犠牲者の見えない悲鳴
あの“千手”による連続殺人事件が終息し、世間は徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。
国際指名手配犯の中でも一際凶悪とされていた“千手”の逮捕に、日本のみならず多くの国から注目が集まり、近くICPO(国際刑事警察機構、いわゆる国際警察)から確認のため人員が派遣されるなんて言うのも報道されていたりする。
テレビやネットの一部ではそのことを、とても名誉なことだと言っている者もいるが、多くの人の考えは『なんでそんな危険人物がこの国に』と言うもので、凶悪事件に巻き込まれた被害者を悼む声は未だにどこでも見かけるほどだ。
そんな風に、ポジティブに捉えようとする者や批判する先を探す者など、実に様々な考え方を持つ者達が落としどころを見つけようと声を上げているが、どちらも共通して、事件を終息させた氷室署の警察官への称賛は欠かしていなかった。
他国が解決できなかった事件を解決できる力がある。
それも高額の懸賞金が掛けられていた凶悪犯を。
それだけで、文字と画面越しにしか情報を受け取れない彼らには称賛しない理由が無い。
ともあれ世界的に注目を浴びている事、生まれたヒーローの存在の二点。
それらは私の予想の範疇でしかなく、むしろそうなるよう誘導した節もあるから私にとっては無問題なのだが、見過ごせない事態が一つ発生した。
密かに出回っている超常的な力を持つ者の映像。
私と“千手”がやりあった際の映像を、記録に残した者がいたのだ。
映像は暗く、信憑性は薄く見える。
さらに幸いなことに、私は異能を使って自分を認識されないよう調整していた。
映像は残っていても、映像を見る人に私を認識することは出来ない。
だから私に直接影響が出てくることは無いと思うが、異能と言う存在の認識が、『そんなものはあり得ない』から『ある筈がないけど、あると主張をする者がいる』と言うものへ変わってしまうだろう。
そして、その舞台となった氷室区は、しばらくの間そういうものに興味を持つ人達が集まってくる危険が出てくる。
私の異能は人の精神に干渉する、目に見えない異能の筆頭ではあるが警戒するに越したことは無い。
事件が起きない限り、と言う前置きは付くが、神楽坂さんや飛禅とか言う人が療養中の今、不用意に出歩く必要もないだろう。
しばらくは大人しく普通の生活を心掛けたいと思う。
そんな感じで方針を固め、家のソファで簡単に勉強の復習をしていると、ピロリンッ、と携帯にメッセージが届いた。
しばらく放置していたSNSアカウントに新しいメッセージが届いた通知音だ。
「……あ、相談が結構来てる」
……ところで、実を言うと私には結構な貯金がある。
コンスタントに神楽坂さんや飛禅さんのお見舞いに行って、花や果物を差し入れている事からも分かると思うが、無駄遣いできるほどでないにしても普通の学生よりも金銭的な余裕があったりする。
その理由が、私がやっているアルバイト、『SNSを利用した商売』が高い利益を出しているからだ。
簡単に言ってしまえば、異能を利用した社会貢献。
精神科医が匙を投げるような重篤な精神障害、若しくは重度のトラウマの治療を匿名で行っていた。
別に私が大々的に治療しますと広報している訳では無く、あくまで噂話程度の情報しか出回っていない『精神治療の最後に頼るべきところ』に頼ってきた人に限って依頼を引き受ける。
それこそ都市伝説のようなもので、何の変哲もないSNSの『心理』と言うアカウントまでたどり着き、ダイレクトメールで相談してきた人だけを対応するなんて薄情なものだが、身元を割られたくないし、これを今後の仕事にもしたくないので、今のところやり方を変えるつもりは微塵もない。
そして、こんな根も葉もないような怪しさ満点の私を頼ってくる人は結構いて、たまに驚くような人も居たりする。
ある時は試合中大怪我をしてトラウマを負ったプロスポーツ選手。
ある時は過剰な人間不信を抱え家族まで疑うようになってしまった政治家。
ある時はしばらく公から姿を消していた超大物女優。
こんな風に、なんでお前らがこんな変なのを頼るんだと思うような人もいるが、まあ、大体は普通の家庭の人が来る。
今回溜っていた相談も特に目に付くようなものは特になく、危急を要するようなものが見当たらない。
それどころか、世間を小さく騒がせている非科学的な力に近いものではないかと疑った興味本位の人間からの相談するつもりも無いものまであった。
「あー……冷やかし相談がいくつかあるなぁ……大方、噂が大きくなりすぎて興味本位で来るようになった人が増えたのかな……時期が時期だし、しばらく休業かな。お金は出来るだけ貯めておきたいんだけどなぁ……」
アルバイト用のSNSの現状を見て、思わず私はそうぼやいた。
私達のお父さんは中々良いところで働いていて、お父さんの稼ぎだけでも一般家庭よりも少し上程度の暮らしは問題なく出来ている。
だが、もしもお父さんが何かの事故に巻き込まれた時どうするのか。
予想外の高額な出費が必要になった時どうするのか。
その時になってから大掛かりな異能の行使をして大金を巻き上げることは当然できるだろう。
だが、それをするくらいなら日々少しずつ異能を使って悔恨を残さず危険を少なくする方が合理的だろうと考えて、こうした暇な時を利用してアルバイトをしているのだが、それもこの状況ではやってられない。
本当に困っている何人かの相談者には申し訳ないけど……と考えながら、個別のメッセージに断りの返信を打ち込もうとして、指を止めた。
「……あれ?」
相談者の一人。
恐らくSNSの危険性も理解していない学生なのだろう、本名と思われる名前で登録している名前には聞き覚えがあった。
遊里。
確か、前に妹と街中であった時、友達だと紹介していた子だ。
人違いかなと、そのアカウントの自己紹介ページを覗けば、いくつも彼女と合致する要素が書き込まれており、本人の疑いが強くなる。
(あの時は別に何も気にならなかったような……あ、いや、桐佳が近くにいたから読心は切ってたんだった。でも、うーん……こんな根も葉もないような噂のアカウントにわざわざ助けを求めるもの?)
「……分からない。でも、このメッセージを送った時のこの子は間違いなく助けを求めてる感じだけど……」
しばらく悩んでから、この子の友人である桐佳に話を聞けばいいかと結論を出し、部屋で勉強しているであろう桐佳の元へと向かう。
「桐佳? ちょっと聞きたいことがあるから入って良い?」
「――――!!?? お、お姉ちゃっ!? なっ、なんなの!? 私の部屋に来るなんて、も、もしかしてお父さんに何かあった!?」
「あ、ごめん。そういうことじゃないんだけど……ほら、私が前に桐佳のお友達に会った時あったでしょ? 遊里って言う子だと思うんだけど」
ノックしてから妹の部屋に入る。
私が掃除に入るのを拒否するようになってから、部屋の状態が心配だったが、想像よりもずっと綺麗に使っているようで、どうしようもなく気になる部分は無い。
まあ、脱ぎ捨てられた服が端にあるのはご愛嬌だろう。
勉強机に向かっていた桐佳に友達の件について話を切り出すと、見るからに顔を暗くした。
「……うん。遊里がどうしたの?」
「えっと、前にあの子と泊まりに行ってたけど、どうだったんだろうって気になってね。私見たことなかった子だったから、どんな子か知らないし。今度はこっちに遊びに来てもらったらいいかなって思って」
「そっか……うん、とっても良い子だよ。今年から転校してきた子でね、慣れない環境なのにニコニコしてて」
転校生、道理で私が見覚えのない子だった訳だ。
中学三年生と言う時期に転校なんてあまり良いとは言えないけど、桐佳の話しぶりからしてクラスには馴染めているようだし、あまり心配するようなこともないのかと思ったが、依然として妹の顔は暗い。
「……でも、最近学校を休んでてね。メールしても返ってこないし、どうしたんだろうって心配で」
「んん?」
学校を休んでいる、これは分かる。
体調不良でも家庭事情でも、何か事件に巻き込まれていたとしても、学校に出られないのは当然だ。
けれど、友人からのメールに返信しないのはよく分からない。
現に私のSNSアカウントには助けを求める相談が来ていたから、少なくとも携帯を使える状況にある筈。
「……それってどのくらい休んでるの?」
「今週の月曜日からだから、三日目くらい……きっと遊里、何か家庭の事情を抱えていたんだよ……でも、そんなの分かっても、私、仲良くなり始めたばかりの子の家の事なんて踏み入っちゃダメなんだって言い訳してて……どうしようお姉ちゃん……もし、遊里がずっと学校に来なくなっちゃったらどうしよう……私、嫌われてでも、無理やりにでも話を聞くべきだったのかな……?」
いや、と私は思う。
中学生の桐佳にそこまでのことを求めるのは間違っている。
確かに今の結果を思うとそうするのが最善だったのかもしれないが、家庭に問題があると察して解決に動くのは同級生の役目ではない。
教師や近所に住む人達、それか遊里と言う子の両親や親族がそれをするべきなのだ。
それは桐佳が背負うべき罪過ではない。
けれど私が何を言ったところで、優しいこの子は納得なんてしないのは私がよく分かっている。
「そんなことは無いと思うけどな。まあでも、桐佳は責任感じてるんだよね?」
「……」
無言、けれど、彼女の机の上にある進んでいない勉強ノートを見れば答えは分かった。
「なら、今からその子の家に押しかけてみよっか」
「……え?」
フリーズした桐佳をよそに、私は部屋から出て外出の準備を進める。
お父さん宛てのメモ書きを残し、帽子で髪の乱れを隠し、財布と鍵を持ったところで桐佳が部屋から飛び出してくる。
思考停止は終わったようだがまだ動揺はあるようで、正気かと私に言い募ってくる。
「い、今から行くの!? もう日が暮れるよ!?」
「大丈夫大丈夫、少し様子を見るだけで長居しないし。ほら、桐佳も準備して。私はその子の家知らないんだから」
「いやっ、いやいやいや、本当に何かに巻き込まれてるかどうか分からないし、まだ私だって仲良くなって一カ月の関係で……」
「一カ月の関係でも、桐佳は勉強に身が入らなくなるくらい気になるんでしょう? なら、その不安を解消するためだけでも行く価値はあるよ。これでなんの問題も無くて、ただの病気だったらそれで良いし、何か事件に巻き込まれてたら助けてあげられるかもしれないでしょ?」
「…………お姉、アグレッシブすぎぃ……」
自分がうじうじ悩んでいたのが馬鹿らしくなってきた、と言って頭を抱えてしゃがみ込んだ桐佳の頭にお揃いの帽子を乗せる。
ちょっと前に桐佳とお揃いファッションがしたくて買っておいたものだけど、まさかこのタイミングでやれるとは思わなかった。
普段の桐佳なら嫌がるだろうけど、今はそれどころではないのか、何も言わずに頭の上に乗せられた帽子の位置を整えている。
妹は特に用意するものは無いのか、そのまま玄関まで付いてきて、戸締りをしている私に複雑そうな目を向ける。
「……その、お姉、ありがとう」
「どういたしまして。って、まだ何もやってないんだから。お礼は問題が解決してからで良いって」
「うん……」
珍しくしおらしい桐佳に、幼い頃のこの子を連想する。
昔は素直で、お姉ちゃんお姉ちゃんと後を付いて回って可愛かったのに、今はガブガブ噛み付いてくるものだから迂闊に猫かわいがりも出来ないし。
もう少しこのままでも……なんて邪念が浮かんだのを何とか振り払い、桐佳と一緒に遊里と言う子の家へ向かった。
‐1‐
遊里と言う子の家は、お世辞にも綺麗とは言えないアパートの一室だった。
外から部屋の様子を窺えたらと思ったが、カーテンが閉められていて中の状況が分からない。
しっかりとカーテンが閉じられており、まったく隙間すらない様は怪しささえ感じさせる。
「ここの203号室なんだけど」
「ふむふむ、ちょっと待ってね」
桐佳の案内が終わったのを確認して、周囲の状況を確認する。
まだ日が暮れ始めた時間帯なので、人通りは結構ある。
騒ぎを起こせばすぐに通報されてしまうだろうが、逆に私が通報しなくとも警察には連絡がいくと言うことだ。
本当ならここで異能を使って、部屋の中の状況を確認したいが、万が一桐佳の心情を読み取りたくないのでそれは最終手段として取っておく。
最後に正確に言えるように、自動販売機に書かれているここの住所を丸暗記して準備完了だ。
「よし、じゃあ取り合えず玄関まで行ってみよっか」
「う、うん」
緊張した面持ちでいる桐佳を引き連れて、遊里さんが住んでいる筈の203号室の前までたどり着く。
扉一枚挟んでいるだけの状況だが、中からの物音はテレビの音くらいで静かなものだ。
何人家族かは聞いていなかったが、恐らく小さい子供とかはいないのだろう。
躊躇している妹を尻目に私は迷うことなく呼び鈴を鳴らし、中に住む人の反応を窺う。
少し待たされて、舌打ちと共に出てきたのは40代ほどのかなりふくよかな女の人だった。
「……はいはい、なんでしょうか」
「初めまして、遊里さんのお宅ですよね。私、遊里さんの同級生なんですけど、最近学校に来られていないのでどうしたのかと思って様子を見に来ました。先生からも様子が分かったら教えて欲しいと言われているので、出来ればお会いしたいんですけど」
初手堂々と嘘を吐く。
後ろで妹が驚愕している様子が伝わってくるが、馬鹿正直に言っても適当にあしらわれて終了だ。
重要なポイントは、ここに来ている事を先生(第三者である大人)が知っていることだ。
「……あー、今あの子は高熱で誰にも会わせられないんだよね。悪いけどまた今度にして」
「そうなんですか? 少し顔を見るだけでも良いんです、それだけで安心できますし、先生にも会ったって言えると思うんで少し家に入れていただきたいんですけど」
「ダメダメ。感染させたら大変だから、後で私が先生には電話しておくから帰った帰った」
少しもこの部屋に入れさせる気はないようだ。
私のお願いもまるで聞く耳を持たず、不愉快そうにシッシッ、と手を払って追い出そうとしてくるので、仕方なく私はさっと玄関周りとこの女の全身を観察する。
それから、少しカマ掛けをすることにした。
「……では、遊里さんの声が聴きたいので、お暇な時にお母様の携帯電話から佐取に電話させてもらってもよろしいですか?」
「ああ、分かった分かった」
「…………それでは、遊里さんにはよろしくお伝えください、お母様」
「はいはい」
鼻先を掠める勢いで強く扉を閉められる。
威圧するように強い扉の閉め方に桐佳は肩を跳ねさせ驚いているが、私はその場で考えを纏める。
……もしかすると少し厄介なことになっているのかもしれない。
桐佳の手を取り一旦扉の前から離れ、203号室からは死角となっている場所まで連れて行った。
「……桐佳、遊里さんのお母さんに会ったことある?」
「え、う、うん」
「それはどんな人?」
「えっ、そんなの、今の人じゃ……」
「そんな筈ないよ」
桐佳の言葉を否定する、そんな筈はないのだ。
先ほど出てきた女は、ほぼ確実に遊里と言う子の母親ではない。
「玄関にあった靴にあの女の人のものが無かった」
玄関に置いてあった靴は、2つ種類があった。
桐佳と同じくらいの子が持ちそうな女の子の靴と細身の大人の女性が使いそうな靴。
どちらも、かなりふくよかな今の女性では絶対に履けそうなものでは無い。
そして男物が無かったことから、どうやら遊里さんの家は離婚していると思われる。
それなのに今の女性は、左手の薬指に指輪をしていた。
「それでいて、あの人は遊里さんが携帯電話を所持している事を知らない」
私が携帯電話から電話してほしいと言ったとき、あの人は私の『母親の携帯電話で電話してほしい』と言う発言を訂正しなかった。
遊里さんの携帯電話があると分かっていれば、娘の携帯で掛けさせると言い直すだろう。
娘の携帯電話の所持を分かっていない親などいない。
「それと……あの人がしていたネックレスには見覚えがある」
ジャラジャラとした装飾の中に、最近有名な新興宗教のネックレスがあった。
確か、『世の平和を願う宗教団体』と言う名を被った、悪質な詐欺組織だった筈だ。
携帯を所持していて友達には連絡を取らず、根も葉もない私のアカウントに助けを求めて、全く関係のない人物が母のふりをして家にいて、友達と遊里さんを会わせようとしない。
これらの要素から導き出される答えは――――
「桐佳、落ち着いて聞いて。遊里さんは恐らく監禁されてる。母親とは別の場所でね」
「…………え?」
桐佳は私の言葉が理解できないかの様に、呆然として私を見詰めた。
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