とある妹の日常

 




『……桐佳、また泣いているの?』



 掛けられた困ったような声色に、抱えていた膝をより強く抱き寄せて顔を見せない様にした。

 それでも鼻をすするのを辞められないのだから、姉には泣いている事がバレてしまっているのだろう。

 そっと近付いてきた姉は、座り込んでいる私の隣に腰を下ろした。



『あのね。私、料理を始めてみたの。今はお母さんほど上手には出来ないけど、きっとすぐに上手になるから』



 私の前に置かれたトレイの上には、不揃いな野菜が入ったポトフと不出来な形のロールキャベツが乗せられている。


 お母さんが作る料理で私が一番好きだったもの。

 お母さんが作ったものとは形もなにも全然違うけれど、口にした味は同じように優しい味がした。



『……大丈夫。私が、守るからね』



 一つしか違わない姉の優しい言葉に、当時の私はただ泣いて甘えることしか出来なかった。







 喧騒に包まれた教室の休み時間。

 思い思いの場所で会話を楽しむクラスメイト達を尻目に、佐取桐佳(さとり きりか)は一人黙々と勉強に勤しんでいた。

 別に宿題を忘れたとか勉強が特別出来ないと言った訳ではなく、姉のように友達がいないからと言うこともないが、彼女には休憩時間でも構わず勉強に費やす理由があった。


 簡単に言うと、桐佳には直近に差し迫っている大きな目標がある。

 高校受験、特に桐佳が目指している高校はかなり偏差値が高く、幼いころから勉学に励んでいないと合格は至難な高校であった。

 前に家では姉に向かって余裕だと言ったが、もちろんそんな筈がない。

 こうして僅かな時間も勉強に当てると言う努力によって、なんとか合格射程圏内に入れているのが現状なのだ。


 けれど、そんな友人の状況など中学の悪友達が気にする筈もない。



「桐佳ちゃんまた勉強してる。本当に勉強好きだねー」

「いやいや、何度も言うけど桐佳ちゃんは勉強が好きなんじゃなくて、お姉ちゃんが好きなんだって。お姉ちゃんと同じ高校に行きたいからこうして一心に勉強してるの」

「ま、転校生の遊理にはまだ桐佳のこの一面は分からないかもしれないけどさ。重度のシスコンって考えておけばいいと思うよ」


「……人の事を好き勝手言ってっ……! ああ、もうっ! 勉強の邪魔だから散れ、散れ! 私はシスコンじゃない! あんなダメポンコツ姉に負けるのが嫌なだけなの!!」



 暗記ものは回数が命だと、休み時間の度に繰り返している単語帳捲りを止めて、周囲に集まって好き勝手言っていた友人達を追い払おうと手を振り回す。

 しかし、周りの友人達は桐佳のそんな癇癪など慣れたものなのか、やんわりと振り回す手を受け止め、落ち着かせようと声を掛けてくる。



「またまた桐佳ってば素直じゃないなぁ。あんなに妹の世話をしてくれるお姉ちゃんなんてそういないよ? 今日のお弁当だってお姉ちゃんが作ってくれたんでしょ? 今のうちに素直に感謝して甘えないと、そのうち彼氏でも作って構ってくれなくなるんだから」

「そうそう。料理が出来て、勉強が出来て、顔も良くて、性格も良い。なんて優良物件! 私もあんなお姉ちゃん欲しかったな……うちのは家に帰ってくるなりリビングのソファとテレビを占拠する置物だよ? 桐佳ちゃんが羨ましい……」

「羨ましいよねー。しかもあの燐香先輩だよ? あの人が自分だけには優しいとか、神かよ。最高待遇かよ!」


「あーもうマジでうっさい!! 遊里! 遊里はこいつらみたいにしつこいと、嫌われるって覚えておかないと駄目だよ!?」

「え、えっと……まあ、私は別に桐佳ちゃんのお姉さんとは、この前偶然会っただけだし。碌に話もしてないからどういう人かは知らないから何とも言えないけど……なんかやけに人気あるよね、桐佳のお姉さん」



 もうこれ以上勉強を続けるのは無理だと判断したのか、桐佳は机の上に出していた勉強道具を片付け、面倒な友人達を相手にしようと向き直った。

 桐佳の周りに集まった友人達は、彼女の姉の話で盛り上がっているが、今年の4月に転校してきた遊里はその話に付いて行けず、困ったように微笑むしかない。


 不思議そうに桐佳の姉の人気に言及した遊里に、ああそうかと盛り上がっていた二人も少し落ち着きを取り戻した。



「ごめんごめん、そっか、遊里って燐香先輩知らないもんね。知らないネタで盛り上がるなんて性格悪いことをしちゃったね」

「別に気にしてないけど……あれだよね、たまに話で出てくる、優秀で怖い先輩。でも、不思議なんだよね。スポーツで全国制覇したとかならまだしも、勉強が出来るって言うだけの人がそんな有名になるのかなって。あ、別に馬鹿にしてる訳じゃないからね桐佳ちゃん!」

「…………いや、そこまで酷い悪口じゃなければ口出さないし。そんな揚げ足取るような文句なんて言わないよ」



 学校で姉の話になるなんて、と、口をすぼめて不機嫌そうな様子を隠すことのない桐佳だが、そんな様子を気にすることなく悪友二人は転校生である遊里に説明を始める。



「燐香先輩はねー……えっと、特に何かしたって人じゃないんだよね。うんと、凄く怖い先輩がいるって有名だったんだけどそれが燐香先輩でね。けど、生徒会とか入ってたわけじゃないし、運動で成績を残した訳じゃないんだけど、他の怖い先輩も、先生達も、燐香先輩には気を使ってて……うーん……」

「まあ、やっぱり桐佳が妹だからよく私達の話題に出るって言うのもあると思うよ。学校全体としては別にそこまで有名人ではないと思うし、それこそ燐香先輩と同学年なら的場先輩とか湯楽先輩の方が有名だろうしね」

「そうなんだ……」



 遊里は二人の説明を聞いて、なるほど、と納得する。


 確かにそれならば違和感はない。

 以前偶然会った時の、あの、会話の苦手そうな大人しい印象を受ける死んだ眼をした女性が有名だとはどうしても思えなかったから。


 だから、二人の話を聞いて安心した遊里は安堵のまま口を開いた。



「前にばったり会ったとき、随分大人しそうな人だなぁって思ったし、年下の私にも丁寧に話し掛けてくれたから良い人なんだなって、おも……?」



 そこまで話して、ふと遊里は、あれだけうるさかった筈の教室の中が静まり返っている事に気が付いた。



「あー、あの時ね。ポンコツお姉ちゃんが初めて見る子に人見知りしたんだよきっと。そんな丁寧なんて柄じゃないって」

「……?」



 桐佳がやれやれと呆れる様に首を振るのを横目に、遊里は教室を見回した。


 おかしい。

 いつも教室で騒いでいる男子生徒が、授業中でさえ周りを気にしない不良生徒が、おしゃれや色恋については喋り続けている女子生徒が、全員、口を噤んで止まっている。

 ある人は顔を青くして、ある人は逆に頬を上気させ、ある人は真剣な顔で、口を閉ざして何かを待ってる。


 ……何を?



「おい、遊里何ボーッとしてんの? 話聞いてた?」

「あ……う、うん。ごめんね」

「まあ、あんまり燐香先輩については話せなかったけど、大体こんな感じだよね。そんであんまり長くこの話をしてると、やっぱり妹としてはあんまり愉快じゃないって話でね。ねー、桐佳ー?」

「まあ、美しいだけの姉妹愛じゃいられないってこと。嫉妬とかやっかみとかいろんな複雑な感情があって、高校も追いかけたいんだよね桐佳ちゃん?」

「ぐぎぎぎぎっ! だからっ、そんなんじゃないって!」



 そうやって、違う話へ変わっていく彼女達の会話に合わせて、徐々にクラス内に喧騒が戻りはじめた。

 まるで沈黙など無かったかのように、元の状態へと戻っていく。

 遊里も数秒その異様な変化を呆然と見つめていたが、沸いた疑問を振り払うように首を振って桐佳達の話に集中する。



「でも遊里も運悪いよね。事件が続いて起きる直前にこの辺りに引っ越してくるなんてさ、しかも今年は高校受験が控えてるって言う。勉強とかも大変でしょ?」

「あはは……それはもうホントに……」

「グロッキーだね。なにより遊里の家って勉強熱心だもんね。塾とか結構行ってるし、この前泊まりに行った時も部屋に置いてある本が勉強本ばかりだったのはちょっと衝撃だったよ」

「そ、それは……お母さんが教育に力を入れてて……」

「教育に力を入れてるならこんな時期に引越しなんてするなって話だけど。まあ、事情があったんでしょ?」

「えへへ」



 曖昧に笑う遊里に深い事情は聴くまいとそれ以上は踏み込まず、それより、と雑誌を取り出して最近のドラマに出ているイケメン俳優の話へと移していく。


 どこにでもある中高生の普通の雑談。

 どこにでもいる学生の彼女達は、特に一つ一つの様子をつぶさに観察して、深い事情を考慮するなんていうことはしない。


 だから、遊里の顔に差していた影に気が付いたのは、一人だけだった。



(……遊里ってあんな暗い顔するんだ)



 異能なんて言う超常現象を扱えなくとも、人間の精神に関してこれ以上ないほど詳しい姉を持つ桐佳にとっては、同学年の隠し事くらい察することは難しい事ではない。



(転校してきてから笑顔を絶やすところほとんどなかったけど、やっぱり結構無理してたのかな……)



 今年の4月に急に転校してきた彼女。

 友達作りも大変だろうと、積極的に関わりに行ってようやく友好関係を作れてきたが、何かと遠慮した態度を取る彼女からは未だに壁を感じる。


 遊里自身が壁を作っているのにどうこうする勇気は桐佳にはない。

 だから、もう少し仲良くなって壁を感じなくなってから、話しやすくなってから深い事情について聞いてみようなんて、桐佳は自分の胸に生まれた疑惑の解消を先延ばしにするしか出来なかった。


 けれど、一度気付いてしまうと何だか無理しているように見える友人の笑顔に罪悪感が溢れ、誤魔化すように携帯を開けば、メッセージが届いていた。


『受信時間:4月25日12:34

 送信者:お姉

 表題:夕食献立

 本文:今日はポトフとロールキャベツにするけど、何かリクエストあったら連絡ください』



「ふふ……」



 姉からのメッセージに沈んでいた気持ちが励まされる。

 最近はポンコツ具合が酷くなってきている姉だけれど、なんだかんだ頼りになる人だから、友達の事を相談してみようかなんて思って、桐佳はそっと携帯を閉じた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る