『認智暴蝕』

 




 時間は少し遡る。


 時刻は14時50分。

 とある個人経営の会社にある厳重な金庫室で、ICPO(国際警察)に所属する異能犯罪対策の特別顧問ルシア・クラークは回収した目的のディスクの映像を再生して確認し、安堵したように大きく息を吐いた。



『……毎度のことだけど、洗脳されるかもしれないと思いながらの確認作業は肝が冷えるわね』

『…………俺の異能では安心できないか?』

『ああ、違うのよアブサント。洗脳の力が込められた映像だと思っているから、“音”だけ消して貰っても視覚情報だけで洗脳されるんじゃないかって不安が拭えないの。もしも、自分が気付かない内に、洗脳されていたらどうしようって思って……』

『そうか』



 ムスッとして口を閉ざしたアブサントにルシアは笑い掛ける。

 ルシアは洗脳された後の人は見たことがあるものの、“白き神”が実際に力を使って人を洗脳する瞬間を見たことが無い。

 だからこそICPOの、“音”を遮断さえすれば洗脳されることは無い、と言う情報をルシアは完全に信じ切っている訳では無かった。


 ICPOに伝わる“白き神”の情報はいくつかあり、洗脳される状況というのもいくつか入ってきている。

 「異能を帯びた手に触れられる」や「直接“白き神”の異能を帯びた言葉を聞き続ける」といった、直接的な関りを持つことは以ての外として、“白き神”と直接対峙せず、直接異能の標的になっている訳でなくとも、洗脳される危険がある際にはいくつかの条件が存在する。


 洗脳の条件を簡記すると。

 一つ、ディスクや音声データを通じて“白き神”自身が語る“白き神”の情報を知識として取り込んでしまったとき。

 一つ、語られた“白き神”の情報を知らなかったとき。

 一つ、どれだけの情報量を取り込んでしまうと洗脳されるかには個人差があるが、おおよそ「年齢」「名前」等の個別の情報を一つほど聞いてしまうと、抵抗することはできない。

 などが存在する。


 つまり、“白き神”の間接的な洗脳条件には“音”が非常に大きく関係している。

 洗脳するためのディスクや音楽データはダビングしても効果は残るが、効果は減少していく。

 一度洗脳された者は洗脳が解けると洗脳時に知らされた情報は消えてしまうため、“白き神”自体を追うのは非常に難しいが色々と制約も存在する異能。

 対策は出来るし予防も不可能ではない、だがそれを補って余りあるほどの理不尽な異能が“白き神”が持つ『認智暴蝕』だ。

 その危険性は、ICPOが認知している世界に存在する異能の中でも頂点に立つ。


 “白き神”は各国を跨いで、積極的に甚大な被害をばらまいている。

 被害者の数も相当なものであるし、その分こんな風にいくつも情報が入ってきてはいるが、その正否は確実とは言い難いのではないか、と言うのがルシアの持論だった。


 そもそも、異能と言う超常現象が未だに解明されていないのだ。

 異能と言う正体不明の力の中でも、科学的に立証されていない精神に干渉できると言う、よく分からない力に原理を求める方が間違っているのではないか。

 そんな風な考えを持って、危機感を覚えているルシアを嘲笑うようにベルガルドが鼻を鳴らす。



『これだから肝の据わっていないお嬢様は困る。そんなに怖いなら、そもそもこんな現場になんて出てこず家に引き籠っていればいいものを』

『そうだな、俺も汚い髭野郎をスーツケースに片付けたくなってきた』

『アブ黙って。……ベルガルドさん、確かに私は“白き神”と言う存在を怖がっているわ。けど、それは怖気付いたからじゃない。相手の力を分析して、危険を感じているから恐怖しているんです。楽観視しかしなかったら、あっと言う間に呑み込まれる相手です。ベルガルドさんもくれぐれも』

『はっ、そうかい。そりゃ失礼した』



 ルシアの堅実な発言を聞いて、一応は納得したのかベルガルドは肩を竦めながら矛を収める。


 周りに喧嘩を売りながら、自分の気になる部分が無くなってしまえば、状況がどうであろうと飄々と切り上げる。

 いつも通りのベルガルドの様子に、ルシアは気疲れしたように溜息を吐き、アブサントは不愉快そうに眉をひそめた。


 ともあれ、とルシアは諫めるように状況を口にした。



『これで“白き神”のトリガーとなっていたディスクの回収は六つ目。日本で拡散されていたもののほとんどは回収できたんじゃないかしら?』

『ふん。いや、もう一つくらいあってもおかしくはないだろうな。奴はいくつか保険を掛ける癖がある。目立った事件を起こしていないものもある筈だ。お前もそう思うだろう、アブサント』

『…………そうだな』

『そう、でも難しいわね……。柿崎さん達には悪いけどトリガー全ての回収は無理かもしれないわ。本部から早々に日本での任務を終わらせて戻って来いと指示が来ているの。どうにも各国でキナ臭い動きがあるみたいで……私達以外の異能対策の人員も総動員させられているみたい。“千手”を本部に護送して他の国への対応に当たらないと……』

『そうだな。異能に対する理解が進んでいない日本の優先度が低いのは、異能を持つ俺達からすれば当然だろう。気に病むことも無い。それに、攻撃を仕掛けて来たから、また次の攻撃があるんじゃないかと警戒していたが、それも無い。あの目立ちたがり屋の“白き神”から接触も無かったことを考えると、あくまで奴の不審な行動の目的は、日本ではない別の国の可能性が高い。本部からの指示の通り、別の場所の支援に行った方が吉だろう』



 回収した“白き神”のトリガーであるディスクを厳重なスーツケースに収め、外に出る。

 重い荷物を持とうとアブサントがルシアの持つ荷物に手を伸ばすが、当然警備的に戦闘も担当するアブサントが荷物を持つなど許されるはずが無い。

 それとなくルシアに窘められたアブサントはがっくりと肩を落とし、せせら笑っているベルガルドを物凄い形相で睨み付けていた。



『結局、見つかった“白き神”に洗脳されていた者達も軽いものばかり、人格そのものが乗っ取られてるレベルの者は見つからないわね…………あ』



 そういえば、とルシアは何かを思い出した。



『聞きたかったことがあったのよ、アブサント。前に柿崎さん達と一緒にいた小さな女の子をやけに警戒、と言うか、観察していたじゃない? しかも、中々表情にも態度にも出さない貴方があんなに露骨に。あの距離で異能の気配を感じなかったのなら、“白き神”から洗脳を受けていないでしょうし、あの時の態度がよく分からなくて……なにか不可解な点でもあったの?』

『ほう? そういえばそうだな、アブサント。どうしてあんな態度を取ってたんだ? いつも通り過保護な忠犬っぷりを発揮したのは当然だが、何を根拠としていたんだ?』

『……………………』



 不思議そうな顔で問いかけるルシアと馬鹿にするかのような顔で笑いながら答えを促してくるベルガルドに、しばらく沈黙したアブサントは嫌々ながら口を開く。



『……勘だ、根拠も何もない。あの少女の視線に嫌な予感がしただけだ』

『ぶっ、はっはっはっ! そうか、やっぱり大好きなお嬢様への過保護が発揮されただけか! それなら別に良いんだっ、ははっ!』



 ひとしきり笑ったベルガルドがそのまま、先導して歩き出したのを眺めてから、アブサントは馬鹿にされたことなど気にもならないかの様に無表情で、ぽつりと呟く。



『あの“白き神”の攻撃による複数台の車両事故。彼らが生き残ったのは、“白き神”に何らかの意図があったのか、それとも本当に偶然か?』

『……何が言いたいの?』

『分からない…………だが俺は、この国から今すぐにでも逃げだしたいと思っている。理由は無い。単なる俺の、感覚の話だ』



 アブサントは口を噤み、それ以上話すことは無かった。





 ‐1‐





 15時15分、氷室警察署。

 ICPOからの命令で帰国する旨を伝えるために、一応は協力していた氷室警察署へ訪れた。



「……確かに上からの情報や報道から、世界的なテロ活動がやけに活発らしいのは俺も分かってた。それにあの男、“千手”とやらを本部に運ぶのもお前らにとっては大切な任務なんだろう。流石にそれを知った上で、最後まで日本に留まって解決してくれとは言えねェ。苦労掛けたな」



 もはやICPOとの窓口になっている柿崎に事情を説明し、明日には日本を離れるつもりだと伝えると、柿崎は特に引き留めることも無く彼らに労いの言葉を掛けてきた。

 まだいくつか洗脳を行うためのディスクが存在するかもしれない事、見つけた場合の対処、要するに見ることなく破壊する必要を伝え、ルシア達は今回日本に派遣された最大の目的である“千手”に会いに、東京拘置所へ向かった。



 15時50分、東京拘置所。



「ICPOの……伺っています。あの外国人ですね? ええ、通達があって……非合法ではありますが、目や耳を塞ぎ自由を許さず拘束しています。長年、ここで働いてきましたが初めてですよ、あんな人権を無視したような拘束は。とはいえ、彼の言動はかなり病的で……早めに引き取ってくれるなら何よりです」



 厳重な警備が敷かれた拘置所の入り口も、警視庁が直接動いてくれたおかげか、特に身分証を掲示すれば止められることも無くすんなりと入ることが出来た。

 最新の機器に囲まれ、多くの人員に穴が無いよう監視され、強固な牢で部屋に押し込められている被疑者達(まだ犯罪が確定していない人達)。

 そんな中を歩き、辿り着いたのは殊更厳重な一室だった。


 その中で拘束されている男。

 “千手”の男、ステル・ロジーの拘束環境は職員が言っていたように過酷なものだ。

 目を塞がれ、機械が頭ごとすっぽりと覆い耳から音を拾えないように、四肢は拘束具で何重にも縛られている。

 口の自由こそあるが、それだけだ。



「……▮▮▮▮▮▮▮」



 口元が僅かに動いている。

 だが、何を言っているか扉越しでは全く聞き取れない。

 過酷な拘束環境に精神を病んだとしても不思議ではないだろう。




 15時55分、東京拘置所通信モニター室。


 “千手”の収容されてからの様子や健康状態の引継ぎを受ける。

 参考までに監視カメラからの映像がどのように映っているのかを確認し、建物の構造が書かれたマップから護送時のルートを決めていく。

 そして、本部と連絡を取り決めた予定を伝え、輸送機の手配を依頼して、今日この場所でやれることはここまでか、と最後にホテルに戻ろうとして。


 ルシアは部屋に置かれた多くのモニターの中に、不審な動きをしている職員がいることに気が付いた。

 その職員は、まるで酔っぱらっているかのようなフラフラとした足取りで、鍵の付いた輪を指で振り回しながら、通路を歩いている。



「……あの、あの職員は何をされているのでしょう? 収容している者達に見せ付けるように鍵を振り回していますけど、あれはまさか牢の鍵ではないですよね?」

「……はい? へ? な、なにやってんだアイツ!?」



 ルシアの指摘に、初めて同僚のおかしな行動に気が付いたのだろう。

 ルシア達を対応していた職員が、慌ててマイクへと手を伸ばし、映像に映ったおかしな行動をしている職員がいるフロアへの音声を入れると、その場で止まるようにと言う警告を始める。



『……“白き神”の兵隊? でも、それにしたって幼稚で無謀過ぎない?』

『そうだな、あんな単純な行動ではせいぜい一人や二人分、牢を開けるのが精いっぱいだろう。それに、見た限り警備は中々だ。間違っても“千手”の解放は出来ないだろう』

『……』



 不審な行動をしている拘置所職員が、駆け付けた他の職員達に取り押さえられているのをモニター越しに眺め、妙な事態が収束したのに安心する。

 ここに収容されている人間はおよそ1000人程度で、ここで働く人間は100人程度だろうか。


 あり得ない話だが。

 もしも全収容が解放されてしまえば、そこから考えられるこの場の光景は地獄の筈だ。



『……勘弁してよね。これ以上の想定外は要らないんだから』



 この目的の分からない行動に次の手があるとすれば、と考えてルシアはモニターから視線を外して周囲を見る。

 恐らくそれは、このモニター席でしか出来ない事であるだろうし、洗脳されている人は異能持ちからすれば距離さえ詰めれば見付けるのは容易だ。


 洗脳されている者は、微弱な異能の出力がある。

 普通の異能持ちが発する出力とは違うから、出力が全くない一般人との見分けは簡単に付くし、異能持ちとも出力の仕方が違うから識別も楽だ。



『ベルガルド、一応他に洗脳されている者がこの場に居ないか確認を。もしアレが“白き神”の兵隊なら、また次の一手があることも考えられ――――』

『ルシアお嬢様!!』



 だからルシアは、より異能の扱いに慣れていて、探知も優れているベルガルドに声を掛け、周囲の警戒をするよう促そうとして――――押し飛ばされる。


 ガツンと、鈍器で殴られたような鈍い音がして、頭から地面に叩き付けられたアブサントがルシアの隣に倒れ込んだ。


 床に真っ赤な血が広がっていく。



『……アブ?』



 両親よりも信頼を置く人が死んだように動かないのを見て、ルシアは事態が理解出来ずにそう呟いた。


 そして、その事態を引き起こした犯人は気だるそうに持っていた鉄の棒を放り捨て、頭をガシガシと掻いた。



『まったく、才能も無い奴が指示してくるんじゃねぇよ。嫌悪感で蕁麻疹が出ちゃうだろうが』

『ベル、ガルドッ!?』

『まさか、忠犬がここまで身を呈するとは思わなかったが、お前への怒りはこれでチャラにしてやる。ほら、どけ』

「な、な、なんだっ、仲間割れかっ……!? いったい何を!?」



 倒れたアブサントの事などもう興味もないようで、ベルガルドはモニターのマイクを職員から奪い取ると機器の握り方を調整して、『あー』と声の調子を確かめ……それから凶悪に笑った。



「なーんて、ね。僕の芝居、上手かったろ?」

『……え?』



 ベルガルドの口から出て来たのは、彼が話せるはずがない流暢な日本語だ。

 小馬鹿にするような、見下すような目で事態が呑み込めないルシアを一瞥して、手に持ったマイクに告げる。



「初めまして下等で愚かな諸君、僕の名前は白崎天満。年齢は29歳、性別は男。好きなものは他人の絶望した顔。今は、“白き神”を名乗っているよ」



 ぐらりっ、と。

 視界が歪んだと思う程の量の異能の出力がベルガルドから発せられ、機械を通して、東京拘置所中を異能の孕んだ声が響き渡る。


 事態を把握した拘置所の職員達が、ベルガルドに飛び掛かろうとした体勢で停止する。

 モニターに映る、不審な行動を取っていた職員とそれを抑え込んでいた者達が動きを止める。

 そして、何が起きているのかと状況を窺っていた牢に収容されている者達は、全員が一律に立ち上がる。


 そして、彼ら全員がベルガルドに忠誠を誓うかのように、その場で頭を下げた。



「さてと、制圧完了。じゃあ依頼通り、“千手”と“紫龍”を迎えに行くかな」



 時刻は15時59分。

 ベルガルド……いいや、彼の体を乗っ取った“白き神”は、思い出したように手を打った。



「ああ、忘れてた。世界中に配置している奴らに暴れて貰わないと、どさくさに紛れていっぱい駒を増やさないとね」



 “白き神”はそう言って、指を鳴らす。

 その瞬間、世界中で合図を待っていた彼に洗脳された者達が一斉に行動を開始する。

 世界に暴力が満ち溢れていく。


 これから始まるのは、『UNN』からの依頼の達成だけを目指すものでは無い。

 “白き神”自身の目的への第一歩。

 世界最悪の異能『認智暴蝕』による、本格的な世界征服の始まりだ。


 時刻は16時00分、世界を巻き込んだ同時多発の大規模テロが勃発した。



「いくつの国が手中に落ちるか、楽しみだなぁ……」



 “白き神”はそう言って、床を染めた血を踏みにじった。




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