向けられる矛先
『薬師寺銀行強盗事件』。
日本犯罪史に残る、かの有名な未解決事件が起きたのはもう数年も前の事である。
被害総額100億円。
事件は当時資金の調整のためにほんの一日だけ、経由場所である薬師寺銀行に巨額の紙幣を集めていた時に起きた。
当然世間にも、関係者内でも紙幣が集められたのを知る者はごく僅かで、狙いすましたかのようにその日の警備が一番手薄になる時間帯を、覆面を被った複数の人間が襲い掛かってくるなど誰もが考えもしなかった。
強盗事件が発生した時の死者は12人にも上り、犯人一行は複数台の車両を使用しバラバラに逃走。
車両を変え、移動手段を変え、慎重に身体特徴を隠した犯人達の行方を追うのは至難を極め、事件は当時大々的に報道されるに至った。
状況が変わったのは事件発生から二週間が経過した頃の事だ。
強盗事件に関わった犯人の死体が次々と発見された。
ある者は自殺、ある者は事故、ある者は強盗事件の別の犯人とお互いを。
いつの間にか誰一人として逮捕される前に、強盗事件を起こした犯人達は全員命を落としていた。
因果応報、欲望に駆られ他人を傷付けた報いが本人達に返って来たのだと、最初こそ言われ、綺麗に終息はしなかったものの、事件に関わった犯人達はいなくなり、この事件は終わりに向かうと思われた。
だが、結論を言うと、この事件は解決しなかった。
金だ。
奪われた紙幣、100億もの大金がどこにも見つからなかった。
死亡した彼らの家や預金にもそれらしきものはなく、彼らの行動を洗い出してみるも何処にも金が流れるような関わりがある場所が無い。
一年ほど続いた事件の捜査だったが、結局100億は見つからないまま、捜査は終了することとなった。
被害品が見つからない。
犯人を逮捕することが出来ない。
死亡した犯人達の裏に本当の黒幕がいるのかもさえ、分からなかった。
こうして、多くの謎を残した『薬師寺銀行強盗事件』は有名な未解決事件として名を残すこととなったのだ。
‐1‐
「……ふむ、なるほど。これは神楽坂さんが言っていた通りの内容ですね」
次の日、私は図書館に立ち寄り、過去の『薬師寺銀行強盗事件』に関わる新聞記事をいくつか印字して持ち帰っていた。
『薬師寺銀行強盗事件』と言えば、昔世間を騒がせた怪事件だが、これを神楽坂さんが追っていたとは思わなかった。
この事件こそが神楽坂さんのトラウマを生み出した事件の発端であり、異能と言う超常現象を追い始める切っ掛けとなった出来事。
この事件の黒幕が神楽坂さんの先輩や恋人を手に掛けた異能持ちであり、ICPOの情報が正しければ、今は“白き神”を名乗る存在であるらしい。
まずは地道な情報収集から、と考えて、こうして過去の新聞記事を搔き集めたものの、中々に興味深い。
一見、異能が関わっている事件なら普通の新聞記事を見ても意味が無いように思えるが、逆に異能と言う前情報がある状態で普通の記事を見ると面白いものが見えてきたりする。
そもそも、何の調査もせずに姿の見えない敵と追い掛けっこをするのはあまりに効率が悪いのだから、入りとしてこういう記事を集めるのは個人的には悪い手ではないと思っている。
(まあ、本当に世界を股にかけられる程の異能持ちの犯罪者なら、まともにやり合うのは避けるべき。この前会った人物が、そんな世界規模な器には見えなかったけど……油断はするべきじゃない)
そう考え、私は新聞記事の内容からこの事件のおかしな点を数えてみる。
最初に、犯人が特定の日に大金が薬師寺銀行に集まると言う情報を持っていた事。
次に、逃走経路などは綿密に練られているのにあまりに協調性がない実行犯達。
次に、実行犯全員が何らかの理由で命を落としている事。
最後に、盗まれた金銭が一切見つかっていない事。
確かにこれらの要素を満たす変数Xの存在があるとするなら、洗脳系統の異能持ちが最適に見える。
そして、同じ精神干渉系統の私の異能との比較と共に、過去に実際に目にした感じからあの異能の詳細を予測していくと、“白き神”とやらの具体的な形が見えてくる。
読心というよりも記憶ごと覗き見てその人から情報を搾り取る力。
洗脳を施した人間を容易く切り捨て、自分の利益だけを追求する人間性。
実行犯達のバラバラな出身や経歴から、一度の異能の行使で彼ら全てを洗脳したわけではない事。
そして、異能持ち本人が近場に来ることなく、次々に関わりのない人々を洗脳する技術。
――――恐らくアレは、私の異能とは異なり、他人の精神に寄生し肉体の主導権を奪うことを得意とした異能だろう。
私はそんな風に当たりを付けた。
「まあ、まだデータから見た推測の域を出ませんから、こうだろうと思考を固くしない様にしないとですね」
そうやって自分に言い聞かせるように声に出す。
それで、過去のデータからの推測はこれくらいで良いとして、次に必要なのはこれから行われるであろう事件の予測。“白き神”とやらの目的を考えることだ。
ここに来てわざわざ日本で活動を再開するようになった目的……。
「……金が好き? 前にも100億円を奪っているのがコイツなら、また味を占めてこの国を狙ってきた? ……うーん、なんか根拠としては弱そうな気がする」
神楽坂さんが言っていたのは、“白き神”がこの国での活動を再開した、ということだけだ。
どういうことをして活動を再開したと判断したかなどは分かっていない。
少し前の宗教団体から定期的に金を集めていたようだけれど、本当にそれだけなら、もう私が根元を切ったのでこの件は解決してしまっている。
これ以上の調査は無駄足になる可能性があるが、わざわざICPOの人間がこの国に来ているなら、何かしら別の手がかりを得ている可能性もある。
以前“白き神”とやらと遭遇した際、奴はもうこの周りでは活動しないと言ってはいたが、経験上ああいう奴の発言は、その時心底思って口にしていたとしても信用できるものでは無い。
その時は心の底から思っていたとしても、すぐにコロリと意見を変える奴も世の中には一定数いる。
「他に、わざわざこの国に足を運んで活動することに意味があるとすれば……」
思い当たった事柄を口にしようとして、ズドンッと私の部屋に誰かが飛び込んで来た。
一緒に住み始めた遊里さん親子は慎ましい方々なのでこんなことをしない、するのは絶対桐佳だ。
振り返って見れば、予想通り、妹が慌てた様子で部屋に入ってきていた。
「お姉っ、今から友達が来るから絶対部屋から出てこないでね!」
開口一番ペット扱いされた気がする。
これくらいで頭に血が上っていたら、桐佳と付き合うことなんてできない。
余裕を持った姉らしく、優雅に妹をたしなめる。
「別に変なことしないよ? お茶とかお菓子とか出すし」
「良いから! ぜぇったい、出てこないで!!」
「……いやいや、本当に変なことしないし、長々と会話もするつもりないから」
「お姉が良くても私が嫌なの!」
「…………」
割とガチで傷ついた私は思わず無言になる。
「ご、ごめんなさいお姉さん……」
「そういうわけだから、部屋から出ないでね!」
それだけ言うと、後ろで申し訳なさそうにしていた遊里さんを連れて、ドタドタとリビングへ降りていってしまう。
酷い、完全に外に出したら恥ずかしい物扱いだ。
家庭的で、これだけ献身的に家事をしているのに。
深く心が傷付いた私は、うじうじと出かける準備を始める。
元々部屋で集められる情報など高が知れていたのだ、せっかく異能を持っているなら自分の足で歩き回った方が早い。
「ううう、なんでこんなに酷い扱いをされないといけないの……?」
元々、ICPOの人達の所在を把握したいとは思っていたのだ。
協力しようなんて気はないが、神楽坂さんが言っていたように補助が必要になる場面もあるかもしれない。
これはそのために出掛けるのだ。
だから決して妹に追い出される訳ではないのだ。
そんな言い訳をしながら、私はトボトボと階段を下りてそのまま外に繰り出した。
‐2‐
私が向かったのはICPOの人達が比較的に活動していそうな氷室警察署だ。
続いていた誘拐事件や殺人事件が一応の終わりを見せたからか、以前ほどピリピリした空気を纏った警察官の巡回も見当たらず、平和になったのだろうと肌で実感できる。
とは言え、あれだけ凄惨な事件が続いた後だ。
巡回している警察官の顔には疲れが見えるし、通行している一般の人も落ち着かないように周囲を見渡すことが多い。
……世間に走った見えない傷跡は、もしかしたら誰もが思うよりも深刻なのかもしれない。
そんな感想を抱きながら、私は当初の予定通り、読心をオンにして氷室警察署周りの散策を行う。
それから十数分程度。
ICPOの人達について情報を持っている人がいないかなーという期待しての行動だったが、中々目的の情報を持っている人が見当たらない。
前に警察署へ補導された経験があるから、心情的に出来れば長居したくないのが本音だったりするのだが思うようにいかないものである。
警察署の周りをクルクル歩き回っている人間なんて、基本碌な奴はいないのだから話しかけられても仕方ない部分はあると思うが、自分の事となるとちょっと怖い。
(もう一周だけしたら帰ろっかな。今のところ不審と感じている人とかいないし、不審がられたら即退散する方向で考えておけばいいし――――)
「あのー、どうかしたっスか? もしかしてお悩みがあったりします?」
「――――うひゃぁ!?」
予備思考無く、要するに脊髄反射に近い勢いで私に声を掛けてきた誰かにビビり散らかした私は、慌てて声の主を探すと、予想外の反応だったのだろう、キョトンとした顔で私を見詰める女性がいる。
若めで活発そうな雰囲気の女性。
スーツ姿で、一見警察官に見えないが、どうも彼女の思考を見る限り神楽坂さんと同じ警察官らしい。
「あ、あー、びっくりさせちゃいましたよね、すいません。私一応こんな格好ですけど警察官なんス。一ノ瀬って言うんスけど、お嬢さん何か探してるようだったので、何かあったのかなーと」
「あ、ああ、勝手に私がビックリしただけなので気にしないでください。えっと、一ノ瀬さんは、本当に警察官なんですか? 失礼かもしれませんけど、そうは見えなくて……」
「む! これでも立派な警察官っスよ!! 同期の誰よりも早く事件担当となり、この前も凶悪事件の解決の一助となった期待のエース! 一ノ瀬和美とは私の事っス!!」
「へ、へー……」
また濃い奴が現れた。
何なのだろう、警察官って飛禅さんといい、濃い面子が集まりやすい職業なのだろうか。
ドン引きに近い状態の私の様子に気が付かないのか、一ノ瀬さんとやらは腕を組んで満足げに頷いている。
「ふふん、警察学校でこそ飛禅のアホに主席を奪われたっスが、現場ではあのアホはここの交通課から動きを見せない。私が一足飛びに活躍して、あっと言う間に警視、警視正、警視長へと駆け上がって見せるっスよ! あっはっはっは!」
「…………」
単細胞を形にしたような人を初めて見た。
まじか警察、まじか。
あの優秀な神楽坂さんを冷遇しておいて、こんなのをエースとして扱ってるのか?
正気云々じゃなくて、もう評価体制の生死を確認した方が良い気がする。
「で、で、何かお悩み事っスか? なんでもこの一ノ瀬警察官が解決しちゃいますから、気軽に相談していただけると良いっスよ!」
「あ、結構です。すいません急いでるので」
「そうでしょうとも! 私の眼に狂いはないっスから何かお悩みを……え?」
「結構ですので。それでは失礼します」
これまでいろんな人を見て来た経験が、この人と関わっても良いことは無いと言っているため、目を丸くしている一ノ瀬さんとやらを置いて、私はその場で回れ右をした。
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待つっス!?」
硬直から正気に戻った一ノ瀬さんが、立ち去ろうとしていた私に追い縋る。
「いや、もしかして不審者とか思ったかもしれませんし、展望語る上で少しテンション高くなりすぎちゃったところはありましたが、ほんと、れっきとした警察官なんス! ほらほら、ちゃんと警察手帳を見せるっスよ!? どうっスか? 良い写真写りしてるっスよ?」
「貴方がもし本当に警察官だとしても貴方にだけは相談とかしたくありません」
「辛辣っ!?」
私の言葉で一度は膝から崩れ落ちた一ノ瀬さんだったが、すぐに復帰してまた追いかけてくる。
どうやら諦める気が毛頭もないらしい、ヤバい奴に目を付けられてしまった。
「ううう、そんなぁ、変なこと言ったの謝るっスから何か相談してくださいよぉ。そろそろ何かしら活躍しないと、柿崎部長にもっとしごかれちゃうんスよぉ……迷子の犬とかの捜索でも良いんでぇ……!」
「そんなの私には関係ないです、ちょっと、着いてこないでください」
「人助けっ、人助けと思って私に相談を! どんな些細なことでも空き部屋の隅でアホみたいに口を開けて待機し続けるよりはずっと良いっスからっ!」
「……おい、一ノ瀬何してんだお前」
ついには自分の事情まで赤裸々に語って懇願してきた一ノ瀬さんをどうするべきか真剣に悩み始めた私の横から重々しい低い声が届く。
「ひぇ」と言って、石像のように固まった一ノ瀬さんの視線を私も追って――――声の主である鬼の様な顔をした男に、私の顔も引き攣った。
怖すぎる。
到底同じ人間とは思えない。
というか、筋肉の発達量がどう見てもおかしい。
人間よりも鬼と言われる方がまだ納得できる存在を初めて見た。
「テメェ……何一般人に迷惑かけてんだ?」
「ひ、ひええっ、お、鬼? 人間じゃないですよねこの人……!」
「か、か、かかかかか、柿崎さん、ここここ、これはですねっ……!」
ズンズンと近づいて来る鬼の人の威圧感に、小鹿のようにガタガタと体を震わせる一ノ瀬さんと私。
思わず身近にいたお互いの手を握り合って縮こまった私達の目前に鬼が立つ。
それからその鬼は怯える私を見て、流石にこの場で叱るのはまずいと思ったのか、深いため息を吐いて燃え上がるような怒りを何とか治める。
「チッ……後で覚えておけよ」
「わ、私のせいで柿崎さんが怪我したんですし、せめて柿崎さんが動けない間、何か私もやらないとって思って……私、部屋で待機なんてできなくてっ……!」
「そういう下らない気を回すのは独り立ちしてからにしろ。はっきり言うが迷惑だ」
「っっ……」
くしゃっ、と表情が歪んだ一ノ瀬さんとそれを無視する鬼の人こと柿崎さんを見て、二人のあまりの不器用さに何か言うべきか悩んだものの、私が何か言う前に鬼の双眸が私を捉える。
そして、少しだけ驚いたように目を剥いた。
「お前は、あの時の」
「え? ……あ」
そこまで言われて、思い出す。
“千手”と会う前に、車の下敷きになっていた男の人を助けたことがあった。
あの時のこの人は上半身しか見えなかったし、この人の意識も朦朧としていたから、実際に立っている状態のこの鬼のような人と中々合致しなかった。
でも、気が付いて改めて見ると、肩幅とかめちゃくちゃ大きいあの時の人とそっくりだし、どう見ても同一人物だ。
「お、お久しぶりです……?」
「……あの時は助かった。あの時お前が居なかったら、俺はここにいない。感謝してる」
「あ、いえ、別に……何かした訳でもないですし」
到底感謝しているとは思えない仏頂面でそんな事を言うものの、鬼の人の内心もしっかりと私に感謝しているようだ。
……うん、ツンデレってこういうのを言うのだろう。
この鬼の人のツンデレなんてきっと誰も得をしないが。
「あー……コイツが何か変なことをしたなら謝る。わりィな、俺がしっかりと見ておかなきゃいけなかったんだ」
「あ、いえ。別に、そこまで変なことはされませんでしたし、あくまで私を気遣ってくれていただけですから」
「……分かった。あんまりキツくは言わねェよ」
下唇を噛んで悔しそうに俯いている一ノ瀬さんを、見た目にそぐわない優し気な感情で一瞥した鬼の人は片手に持っている杖を軽く持ち替えた。
そういえば神楽坂さん達が怪我を負った日と同じ時に車の下敷きになっていた筈なのに、なんでこの人立ってるんだと、私が足元に目をやったことに気が付いたのか、鬼の人は軽く笑う。
「足はまだ折れてるが、そこまで深刻じゃねェ。杖を使いさえすりゃあ日常生活に支障は出てない。それに、ここ数日はどうしても出勤しなきゃいけなかったから動いているだけだ。心配すんな」
「はー……警察って大変なんですね。足を骨折して直ぐ出勤しないといけないって」
「馬鹿どもが尽きない限り警察は忙しいんだ。つまり、人間がいる限り暇な時は来ねェ」
「……さらっと問題発言してません?」
神楽坂さんも大概不良警官だと思うが、この人もだいぶヤバそうだ。
というか、私は何を呑気に会話しているのだろう。
この二人に絡まれてしまうと目的の達成も難しそうだし、もうここら辺で切り上げるべきか。
もう少し街中をぶらぶらしてから帰れば、妹の友達も居なくなっている頃だろう。
そう思って、鬼の人と一ノ瀬さんに帰る旨を告げようとした時、鬼の人の背後にある警察署の入り口から見覚えのある三人組が出て来たのが目に入った。
神楽坂さんと話していた彼ら。
ICPOの異能対策要員であり、異能を所持する者達。
恐らく今回の日本で起きている“白き神”の活動を、最も把握している者達を私は見付けた。
「柿崎巡査部長、それでは私達はこれで」
「ああ。何かわかったら連絡する」
「助かります。それと、前の話ですが――――」
ICPOの人達が鬼の人を見付けると挨拶するために近付いてきて、そのまま会話を始めた。
彼らの容姿を改めて観察すると、当然だがかなり日本人離れしている。
全体的に長身で、顔の彫りが深く、鼻が高い。
会話を担当している白髪の女性以外の二人が異能を持っているのだろう、後ろで従者のように控えている彼らから強い異能の力が感じ取れる。
女性が異能を持っているのか傍目からは分からないが……うん、恐らく持っていないと思う。
この女性はあくまで異能持ちと言う兵器を管理する立場にいる人間なのだろう。
「……」
「む……」
じっと女性を観察していたら、それを遮るように後ろに控えていた褐色肌の若い男性が立ち塞がり私を見つめ返してきた。
異能も漏れてないので、相手からすると私はただの一般人に見えている筈なのだが……やけに警戒するような目で私を見てくる。
流石に気まずくなった私がそっと目線を逸らした事に、ICPOの女性は気が付いたようで、嗜めるように褐色肌の男性の肩を叩く。
『アブ、なんで子供を威圧しているの? 怖がってるから止めなさい』
『……申し訳ありません』
流暢な英語で男性を嗜めたICPOの女性は、優し気な笑みを浮かべて私に目線を合わせるように屈んだ。
「ごめんなさいね、うちの使用人……いえ、部下が威圧しちゃって。根は優しいんだけど、口下手な上に気難しくて」
「!?」
優し気な雰囲気を纏った女性に目を剥いた。
神楽坂さん達と話していた時の、数学者のような仕事モードからの切り替えが早すぎるし、態度が違いすぎてビックリする。
後ろにいる褐色肌の男性も、無言でペコリと頭を下げてくるのを見て、逆に申し訳なくなってきた。
「はぁ……おい一般人の子供相手にダラダラ構っている暇あったらとっととこの国でやることを終わらせて本部に帰ってくれ。お前らがいるせいで、俺はまともに休養も取れないんだぞ」
「まったく。この国の人は遊びが無いとは聞いていましたが、可愛らしい子供に話しかける事さえ許されないとは。柿崎巡査部長、もう少し余裕を持っていないと周りも息苦しさを覚えてしまいますよ。ただでさえ貴方は少し、強面なのですから」
「ほっとけ」
軽口を叩き合う大人達を交互に見て、彼らに抱いていた先入観を改める。
無意識の内に敵認定していたICPOの人達だが、随分と人間臭い部分を見せられて拍子抜けしてしまった。
神楽坂さんから彼らの補助をしてくれと言われていたのに、変な思い込みをしていたようだと反省する。
それと……さっきから私の事を子供子供と言っているが、具体的に何歳くらいと思っているのだろうか。
「それでは可愛らしいお嬢さん。この辺りはもう少し危ないかもしれないから、外出は控えてね」
「おいおい、一般人にそんなことを言っていいのかよ。禁則事項とやらには引っかからないのか?」
「あくまで個人的な注意をしただけですから。それでは柿崎さん、また明日。改めてお願いしますが、妙なディスクを見つけても、くれぐれも再生して映像や音声を流さない様にして下さいね」
「……何度も聞かされたが、その理由は?」
「禁則事項です」
ニヤリといたずらっぽく笑った白髪の女性は鬼の人の問いを適当に誤魔化した。
苛立ち混じりにガシガシと頭を掻く鬼の人を置いたまま、ICPOの人達はそのままこの場を去ろうとして。
私は異能の出力を感知した。
(――――異能の出力。かなり微弱? しかもこの位置って、後ろ……車道?)
出力元を探そうと視線を巡らせるが、見える範囲、開けた歩道にはそれらしき人物の影はない。
感覚だけで場所を探るなら、と車道に目をやって。
異能の出力を感知した場所で、信号無視をして走り続ける車を見つけた。
それも、一台ではない。
真っ直ぐ警察署の前にいる私たち目掛けて、複数台の車両が真っ直ぐ突っ込んできている。
偶然なんかではありえない、異能持ちによる遠隔攻撃。
「車がっ!」
「あァ?」
「――――!」
突然叫んだ私を訝し気に見た鬼の人と違い、ICPOの人達は即座に私が指し示す方向を見やり、顔に緊張が走った。
そして、ICPOのもう一人。
髭を蓄えた中年くらいの男性が白髪の女性と褐色肌の男性の腕を掴んだと思ったのも束の間、文字通り、その場から三人の姿は消滅した。
消滅の瞬間、異能の出力を検知。
“瞬間移動”して、彼らは危機回避を図ったのだ。
私と鬼の人と一ノ瀬さんをその場に残して。
(ふざけっ――――)
真っ直ぐ、およそ100キロ近い速度で突っ込んでくる数台の鉄の塊を前にする。
一ノ瀬さんは幻でも見るように呆然と、鬼の人はとっさに動こうとしたものの折れた足に力が入らずその場でよろめいて。
回避なんて絶対にできない状況。
そんな、絶対的な死に追いやられた状況。
――――けれど、あることを確認した私は笑みを浮かべた。
(――――ああ本当に、“白き神”とやらに洗脳された人間で良かった)
爆音に、鉄のひしゃげる音に、誰かの悲鳴が木霊する。
私に覆いかぶさるようにして縮こまっていた一ノ瀬さんは身がすくむ様な轟音が止んだのを確認して、過呼吸の様な呼吸を繰り返しながら、周囲を見渡してガタガタと体を震わせる。
私達三人を避けるようにして潰れた車両の数々に、現実離れをしたものを見るように焦点が定まらない目を向けている。
「か、か、か、かかか、かきざきさん、ここ、これはああ、な、ななななにがががが」
「…………落ち着け、とは俺も言えない。俺も、訳が分からない……」
ペタンと私を抱きしめたまま、お尻から地面に座り込んだ一ノ瀬さんと血の気が失せた顔で周りを見る柿崎さんは、生きた心地がしない様にその場に立ち尽くしている。
複数台の車が突っ込んできて、偶々避けるような形に車のハンドルが切られるなんて偶然はない。
当然、これを為したのは私だ。
微弱な異能、細い異能のライン、そして意志薄弱な洗脳された人間。
それだけ条件が整っていれば、私がそれを上書きするのに必要な時間は1秒に満たない。
洗脳の制御を奪い取り、私達に当たらないよう強制的にハンドルを切らせた。
動作も、音も、準備だって必要ない。
だからこそ、間に合った。
(び、びびび、ビックリしたっ……!!)
とは言え、同じ精神干渉系の異能を相手に一時的にとはいえ洗脳の制御権を奪い取るなんて経験は初めてだったから、条件は揃っていたと言っても不安はあった。
なんだかんだ、ICPOの人達が何とかしてくれるだろうなんて楽観視していたから、車の存在を口にした時は異能を使おうなんて考えていなかったのだ。
……というか彼らが自分達だけ逃げたことに物凄く怒りが湧いてきた。
いや、一番怒りをぶつけるべきなのは“白き神”とやらなのだろうが、完全に見捨てられた形なので凄くムカついてきた。
「……偶然、俺達を避ける形で突っ込んだ……? あんな、真っ直ぐ速度を落とさず突っ込んできた車が、ひとつ残らず……?」
「う、うううえっ、うえええええん! しんじゃうかとおもったよぉおおおぉぉぉぉ!!! こわかったよぉおおおぉおぉぉぉぉぉ!!」
「あ、あ、い、いたいっ、強く抱きしめられすぎて凄く痛い! は、離してください一ノ瀬さん!! はーなーしーてー!!」
「うえええええんん!!!」
大泣きする一ノ瀬さんの抱き枕と化した私の悲鳴は、考え込んでしまった柿崎さんにも泣きじゃくる一ノ瀬さんにも届かないまま、助けに出て来た警察署の人達の声にかき消された。
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