胸を張れるまでに、至ってはいない。アリサは。いるだけ。その地位に」
「……あーはいはい。話し進まないから続けるぞ、アリサ」
「ん」
……魔神王アリサか。……しっくりこねー。
「まずは、どこで目覚めた」
そう言うと、アリサは上を指差す。……二階ってことか?
階段を上がってく。上がってすぐ左の部屋は俺の部屋。その左隣は父親、さらにその隣は母親。どちらも今、海外に行ってて空き部屋状態だが。
アリサが手をかけた扉は俺の部屋の向かい側、階段上がってすぐ右の部屋。書斎だ。
「んん?」
扉を開けると、本棚は壁際に、部屋を囲むように配置され、箪笥やベッドが置かれ、机には高校の教科書が並んでいる。
「……住む気か?」
「知らない。起きたらこの部屋だった」
頭を抑える。そんな俺の様子にアリサはきょとんと首を傾げた。
「……今は置いておこう。一応俺からは、今日は、俺が異世界に召喚された日の次の日だ。俺の体感基準になるが、五年遡ったことになる」
「ん。他には?」
「それだけだ」
「……そう……お腹空いた」
「そうか。あぁ。まずは食糧だな」
流石、魔人族を束ねる王。意外と落ち着いているな。
思い出すのは、自分が異世界に、向こうの世界に召喚された時のこと。
正直、滅茶苦茶怖かった。知らない人間に唐突に、知らない言語で歓迎され、崇め奉られ、知らない文化、今までに持っていなかった強力な力。唐突に送り出された戦いの日々。戦場から戦場への旅の毎日。当然ながら知っている人なんて一人もいない。
魔神王を倒せば、元の世界に帰れる。召喚の契約って奴に強制的に結ばれたらしい。契約は絶対。勝たなきゃ帰れない。だが……だが、勝てば絶対に帰れる。契約は絶対だから。その説明を信じて戦った。
世界と世界を隔てる境界を越えて呼ばれた人間は、強力な力を得た状態で召喚される。そんな変な言い伝えを信じて呼んで、一方的に条件を突き付けて。世界の狭間、セロの世界とか、虚無の空間とか、世界の意思の集合体とか、よくわからない説明をされたのを覚えている。
そして今、俺は帰って来た、だが、この子は。
魔神王とは言うが、見た目から推察される年齢は俺とほとんど変わらない、むしろ、一個か二個年下の女の子ではないか。
「……とりあえず、ここに住めよ。帰り方見つかるまで」
「……良いの?」
「住める用意はできてるみたいだしな。魔人族は魔術の扱いに長け、膨大な魔力を有し、魔人族のみに扱える、奇跡とも言える現象を起こせる魔法も扱う。だったか? ヒト族の魔術師やお前の父親? にできて、お前にできない道理もあるまい、世界の壁を超える術」
「……ん。正確には、研究中。魔法は」
「ヒト族が何十人も集まって、ご丁寧に魔術陣を書いて、ぶっ倒れながらどうにかこうにかだが、俺を召喚できたんだ、魔神王様なら一人でもできる。そうだろ? アリサ」
「ん」
微かな頷き、怖がっているのか、不安がっているのか、読み取れない。でも、俺のやることは変わらない。
「あー、だから、えっと……なんだ。こっちの世界でのことは、俺に頼れよ。寝るところはここで良い。飯は用意してやる。だからまぁ、安心して、研究でもしてろ」
そこまで言うと、アリサは、じっとこちらを見上げ、何やら悩んでいるようだった。
「どうした?」
「……得が無い。そこまでする、得が無い。あなたが」
「まぁ、確かに無いな。でもまあ、なんだ。良いと思う。そういうことがあっても」
これが記憶を元に魔術で再現した世界だというなら、俺はとっくに死んでいる。なら、もう信じて良いのだろう。帰って来たと。
そして今、目の前に、さっきまでの俺と同じ境遇の奴がいるんだ。なら、やるべきことは当然、って奴だろ。
その時だった。玄関の扉が開いた音、それから、パタパタと迷いなくリビングに入っていく音。
「おーい、匠海くーん? おーい」
あぁ、沙良か。そういえば夕飯持ってくるとか言ってたな。五年ぶりの沙良の料理。楽しみだ……。
「……あっ」
そこで気づく。目の前の。魔神王様に。見た目は、普通の、ちょっと年下に見える女の子。
「えっと、アリサ……」
「あっ、いた。匠海君。ご飯だよ。アリサちゃんも早く」
「あ、沙良、これはだな……えっ? 今なんて?」
「ん? だから、夕飯」
「あ、アリサのこと」
「? 昨日紹介してくれたよ。真神(まかみ)アリサちゃん。おじさんの取引先の娘さんでしょ。明日からうちのクラスだって、先生に確認したから。明日は学校来たら職員室ね」
沙良はそう言ってふふんと得意げに鼻を鳴らす。
「ちゃんと覚えているんだからね」
「あ、あぁ」
アリサを見ると、首を横に振る。
「……因果改変、まで……でも、そんな術式は……」
「ん? 何か言ったか?」
「……何でもない」
「夕飯、食べよ、今日はねぇ、カレーだよー結構自信作だよー」
カレーか。こっちの世界の奴は、久々に食べるな。楽しみだ。
こんな状況だというのに、口の中は準備を始めるし、胃は空腹を訴える。頭の中には、五年の異世界生活の向こう側の記憶を探って、カレーの味と香りを思い出していた。
しかしながら、流石は沙良、物怖じしないな。アリサの隣を陣取り並んで階段を下りていく。
「アリサちゃん好きな食べ物とかある?」
「えっと……あまり。あっ、でも。好き、あれは。丸焼き。エンシェント・ドラ……」
「あーあーあー、あれ好きだったよな、タコ焼き。たこ焼き丸いもんな。丸焼きだな! あ、あと、甘いの。甘い食べ物とか好きだ」
慌ててアリサの口を塞ぐ。こっちの世界にドラゴンがいてたまるか。
「そうなの? アリサちゃん?」
「ん。甘いの好き」
「そっかそっか、今度どっちも食べに行こうか」
そう言いながら、沙良は朗らかに笑っている。
アリサは下手なことを言わないようにするためか、静かに俯いた。それを緊張していると捉えたのか、沙良はポンポンと肩を叩いて、テーブルに誘導する。アリサがいることを把握していたのは本当のようで、テーブルには三人分の食事がすぐに並んだ。
俺の向かい側に沙良が座り、隣にアリサが座った。
「さぁ、食べよう食べよう」
手を合わせる。スプーンを手に取り、一口食べた。
「……ッ」
目を閉じて堪えた。
ピリッとした辛味は、舌を温もりと共に痛めつけてくる、ふわりと口の中に広がるスパイスの香りは鼻を抜ける。その奥に、融け合った具材の甘みと旨味が合わさり……。
懐かしさが、涙を誘った。
だから、目を閉じて堪えた。
「美味しい」
「……? 何かあったの?」
「何かって?」
「面と向かって美味しいって言われたの、初めてだもん」
「そうだっけ?」
沙良は小さく笑うと、ひょいと俺の皿を取り上げて立ち上がる。
「追加。大盛りね。おかわり、してくれるでしょ?」
「それくらい自分でやる」
「良いよ。座ってて」
そして戻って来た皿には山盛りのカレーが乗っていた。
もう二度と食べられないと何度思ったことだろうか。
カレーを噛みしめる日が来るとは思わなかった。今の俺なら、カレーは飲み物という言葉を妄言だと叫ぶだろう。
視線を感じて横を見ると、アリサと目が合った。何だろう、どこか探るような雰囲気を感じる。一瞬の視線の交錯。アリサは意を決したようにスプーンを持ち、一口食べて、また一口。二つ頷いて、黙々とスプーンを進める。沙良は安心したように笑って、自分の皿と向き合った。
静かな時間だ。たまに皿とスプーンがぶつかる音が小さく響いて。
気がつけば、カレーの山は腹に納まって。。
「ご馳走様」
しっかりと手を合わせた。満腹感と満足感で少しだけ心が軽くなる。
「ありがとう。美味しかったよ」
「お粗末様でした。はい、これ、食後のコーヒー。ふふっ、本当に今日、何があったのさ。アリサちゃんは美味しかった? アリサちゃんの、勝手にハチミツ入れちゃったけど、いらない時は言ってね」
そう言われたアリサは小さく首を横に振って。
「とても美味しかった。感謝する」
「いえいえ。そう言ってもらえて嬉しいよ。ふふん、良い子だね、アリサちゃん。匠海君もこう見えて面倒見の良い良い子だよ。どんどん頼って良いから」
「そうする」
「おい」
クスクスと沙良は笑って、自分の分のコーヒーを飲み干して立ち上がる。
「それじゃ、私帰るね。まだ残ってるから、朝ご飯にして食べると良いよ。鍋は明日貰いに来るから洗ってて―。あっ、夏だからね、カレーはちゃんと冷ましたら、タッパーに移して冷蔵庫だよ!」
沙良はそう言って家を出た。思わず息を吐いた。食事を楽しみながらも、心の奥底では少し緊張していたことに気づいた。マグカップを傾けて苦みと香りを楽しみながら、空になった皿に目を落とす。向こうの食事の物足りないと思っていた部分、味の濃さとか量とかが、全て満たされた食事。……そういえば。そうだ。
カレーに夢中で忘れてた。
「大丈夫だったか? こっちの世界の食事」
「……大丈夫。濃かったけど。少し」
「あぁ。きつい時は、言ってくれ」
「良い。……美味しかった。辛かったけど。ちょっとだけ」
アリサが立ち上がって指を一つ鳴らすと、皿がきれいになり、食器棚に向かって飛んで積み重なり片付けられる。
「ところで、なに? タッパーって」
「えーっと。どこだったかな。……確か」
棚をあちこち開けていく。五年前の記憶を掘り起こして……。
「そうだ、これだ、これ」
白いプラスチック製の容器。蓋を占めると密閉できる便利な保存容器。……改めて考えると、本当に便利だな、これ。
「……これは?」
「ここに食材を入れて保管する。埃やゴミから守れる」
「魔術は」
「必要無い。冷蔵庫に入れるからな」
「冷蔵庫?」
「中は冷えてるから食材の保存にぴったりだ」
アリサはしげしげと冷蔵庫を眺める。扉を開けて中に頭を突っ込む。
「冷たい。魔術?」
「科学。魔術とは似て非なるものだ」
地下に食糧庫を作らなくても、魔石を加工した魔晶石を用意して、魔術師に頼んで氷の魔術を刻んでもらう必要もない。乾燥させる必要も塩漬けにする必要もない。素晴らしいな。
「冷まして……タッパーにいれて……冷蔵庫。鍋は洗う」
沙良の言葉を呟くように復唱して、また指を鳴らした。
「おっと」
鍋からカレーが出てきてタッパーに納まり、冷蔵庫に入っていく。鍋の中を覗く。
「新品かよ」
なんて思わず呟いてしまう。綺麗になってた。カレーの匂いも残っていない。
「……明日……行くべき?……学校」
「あぁ。そういえば、そんな話になっていたな」
どういう状況かわからないが、俺は昨日、沙良にアリサのことを紹介し、学校に通う旨を伝えているらしい。
異世界人である筈のアリサ、だが、父親の取引先の娘ということは、この世界にちゃんと親がいて、生まれ育った存在ということだ。
スマホを確認すると、それを証明するかのように、母親から、アリサの様子を心配するメッセージが来ていた。とりあえず『問題無い』とだけ返しておく。
「因果にまで影響を及ぼす……世界の壁を越えて」
アリサは静かに俯く。
「もはや、魔法の域。この世界で、生きろと。アリサに。父上は」
俺は、何も言えなかった。
俺は向こうから引っ張られた。勝手に。だが、アリサは。アリサのいうことが正しければ、実の父親に、違う世界に追い出されたことになる。状況は似てても、違う。
いや、ここで何も言えなかったなんて、言っていられるか。
自覚しろ。事情を把握しているのは俺だけだぞ、今は。
異世界に飛ばされた時の恐怖と孤独は、知っている筈だ。
「帰りたいか、帰りたくないか。まずは、それは一旦置いておいて。その上で、その、なんだ……この世界でも、それなりに上手く生きて、その上で帰る方法は探してく。ってのはどうだ」
絞り出すように出した答えに、首を傾げられてしまう。
「あー、だから、その、学校に既に話が行っていて、あと、沙良に知られている以上、学校に行ってませんっていうのは、面倒なことになる。うちの親とか、学校の先生とか、まだ見ぬアリサのこの世界での親とかが出てきて、帰る方法の研究どころではなくなる。だから一旦、学校に行ってみるのは、どうだ? 面倒は、避けたいだろ?」
そこまで言うと、納得したようで、こくりと一つ頷いた。
「わかった。通ってみる……あなたの書斎の本、少し、借りる」
「あぁ。好きにしろ……本を貸すのは良いが、読めるのか?」
「今からこの世界の言語と知識を覚える。学校は、書物も使うから、読めないのは不便」
……そういえば、アリサとさっきから会話が成立している。沙良も普通に会話していたな。
よく考えれば変だ。俺はこっちの世界の言葉使ってるのに。
「常時展開型翻訳魔術。あなたの言っている言葉はアリサたちが使う言語に該当する言葉があれば、その言葉で聞こえてくる。あなたやサラも、こっちの言葉に置き換えられる。アリサの言葉が。だから、わからないものはわからない。冷蔵庫、タッパー」
「……マジか」
なんだ、その便利魔法。こちとら少しずつ物の名前から覚えていったというのに。
……思えば、あの世界でのヒト族が使う魔術は、人間に対して友好的な魔人族から教わり、広まっていったという。
そうなると、他にも色々、伝わっていない便利な魔術があるのだろうか。
「じゃあ、文字もそれで良いじゃん。覚える必要が無い」
「文章には使えない。翻訳魔術は、あなたが話している間、そのことについて考えているということが重要。だから、無理」
「あぁ……」
「思考の浅い部分を魔術で読む術式がポイント」
指を一つ立てて、心なしか胸を張って、何だろう、誇らしげに見える。
「……もしかして、開発者?」
「そう。作った。アリサが。知らない言語で話してくるから、あなたが」
つまり、即興、だと。
流石、魔神王。マジで世界を越える転移魔術、作ってしまえそうだ。
というか、さらりと常時展開って言ってなかったか……。つまり数時間、ずっと魔術を展開し続けていたというのか。魔力量もやはりとんでもないな。
「それじゃあ」
顔を伏せて、そのまま書斎、改め、アリサは寝室に入っていった。
「寝るか」
なんか疲れた。多分、寝るにはまだ早いとか、向こうの世界に行く前の僕はほざいていたんだろうなぁ。
軽くシャワーを浴びて。ぼんやりと考えながらベッドに飛び込んだ。
「ふ、ふかふかだ」
なんで自分の部屋のベッドに感動しているんだよ。
思い出すのは、薄い硬い、最低限寝る場所という役割を果たすためだけのベッド。布を敷いただけの硬い地面。ただ柔らかいだけの、反発を感じられないベッド。
あー。これ、駄目になる。駄目になる奴だ……。
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