あの子と友達になりたくて
『――――ああ、本当に嫌になる』
体中を走る激痛と、これから自分はどうなってしまうのだろうと言う絶望の中。
朦朧とした意識で聞いたのは、心底つまらなそうにそう吐き捨てる少女の姿だった。
その少女には見覚えがある。
同じクラスの隣の席で、常に視線を床に彷徨わせていた、勉強しか出来なさそうな少女。
裏路地へ引き摺り込まれ、大柄な体躯の男達に囲まれた自分の状況には到底似つかないそんな子が、いつの間にか男達の元に立っている。
『ドロドロとした欲望を見る羽目になる私の身にもなってほしいです。と言うか、なんでこんな奴らがこの街にいるんだか……ん? 何か、別の……』
助けを求めて伸ばした手は何も掴むことなく地面を引っ掻き、散々暴力を振るわれた全身の痛みは未だに激痛として残っているけれど。
自分と何ら変わりない筈の少女の姿を見て、何の根拠もないのに涙があふれだして止まらなかった。
次の瞬間には、何の前触れもなく急に崩れ落ちる男達、そして私を暴行していた男は一人残され、何かに怯え悲鳴を上げて騒ぎ立て始め、最後には自分の首を絞めながら泡を吹いて地面に倒れ伏した。
そんな男達の奇行には興味もないのだろう、突然現れた少女はそんな男達に視線もやらずに辺りを見渡し……倒れている私に気が付いた。
『……あれ?』
ポカン、と。
本当に想定外のものを見つけたように、心底呆けたような顔で私を見詰める少女。
まじまじと私を見詰め、流れている血の量を見て、侮蔑に染まっていた彼女の顔から血の気が引いていく。
(……この、ひと……は)
まるで都合の良い夢だ。
私が憧れている、悪漢から弱者を救い出すヒーローのように、容易くどうしようもない現実を壊してしまう存在。
そんな夢の様な存在を前にして何を思ったのか私は、朦朧とする意識の中で助けを求めるように彼女に向けて手を伸ばしていた。
彼女は目を丸くする。
血が付き、泥に塗れ、汚れ切った私の手。
救いを願っても誰も手を取ってくれることは無かった私の手は、結局また、何も掴むことなく力が抜け始めた。
消えていく意識の中で。
地面に落ちようとした私の手をそっと掴み取った、彼女の手が最後に見える。
私よりも小さく、嘘みたいな光景が現実なのだと教えてくれる温かな手のぬくもりに、ひどく安心したのだけは、私の記憶に深く、深く刻みついた。
‐1‐
終業のチャイムが鳴る。
教師の号令と共に始まる放課後の自由時間に胸を高鳴らせて、私は即座に隣の席にいる彼女の肩に手を置いた。
「燐ちゃん、一緒に帰ろ?」
「ひっ……!?」
私の言葉に変な声を上げた彼女の名前は佐取燐香(さとり りんか)さん。
私の隣の席に座る女の子で、基本的に死んだ眼で静かに授業を受けているだけの毒にも薬にもならなそうな少女である。
その小さな体躯の通り、よくキョロキョロと周りを警戒しているさまは非常に可愛らしい。
彼女の指先に至るまでの所作の数々はこれまで見てきた誰にも存在しない独特な色香があり、ここ最近、私を夢中にさせてやまない。
そしてなによりも、その可愛らしさよりも重要(私が気になる点として)なのは、ごくごく普通の少女である彼女が、あの地獄のような痛みの中から私を救い出した、と言う点だ。
「……いやあの、今日は予定があったり……なかったり……えっと、う、ううう……」
そんな彼女はしばらくモゴモゴと口を動かして、最後には諦めたように頷いた。
こんな風に、私を地獄の様な出来事の中から救い出した筈の彼女は、あの時の姿が嘘のように私が話しかけるとおどおどとした態度になる。
つい、あの時のヒーローの様な彼女と本当に同一人物なのかなんて考えてしまうこともあるが、彼女の手を握ると感じる温かさはあの時感じたものと何一つ変わりなくて、再び私の確信は強固になる。
私が憧れるヒーローのような彼女と少しでも仲良くなっていきたいと思うのだが、中々思うように距離を縮められていない。
例えば、こうして私が話しかけても彼女とはほとんど目が合わない。
私の何が嫌なのか、露骨に目をそらして会話する彼女に温厚な私も少し不満が溜ってくる。
「燐ちゃんはなんで私と目を合わせようとしないの?」
「え、えっ、あ、別にそんなつもりはないんですけど。別に人と話すのはそんなに苦手じゃないですし……」
「本当? じゃあ、ほら、私の目を見てみて?」
彼女に顔を近付けてむりやり目を合わせる。
急な接近に目を見開いて動揺した彼女は、次第にフラフラと視線を揺らし始め、そのうちぐるぐると目を回し始めた。
「わ、や、止めてください。私、家族以外にそんな顔を近付けられたことなくてっ……き、緊張します! 山峰さんって顔整い過ぎて長く見てるとくらくらしてくるんです!!」
「あ、そんなに暴れたらっ……!」
急にバタバタと暴れ始めた彼女が座る椅子がバランスを崩す。
私は咄嗟に彼女の小さな体を抱き寄せた転ばないようにと保護する。
驚いたのか軽く硬直した彼女は、小さな声で「……あ、ありがとうございます」と言ってバランスを整え直した。
ムググ、となぜだか不満そうな表情をする彼女を不思議に思いながら、抱き寄せている彼女の体を何回か揉んでみた。
……とっても柔らかい、同じ人間とは思えないくらい手触りが良い。
こういうのをきっと赤ちゃん肌って言うのだろうか?
「あ、あか……!? もうっ、離れて! はーなーれーてー!」
「あ……」
何が彼女の癇に障ったのか、より一層怒り出し、素早く私から距離を取ってしまう。
いや、確かに今のはセクハラだったかもしれない。
欲望に負けてしまった、反省しなくてはいけないだろう。
でもそんな事よりも、顔を赤くしてキッと眉を上げてる燐ちゃんが可愛い、抱きしめたい。
「だ、大体っ! 一緒に帰るって言ってましたけど、話があるから放課後に職員室に来るようにって言われてたじゃないですか!」
「あ……そっちはまた明日でいいや。それより燐ちゃんと一緒に帰りたい」
「待ってますから! 早く行ってきてください、もう!!」
彼女はベシベシと私の背中を叩き、早くいけと催促する。
仕方なく、絶対に待っててねと念押ししてから私は職員室に向かうことにした。
職員室での用件はほんの10分程度で終わった。
教師の話はなんてことはない、入院で休みを取っていた関係で、ゴールデンウィークの宿題の他にやるべき課題を出すのでその説明をと言うことだった。
私のお父さんは警察組織の中でもかなり偉い人で、それを知っているであろう教師は見るからに私の機嫌を気にするように、媚びるような笑みを浮かべている。
「最悪袖子さんがやりたくなければやらなくてもこっちで何とかするから」なんて、教師にあるまじきことを言って何とか私の機嫌を取ろうとしている大人の姿は、到底尊敬できるものでは無い。
早く燐ちゃんの元に戻りたい、そんな思考が私の頭を埋め尽くすのに時間は掛からなかった。
参考のプリントを貰い、燐ちゃんが待ってくれているであろう教室の前まで早足で戻って、燐ちゃんが待っているだろう教室の入り口に手を掛けたタイミングで、聞き覚えの無い声が中から聞こえて来る。
「佐取さんアイツに迷惑してるでしょ? さっきもセクハラされてたしさぁ、アイツの目つきもなんかエロかったよ。だから、私達とつるむんなら、あの迷惑な奴から守ってあげるよって言ってるの」
聞こえて来たその声に、思わず教室を開けようとした手が止まる。
開いている扉の隙間から教室の中を覗けば、そこには私を待っている彼女が数人のクラスメイトに囲まれていた。
まさかいじめの現場かと、即座に飛び込もうとした私の足を止めたのはある言葉。
「――――あんなめちゃくちゃな付き纏い、普通じゃないもんね。色々とやばいところと繋がりがあるって噂もあるし、佐取さんも山峰とは早く縁を切った方が良いと思うなぁ」
「っっ……」
他ならない私自身の話に、思わず息を潜めてしまう。
なんで隠れるのか自分でも分からないまま、扉の隙間から覗きこんだ。
角度的に、ここからは燐ちゃんの後ろ姿しか見えない。
「佐取さんがなにやってあいつに気に入られたのかは知らないけどさ、心底同情するわ。あいつの中学生時代に一緒の学校だった人が教えてくれたのよ。突然髪を金色に染め始めて周りを威嚇して、教師との衝突が多くて、喧嘩も日常茶飯事。夜の街を遊び歩く遊び人。彼氏がいた数も片手じゃ数えられないくらいらしいし」
「……」
燐ちゃんの肩に手を置いて、優し気に話しかけているその女子の言葉に胸が痛む。
中学時代は確かにいつの間にかそんな噂が勝手に立って、学生どころか教師からも避けられていた。
本当に、心の底から仲良くなりたいと思っていたあの子には知ってほしくなかった噂話が、よりにもよって最悪な形で告げられてしまった。
根も葉もないとは言えないけれど、噂程酷いことはしていない、そう言って信じてもらえるだろうかと考えて、怖くなる。
そんな噂を知った彼女が今どんな表情をしているのか、怖かった。
「ねえ、佐取さん。別に私は酷い話をしてるんじゃないのよ。このまま大人しい佐取さんは危ない場所に引き込まれるんじゃないかって思ってね、私貴方が心配なのよ。だから、ね。私達が友達になってあげるから、もうアイツなんて放っておいて遊びに行きましょ?」
そう言って燐ちゃんの肩を抱くようにした女子は、周りで待っていた数人の友達と一緒に外へと連れ出そうとして。
「…………嘘ですね」
明確に拒絶するように、腕を振り払った燐ちゃんの言葉に足を止めた。
「う、嘘じゃないわよ。本当に、アイツの中学ではそういう噂が広がってて、それを同中の人に聞いたのも本当。嘘なんてないわよ」
「ああ、それらは嘘じゃないです。私が言いたいのは、貴方が私の心配をしていると言う点です」
「は、はぁ!?」
腕を振り払われた女子は突然の反抗に唖然としながら、はっきりと拒絶の意思を示す燐ちゃんの態度の変貌に動揺している。
クラスで友達を作りたがっていた燐ちゃんのことは、その女子もよく知っていたのだろう。
少し誘いを掛けてやれば従順についてくるだろう、なんて、考えだったのがその顔から読み取れる。
「貴方は別にクラスの端で生活している私なんて気にもしていない。私が本当に危ない人と付き合っていても、興味だって持たないんです。あくまで貴方が私にこうして話しかけてきた理由は、自分の為。恥をかかせた山峰さんを陥れてやろうと考えたからです」
「な、なっ、そ、そんな訳っ……!!」
「前に話しかけて無視された恨み、その相手がよく分からないけど別の誰かに執着している。面白くない、このまま二人が仲良くなるのを見過ごしたくない。山峰さんを一泡吹かせるにはどうしたらいいか。そう考えたんですよね?」
「だっ、だまりなさいっ……!!」
怒りによるものか、羞恥によるものか、顔を真っ赤にした女子は燐ちゃんを突き飛ばそうと手を出すが、それを分かっていたかのようにヒョイと躱した彼女は女子の耳元に口を近付ける。
「ふー」
「あひゃわあ!!??」
耳に息を吹きかけられて、ひっくり返った女子は耳を抑えて地面を転がる。
慌てて彼女の友達が助け起こすが、今度は確実に羞恥で顔を真っ赤にして燐ちゃんを睨み付けた。
「一泡吹かしてやろうと軽い考えで行動を起こしたのかもしれませんが、貴方のその行動は私にとっては非常に迷惑です。……確かに常日頃から山峰さんに付き纏われているのは迷惑ですが……トイレの個室まで付いて来ようとした時はビンタしちゃいましたが……。距離感がへたくそで、友達の作り方を知らない幼稚園児のようで、ストレスだって色々掛かっていますけど。それでも」
あの時のように堂々と、しっかりと相手を見据えて、燐ちゃんは告げる。
「私の事なんて何一つ考えていない貴方と、私と“友達になりたい”と心から願って行動しているあの人なら。私はたとえどんな悪評がある人だとしても、山峰さんと友達になりたいです」
「くっ……!!」
「ぁ……」
思わず漏れた声を抑えようと両手で口を覆う。
自分でも、今更こんなことで嬉しく思うなんてと思う程、胸に沸いた感情は大きくて、昔からずっと欲しかったもののような感じがして、柄にもなく動揺する。
バンッ、と勢いよく反対側の扉が開いて、燐ちゃんを囲っていた女子達が脇目も降らず教室から飛び出していった。
悔しそうで、それでいて恥ずかしそうでもあった女子の横顔に目が行って、思わず彼女達の背中を視線で追っていれば、いつの間にか隣まで来ていた燐ちゃんが私の頭に私が教室に置いていた鞄をポンと置く。
「ほら、何やってるんですか。帰るんですよね?」
「あ……う、うん」
しっかりと帰り支度を済ませ終わっていた燐ちゃんは、私を置いて歩き出してしまう。
慌てて彼女を追いかけて何とか追いつくが、なんと話し掛ければいいかと頭を悩ませてしまう。
何か気の利いた話でも振らないと、なんて焦っていた私の前で燐ちゃんが振り返った。
「……別に、山峰さんの事、嫌いじゃないんです。友達になりたいって思ってくれているのは分かるから、それは……凄く嬉しいですし」
「え、えっと……うん」
「でも、少し積極的過ぎて焦るって言うか。ちょっと距離が近すぎて対処に困ることもあって、苦手って言う感情があるのは否定できません」
「うっ、ごめんね……」
「謝らないでください、私だってちゃんと友達作るの初めてで下手くそなんです」
でも、と燐ちゃんは続ける。
「こうやってお互いどうすればいいか分からなくて、アワアワと距離感を測りかねて、色んな擦れ違いがあって、口喧嘩だってあったりして、そういう風に友情が育まれるのだって悪くないと思うんです。そういう友達の作り方も、あるんじゃないかなって思うんです」
モゴモゴと自分が恥ずかしいことを言っていると思ったのか、次第に小さくなっていく声。
それでも私に伝えたいことがあるのだろう、しっかりと私の目を見て、最後まで燐ちゃんは言葉を紡ぐ。
「どこからが友達って言えるのか、友達の定義って何なのか。私も皆目見当が付かないんですけど……もしよかったら一緒に目指していけたらなって、今は思ってるんです」
「燐ちゃん……私も、同じ気持ち……だから」
「ふ、ふふ……じゃあ、まずは友達未満として」
そう言って、差し出してくれた彼女の手を迷わず掴んで、あの時と同じ彼女のぬくもりを握り込む。
小さくて温かい。
胸を温かくするその体温に心を落ち着けながら、今日も私は友達になりたいこの子と一緒に帰り道を歩いた。
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