違う世界の私も

 




 赤く染まっていた空が徐々に暗く沈んでいく。

 もしかすると仕事を終えたお父さんはもう家へ向かっている途中かもしれない。

 万が一を考えて書き残したメモ書きが役に立ちそうで良かったと安心しながら、私はもう数分間も混乱状態にある桐佳の様子を窺った。


 私の推測を聞いてから放心状態だった桐佳がようやく、ハッと意識を取り戻し、いやいや、と首を横に振った。



「お、お姉……そんな、そんなことある訳ないよ……確かにお姉が言った点は不自然だよ? でも、だからと言って、そんな現実離れしたことが身近で起きる訳が……」



 信じられないと言うように言葉を絞り出す桐佳。

 確かに、桐佳にとってはあまりに現実離れしすぎて私の推測だけだとにわかに信じがたい状況であるし、決定的な証拠と呼べるものは無い。



「例えば……そう、たまたま遊里のお母さんに用事があって家を離れるから、親戚のおばさんがその間のお世話をするためにあの家にいるとか、そういう……」



 桐佳は私の突飛な推測を何とか否定しようと材料を話しながら探し、それでも思いつかないのか徐々に言葉を重くしていく。



「分かった。じゃあ、少し隠れて待ってみよう。幸い今は夕暮れ時、夕食の準備が始まるだろうけど、私の推測が正しければあの人はあの場で料理をせずに買い出しに行くはずだから」

「あ、あの人が買い出しに行ったときどうするの?」

「部屋に忍び込む」

「本当にっ!? 侵入罪じゃん!?」

「正確には建造物侵入罪ね。あの人が住居侵入をしているようなものだし、大丈夫大丈夫、もし捕まっても未成年だから何とかなるって」



 そういう問題かなぁ!? と言う、桐佳の口に指を押し当てて黙らせる。

 そして、桐佳を範囲に入れないよう、あらかじめ捕捉しておいたあのふくよかな女性の思考の誘導を開始して、食事の買い出しに行くよう仕向けた。



「……言ってる傍から出て来たみたい。桐佳、隠れるよ」

「え、うそ、こんな早くっ……!?」



 私達が階段の物陰に隠れた直後、ドスドスと階段を下ってきた女性は隠れた私達に気が付くことも無く買い出しに向かっていく。


 後ろ姿を見送る。

 これくらい離れれば気が付かれることは無いだろう。

 今度は「行くよ」と桐佳に声を掛けて、階段を駆け上がった。

 桐佳を無理やり引っ張って、203号室の扉の前までやってきたが、未だに勝手に人の家に入ることに抵抗があるのか、桐佳は引き攣った顔で私を見る。



「お、お姉っ、ほんとに行くの?」

「やる。もしかすると遊里さん、かなり危ない状態かもしれないからここで確かめておかないと…………桐佳は外で待ってて。あの人が帰ってきたら私に教えてね。遊里さんがいたら連れ出すし、いなかったらすぐに出てくるから」

「…………うん」



 桐佳が頷いたのを見届けて、ドアノブを捻って扉を開く。

 当然、思考誘導で鍵を掛け忘れるよう仕向けたから鍵なんて掛かっていない。


 嫌なにおいのする家の中に入り、ごみの散乱する部屋を覗き込んで確認しつつ、遊里さんの姿を探すが中々見当たらない。

 あまり時間を掛けていられない、痺れを切らして異能による探知をすれば、棚で開かない様に閉め切られている押し入れの中から弱弱しい人間の意識を感知した。


 状態を見るに、数日前から押し入れに閉じ込められていたようだ。



「……外道が」



 思わず悪態を吐いて、すぐに救出作業に取り掛かる。

 異能の探知で押し入れにいる一人以外は感知できなかった、つまり私の予想通り、遊里さんとお母さんは別の場所にいるのだろう。


 棚を押して、ギリギリ押し入れが開くほどの隙間を作り、入り口を開くと寄りかかっていたのか、ぐったりと衰弱しきった少女が携帯を抱きしめたまま倒れ込んでくる。

 慌てて抱き留めようとしたものの、非力な私が受け止め切れる筈もなく、背中から床に倒れ込んでしまった。

 だが、それでも思ったほどの痛みは無い。


 あまりにこの子が軽かった。

 前に桐佳に紹介された時も線の細い子だと思ったが、今はそれよりももっと酷い。

 顔や体に青いあざがいくつも出来ていて、傷がまともに治療されなかったのか化膿したものもある。



「……お、かあ……さん……?」

「……もう大丈夫だよ」



 虚ろな目で私を見るその子の言葉になんとか返事して、そっと彼女を背中に背負う。

 直ぐに桐佳が待つ玄関まで連れ出そうとするが、この子はそれを嫌がるように弱弱しく身動ぎする。



「だ、だめっ……わたしが、いなくなると……おかあさんが……」

「ちょ、ちょっと、動かないでっ、ただでさえ私は力無いのに動かれたらっ……」

「だめなのっ……おかあさんがっ……いたいめにあうのっ……」

「何とかするっ! 私が何とかするから落ち着いてっ……!」



 私の制止の声など耳を貸さず、何とか私の手から逃れようと暴れる遊里さんに、これ以上無駄な時間は掛けられないと判断する。



「落ち着いてっ、もうっ、大人しくっ、してっ!」

「あぐぅ……」



 こんなことで使いたくなかったが、これ以上は転ぶ事になると考え、“ブレインシェイカー”を打ち込んだ。

 出来るだけ優しく使ったつもりだが、元々意識を保っていたのはギリギリだったようで、簡単に気を失って動かなくなる。

 今がチャンスと、せっせと遊里さんを運び、なんとか玄関から外に出れば、待っていた桐佳が友人の惨状を見て息を呑んだ。



「ゆっ、遊里!?」



 桐佳は顔を青くして駆け寄ると私から遊里さんを抱き寄せ、彼女の全身の怪我と衰弱具合に気が付いて悲鳴を上げ掛ける。



「酷いっ……! こんなっ、なんでこんなっ……!!」



 震える声でそう呟き、もしも私が強行して家に入らなかったらと顔を青くして恐怖している。

 これからどうするのか、警察に届け出ればいいのか、それよりも病院に連れて行けばいいのか、と言う混乱した桐佳の思考が頭に流れ込み、私は自分の失敗に気が付いた。



(まずっ……! 読心が切れてないっ……!!)



 慌てて異能を停止させて、桐佳の心を読まないようにするが、急な切り替えに意識がクラリと揺れる。

 何とか意識を保ち、一度、深呼吸をして気持ちを整える。



「……取り合えず、病院に行こう。それで、多分、遊里さんのお母さんはどこかで幽閉されてる筈。大方、宗教団体の施設だろうけど、その場所を探さないと」

「どうして……?」

「自分がいなくなるとお母さんが痛い目にあうって遊里さんが言ってたから、早く見つけて助けないと、どうなるか分からないからだよ」

「そっちじゃないっ! なんで遊里がこんな目に合うのっ!? 遊里が何か悪いことしたの!? 遊里のお母さんが何かしたの!? あんなっ……あんな良い子が……なんでこんな目に合うの……?」



 目で見えるものでしか世界を知らないこの子にとって、現実はあまりに想定を超えていた。

 だから癇癪を起したように、不条理を桐佳は訴えるけれど、こんなものは不条理の内になんて入らない。



「…………善人で頼る相手のいない人ほど、扱いやすくて使い潰しやすい人間はいない。そして、悪人ほどそういう人を見つけるのが得意なんだよ、桐佳」



 私の言葉に俯いていた桐佳が、目に涙を浮かべ私を見る。

 非現実的だった暴力を目の前にして急に恐怖を感じたのだろう、桐佳はカタカタと震えている。



「――――大丈夫だよ。桐佳もお父さんも、私が守るから」



 安心させるためだけの、何度も言ったそんな言葉を吐いて妹の頭を撫でる。

 少しだけ震えが収まった桐佳に笑いかけて、これからについて考えを巡らせた。


 警察は駄目だ、突入までの手順が掛かりすぎて逆に足枷になる。

 かといってこのまま闇雲に探すのも悪手だろう、どれほど時間に余裕があるか分からない。

 となれば、今打てる最善手はこれしかない。



(一斉指令、目的『捜索』、標的『新興宗教団体の建造物』、手段『他人を害さないあらゆる手段』)


「――――やれ」



 私は異能を解放する。


 対象は、私の異能が侵食し切った人達。

 例えば、かつてとある姉妹の家に侵入した男、例えば、轢き逃げをした息子の犯行を隠蔽しようとした老夫婦、例えば、とある組織の末端であり、以前女子高生を暴行していた男達。


 動き出す。

 ここからかなり離れた場所にいるそれらの人達が、一斉に私の目的のために行動を開始した。

 彼らが持つあらゆるコネクションを使って捜索に乗り出してくれるだろう、後は私の方で、情報を持っているあの女の口を封じつつ話を聞けばいい。


 直ぐにそうするのが合理的なのは分かっているが、だからと言って、傷付いた遊里さんを桐佳に任せて別行動なんて出来ない。

 ひとまず、あの女に見つからないうちにこの場を離れて、遊里さんを病院に連れて行った後に、桐佳に付き添ってあげて欲しいと言って別行動を取るのが無難だろう。



「早くここから離れよう。あの女がいつ帰ってくるか分からないし、見つかるようなことは避けないと。取り合えず病院に…………桐佳?」



 様子がおかしい妹に、思わず声を掛ける。

 目を伏せて、傷付いた友人をギュッと抱きしめて、何も言わなかった桐佳が寂しそうに顔を上げた。

 その顔に先ほどまでの恐怖は無いけれど、悲し気な雰囲気は増していた。



「……ううん、なんでもない。お姉、早く遊里を病院に連れて行こう?」

「……うん、そうだね」



 せめて家族の心は読まないと決めている信念があるから、妹が今抱えている感情を私は分からない。

 けれど、本当は何か言いたかったんだろうと言うことだけは、何となく分かった。



 それから。


 私達は遊里さんを連れて、近くの病院に駆け込んだ。

 やせ衰え、体中に暴力を振るわれたような跡のある少女が運び込まれたことで、一時病院内は騒然としたが、流石に病院に勤めるプロの人達は動揺することなく、手際よく遊里さんを隔離、傷口の手当と点滴による栄養の投与を終えた。

 幸い大きな怪我はないものの、衰弱具合が酷いらしく、完全に生活に復帰するまでには一カ月くらいを見て欲しいとの診断をされた。

 どのような事情でこのような怪我を負うことになったのかと言う説明を求められたものの、あくまで私達の立ち位置は妹のクラスメイトでしかない。

 連絡が取れなくなって家に尋ねに行った結果、衰弱した遊里さんを発見、病院に運び込んだと説明すれば、取り合えず納得してくれたようだった。



「最初はこんなことになるなんて思わなかったね……。ねえ、お姉、お父さんなんて言ってた?」

「桐佳の友達が入院することになるから、少し帰るのが遅くなるって言ったら、気を付けて帰ってくるんだよ、って言ってたよ」

「……そっか。やっぱり放任主義は変わりないなぁ」

「お父さんは私達を楽させるために頑張って仕事してくれてるんだよ。それに年頃の娘の心境なんてお父さんには分からないんだから、放任だってお父さんを責めるのは違うと思うな」

「……お姉はそうやっていつも合理的な話ばかりする。別に、そんなことは私も分かってるもん。でも……私はここにお父さんも居て欲しかったって思うの」



 割り振られた病室のベッドで眠る友人の姿を見ながら、桐佳はぼんやりとそんなことを言った。



「子供の危険に飛んできてくれて、親身になって悩みを聞いてくれてさ、楽しい時も苦しい時も一緒にいてくれる。家族ってそういうのが理想でしょ? だから、お母さんが死んでから、夜遅くまで仕事に没頭して、私達のことなんて形だけでしか関わろうとしない今のお父さんは、思うところが色々あるよ」

「そんなの……」

「遊里の家もそうでしょ? 宗教の人がどうやって入り込んだのか知らないけど。少なくともお母さんと遊里がしっかり話し合えていればこんなことにはならなかったよね。……だから思うんだ。今の遊里は、もしかしたらの私なんだろうって」

「……」



 凄惨な現場を見た桐佳の心は、きっとこれ以上ないくらいに荒んでいる。

 遊里と言う友人の家庭事情と、私達の家庭事情。

 どちらも片親で少しだけ似た部分もあるから、私達以外誰にも見つけてもらえず、傷だらけでやせ細って、独りぼっちで深い眠りについている友人の姿が、どこか自分の姿に重なって見えて怖いのだろう。


 ぼんやりとした顔で眠りにつく遊里さんを見る桐佳になんと声を掛けようか迷っていた私だが、異能で動かしていた人間の内、遊里さんの家を見張っていた者からあのふくよかなおばさんが帰ってきたと言う情報が伝わってきた。

 じきに連れ出された遊里さんに気が付いて、教団に連絡を取るだろう。

 抑えるなら今しかない。

 悩みを抱えている桐佳を放置するのは心が痛むが、背に腹は代えられない。



「……桐佳、色々思うことはあると思うけど、私、遊里さんのお母さんを探せる人に連絡を取ってくる。遊里さんの危険は無くなったけど、今度はお母さんの方が危ないしね。すぐ戻るから、それまで遊里さんをよろしくね」

「……うん」



 静かに頷いた桐佳の頭をもう一度優しく撫でて、そっと席を立つ。

 妹の平穏をここまで揺らがせた教団とやらに、しっかりと怒りをぶつけてやろうと意気込みながら病室の扉に手を掛けると、桐佳が「あのさ」と私を引き留めた。



「さっき言い掛けたことなんだけど……」



 言いづらそうにそこまで言って、桐佳は視線を彷徨わせる。

 それから覚悟を決めたように私を見据えた。



「……お姉ちゃん、最近は小さい頃に戻ったみたいだよね。優しくて、全力で、一生懸命私達を守ろうとしてくれて、お母さんの代わりになろうと必死なお姉ちゃん。優しいお姉ちゃんに戻ってくれて嬉しくない訳がないけど……今のお姉ちゃんはなんだか、無理してるようで、嫌だ……」

「そんな、無理なんてしてないよ?」



 桐佳の言葉に驚く。

 そんなもの考えたことも無かった。


 私の力は私だけのものだ。

 人知を超えた力を持っているからと言って、全ての人間を救おうと思う程私は善人じゃない。

 義務も責務も責任も、存在しないし、心底くだらないと思っている。

 だから重荷なんて感じたことは無かった。

 家族を守ることも、この地域から異能を使った犯罪を駆逐することも、あくまで私がやりたいと思ったからやっているだけだ。

 やりたいことだけをやっている私が無理をしている筈がない。


 それでも、暗い顔をした桐佳の顔色は戻らなくて、じっと私を見詰め続ける。



「……もう、冷たいお姉ちゃんに戻らないでね……」



 泣きそうな顔で、縋るように言った桐佳になんて慰めを言えばいいのか分からなくて、私は困ったように笑って誤魔化すことしか出来なかった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る