波乱の幕開けとお泊り会

「ねえ、ミーシャさんって加藤と仲がいいの?」


朝、席に着くなりそう言われた。不躾もいいところで、同じクラスの女子ということは知っていたが、話したことはおろか、声をかけられたこともこれが最初だった。つまりなにが言いたいかというと、第一印象は最悪だった。


「友達だけど、なに?」


少しぶっきらぼうな言い方だったかもしれないが、これぐらいでちょうどいい。


なんとなくこいつは好かない。しかもそれは悪いことに正解だった。


「いや、あいつやばいって! ミーシャさんは転校生だから知らないと思うけどーーー」


そこから彼女の口から出てきたのは、聞くに堪えない言葉ばかりだったからだ。売春斡旋やっているとか、薬を売り捌いているだとか、とにかくくだらない雅人の噂話だった。


多分、私の顔はどんどん険しくなっていたのだろう。視界の端で美里が慌てふためいているのが見てとれた。でも、目の前の女は気づいた様子もなく、くだらない妄言を吐き続けている。


「だからさ、ミーシャさんもーーー」


「うるさい、黙ってくれる?」


堪えきれなくて、目の前の女の声を遮る。


「あんたが雅人のことをどう言おうが勝手だけど、あいつはいい奴だし、そんなことは絶対にやらない」


「いやそれはミーシャさんが知らないだけでーーー」


「もう一回言わないとわからないの? 私は黙れって言ったの!」


つい大きな声になってしまった。おそらくクラス中に聞こえてしまっただろう、周りの人がみんな私を見ている。


美里が駆け寄ってきて、「まあまあ、ミーシャさん落ち着いてください」と私を諭す。


でも、私はそれも気に食わない。


「ねえ、美里。あんた、友達の悪口言われても黙ってろっていうの?」


私がそういうと、美里は少し傷ついたような顔をする。それを見て、私も少し冷静になった。


「いや、ごめん。……ねえ、あんたもう邪魔だからどっか行って」


名前も知らない彼女は「……あんた後悔するからね」と吐き捨てると自分の席に戻っていく。


「ミーシャさん、あの……」


「ちょっと言いすぎたね。ありがとう、助けに来てくれたんでしょ? もう大丈夫だよ、ほらHR始まるしさ」


私がそういうと、美里は僅かに逡巡した後一礼して自分の席に戻っていった。


はぁ、朝から疲れる出来事があった。というか、雅人は自分がそんなふうに言われてることを知っているのだろうか?今度あったら聞いてみよう。


そんなことを考えていると、先生が教室に入ってきてHRが始まる。気持ちを切り替えなくては、私は頭を振って先生の話に耳を傾けた。


お昼休みになって教科書類を片付けていると、真理がいきなり教室に飛び込んできて「ミーシャ、みーちゃんご飯一緒に食べよ!」と声をあげる。


転校してきてから毎日、真理はこうやって昼食に誘ってくる。真理は何時でも元気いっぱいで、見ているこっちまで元気になってしまいそうだ。


私はそれが何だか嬉しくて、「うん、行こうか」とお弁当をもって真理のもとへと走る。美里も少し苦笑いを浮かべながら真理のもとへと歩み寄った。


「マサは先に池行ってる。飲み物頼まれたから自販よってもいい?」


真理はそう言って先頭を元気よく歩き始める。


「私も飲み物欲しいですし、大丈夫ですよ」


「雅人も一緒に来ればよかったのに」


私がそう言うと、真理は少し悲しそうに苦笑いをして「マサは学校ではあんまり人目の多い場所苦手なんだよ」と教えてくれた。


真理がそんな表情するのは珍しくて、私は驚いてしまう。いつだって元気いっぱいで嫌なことなんて一つもないような少女だと思っていた。


というか、そういう表情をするということは真理は雅人が忌避されているというのを知っているのか。なぜ彼女はそれを放置しているのだろうか。


「それにマサはご飯買わないとだしね。先に購買行ってるんだよ」


真理はいつもの明るい笑顔に戻りそう言った。その表情に毒気が抜かれてしまって、二の句が継げない。


結局、真理から聞き出せないまま池についてしまい、雅人が「遅かったね」と声をかけてくる。


「別にそんなことなくなく? こんなもんだよ。おっ、もしかして真理ちゃんがいないのが寂しかった!? 」


「……美里さん、真理がなんか変なことしなかった?」


「大丈夫でしたよ、普通に飲み物買いに行っただけです」


美里は苦笑い。


「ちょっと酷くないっ!? 私だっていつも変なことするわけじゃないよ!」


「そう思うなら普段から控えてくれると助かる」


「それは応相談だね!」


真理は自信満々に胸を張り、雅人はそれを微笑まし気に見ている。……というかこの二人付き合ってないのだろうか。普段からイチャイチャしていて、見ているこちらとしたら付き合っていないのが不思議でしょうがないのだが。


「まあまあ、昼食食べましょうよ。時間が無くなってしまいますよ?」


「むっ、それもそうだね。ご飯食べないと授業なんて受けてられないよ!」


美里の言葉を皮切りに各々が昼食を取り出す。私と真理はすこし小ぶりなお弁当。真理のお弁当にはミートボールや玉子焼きほうれん草など色とりどりのおかずが詰められていてとても綺麗だった。私のお弁当にはサンドイッチといくつかのフルーツのみ。お母さんが作ってくれたものだが、イギリスではこれが普通なので真理のお弁当と比べるものでもないだろう。今度日本風のお弁当を作ってみようかな。


美里のはお弁当というよりお重に入った仕出し弁当のようだった。仕切られた一つ一つに入っているおかずはどれもおいしそうで、こんなお弁当を作るのにどれぐらいの手間暇がかかっているのだろうか。


「美里のお弁当凄いね……。それお母さんが作ってくれたの?」


「いいえ? 今日は早起きしたので自分で作ってみたんです。以前食べた料理を再現してみたのですが、なかなかうまくできました」


美里はそう言ってはにかんだように笑った。


自分で作ったのか、私も料理はする方だがこんなすごい料理は作れる気がしない。


「みーちゃんって料理上手だよね。私も料理練習しよっかな?」


「真理ちゃんにならいつでも教えますよ。今度練習しますか?」


「うん! マサが驚く料理作ってやるんだ!」


「……それは美味しくて驚くんだよね? ゲテモノは勘弁してほしいんだけど……」


雅人は菓子パンをかじりながら苦言を呈する。雅人の昼食は見た限り菓子パン一個だけだった。お弁当は持ってきていないようで購買のパンだけで済ませるつもりのようだ。まあ、栄養面でいえば私も大差ない。


「ふふん、私は舌だけは凄いからね! 変なものは食べさせないと約束するよ!」


「今度お料理教室でもやりましょうか」


「うん、ミーシャも行くよね?」


「いいの?」


「うん、ついでにお泊り会でもやろうよ! 女子会だよ、女子会!」


真理は一人で盛り上がって私と美里は苦笑い。雅人はいつもどおりだな~って感じであきれ顔である。結局真理の強引な誘いによって明日の土曜日にお泊り会が開催されることが決定した。


友だちの家に泊まるのは初めてだ。私は楽しみと不安が同居したような感覚に襲われる。でも、お泊り会なら雅人はいないよね?


「で、なんで俺まで呼ばれてるの?」


俺は思わず苦言を呈す。お泊り会をやるとは聞いていたが、俺が呼ばれるとは聞いていない。というか、俺は誘わないという話ではなかったのか。


土曜日の昼下がり、俺はのんびりとバイトに勤しんでいたわけだが、丁度バイトが終わるころに真一さんが迎えに来て真理の家へと連行されたわけだ。真一さんは運転中は鼻歌を歌って返事してくれないし、俺としては何で呼ばれたのかすらわかっていない。


「ふふん、もちろん私の手料理を食べてもらうために決まってるじゃん!」


真理は何故か自慢げだ。後ろの二人は俺が来たことにちょっと驚いているようで、美里さんに至っては苦笑いだ。


「……それだったら最初に言ってくれればよかったのに」


「う~ん、はじめは誘うつもりなかったんだ。でもお兄ちゃんにお泊り会について話したら『だったら僕は雅人君と男子会だ!』って」


「……真一さん、どういうことですか?」


俺は後ろに佇んでいる真一さんを睨みつけると、彼は「いつもは僕と遊んでくれないからね? 偶には男同士の親睦を深めようではないか」とにこやかに笑った。


こういう強引な押しの強さは血縁を感じる。


「メインはお料理教室だしマサは座って待っててよ! どうせお昼ご飯食べてないんでしょ?」


「食べてないけどさぁ」


「ふふん、だったら大人しく待ってなよ! マサが涙を流すぐらい美味しい料理作ってやるんだから!」


俺はため息をつき、「……わかったよ」と言って頭を搔いた。


事前に言ってほしかったが、心の準備ができているかいないかだけの問題だ。どうせ俺に拒否権などあってないようなものだし。


俺は真一さんが寛いでいるリビングへと移動し、向かいに腰掛けた。


「それで何して遊ぶ?」


「それ本気で言ってますか?」


「半分ぐらいは」


真一さんはにっこりと笑って、「さっきも言ったけど、たまには僕と遊んでくれてもいいんじゃないかい?」と言ってくる。


「……それは別に構いませんけど」


「じゃあ将棋でもやろうか。ちょっと待っていてくれ」


真一さんは立ち上がり、リビングから出ていった。将棋盤を取に行ったのだろう。それにしても将棋か、一応指せるがルールを知っている程度なので恐らく負けるだろう。まあ勝敗はさして重要ではないし、世間話の箸休め程度に思っておこう。


そんなことを思っていると、キッチンとリビングをつなぐ扉が開き美里さんがお盆をもって入ってきた。


「あら、真一さんはいらっしゃらないんですね。お茶をお持ちしたのですが……」


「すぐに帰ってくると思うよ、というかなんで美里さんがお茶を? 普通そういうのって家の人がやるものだと思うけど……」


真理とか。


「今、真理ちゃんはお料理しているので。もうすぐできるから待っていてくださいね」


美里さんはそう言ってほほ笑んで、キッチンへと消えていった。


美里さんの持ってきてくれたお茶を啜っていると真一さんが将棋盤をもって帰ってくる。


「おや、お茶淹れてくれたのかい?」


「いえ、美里さんが持ってきてくれました」


「へ~、流石美里くんはしっかりしているね。それに比べてうちの真理は……。はぁ……」


真一さんは露骨にため息をつき、真理の不出来さを嘆いた。


「真理には真理の良いところがあるでしょう? 比べるものではないですよ」


「それは分かってる、というよりも諦めている。真理は昔から好奇心旺盛だしね。真希のようにおしとやかっていうのは親たちも無理だと思ったんじゃないかな?」


「そういえば、今日他の家族の方は?」


「みんな出かけているよ。母は夜になったら帰ってくると思うけど、お爺様と真希は今日は帰ってこないんじゃないかな?」


真一さんは駒を並べながらそう言った。俺も駒を並べ、並べ終わると「俺が振りますね」と断ってから歩を5枚手に取り盤面に放る。結果は3枚の歩と2枚のと金、俺の先手だ。


「そういえば、今日は真一さんはお休みなんですか?」


「ん? いや、朝いちで少し仕事をしに行ってたよ。その帰りに君を迎えに行ったんだ」


「……結局、なんで連れてきたかは教えてくれないんですか?」


「さっき言ったろ? 男同士の親睦を深めるためだよ」


真一さんは迷うことなく駒を動かす。まあ、序盤なんて自陣を作る作業みたいなもんだから俺も迷うことなく駒を動かす。小競り合いが始まるのは10手くらい先だろう。


「それって本気ですか?」


「純度100%の本気だよ。そんなことで嘘をついてもしょうがないだろう?」


「それはそうですね」


「というか、真理が君を誘わないのが不思議だったけどね。いつもだったら問答無用だろう?」


「そういえばそうですね、何でだろう?」


「なんとなく想像はつくけどね。……君は真理のことに対しては鈍感だよね」


真一さんは肩をすくめ、歩をぶつけてくる。ここから本番か。


「PCの調子はどうだい? 壊れたりしてない?」


「特に問題ありません。ていうか、やっぱり俺にはオーバースペックな気がするんですが」


「気にするなと言ったじゃないか。どうせ余ったパーツで作ったものだし」


真一さんの趣味は自作パソコン。俺のパソコンは真一さんに作ってもらったものだが、あとで値段を調べたら40万円ほどで驚愕したものだ。ちなみに真理のパソコンは真一さんのおさがりで、こちらは当時の価格で80万円を超えているらしい。真一さんのメインパソコンの値段など怖くて聞けなかった。流石、金持ちの趣味は桁が違う。


「今日の献立聞いてます?」


「いや、聞いていないな。気になるのかい?」


「どちらかと言えば食べられるかどうかを」


「それはそうだね」


桂馬の飛車角両取り、さっそく大駒をとられてしまう。棋力の差が如実に表れている気がする。


というか話しながらよく指せるな、俺は少し黙ったり考えたりをしているというのに真一さんは全くそんなそぶりがない。流石、完璧超人。学生時代には生徒会長を務めながらラグビー部のキャプテン。今では新進気鋭の政治家なんだからどの分野でもかなう気がしない。


「そういえば、七不思議って真一さんの時代からあったんですか?」


「……君、どこで七不思議のことを?」


「先日、真理が七不思議巡りするって学校探検をしたんですよ」


というか、真一さんも七不思議のことを知っているということか。


「君の予想通り、僕の時代からというか僕が生徒会長だった時に七不思議はできたみたいだよ」


「他人事ですね、当時話題になったりしなかったんですか?」


「多少広まってたみたいだけど、そんなに話題にもならなかったかな」


「ふ~ん、そうですか」


「というか君から話題が振られるのは珍しいね。なにか気になることでもあったのかい?」


「まあ、多少は。七不思議に少し違和感があったので」


「違和感? どんな?」


「作為的というか、意図的というか。七不思議の前半と後半に違和感があったんですよね」


そう、あの時は言語化できなかったが、今ならはっきり言える。前半に違和感を感じるというよりも後半の七不思議はいわゆるテンプレで、前半の七不思議ありきな気がしたのだ。つまり、七不思議を作った人は前半の七不思議を作るためにありがちな後半の七不思議を追加したのではないのだろうか、と俺は考えた。


「というか真一さんの生徒会長時代に作られたなら、だれが作ったのか知らないですか?」


「……さあね、あまり興味もなかったから」


真一さんはにっこりと笑って、そういった。知っている、この笑顔はこれ以上話すつもりはないという拒絶の笑顔だ。


「というかあの可愛いハーフの女の子は誰だい?」


真一さんは強引に話を変える。いつもはそんなことしない人だが、そんなに聞かれたくないことなのだろう。それ以上突っ込むほど興味があるわけでもないので、話を合わせる。


「ミーシャのことですか? 最近転校してきたんですよ。色々あって仲良くなって」


「そうなのか、今日初めて会ってびっくりしたよ。しかしあんな可愛い子とまで友だちなんて、雅人君の周りは華やかだね」


「友達、なんですかね。向こうがそう思ってくれてたらいいですが」


「君は変なところで遠慮しがちだね」


真一さんはため息をつき、駒を動かす。俺の矢倉はほぼ壊滅で詰めろ状態だ。真一さんの穴熊はまだまだ健在で、勝負はもう決まったようなものだった。


「もう俺の負けですね」


「おや、勝利の女神は諦めないものに微笑むものだよ」


「早めに損切りしたほうが賢明だと思いますけどね」


「それもまた真理だね」


真一さんがそう言ったその時リビングの扉が開き、「マサ~、ご飯出来たよ!」と元気な声とともに真理が飛び込んできた。


「結構うまく出来たよ! 運ぶの手伝って!」


「うん、わかった」


「真理、僕の分もあるのかい?」


「お兄ちゃんの分もちゃんとあるよ!」


俺は真理に手を引かれてキッチンへと向かう。キッチンでは美里さんとミーシャが作られたであろう料理をお椀に盛り付けている。リビングで食べるだろうから運ぼうとすると、献立もなんとなくわかったが頭を捻る。


「マサ、どうしたの?」


「いや、お昼に鳥粥って珍しいなって思って」


見る限り昼食の献立は鳥粥と野菜の煮物、そしてほうれん草の辛子和え。これだったら普通に白米でいいとも思うが、何故鳥粥にしたのだろうか。


俺が疑問に思っていると、美里さんが「真理ちゃんがお粥を練習したいって言ったんですよ」とほほ笑んでいた。


「前にマサが風邪ひいちゃったことあったじゃない? 今度はそういう時に、手作り作ってあげたいなって……」


真理は顔を赤らめ、珍しくもじもじしていた。


ふむ、そういうことか。俺としては看病に来てくれただけでありがたいのだが、真理は俺のために料理の練習までしてくれるらしい。それは嬉しくて、とてもありがたい。


「そっか、ありがとうね」


俺は感謝を込めて頭を撫でると、真理は顔を赤らめたまま花が咲いたように笑った。


全ての料理をリビングに運び終わるとミーシャと美里さんも席に着き、食事が始まった。


「これ美味しいね、辛子で和えるのって初めてかも」


「そうですか? 結構メジャーだと思いますが……」


「マサは料理あんまり興味ないからね! これからは私が色々作ってあげるよ!」


「真理は今日すごく頑張ってたもんね。ていうか、意外と料理できてるんだから教わる必要ないんじゃない?」


「真理ちゃんは一人で料理作ると、アレンジしたがりますから……」


「あ~、アレンジャーってやつか」


「俺、去年のバレンタインは死ぬかと思ったよ……」


チョコレートにまるごとイチゴが入っているのはいいが、それが異常にしょっぱいのは許容し難かった。本人曰く、「塩チョコだよ!」とのことだが、だったら塩の量は考えて欲しい。


「雅人は料理したりしないの?」


「あんまりしないかな」


「マサの主食は菓子パンだもんね~。もう少し栄養取らないとダメだぞ!」


「余計なお世話」


そんな感じで食事は和やかに進み、食後の片づけは俺と真一さんですることになった。


女子たちはお菓子作りを行うらしく、スーパーへと出かけて行った。というか夕食も作ってくれるらしく、今日だけで二食+お菓子作りまで行うとは元気なことだ。俺はというとやることもないので真一さんと一緒に遊ぶことになったのだが、ランニングに筋トレ、果てにはバスケの1on1までやらされたので非常に疲れる休日となった。スポーツマンなのは知っていたが、休日にまでこんな疲れることをやっているとは知らなかった。真一さんはケロッとしていたが、俺は終始肩で息をして、着いていくのがやっとだった。


途中真理が手作りのスコーンを持ってきてくれ、付け合わせのジャムもとても美味しく、甘さが体中に広がった。お菓子作りは本場イギリスのスコーンをミーシャ指導のもと作ったようで、真理たちはそのまま夕食づくりに移行し、日が暮れるころには真一さんとともに早めのお風呂をいただいて、出るころには夕食がリビングに並べられていた。


和食だったお昼とは違い、夜はオムライスにコンソメスープ、付け合わせにサラダといういかにも洋食の組み合わせだった。俺のオムライスの卵はすこし不格好だったが、ふわふわとろとろでとても美味しく、美味しい旨を伝えると真理が嬉しそうに笑うので誰が作ったのかは一目瞭然だった。


「ねえ、真理って雅人と付き合ってないの?」


夕食も終わり、真理の部屋でパジャマ姿になった私たち。私たちはお布団も敷かれており、もう寝るだけとなったお泊り会の定番ともいえる恋バナに興じていた。そして恋バナと言ったら、真理とマサとの関係が一番に気になるのは当然だろう。ちなみに雅人は真理のお兄さんの部屋に泊まっているらしい。


「それは私も気になりますね」


美里も気になるらしく、枕を抱きながら身を乗り出してそう言った。


「多分、学校の人も雅人さんと付き合っていると思ってますよ。何度かそういった噂を聞いたことありますし」


「そんなの広まってるんだ。で、実際のところどうなの?」


私がそう尋ねると、真理はトッポを咥えながら頭をひねっていた。


「う~ん、付き合ってはないかな。どっちかが告白してとかそういうのはしてないし」


「なんで付き合わないの? あんなにラブラブなのに」


「そうですね、私たちの前でも時々いちゃついてますし」


「えっそんな風に思われてたの!? さすがにちょっと恥ずかしいかも……!」


真理は顔を赤らめ、少しうつむく。女の子のようなしぐさをする真理は珍しくて少し面白い。というか真理がこういう表情するのは雅人に関することが大半なので、少なくとも真理は雅人のことを憎からず思っているということではないか。正直ちょっと胸焼けしそうだ。


私はポテチの袋開け、2、3枚まとめて口に放り込む。


「真理は雅人に告白したりしないの? 雅人は絶対断らないと思うけど」


「そうですね、雅人さんも真理ちゃんのこと絶対好きだと思いますし」


「え~、それはどうかな? マサは私のこと別に好きじゃないと思うよ」


真理は妙に確信に満ちた声でそう言った。


「というか、マサってそういうのどうでもいいと思ってそう。告白したらOKしてくれると思うけど、好きじゃない人と付き合ってもな~」


真理は難しい顔でポテチの袋に手を伸ばす。私は紙コップに注がれた緑茶を口に含む。


「でも付き合ってから愛を育むっていう方法もあるのでは?」


「確かにそうだけどさ~」


「まあ、私たちの口を出す問題でもないか」


「そうですね」


美里は上品に紙コップを傾ける。育ちの良さというのはこういう時に出るものだなと妙に感心してしまった。


「というか今でこそ笑うようになったけど、昔のマサってにこりともしなかったんだよ」


「まあ、それはなんとなく想像はつく」


「遊びに行っても困ったような顔するだけで全然嬉しそうじゃないし、最近はかなり表情豊かになったな~」


「あれで表情豊かなんだ。結構いつも仏頂面な気がするけど」


いつもの雅人を思い浮かべてもやはり仏頂面しか思い浮かばない。真理と一緒にいるときは柔らかい表情になることもあるが、それだって決して表情豊かというわけではない。


「美里はそういうのはないの? 学校では女神様って呼ばれてるんでしょ?」


「うっ……、確かにそうですが交際に関しては経験ありませんね……」


「みーちゃんって昔は白馬の王子様に本気憧れてたよね~。でも告白されることも結構あるみたいじゃん。誰か良い人いないの?」


「えっ、そうなんだ!? なんで付き合わなかったの?」


「う~ん、難しいですね。しいて言えばあまり私のことを見ていなかったことが原因でしょうか?」


「どういうこと?」


「噂や外見、外聞だけで告白してくる方が多いんです。……悪いとは言いませんが、そういった方々とお付き合いしたいとは思いませんね」


「ふ~ん、私には分からない世界だな。そもそも私告白されたことないし」


「えっ嘘!? ミーシャめっちゃ可愛いのに! 私の彼女にしたいぐらいだよ!?」


「意外ですね、イギリスでもなかったんですか?」


「イギリスだと日本人学校行ってたっていうのもあるけど、あんまりそういうのはなかったかな。あんまり同級生もいなかったし、私はハーフだったからもしかしたら避けられてたのかも」


「ふ~ん、そんなもんなんだ」


別にいじめられていたというわけではないが、イギリスでは親しい友人はあまりいなかった。それなりに仲のいい友人もいるにはいたが、彼らも親の都合で来ている以上別れというのはある種当たり前のことなので、深い付き合いをしようとすら思っていなかったのだ。


「私は基本的に日本育ちだから、向こうの文化とか好きになれなかったんだよね。逆にアナはほとんど向こうで育ったから日本に戸惑ってるみたいだけど」


「そういえばアナちゃんって日本語めちゃくちゃ上手いよね! 向こうでも練習してたとか?」


「そうですね、あの年でほとんどバイリンガルと同じですもんね」


「それは私も驚いた。家族はたまに日本語で喋ることはあったけど、アナは英語しか使ったことなかったからな~。というか、雅人と会ってから日本語がめちゃくちゃ上手くなった気がする」


思い返してみれば雅人と出会ったあの日以降、アナはテレビに齧りついて必死に日本語を練習していた気がする。それだけで日本語をしゃべれるようになれるとは到底思えないが、事実その日からアナの日本語は大分上達したのは確かだ。


「マサトに懐いたのも驚いたな。てっきりあの子は人見知りだと思ってたんだけど……」


アナは元々人見知りで、家族以外の人とはあまり関わりたがらない。そんなアナが雅人と仲良くするならまだしも、笑顔で肩車されているのを見たときには驚いたものだ。


「そうなんだ、マサと初めて会った時からめっちゃ懐いてたけどな~」


「雅人さんには何か安心する要素があったのかもしれませんね」


「……言っちゃ悪いけど、雅人って仏頂面だし、素っ気ないしそんな要素ある?」


「う~ん、でもマサは動物にはめっちゃ好かれるからな~。小さい子とかしか分からない雰囲気みたいなのがあるかもしれないよ?」


「なんか意外かも……、雅人って犬とかに吠えられてそうなイメージある」


「そうでもないよ、前に公園行ったら散歩している犬とか寄ってきて大変だったし」


へー、そうなんだ。小さい子にしか分からない感覚というのも確かにあるのかもしれない。アナもそういうところを感じ取って、雅人にあんな懐いているのかもしれないな。


雅人のいつもちょっと困ったような仏頂面を思い出して、つい笑ってしまう。


「あっ、そうだ。二人って来週は暇?」


「暇だけど?」


「来週は部活もありませんね。何かあるんですか?」


「実は来週、アナの誕生日やるんだよね。イギリスだと友達を招いたりするんだけど、アナはまだ日本に来たばっかりで友達もあんまりいないんだ。それで今年は家族だけでやるつもりだったんだけど、アナが雅人たちに来て欲しいって……」


「ふ~ん、いいじゃん! みんなで行こうよ!」


「そうですね、プレゼントも選びに行かないと!」


「雅人は来れるかな?」


「大丈夫でしょ! あいつ予定なんかどうせないし」


酷い言われようだ。


まあそれも二人の関係性か。なんだかおかしくて笑ってしまった。

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