亀裂の入った形無いもの
ICPOが抱える異能犯罪対策の特殊部署。
そこに所属する特別な才能を持つ彼らは、国際的な巨大組織である国際警察であっても、替えの利かない大切な人員だ。
だからこそ、彼らには特別な待遇・権利が許されているし、多くの支援や補助、活動をサポートする優秀な人員を引率に回されている。
国を跨いだ異能犯罪の対応をするために、可能な限り彼らの要求に応えるし、潤沢な資金を使い、快適な移動・拠点での生活を行えるよう、ICPOは常に細心の注意を払っている。
過剰にも思える厚遇。
自分達が抱える“異能”と言う超常的な才能を持つ者に対してこのような措置を取っているのは、偏に、裏切られることが無いようにということに他ならない。
過剰なまでに異能を持つ者に対してへりくだり、厚遇を続けている今の状況。
なぜか。
前提の話をしよう。
異能を持っていたとしても銃を向けられ、発砲された場合大抵の場合は命を落とす。
最新の、それこそ軍が使う兵器を用いれば、異能を持つ者一人なす術などないだろう。
銃弾が体を貫けば命を落とすし、爆弾を落とされれば木っ端微塵にだってなる、異能持ちなんて仰々しく呼んでいても、その点は普通の人と何一つ変わりはしない。
基本的に異能を持っているからと言って軍隊に勝てる力を所持している訳ではないのだ。
およそ100万人に1人と言う割合と推定されている、自然発生型の異能持ちは希少性こそあれど、現在の科学技術からすれば大した有用性は見出されていなかった。
ならなぜ、ICPOは過剰なまでに自分達が抱える異能持ちを厚遇しているのか。
理由は、怖いからだ。
数年前まではそこまで重視していなかった異能の力。
せいぜい原理を知ろうと、色々な手を使って異能を持つ人物の確保に走ったり、軟禁したりもしていたこともある。
それでもそこまで大きな脅威と捉えていなかったのは、進歩した科学技術で十分対応が可能だと判断していたから。
反乱や罪を犯すなら、部隊を投入して制圧ないし抹消すればいい。
それだけの力の差があると、異能の存在を知る各国は判断していたのだ。
だから珍しい生き物と認識していただけで、面白い研究材料だと思っていただけで、異能を持つ者がどれほど危険で、特別な対策が必要であるなどと彼らは考えてもいなかった。
一人の異能持ちに世界を征服されるまでは、だが。
侵略されている事に気が付けなかった。
征服されている事を知りもしなかった。
大きく目減りしていく世界の犯罪数に、緊張状態にあった国と国の友好関係が劇的に改善されていく事に、誰一人として何の違和感も感じていなかったという異常事態に気が付けたのは、全てが終わった後だった。
悪事を成していた組織が原型を留めないほど崩壊して、非道を働いていた者達の罪は全て明るみに引き摺り出された。
汚職、癒着、表に出せない裏取引、全てが許されないディストピア。
いつの間に世界から非道も、犯罪も、諍いも消え失せていた。
どんな原理でこうなっているのか分からないまま、世界中の人々は手に入れた絶対的な安穏に恐怖し、誰も傷付けないからと、目に見えない誰かに許しを請うように笑うしかなかった。
それからだ。
ICPO、いや、異能を認知した各国が異能を持つ者達への対応を変えたのは。
異能と言う特別な犯罪に対して対応する部署を作り上げた。
非道とも取られかねない異能持ちへの対応を改め、過剰に異能持ちと言う存在を厚遇するようになった。
今は鳴りを潜めている、姿の分からない世界を征服した者が、再び世界に手を掛られない様に。
『異能を持つ人間を育て、世界最悪の異能持ちに備えよ』。
それが今の、異能の存在を認知している国々の共通している不文律となっていた。
『なぜ一般人を見捨てたの?』
今は明確に、異能を持つ者とそうでない者には格差が付けられている。
特に大きな組織になればなるほど、その傾向は顕著だ。
だから、今の常識において、何よりも大切にされている貴重な異能持ちへ責め立てるような発言をした彼女の姿は酷く危うい。
『答えなさいベルガルド。貴方の行為はICPOの掲げる信念に反する行為です』
とある豪華なホテルの一室の空気が重くなる。
酷薄で、温度を感じさせない問い掛けをしたのは白髪の女、ルシア・クラークだ。
苛立ちが混じったような彼女の矛先は、同じ組織に所属する髭を蓄えた男性へと向けられている。
『なぜって、俺の手は二つしかない。理由ならそれで充分じゃないか?』
『貴方の力についての資料は拝見させて頂きました。手に触れた物、では無く体に接触している物が範囲に入るのは承知しています。手で触れることが出来なくとも、あの人数程度であれば抱き込むことは出来た筈です。もう一度問います――――なぜ、あの方々を見捨てたのですか?』
今度の問い掛けは先ほどよりもずっと鋭く、言い逃れは許さないと言う重さを持っていた。
引く気配のないルシアの様子に、ベルガルドと呼ばれた男は面倒臭そうに表情を歪めた。
『……咄嗟の出来事だったろう』
『いいえ、貴方が私達を「移動」させてから数秒の猶予はありました。即座に危機を判断して対応して見せた貴方ほどの者が、あの場にいた者達を救う術が無かったとは言わせません』
『ああ、それは俺のミスだったな。攻撃を受けていると判断して慌てて離脱を選んでしまった。悪かった……これで充分か?』
『貴方と言う男はっ……!』
悪びれもしない男の様子に、ルシアはついに怒りを露わにする。
ICPOを支援する立場にある名家に生まれ、あらゆるものに優秀な成績を収めたルシアと言えど、今の立場は異能と言う超常的な力を持つ者達の特別顧問。
実力だけで勝ち取ったとは到底言えないような、コネと金によって奪い取った名誉職のようなそんなもの。
普通であれば、何よりも異能持ちを大切にすると言う今のICPOの状況を考えれば、どれほどルシアが正しい事を言っていたとしても立場が悪くなるのは彼女の方なのだが……。
『ベルガルドいい加減にしろ』
口を挟んだのは異能を持つもう一人の男、アブサントだ。
『お前のそれはミスでは無く、故意に人を陥れた危険行為だ。未だに異能に対する理解を得られていないこの国において、俺達への風評が悪くなればどうなるのか考えが及ばない訳ではないだろう。改めないと言うのなら、俺から本部に「ベルガルドは危険思想を持つ」と報告してもいい。そうなればお前は異能犯罪者と同等の扱いを受けることになる』
『おいおい、お前も俺が悪いとでも言うのか?』
『お前が決めろ』
『……言葉に気を付けろよ飼い犬風情が』
『ちょ、ちょっと二人とも止めなさい!』
一触即発の空気になったホテルの一室で、慌てたのは先ほどまでベルガルドを問い詰めていたルシアだ。
あくまで“白き神”、あるいは他の異能持ちを相手にした時に戦力にならない自分だからこそ、多少ベルガルドと険悪になってでも、今回の件の釘を刺そうと思っていた。
だが、抱えている貴重な異能持ち同士が争うなら話は別だ。
二人の間に割って入り、仲裁に動いたルシアに心底うっとうしそうな視線を向けたベルガルドは嘲笑する。
『何が優秀な通訳係だ。結局異能の才能を持たない奴なんて何の役にも立たないんだよ。何かしら思うところがあるなら、お前が異能を扱えるようになればいい。必死になって異能持ちを搔き集めている時点で、お前は俺よりも下で、正義は俺にある』
『臭い口を閉ざせ髭面』
『アブサントっ!』
『ちっ、せいぜい足を引っ張るなよ。お嬢様』
苛立ち紛れに部屋から出て行こうとするベルガルドをルシアは慌てて制止するものの、トイレだ、と簡潔に言い残してそのまま出て行ってしまう。
異能を持つ奴はどいつもこいつも個性的で、手綱を取るのも一苦労だ。
どうしてこうなるのかと肩を落とし、ため息混じりに椅子へ腰掛けたルシアだったが、彼女の様子を見てアブサントは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
『……ルシアお嬢様、申し訳ありません』
『お嬢様って呼ばないでアブ。今の私はあくまでICPO特別顧問のルシア・クラーク。貴方達の補助を任された人間よ。そして今の貴方はクラーク家の使用人じゃなくて、ICPOの異能対策の実働員。私達の立場は変わったの』
『……』
一癖も二癖もある異能持ちの人間関係を調整するのも、補助する者の重要な任務だ。
この失敗をどう挽回するべきかと考えながら、ルシアはムッツリと黙り込んだアブサントを見遣る。
『……ねえ、アブサント。“白き神”の目的は何だと思う? この国の宗教団体から妙な金の流れがあったからこうして私達が来ているけど、わざわざ攻撃してくるなんて完全に想定外。これまで通り、特に反撃もないまま、トリガーになってるディスクを壊して、またいたちごっこになると思っていたけど……』
『何らかの目的があるのか。それとも、俺達が邪魔になったのか。気分屋な奴の真意は読み取り辛い』
『それに、先ほどの攻撃であの警察官達が怪我一つ無く生き残ったのも妙よね。何かメッセージ性を残そうとしたのか。それとも本当にたまたまぶつからなかったのか』
『…………異能の出力はベルガルドと“白き神”の他には感じなかった。あの警察官達は特に異能を持っていない筈だ』
『八方塞がり……取り敢えず“白き神”の攻撃を警戒しつつ、“千手”の護送に集中しましょう。ICPOにとって最大の宿敵である奴を相手にするにしては、今の私達はあまりに戦力が足りなすぎる。一応応援要請は出しているけど……最近はテロ行為が活発みたいでそっちの対応が忙しいみたいだし』
ここで“白き神”を相手取るつもりはなかった。
いつも通り、資金調達をしている“白き神”の被害拡大を抑えるだけの筈だった。
もしも、ここで本格的に“白き神”との争いが始まるなら勝てる可能性は限りなく低い。
逃走も視野に入れなくてはならないだろう。
『……最悪この国は捨てる必要がある。それは覚悟していてくれルシアお嬢様』
『……その最悪は来ないことを願うわ』
『色々言ったがベルガルドの“転移”は優秀だ。俺達だけの逃走なら、“白き神”が本気で攻撃をしてきても不可能ではないだろう。本部に戻って、最大戦力で事に当たれば良い。それまでの被害は、仕方ないと割り切ろう』
現在の状況は想像以上に苦しい。
組織全体で“顔の無い巨人”改め“白き神”を打倒するために戦力や情報を集めている最中だった。
まだ時では無かったし、すぐに戦力を集結させることは難しい状況。
そんな苦しい状況の中でどうすればあの凶悪な異能を持つ世界最悪の犯罪者に対抗できるのかという思考を、ルシアとアブサントはまだ止めていなかった。
『ベルガルド・ピレネさんですね?』
『ん、ああ、そうだが……どうしたホテルの従業員さん』
『落し物がありました。どうぞこちらへ』
『俺の? ふん、分かった……ところでアンタ、日本人の癖に随分と英語が流暢だな。日本人は母国語しか話せない奴がほとんどって聞いてたんだが――――』
‐1‐
あの異能による遠隔攻撃、車両の特攻を受けてから次の日。
私は早速自分の部屋から神楽坂さんへ報告のための電話を掛けていた。
報連相は大人の常識だし、あれだけの大事故ゆえに例え隠そうとしても(隠すつもりも無いが)報道などで大々的に取り上げられていて隠すのは難しいし、後ろめたさを感じている神楽坂さんを一層不安にさせる可能性もある。
だから、しっかりとした状況報告が必要な訳だ。
そして私は状況の説明をすると共に、ICPOの人達への不満を神楽坂さんへとぶちまけた。
「どう思います神楽坂さん!? 常識的にありえなくないですか、ICPOの人達!! 一般人置いて自分達だけ逃げたんですよ!?」
『あ、ああ、そうだな』
状況報告を早々に終わらせ、堰を切ったように氾濫し始めた私の愚痴に、電話先の神楽坂さんは動揺しつつも、理解を示してくれる。
流石の大人の余裕だが、そんな風に接されても積もった私の不満は一向に減らない。
あれから本当に大変だったのだ。
恐怖に泣きじゃくる一ノ瀬と言うヘタレさんに精神的な支えかのようにしがみ付かれて、下手に退散することも出来ず。
時間を置いて戻って来たICPOの人達が私達の無事な姿を見て驚愕しつつ、一応は無事を喜んでくれたが私の彼らの評価は地に落ちていて。
潰れた車両の隙間にいる私達を救出した警察官達が、そのまま事故を起こした車両に乗っていた人達も救出するのをしばらく手伝い。
外傷はないものの一応保険としてと、病院に連れていかれ。
そして、連絡を受けた妹が慌てて病院に駆け付けてきて泣かれた。
それはもう、号泣しながら謝ってくる妹をあやすのはめちゃくちゃ大変だった。
それもこれも全部、ICPOの人達と自称“白き神”とか言うナルシストのせいである。
「死ぬところでした! 死を覚悟しました……! やっぱり異能持ち怖い……あいつら人道的な価値観なんて持ち合わせていないんです……頭のネジが飛んだ奴らばかりなんです……」
『佐取も同じ異能持ちなんじゃ……いや、やれることを考えると佐取の異能もかなり強いものだろうが物理的な防御手段を持っている訳ではないし、危険なのか……? 今更かもしれないが、無理に調査をしなくてもいいんだぞ? ICPOが捜査に動いているなら正直一般人の出る幕はないだろうから、佐取が無理してやらなくてもいい。むしろ彼らはプロだ。俺なんかよりもきっと捜査能力だって高いからそこまで甚大な被害が出ることは無い筈だろう。危険だと思ったら――――』
「がんばりまずっ……!」
『頼むから頑張らないでくれ……!』
ともかくあの“白き神”とか言うやつは早々に無力化しないとまずい、私のメンタルの問題で後回しにするのはあまりに危険だ。
苦悩に満ちた神楽坂さんの声に励まされ、少しだけ元気になる。
一方で、電話から聞こえる神楽坂さんの声は重い。
『……俺がせめて万全に動ければ一緒に行動できるが、怪我した状態だと足しか引っ張らないだろう。このタイミングで奴が活動を再開するとは、なんて間の悪い……』
「ずびっ……それなんですけど。多分このタイミングであのナルシスト……“白き神”がこの国で動き出したのは偶然じゃないと思います。多分、最初に私がアレを見つけた時の目的と、今回のICPOへの攻撃の目的は別物です」
『ん?』
奇しくも私が危険に巻き込まれた昨日の事件で、私の仮説が間違いないと証明された。
非常に認めたくないが、あの命の危機があったからこそ、得るものがあった。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、だった。
『どういうことだ?』
「最初は単純な金稼ぎで宗教団体を作っていました。でもアレは、今は明確な目的を持って障害となりうるICPOの人達を排除しようと動いたんです。別に日本でする必要もない金稼ぎの為だけに、世界に広げている大切な傀儡を使ってわざわざ大きな事故を起こした」
勿論、アレが度し難い性格で、出来るだけ他人に迷惑を掛けたいと考えていたならそういう事もあるだろう。
だが、私と遭遇したアレは心の底から、出来れば同類と事を構えたくないと考えていた。
要するに、同じ精神干渉系の異能を持ったテリトリー内で暴れて、同種の厄介な相手の怒りを買う必要がないと考えていたのだ。
どれだけ自分の力に自信を持っていたって、抵抗の手段を持たない人間と抵抗の手段を持つ人間、どちらを搾取するかと聞かれれば、基本的には前者を選ぶ奴が多いだろう。
「奴の目的は恐らく分かりました。ついこの前まで無かった価値が、今のこの日本にはあるからです。それが何だかわかりますか神楽坂さん?」
『……もったいぶらないでくれ』
「えへへ、少しだけもったいぶらせて下さい神楽坂さん」
気分は、色んな物語に出てくる推理を披露する人達だろうか。
それか手品師の自慢のトリックを見破った時かもしれない。
電話越しに唸るような声を出した神楽坂さんに、私は告げる。
「いつか助け出そうとするだろうなと思っていました。異能持ちを作る技術を持っていると言っても、何十人も子供を攫って、実験をして、それで異能が開花したのが一人だけでしたから、まだ異能持ちを大量生産できる体制は出来ていないんです。つまり、彼らにとって組織に従順な異能持ちの価値は、まだかなり高い」
『それは……つまり……』
「そうです。奴の目的は恐らく、“紫龍”および“千手”の脱獄を手助けすること。すなわち――――東京拘置所への襲撃」
『異能持ち同士の繋がりかっ……!』
驚愕を孕んだ神楽坂さんの言葉に肯定しつつ、私はパソコンに流れて来た『海外で過激化するテロ活動及び、大規模なデモ活動のニュース』に視線を走らせる。
報道内容は加速的に拡大している過激活動への注意喚起がほとんどだ。
“白き神”とやらは本当に用意周到で臆病者。
万全を期して自分の身の危険を排除するのに、どれほどの犠牲も厭わない。
「……現状は薄氷の上になりたっています。水面下では既に思惑が交錯しており、一歩間違えればこの国は異能持ち同士の戦場になりかねません」
もしもそうなれば……なんて、その後の事は口にしなかった。
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